第11話 仮免の預言者

 見知った天井と、明かりのついた蛍光灯が視界に入った。エアコンの作動音に交じり、家の前の歩道をゆく人たちの話し声が聞こえた。


 明人はベッドの上で、目をぱちくりさせた。


「こういう意味、か」


 自分の部屋に戻って来たのだ、と気がついた。


 突然だったのですぐ頭がついていかなかった。


(なんだか息苦しいな)


 そう思ったら、みぞおちのあたりにベルが座っていた。そういえば腹ドンを食らったのだと思いだした。

 あの後ずっと乗っかりっぱなしだったらしい。


 彼自身はまだこちらに戻っていないのか、目を閉じていた。動かないと、本当にネコのぬいぐるみに見えた。


「いつまで乗ってるのさ」


 両手で抱え上げ、となりにおろすと、ぱちりとその目が開いた。


「ん。……おお、すまないな。先の世界の後始末をしていた。自分で創った仕組みとはいえ、唐突に破られると、収拾のための時間がどうしてもかかってしまってな」


 そう言って、ベルはぐーっと天井に向かって縦に背伸びをした。

 ネコっぽく四つん這いになって横に伸びるのかと思ったが、そこは人と同じらしい。その後、ぴょんとベッドから飛び降りた。


 続いて明人もベッドから降りた。そういえば学生服のままだ。靴下も脱いでいなかった。


 ベルがじっと明人の目を正面から見据えた。


「さて明人よ。お前の状況と助かる方法はおおむね伝えられたと思う。挑むのが危険ということも含めてな。その上で確認するのだが」


「うん」


「今の話を聞いても尚、あの【夢】の世界――三界に挑むか? まちがいなく危険だし、苦労もするぞ。しかも、かえって命を縮めるおそれが極めて高い。あの悪意ある世界を作った何者かに挑戦状をたたきつけるも同然だからな。たとえお前がなにもしなかったとしても、私は私で解決のために動く。それでも自分でリスクを背負うか?」


 問われて、明人はすぐに答えた。


 結論は、とっくに出していた。


「もちろん」


 たしかにより詳しい状況は聞けた。

 だが結局引かば負けの状況はまったく変わっていないのだ。


 己の結末は、己が左右した結果であるべきだ。

 それが己の生死なら、なおさらに。


「いい覚悟だ」


 驚いた様子もなく、ベルが満足そうに笑った。今の明人の答えを期待していたのだろう。


「どうだろう、明人。それなら私と組まないか。生き残りたいお前と、あの世界を壊して人々を解放したい私。目的はほぼ同じだし、やること自体も完全に同じだ。私たちは協力できる。もちろん、お前があの世界から逃れられるまででいい。実のところ、これほどまでにしっかり私の姿を見、私の声を聞ける人間は稀でな。私としても、ともに事に当たってもらえるとありがたいのだ」


「え」


 ベルの提案に、今度は即答できなかった。


 実のところ、明人も『この先も助けられたら助けて欲しい』くらいのことは頼みたいと思っていた。

 しかしベルの提案はそれよりずっと踏みこんだものだ。


 受けるにせよ断るにせよ、極めて大きな選択になる。

 だから、すぐ答えるわけにいかなかった。


(どう考えればいい? どう答える?)


 自問した。

 重い問いであった。ことによれば、どう答えるかで自分の命運そのものが変わりかねない。


(いい奴、とは思うんだけど……)


 必死に考えた。

 たぶん、ベルはいい奴だ。初対面で、しかも不法侵入者として出会いながら、ここまで打ち解けられているのも、イヤな感じを受けなかったためだ。

 それどころか清々すがすがしさや神々しさのようなものまで感じる。神なので当然なのかもしれないが、ちょっとないことだ。


(あ、うん。これ簡単だ。つきつめればベルを信頼するかしないかだけだ)


 そう気がついた。


 そして、それなら答えは既に出ていた。


 彼はたぶん、いい奴だ。


「うん、わかった。一緒にやろう」


 じれるでもなく静かに待っていたベルに、明人はそう答えた。


 どれだけ長く悩んだのか。

 きっと時間にしたら数秒程度のことだったのだろう。

 だが息の詰まる数秒だった。


「契約成立だな」


 ベルが満足げに笑って右手を差しだした。


 明人は一瞬なんのことかわからなかったが、すぐ握手だと気がついた。自分の右手をそそくさとズボンで拭いて、差しだされたベルの手を強く握り――そのまま握りつぶしてしまった。


「えっ?」


 ベルの手が、まるでぬいぐるみのように潰れていた。先ほどベッドの上で持ったときは、たまたま加減がうまく行っていただけらしい。


 あわてて手を離すと、ぽこんとすぐに元に戻った。


「ああ、すまない。私は物質界に実体を持たないから、強く握られると見ての通りになってしまう。こっちでは軽く触れるくらいに加減してくれ」


 ベルは平気な顔でそう言った。おもいきり潰れていたが、痛くはなかったようだ。


「あ、ああ、ごめん。了解」


 あらためて握手し、手が触れているあたりで握るのを止めた。

 実体がないと言っていたが、モフモフした手触りと温かみが感じられた。その姿を見たり声を聞けたりするのと同じように、触ったり温かいと感じたりすることもできるらしい。拡張現実ARの上位版だ。


「よろしく頼む、明人」


「こちらこそよろしく、ベル」


 簡単に同意した。


 神との契約だ。

 それは白髭をたくわえた威厳たっぷりの長老が険しい山上ですることであって、一介の高校生が四畳半の自室でやることではないのだが、いちおう範疇はんちゅうのうちだろう。

 なにしろ相手は神であるし、契約とも言っていた。


「まるで神話に出てくる預言者になったみたいだ」


「私の声を聞けるのだから、実際そうだぞ。まぎれもなく預言者だ。まだまだなりたてでメッセンジャーボーイの域を出ないがな」


 神からのメッセージを預かれる者を言者という。予測を言うほうの言者とは異なる。


「そうと決まれば、さっそくこれからは同行しよう――と、言いたいところなのだが、済まない。いったん席を外させてもらいたい」


 ベルはそんなことを言った。


「どうしたの?」


「うむ、私にはもう一柱協力者がいてな。今は別行動を取っているのだが、彼女に明人のことを話してこなければならない。おかしな行き違いがあると困るからな。……それもかなり深刻に」


 いったい何を思いだしたのか、ベルは緊張した面持ちになって、ぶるっと体を震わせた。


「もしかして、夢で一緒にいた、あのピンク色でかわいい感じの?」


「見ていたか。ああ、彼女だ。私の妹なのだが、かわいらしく見えても戦女神いくさめがみだから、まちがっても侮るなよ。怒らせるととんでもなく過激だし、率直に言って私より強い。だからこそ最速で話を通しておきたいわけだが」


「ああ……。了解。いってらっしゃい」


 ひきとめようという気にはならなかった。


 古代の神話は、現代の価値観からするとどれもかなり容赦がない。わけても戦神とくれば相当なものであろう。ベルの気の使いようからも、それはうかがい知れる。


「うむ。なるべく早く戻るつもりだが、遅くなるかもしれない。もし戻る前に貪食界に入ってしまったら、むやみに動かず私を待っていてくれ。戻った後はお前との縁を頼りに入るから、すぐ合流できるはずだ」


「あ、だったらそのときは俺だけでも世界を壊す鍵ってのを探してみるよ。時間が惜しいでしょ」


「よせ。単独行動は危険だ。お前はまず自分の身を守ることを第一に考えてほしい。私はお前との縁を頼りにしてあの世界に干渉する。お前がもしあちらで死んだり気を失ったりすれば、私はあちらに入ることができないし、また入った後であっても追い出されてしまうのだ。私があの世界に干渉できるようになるだけでも、お前は十二分に貢献していることを憶えておいてほしい」


「でも」


 食い下がった。なんといっても明人には時間がないのだ。ベルの説明通りだとすれば、三界攻略に使える時間は残り5日だ。

 が、


「でも、はなしだ。無茶をするな。お前はたしかに私の声を聞けるから預言者だ。そして、預言者と呼ばれる者たちの中には、現代に名を残すほどの活躍を見せた者もいる。が、お前が真似をするのはまだ早い。なんといっても成り立てで、いわば仮免のようなものではないか」


 ぴしゃりと言われた。議論の余地はない、と言わんばかりだ。


(仮免……)


 ムッとした。たしかにまだまだ普通の高校生かもしれないが、そこまで言わなくてもよさそうなものだと思った。


「いいか、人目につかない場所には決して近寄るな。特に大門の裏には決して行ってはいけない。どのように見えても、あの世界ではすでに何人も命を奪われていることを決して忘れるな」


「……わかったよ」


 しぶしぶ頷いた。


「よろしい。では、また後でな」


 そう言い残し、ベルはふっと消えてしまった。


 後には彼のために出したコップと座布団だけが残った。


 エアコンの音が鳴る、いつもの静かな自分の部屋は、本当にいつも通りだ。

 自分の身に降りかかった超常現象が嘘のように思えた。


(今起こったことは本当だったんだろうか)


 そんな疑念が鎌首をもたげて、明人は軽く唇を噛んだ。


 もしかして全て自分の妄想だったのではないか。


 あれだけの体験をしておきながら、ではあるが、まだそう思わずにいられなかった。


 食べた肉の味も、握手したときの手触りも、まだ憶えている。

 ついでにレースクイーンっぽい大胆な格好をしていた千星の姿も。


 だが、この短時間に体験した、ありとあらゆることが、なにもかも常識外の出来事だ。


 ベルと名乗る古代の神と話したことも、手のひらで死のカウントダウンがなされていることも、レプリカの三軒茶屋を歩いたことも、三千年前の神殿を訪れていたことも、どれ一つとっても誰かに話せば正気を疑われよう。


 明人はあらためて右手のひらを見てみた。


 そこにあるのは、ただの手のひらのしわだけ。


 そうであれば悩む理由はなくなる。

 それはそれで自分の正気を疑わねばならなくなるが、まだ救いがあるだろう。


 だが幸いにしてか、不幸にしてか。


 気持ち悪いほどよく見える【5】の数字が、変わらず手のひらにべったりと張りついていた。

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