第4話 異端者、あるいは旧友

 昼を知らせるチャイムがゆったり鳴った。


 時刻は12時。多くの組織で昼休憩が始まる時間である。それは明人の通う私立世田谷高等学院、通称『世田高』も例外ではない。


「なに食べよ」


 教室を出た明人は一人で廊下を歩きはじめた。

 向かう先は学食である。

 数字が張り付いた右手はポケットの中に入れっぱなしにしている。

 行儀が悪いが、しかたないのだ。手のひらに描かれてある【5】という数字は、見ようによっては入れ墨タトゥーのようにも見える。人に見られると面倒の元だろう。


 と、奥の教室から教師が退出して廊下に出てきた。

 よりにもよって明人の担任教師であった。


(あちゃっ!)


 面倒なときにでくわした、と思った。

 明人の担任は五十過ぎで、とにかくマナーにうるさい。それは教育熱心とも言え、ある意味ありがたいことなのだろうが、今の明人にとってはありがた迷惑だ。


 案の定、メガネごしの視線が明人の右手にむいた。


「古宮、ハンドポケットやめろ。みっともないぞ」


「すいません」


 こうなってはしかたない。

 観念して明人は右手をズボンから出した。

 ただし、手のひらが見えないよう、ズボンに擦りつけるようにして。

 そしてそのまま、つまり手を腿にくっつけた状態で、歩いた。


「……?」


 不自然な歩き方をする明人を担任はいぶかしんだ様子だったが、今度はとがめようとしなかった。

 マナー的に問題なかったようだ。


(ったくもう!)


 すれちがった後で、逃げるように右手を隠して歩きながら、明人は顔をしかめた。


 おかしなペイントが手の平についたおかげで不便極まりない。

 洗い落とせれば良かったのだが、取れなかったのだ。石けんで洗っても爪でこすっても効果がなかった。

 見られないように気をつけているから、今のところ誰にも問いつめられずに済んでいるが、いつまで隠せるやらである。


(もしかして早池峰さんも同じなのかな、これ)


 そう思った。

 今日、千星は欠席であった。理由は体調不良とされている。

 だが本当の原因は、彼女の手にも消えない数字が張りついているからなのではないか。

 とかく人目を惹く彼女のことだ。手におかしな数字を描いたままでは、外を歩きづらいだろう。もちろん、あの夢を千星も同じように見ていたとしたらの話ではあるが。


 今しがた担任が出てきたクラスの前を通ると、弁当組の生徒がそれぞれ机の上に弁当箱を広げているのが見えた。友人同士で机を寄せ合う者もいれば、孤高の一匹狼もいた。


(俺も今日は弁当が欲しかったな)


 と内心でグチった。それならお尋ね者のごとき右手を抱えてうろつかずに済んだのだ。


 だが古宮家は夫婦共働きである。明人の母もフルタイムの仕事をしている。忙しい朝、弁当作りまで母の手がまわらないことも珍しくない。

 今日は運悪くそういう日であったのだ。

 明人が本日持たされた弁当は、百円玉3枚であった。



◇ ◇ ◇



 明人が学食に着いたころには、席があらかた埋まっていた。

 普段はここまで混まないのだが、今日は使う生徒が多かったらしい。


(誰かいないかな)


 見知らぬ相手との相席は避けたかったので、友人を探した。

 すると一番奥の机のかたすみに見慣れた茶髪のソフトモヒカンがいた。しかも隣の席が空いている。


(ラッキー)


 が、彼に近よったら、空いていた理由がわかった。


 携帯ゲームに熱中している彼に誰も近づきたがらなかった、わけではない。

 たとえ彼が、イヤホンをつけ、ときおり体を揺らし、夢中になってスマートフォンを指で叩きまくっている、かなりの不審人物であったとしてもだ。


 イスの前に週刊誌が広げてあったのだ。

 誰かがもう席を確保したあとだったらしい。


(駄目かあ。……いや、待てよ?)


 ピンとくるものがあった。

 明人は広げてある週刊誌にかまわず、ソフモヒの隣の席を左手でたたいた。


「ゆっきー、ここ座れる?」


「ん」


 スマートフォンからまったく目を離さず、ソフモヒが鼻を鳴らした。


「はいよ」


 と明人はジャケットを脱いで、空いているイスにかけた。


 今の返事は、イエスだ。ノーならイントネーションが違う。

 明人の推理どおり、机の上の週刊誌は偽装であったのだ。

 もちろん犯人はこの偏屈な友であろう。おおかた、知らない生徒が隣に来るとプレイの邪魔だとでも思ったのではないか。


 コミュ力信仰が盛んな現代日本において堂々たる異教徒っぷりを見せつけたこの曲者クセモノは、八神幸十やがみ ゆきとという。幼・小・中・高校と、ずっと明人と同じ学校に通いつづけている親友である。


 今やってのけた無愛想な応対は、他人が見たら喧嘩していると思われそうだが、ただの素だ。当人の主張によれば『むしろ素の自分を見せるのが信頼の表れ』ということになる。


「……」


 隣に座ることになったばかりであるが、明人も幸十に話しかけなかった。その足で購買へと向かった。


 ファラオの眠りをさまたげると呪われるようなもので、このゲーム中毒者ジャンキーのプレイを邪魔することは誰であろうと許されないのだ。



◇ ◇ ◇



 そぼろ丼と無料の水を手に、明人が席に戻っても、まだ幸十はプレイに熱中していた。


 どうやらプレイしているのは多人数対戦型のシューティングゲームFPSのようだ。ひっきりなしに動くせわしない画面に、テキパキ対応していた。


(邪魔をすると噛みつかれるな)


 そう判断して、明人は黙って週刊誌擬装用品を広げたままの隣の席に座った。


 食事の邪魔になると思って週刊誌を閉じると、いかにもゴシップ誌らしく、けばけばしいフォントで『あなたは大丈夫? 謎の昏睡死が頻発』『アイドルを食い物にするキキプロの鬼婆!』などと書かれた表紙が目に入った。

 後者のタイトルには指名手配犯のごとき老婆の写真が添えられていた。


 【キキプロの鬼婆】とは、芸能事務所キキコープロダクションの社長の異名である。すこし前、所属アイドルを自殺に追いこんだことからこの名がついた。昔話にでてくる人食いの鬼婆の現代版というわけだ。

 おぞましい異名だが、他人を食い物にするとして昔から悪名高い人物だったので、自業自得とも言える。


(こんな相手に関わると大変だな)


 そんな感想を抱きながら、明人は閉じた週刊誌を机の奥におしのけた。

 空いたスペースにそぼろ丼をおいて、さっそくフタを開け、一口食べた。


 味は、まあ普通だ。

 昨晩に不思議な夢の中で食べたご馳走とはくらべるべくもない。

 しかし飲みこめばちゃんとお腹にたまる感覚があった。


(こうでなきゃな)


 うむ、と頷いた。

 いくら美味しくても、食えば食うほど腹が減るような恐ろしい飯は困る。

 ふたたび塩気の強いそぼろと、しっかり汁のしみたごはんを一緒に口の中に入れた。

 モグつきながら、話す相手もないままに、学食の中を眺めた。


 つい千星の姿を探してしまったが、いるわけないとすぐに気がついた。今日、彼女はお休みである。


 代わりに、というわけでもなかろうが、千星に負けず劣らずの美人を見つけた。

 美しい金髪のショートボブと、ほりの深い顔立ちが特徴的な、女優のような美少女だ。日本人離れした風貌だが、それもそのはず、アメリカ人らしい。東京に来る前はしばらく近畿地方に住んでいたとかで、関西弁がぺらぺらだという。


 ちなみにそれを明人に教えたのは幸十だ。その際『もし世田高でミスコンが開かれたら優勝は早池峰じゃなくて彼女』とも言っていた。彼はこのようなところでも異端を貫く。


 ただ、その麗しいブロンドの乙女は、今日はお疲れなのか、イスに座ったまま前屈みにうつらうつらとしていた。


(俺は早池峰さんのほうが良いと思うけどなあ。でもまあ、また違った魅力はあるか)


 愛らしい寝顔を鑑賞しつつ、明人はそんなことを考えた。幸十が褒め称えるのもわからなくはなかった。


 とはいえ女の子の寝顔をあまりまじまじ眺めるものでもない。

 明人は視線をそぼろ丼に戻し、口の中のものを飲みこんで、次にかかろうとした。


「あー」


 隣のゲーマーがようやくスマートフォンを机に置いた。

 明人も箸を止めて聞いた。


「勝てた?」


「負けた。向こうのチームにヤベーのが一人いてよ。結局そいつに全員なぎ払われた」


 と無念そうに幸十は答えた。

 ゲーム終了画面には、


 BEST PLAYER - sULa


 と表示されていた。このsULaという名のプレイヤーが、幸十の言う『ヤベーの』だろう。


「ゆっきーがそんな負け方をしたんだ。すごいプレイヤーもいるもんだね」


 と言った。

 明人もそこそこFPSをやるが、それでも幸十には遠く及ばない。その幸十をなぎ払ったのだからよほどの猛者である。


「ああ。天才っつーか廃人っつーか、まあそんな奴だな。それでもプラを組めれば勝てたと思うんだが、今組めるのがいねえんだわ。よく組んでたフレが最近いなくなっちまってな」


 と幸十はサンドイッチBoxのフタを開けながらぼやいた。

 ちなみに『プラを組めれば』とは『協力プレイをできれば』、の意である。プラとはプラトーンの略で、日本語にすれば小隊だ。フレはフレンド、すなわち友人。ゲームの仕様次第だが、協力プレイができる相手、くらいの意味にとらえればいいだろう。


「引退?」


「たぶんな。現実世界リアルでなんかあったんだろ。最後にプラ組んだ日にはもう相当キてたし」


「『キてた』って穏やかじゃないね。どうしたの」


「わっかんね。けど、ガチで病んじまったのかなんなのか、一緒にプレイしてて怖かったぞ。いきなり変なミスしたかと思ったら、『今一瞬変なぬいぐるみが見えた!』とかボイチャで叫んでよ……。ああ、あと『右手に数字が見える』とも言ってたっけか」


 と幸十は四角いハムサンドを豪快に頬張った。

 ボイチャはボイスチャットの略。協力プレイを行う際に遠隔地のプレイヤー同士で通話するためのアプリである。自宅では使っていたのだろう。


「右手に、数字?」


「ん? おう。最初は6から始まってな、一日ごとに数字が減ってくんだと。5、4、3ってな。その人も最初は気にしてなかったんだが、途中からなんかすげー相談されだしてよ。しまいには『あと1日しかない』とか、『金も装備も意味がなかった』とか、よくわかんねーことを切羽詰まった感じで訴えられたわ。けど、なんのことかわかんねーし、ちゃんと話してくれねーと相談に乗るのも難しいじゃん? 普通に話せるていどに落ち着いてからなんのことか聞いてみるべ、と思ってたんだけどよ。結局、その日を最後にログインが途絶えちまった」


 と幸十は嘆息した。心配半分、残念半分、といった感じだ。


 明人は背筋が寒くなった。

 あまりにも己の状況と符号しすぎている。まさにその数字が今も右手にべったり張りついているのだ。一日経ったことで減った点もそのままだ。


 それにログインが途絶えたというのも気になった。いったい幸十のフレンドに何が起こったのか。


(つっこんで聞いてみるか)


 明人は意を決した。

 この旧友は信頼できる。人の好き嫌いこそ激しいが、そのぶん付き合える相手は大事にする男なのだ。まちがっても面白半分に言いふらしたりはしないだろう。


 明人はずっと隠していた右手のひらを幸十に向けた。

 そこには、今も【5】とある。


「ゆっきー、その人が言ってた数字ってさ。もしかして、こういうのじゃない?」


「はあっ!? ちょっ、シャレになんねえぞ!」


 幸十は顔を引きつらせてのけぞった。

 だが、その視線を明人の手のひらに向けるなり、ムッとした顔になった。


「んだよ。なんにも書いてねえじゃねえか。やめろよな、そういうの」


「え、書いてるじゃん。でかでかと」


「どこよ」


「どこって手のひら全体」


「ねーし。あー、いや、しいて言えば手のひらのシワが漢数字の【三】に見えなくもないか? 全然ちげーから。もっとわかりやすく、こう……ぶっとい線でアラビア数字を黒々と描いてる感じだったらしいわ」


「……?」


 そう言われ、明人は自分の右手のひらをもう一度眺めた。

 まさに、わかりやすく太い線で、アラビア数字が黒々と描かれているのだ。


 しかし幸十は本当に怒っている風で、とぼけているようには見えない。

 だいたい、今書かれている数字は【三】ではない。【5】なのだ。


 明人はごめんごめんと適当にごまかしたが、頭の中では疑問が渦まいた。


(もしかして俺にしか見えないのか? なんだそれ。どうなってるんだ?)

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