出会い

第1話


「…………」


 その絵を見つけたのは、本当に偶然だった。その時の俺は先生に頼まれて美術の先生にプリントを渡しに美術室に来ていた――。


 ここに来る途中、俺は「なんで、俺はあの時まだ教室に残っていたんだ……」と後悔していた。


 理由なんてない。なんか……残りたい気分だった俺は、そんな日が月に何度かある。


 俺の名前は『卯野原うのはらあおい』。高校二年生でつい先月十七歳になったばかりだ。


 いつもであれば授業が終われば、特に理由がないから家にすぐに帰る。そもそも部活動自体、高校では入っていない。


 そもそもこの学校では部活に入るのは強制ではない。


 まぁ、そんなの担任の先生は知っているだろうから、特に用事もないのに残っていた俺に頼んだのだろう。


 どうして残っていたのか……。


 それはただ単純に部活動どころか委員会にすら入っていない俺が『青春』を間近に感じたいだけなのかも知れない。


「はぁ……」


 しかし、特に用事がない……という事は、つまり『ヒマ』だと言う事だ。


 俺としても、断る理由が「青春を感じたいから」なんていう事をそのまま伝えるつもりはない。


 そんな事を言えば「変なヤツ」と思われてしまうだろうから。


 そりゃあ、いくらでも「待ち合わせしている人がいる」とか適当な言い訳は考えられる。でも、その言い訳を考えるのがそもそも考える面倒くさい。


 ――その手間を考えたら、先生の言うことに従っていた方がマシだ。


 でもまぁ「そもそも先生が行けばいいだろ」なんて事も思ってしまったけど、先生には先生の『事情』があるのだろう。


 そういえば、教室に入ってきた時の先生は何やら急いでいた。その開いているはずの片方の手には、大量のプリントを持っていた気もする。


「ああ、そういえば放送も流れていたな」


 思い返してみると「会議を行うから先生たちは集まってくれ」と言ったような内容の放送が流れていたような……。


 まぁ、俺には全く関係のない話だったから聞き流していたけど……。


「……」


 ただ、もしその会議が先生全員参加なら、美術の先生もいないんじゃ……。


 俺は『美術室』と書かれた教室の目の前でふとそう思った。しかし、ここまで来て引き返すのも面倒だ。


『多分、美術室にいると思うから。頼んだぞっ!』


 プリントを渡してきた先生にそう言われて素直に来てしまったけど「そもそも職員室にいるんじゃないか?」とも思った。


 ――まぁ、美術室前で本当に今更な話だけれど。


「……行くだけ行ってみるか」


 もし美術室いなければ、職員室に行って……職員室にもいなければ、美術の先生の机の上に「担任の先生からです」というメモも一緒に置いて帰ればいい。


 さすがにそこまでして「なんで手渡しじゃないんだ?」と言って怒る事はしないだろう。それならばそもそも生徒に頼まず先生が渡せば良かっただけの話である。


「はぁ、何にせよ。さっさと済ませるか」


 美術室は……そこに広がっているのは何とも言えない独特な空間だ。普通の教室とは違う『におい』も感じる。


 この学校には俺の様な『普通科』の生徒もいるが、他に美術を専門的に学ぶ『美術科』という科がある。


 だからなのか、この学校には美術科の生徒しか使わない教室がいくつかある。


 このたくさんある美術室もその一つだ。俺たち普通科の生徒は美術、音楽と書道の三つの中から一つ選択しなければいけない。


 しかし、美術を選んだ生徒は自分たちの教室で授業を受けていた。まぁ、俺はそもそも美術を選択していないんだけど……。


 このプリントを渡すつもりの美術の先生には何度か会っている。


 それも偶然……という形だったせいもあってか、実はあまりその先生のことはよく知らない。


 でも、聞いた話では今も色々と自分で作品を描いて入選しているらしい……。


「……」


 机の上に置かれているのは……絵の具が乾くのを待っている美術科の生徒の作品だろうか。


 よく見ると、他にも色々なところに作品が置かれている。それに、壁にはいくつか作品がかかっている。


 その作品の一つ一つにご丁寧に学年とクラス。名前も書かれている。つまりこれらも、美術科の生徒の作品なのだろう。


「上手いな。さすが美術科生徒。俺たち普通科の生徒とは比べモノにならないな」


 こういったモノを見る目は完全に素人な俺だけど、その作品どれもが時間をかけて丁寧に描かれている様に感じた。


 確かに、美術科はそれをメインに勉強しているのだから、知識に差が出るのは仕方がない。


 多分、俺たちが普通に解いている問題を美術科の生徒のほとんどの人は解けないだろう。


 そもそも勉強している事が違うのだからそういった『差』が出るのは仕方のない話だ。


 ――それに、コレはあくまで素人が見た感想だ。


 でも、今の言葉を聞いた人によっては「何を上から目線で言っているんだ」とか言われそうだなぁ……とは思う。だから、一人である今、小さく言った。


「ん?」


 ゆっくりと作品を色々と見ていく内に、俺は一枚の『絵』の前で立ち止まった。


「これは……」


 俺が立ち止まった先には、紙一面に描かれた『青空』の絵があった。


 その青空はまるで……俺が小さい頃に山の頂上で見たあの『青空』が……この絵で表現されている様に思えた。


「あら? どうしたの、普通科の子がここに来るなんて珍しい」

「……」


 美術科の生徒はよく汚れるという理由から、美術室では基本的に白衣を着ている。だから、それを着ていない俺を見てすぐに普通科の生徒だと気がついたのだろう。


「あっ、コレを担任から頼まれて持ってきました」

「あら、わざわざありがとう」


「いえ」

「ところで……」


 プリントを受け取った先生はふと横に視線を移した。


「あなた。この絵が気に入ったの?」

「え」


 先生が見ていた視線の先には、さっきまで俺が見ていた絵がある。


「きっ、気に入った……と言いますか。なんと言いますか……」

「別に照れなくてもいいのよ。作品に対して、好き嫌いだけで判断してもいいと思うわ。私は……だけど」


「そんなもんなんですかね」

「そんなもんよ。芸術に対しては、自分の気持ちに対して素直になって見ていいと思うのよ」


「自分の気持ちに素直に……ですか」


 そう考えれば、俺はこの『絵』が好きなのかも知れない。


「……また時間があったら見に来ても良いわよ? 部活のある生徒が残っている時間までは大抵ここは開いているから」

「……いいんですか? 俺、美術科の生徒じゃありませんよ」


 そう言うと、先生は「いいのよ。ここ、部活じゃ使っていないから」と言って笑ったのだった。


「じゃあ、また来ます」

「はーい、コレ。ありがとうね」


 俺は軽くお辞儀をしてその場を後にした――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……って、あら? この絵。よく見たら名札が付いていないわね。どこにいったのかしら……。また今度、ちゃんと付けておかないといわけないわね。コレを描いたのが誰なのか、知ってもらわないと」


 そこから会話が生まれる事もあるという事を先生は知っていた。


 もちろん、恥ずかしがる生徒もいるのだが、将来的には自分の名前を売り込んでいかなければならない。


 美術の世界で生きていこうと思ったら、そういった時のために、こういった作品の展示は必要で、名札は必要不可欠なモノなのだ。


「よし、ちゃんと準備しなくちゃ」


 そう言って、先生はいそいそとその場を後にした。

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