第6話 ロック改造計画1

   *   *   *


 ――ロックとネイが同居を始めてさらに数日経った日のことである。


 僕が外でクエストを受ける、ネイがその帰りを待って食事を作る、そんな生活も大分慣れてきた気がする。殺風景だった僕の家に、テーブルの上には布が掛けられ、窓にはカーテンが付けられ、花すらも生けられていた。


 いや、やっぱり慣れてなどいない。


「ねぇ、ロック。あんた、このままずっと雑用を続けるの?」


 夕食の後片付けが終ったネイは、テーブルに戻って来ながらそう言った。


「僕には才能がないし」


 あと、やる気もない。三度目の警備隊入隊テストに落ちてからずっとだ。


「あら、あんたはいいもの持ってるじゃない。人に親切だとか、猫になれるとか」

「それ、役に立つ?」

「あら、分かってないのね。じゃあ、今日はネイさんが特別に教えてあげましょう」


 ネイは立ち上がって少し前かがみになって僕に身体を向けた。片手を腰に、もう一方の手は人差し指を立てている。


 可愛い。


「誰かを助けたい、誰かから感謝されたい、アイツはすごいヤツだと言われたい、そういう思いも、十分な力となり得るの。まず、そういう自分の思いに正直になることで、自分を不幸じゃなくすることができるわ。

 あんた、嫌いじゃないでしょ? 褒められること。認められること。そして誰かに頼られること」

「え? ああ」


 ネイの可愛い仕草に見とれて話を聞き逃すところだった。


 僕は皆から信頼されている父さんの様になりたかった。いや、本当は父さんから褒められたかっただけかもしれない。そして今の雑用は食い扶持を稼ぐために仕方なくやっていることだ。特にモチベーションが高い訳でも無いし、依頼主からすごく感謝される訳でも無い。まぁ、時々届け物を持ってきたことに感謝してくれる人は居たが。


「う~ん、そうなのかな」

「そしてそんな自分を理解できたら、さらに幸福感を得るためにどうしたら良いかの道しるべになるわ。その思いを良い方向に循環させて伸ばしていけば、あんたは強くなれるわ。

 一人からありがとうと言われるより、十人から感謝されたいわよね? 十人から感謝されるより、百人から尊敬されたいわよね? そのためにどうしたらいいか、ちゃんと考えなさい」


 完全に上から視点で解説するネイ。


 でも、確かにネイの言う通りなのかも知れないと思った。


「次に猫化の話ね。これは説明するより、実感した方が良いわね。私も確かめたいことがあるの。だからロープを持ってついてきて。出かけるわよ」

「ロープ?」

「そう、ロープよロープ。ゼロ~。あなたもおいで」


 ネイに導かれ、僕とゼロは外出することになった。


   *   *   *


 ネイは僕の前をすたすたと歩いている。鼻歌も聞こえてる。ゼロはちょっと後ろからちゃんと付いて来ていた。賢い猫だ。しばらく歩くと、歓楽街が近づいてきた。


「ロック、こっち来て」


 ネイに僕が近寄ると、ネイは僕の腕にしがみ付くように体を寄せた。そうすると、腕に柔らかな感触が伝わって来た。


 突然すぎるよネイ。


「不自然じゃない様に、このままもう少し歩くわよ」


 なるほど、不自然じゃない様にするためには必要なことなのだ。しかしこれはかなり嬉しいし、どきどきしてしまう。逆に不自然になってしまうのではないか?


「あははっ。こんなところで、たぶらかされている初心うぶな男ってのも自然よね?」


 ネイを見ると、僕の様子を楽しんでいる様に上目遣いでこっちを見ていた。飲食店や酒場などが並ぶ道から、さらに路地裏に僕達は入っていった。そこは、連れ込み宿が並ぶ場所だった。


「ロック~。あそこ~」


 演技をしている様な猫なで声を出しながら、ネイは連れ込み宿の一つを指さした。


「え? 連れ込み宿って、つまりそういう場所だよね?」


 ネイにだけに聞こえる小声で僕は言った。


「いいから、いいから」


 いいのか? いいのか?


 その宿の受け付けに到着する直前に、僕の手にそっと金を握らせるネイ。僕はその金を黙って受け付けカウンターに置いた。受け付けのお婆さんが、品定めする様に僕らをじろじろ見た。


「二階の奥、二百六号室。シーツを汚すんじゃないよ」


 お婆さんは、ぶっきらぼうにそういうと部屋の鍵をカウンターに置いた。


 こういうところでは、ぶっきらぼうな態度がもてなしになるんだな。宿側はお前らに関心は無いぞと言ってくれている様だし。


 その考えは合ってるのだろうか? 


 それはさておき、僕達はそれを受け取って二百六号室に向かった。ぼろぼろの建物の二階にあるその部屋には、ベッドが一脚と、小さなテーブルと椅子があった。申し訳程度の明かりがその小さなテーブルの上に置いてあり、その部屋を薄暗く照らしている。すぐにゼロは、その小さなテーブルの上に陣取った。


「ロック。ベッドに横になって」

「え、でも」

「いいから、いいから。今日はネイさんが教えてあげるって言ったでしょ」

「え、でも、ほら……」


 本当にいいのか?


 このシチュエーションで僕はいったい何をされてしまうのだろう。ドキドキが止まらない。そして僕は言われるままにベッドに横になった。


「両手をあげて」

「あ、はい」


 ネイは持ってきたロープで仰向けに横たわっている僕の両手をベッドヘッドの格子に固定した。そしてさらに両足も縛り上げ、ロープをベッドの脚にきつく張って動けなくした。


「さてさて~。ロック君はもう自由に動けなくなったわね」

「あぁ、動けないね」


 動揺しているのに気づかれまいと、冷静に振る舞う僕。一方のネイは完全に楽しんでいる様子だ。その笑顔が薄暗い明かりで艶めかしく見える。


 突然ネイは僕の腰の上に馬乗りに跨った。


「ふふふ」


 僕は何をされると言うのだろう? 期待して良いのか? いや、だめだろう。


「いったい何を――」


 突然ネイは僕の脇腹に手を伸ばし、くすぐってきた。


「ぎゃははは、やめ、止めてネイ、ちょ、」


 そのくすぐり攻撃から身を躱そうとしても、手足がロープで固定されて逃れることができない! 腕を上げているので脇腹が伸びきっている。それも相まって、その微妙なくすぐりが僕の体の敏感なところにダイレクトに襲い掛かってくる。


 ネイもそれを見て笑っている。


「あははは」「やめ、ぎゃはは、ちょっと」

「あははは」「ぎゃはは、ああ、まって、ひゃはは」

「あははは」「ぎゃは、ゲホッ、ゲホッ、ぎゃははは、そこは!!」

「あははは」「やめれ!、ひゃ!、ぎゃはははは……」


 そのくすぐり攻めは、ぴたりと止まった。僕に馬乗りになったネイが、じっとこっちを見つめている。彼女の顔も少し火照っている様にも見える。そしてネイは我に返った様ににこっと笑う。


「ちゃんと拘束できているみたいね。確認終わりよ」


 なんなんだ!? このくだり!


 ふと小さなテーブルの方に目をやると、物言わぬゼロがじっとこっちを見ていた。ネイは満足げな様子でベッドから降りた。


「さてさて、ロック君。お楽しみの時間はこれでお終いだよ。これから君にクエストを与えよう」


 腰に片手を当て、逆の手の人差し指を立てたネイが言った。


「楽しんだのはネイだけだろ!」

「あら、そんな事を言うなんて……。猿ぐつわも必要だったかしら?」


 ネイはしばらく、それを真面目に検討している様だった。その後、


「まぁ良いわ。

 この連れ込み宿の隣に、古びたバーがあるの。そういったバーでは密談が交わされることが多いわ。それを盗み聞きしてきてくるのが今日のクエストよ。優先順位は、一つ、オツカ商会に関する話。二つ、貿易、相場など商売に関わる話。三つ、最近の街中の出来事に関する話。どの話も、あなたが分かる範囲で良いわ。そうね、一時間弱ぐらいで戻ってきて。分かったかしら?」

「つまり、それをゼロの身体を使って実行しろってこと?」


 僕は呼吸を整えながら尋ねた。


「そういうこと」


 ウインクしながら答えるネイ。僕はネイに、能力に気づいた時の話や実験の話を既にしている。ネイは能力の使い方を実体験させようとしているのだ。


「あと、緊急時には直ぐにこっちに戻ってくるか、ここから二十メートル以上離れて自分の身体に戻るのよ。その時はゼロは自分で家に戻ってくるわ。ね、ゼロ?」

「にゃ」


 ゼロはまるで人間の言葉が分かっているみたいに鳴き声をあげた。ゼロだったら万が一の時でも僕の家に戻ってくることができそうだ。


 ネイがゼロを抱き上げて僕の目の前に持ってきた。僕はゼロと目を合わせ意識を集中した。視界が暗転し、直ぐに視界が開け、目の前に僕の顔があるのが確認できた。意識交換成功だ。


「にゃにゃにゃ」


 猫の姿になった僕は行ってくる、と挨拶をしてネイの腕から飛び降りた。


 灯心の赤い炎で照らされていたその部屋の様子が、猫の目を通すことによって、より白黒に近い色に、そしてより濃淡が鮮明になった。耳も格段に聞こえる様になり、この世がとてもうるさい世界になってしまった。他の部屋の嬌声や会話、艶めかしい声が聞こえてくる。遠くのがなり声や、陶器の割れる音、調度品の軋む音なども聞こえてきた。それらの音がどちらの方向から聞こえてくるのかが、人間の時よりもはっきりと分かった。うるさい音をいったん思考から締め出して、僕は目当ての場所に移動することにした。


 窓から移動した方が早いかな?


 僕は窓辺に移動して、窓枠を前足でカリカリと掻いた。


「にゃにゃ」

「あ、はいはい。ちょっと待って」


 ネイが窓を開けてくれた。二百六号室は、連れ込み宿の一番端の部屋だった。うまい具合に、窓の直下に足場となる屋根もある。隣のバーまで屋根伝いで行けそうだ。連れ込み宿とバーの間の通路に積み上げられている樽の山を利用して、僕は地面に降り立った。四つ足で。


 そのバーの壁は隙間だらけだった。隙間から除くと中は薄暗かったが猫の目ではしっかりと見える。客入りは、何組かの男女の組、一人で飲んでる男、男二人連れ、男四人連れ、といった具合だった。犬耳族カニスも一人混じっている。


「なぁ、いいだろ」「あら、もう一緒にいるじゃない私たち」


 とか


「漆黒のカナテがこの街から姿を消したらしい。別の街に行ったのかな?」「それよりも、この港から出発した船が行方不明らしいぜ」


 とか


「くそっ、この能力は何に使えば良いんだよ……」


 などといった会話や独り言が聞こえてきた。確かに、猫ほど盗み聞きがしやすい動物は居ない。もし発見されても珍しい存在でもないので怪訝に思われることもない。そして、猫が盗み聞きをしているとは誰も思わないだろう。僕はバーでの会話に耳を傾けながら、ネイが言っていたことを考えていた。


 『一人からありがとうと言われるより、十人から感謝されたいわよね? 十人から感謝されるより、百人から尊敬されたいわよね? そのためにどうしたらいいか、ちゃんと考えなさい。』


 僕が本当に望んでいることって、何だろう……。


 ……。


 ……。


 ……確固とした答えは出ないまま、小一時間が過ぎようとしていた。


 そろそろあの部屋に戻ることしよう。

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