side α-1

 バイト終わり。いつも通り硬い椅子の上で目覚めた僕は、スムーズに給与を受け取り馬渡と合流していた。いや、いつも通りではないか。今日は久しく忘れていた将来の不安に怯えながら帰路につくことになる。次の仕事、どうしよう。


「ごめん、結構待っただろ。なんか飯食って帰ろう。ラーメンとか」

「うーんいや、その前にちょっと」


 馬渡はなんだか浮ついた様子で、心なしか口角が上がっている。ビルの前で僕を待っている間に何か面白いことを思いついたと言わんばかりである。


「どうしたん?」

「あのさ、せっかくだから最後に1回だけ、見てみようぜ」


 そういえば、前から話はしていた。僕たちがいつもバイトで通っていたのは4階建てのビルの3階。1階は駐車場になっているが、2階と4階にはいまいち何があるのか分からない。以前間違えてエレベーターを2階で下りてしまったことがあるが、その時はすぐに追い出されてしまった。ちらりと見えた部屋の中にはPC作業に打ち込んでいる人達がけっこうな数いたが……こんな胡散臭い現場で、あの人たちは一体何をしているのだろう?


「だからさあ、絶対スパコン使って電子ドラッグとか作ってるんだって。サンプリングなんて言って俺たちの脳波で色々試してんのよ。あんなに金払いが良いのはそれ以外ありえない」


 それは流石に考えすぎだと思うが、この奇妙な会社がどんな方法で金を稼いでいるのか真相を暴こうというアイデアには同意する。この疑問は今解消しないと後々もやもやしそうだし、何と言ったって、


「なんたって俺たちもうバイトじゃない訳だし?うっかり見つかっても逃げれば大丈夫でしょ」

「ああ、そうかもな」


 正直ちょっとワクワクしてきた。これって探偵みたいじゃないか?馬渡は積極的で僕とは真逆のタイプ、一緒にいて疲れる部類の人間ではあるのだが…………彼のアイデアに付き合っている間は将来の不安なんて忘れられる気がして心地よい。


「決まりだな。じゃあ、どう潜入する?」

「ノープランかよ」

「それはお前の仕事だろ、エージェント犬養」

「はあ……まずエレベーターは無しだな、社員と鉢合わせる可能性が高い。非常階段で行こう」

「おお、それから?」

「身を低くして…………さっと見てすぐ帰る…………」


 雰囲気に乗せられてつい軍師みたいな喋り方をしてしまったが、僕には作戦を考える頭など無かった。


「よし、それで行こう。まずは2階だ!」

「えっ、本当に?」


 確認を取る前に馬渡はもう非常階段の方へすり足で進んでいた。こういう素早い決断が成功の秘訣なのだろうか?急いで後を追いかける。後期高齢者くらい腰を曲げながら階段を静かに上っていくと、先行していた馬渡が何かに気づいて立ち止まった。


「あっ!」

「えっ」


 踊り場の方に目をやると、社員らしき女性がカフェオレ片手に休憩していた。完全に目が合っている。早くも潜入ミッション失敗である。


「え……あなたたちここで何を…………?確かプロジェクトβの参加者の方ですよね?」


 よく見ると、それはいつも会議室で職務説明の時に入鹿を補佐していた女の人だった。確か名前は雀部ささべだったか。僕は思わず馬渡の後ろに隠れた。この歳になって言うのも恥ずかしいが、女性とのコミュニケーションは苦手だ。


「えーっと、職場見学?とかしたいな~って…………」


 馬渡が下手な言い訳(もはや言い訳になっていない正直な告白)をしている間、何故か女性は僕の方に注目している気がした。さっと目を逸らす。自意識過剰か?というか、さっき言ってたプロジェクトβって何だ?もしかしてこのバイトの名前?かっこいいな。焦ってどうでもいいことを色々考えてしまう。


「その挙動…………もしかして犬養くんですか?」

「えっ、はいそうですが」


 どうやらこちらに興味があったのは勘違いではなかったみたいだ。それにしても、挙動で特定されることってあるか?女の人に付けで呼ばれたのも久しぶりかもしれない。彼女は僕の知り合いだったか?


「ファンです!」


 雀部は突然階段を駆け下りて僕の手を握ったかと思うと、これまた突拍子もないことを言い放った。


「ええ!?人違いです」

「なにお前本名でYoutuberとかやってたの?引くわ」

「やってない!」

「いや、そうじゃないんです。プロジェクトβの参加者……中の人としての犬養くんとどうしても会いたくて…………ああ……生きてる…………」


 雀部は僕の手を握ったまま泣き出してしまった。ただでさえ情報量が多いうえに何一つ理解できない。女の人がどうこうではなく恐怖で心臓がバクバクいっている。






 しばらく時間が経って落ち着いた雀部に話を聞いたところ、彼女は僕たち参加者のβにおける活動記録を動画でチェックする部署に配属されており、過去19回、何人かのものを見た中でも特に僕の記録をコンテンツとして敬愛しているらしい(?)。僕はコンピューターシミュレーションの世界に入った覚えなんて全然ないのだが。話を聞いた馬渡は目を輝かせ、雀部を質問攻めにしている。


「じゃあ俺もβには行ってるはずじゃないですか?俺はどうなの?ファンじゃないんすか?」

「いや、まあ居るには居るけど…………なんか……いいかなって感じです」

「なんでこいつが良くて俺がだめなの??」

「馬渡さんが悪いわけじゃないんですよ?ただ、宗派の違いというか…………」

「宗派?じゃあ犬養が良い理由は何なんすか」

「犬養くんは…………他のキャラとの絡みがエモくて…………いやでも一番大事なとこは実際見ないことには伝わらないな…………」

「エモ?おばさんもしかして結構歳行ってますか?」

「あ?張っ倒すぞ?」


 馬渡の遠慮のない物言いは今に始まったことではないが、雀部の言葉遣いが妙に古いのも事実である。会議室で見た印象よりもずっとややこしい人間像が分かってきた。それも気になるが、やはり、自分が知らない間にアニメのようなコンテンツとして消費されているとは…………複雑な気分だ。


「そこまで言われると見たくなってきました。その動画」

「俺も」

「ええ、それはちょっと…………」


 『実際見ないことには』なんて言ってた割に、雀部は乗り気ではなさそうだ。


「やっぱり社外秘ですか?」

「いや、、そうじゃなくて」

「こわ」

「遵法精神がない…………」

「いいじゃないですか。そうじゃなくて、本人が見るのはちょっとまずいんです」


「プロジェクトβはもともと、私のいた大学の研究室の構想だったんです。最初は学生が実験台になってβに入り、本人が記録をチェックするという仕組みだったんですが…………」

「自分のコピーが見知らぬ世界に絶望し、孤独に死んでいくのがショッキングで…………心を病んで研究室をやめてしまう人が続出しました。私は鬱展開に耐性があるので大丈夫だったんですけど」

「それからは、βに行く参加者は一般から募集し、記録は必ず無関係の人が閲覧するようになったんです。なので、犬養くん本人が見るというのは、おすすめできません」


 あれ?もしかして僕たちは結構えげつないことをやらされていたのか?雀部の話を聞いてゾッとしたが、まあでも、終わったことだし。…………この話は完全に忘れて今日はもう帰った方がいいような気がしてきた。


「見た人が発狂する呪いのビデオ的な?なおさら気になってきたな。なあ!」


 馬渡は僕の背中をバシンと力強く叩いた。意見が違っているようだ。


「いや、僕はちょっと…………」

「本当ですか!どうしてもっていうなら、自分用に、大事なとこだけ抜き出して短く編集したやつがあるので貸し出しますよ」


 さっきまでのは全部だったのか?どうやら雀部も見せる気満々だったらしい。社外秘のデータを見やすく編集するなよ。


「見る順番ですが、基本どこからでも大丈夫です。17期が一番面白いのでそれを最初に見てもらって、次は過去編として1期に行けば楽しめるかなあ。」


 雀部はいつの間にか持ってきた大量の記録媒体を僕の手にドサドサと積み重ねていく。17期って言ったか?これ本当に短くまとまってる?


「1クール見終わったら感想くださいね!」


 もう、どう返事しても結論は変わらない気がする。僕は仕方なくそれをリュックに押し込み、雀部と連絡先を交換して帰路についた。

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