9-3節
ひどい有様だった。ある者はねじくれた体勢で、またある者は片腕を水に浸けながら、男たちが下生えに転がっている。昨日の傷が癒えない百舌と矮鶏、特に手ひどく電気を流された嵐蔵は気を失っていた。誰も彼もどうしてこうなったかわからない。
そんな中、がくつく膝をどうにか支え、立ち上がる影が二つ。花岡と斑鳩であった。
満身創痍でも、相手を捉える眼だけは緩めない。
地の利は斑鳩にある。力の源は
昔から変わらないその姿。待ち受ける困難にただ立ち向かう、純粋なまでの愚直さ。
いびつな水の龍が解き放たれた。その身を捻り、
今まさに呑み込まれんとする直前、花岡は一歩を踏み出した。龍の牙へ向け、右腕を振り抜く。愚かなことだ。水を斬ろうなどと。一笑に付されるであろう刀は、しかし、押し止まった。すり抜け、取り込まれるはずが、水に接しながら、それでいて確かに抗っている。
花岡の刀は炎をまとっていた。目の前を覆いつくす水の塊に比べれば、それは限りなく矮小なものに違いない。だが、相反する属性で消滅させんとする力を前にしても、失われることはなかった。大いなる水の中で、烈々と燃えているのだった。
我が身など捨て置き、斑鳩はさらに圧力をかける。徐々に体との隔たりが生まれ、踏んばる花岡の足は退がっていく。いつもなら、今までなら、ここで終わりだった。家を出ていく兄を止められなかったあの日からずっと、届かない手を伸ばし、前を向くふりをしていたのだ。
でも、これからは違う。心のままに生きなければ、見えている景色は嘘ばかりだ。
水の中でひときわ強く、
牙が砕け、全身がはじけた。
降り注ぐ雨の後にあったのは、穏やかな水のせせらぎと、立ち昇る白煙だけだった。いつか龍は、本来の流れへと還っていた。
くたびれた体を地に投げ出し、斑鳩は絞るように言った。
「……この期に及んで峰打ちとは、どこまでも気に入らぬ奴だ」
数年ぶりに聞く声はしゃがれていたが、それでも兄の声に違いなかった。
「我をどうする気だ」
込み上げるものを抑え、花岡は答える。
「どうもしないさ」
「なんだと……?」
憎々しげに目を剥いた。
「善人ぶるな。協会に引き渡すなりすれば良いだろう。それで貴様は、正式に花岡を継ぐことになるのだからな」
「僕は花岡流を継がない」
驚きから言葉を失った斑鳩に、花岡は静かに語りかける。
「父さんも継げとは言わない。でもそれは、兄さんを連れ戻して継がせるためじゃない。本当はそんなこと、どうだっていい。どうだっていいんだよ、兄さん」
どうでもいいはずはなかった。ゆえに自分は
「……我をここで逃せば、再び貴様たちに仇をなす。何度でもだ」
「兄さんがそうしたいのなら、そうすればいい。戻っても戻らなくても、兄さんの人生なんだから」
「知ったふうな口を叩きおって……甘ったれた考えを壊されてから知るがいい」
「兄さんが僕の前に立ちはだかるというのなら、その度に止めてみせる。何度でもね」
「ただ一つ、気になるといえば」と、花岡は続けた。
「その芝居掛かった話し方をやめたらどうだい。似合わないよ」
そう言って意地悪く笑ってみせた。見たことのない表情に面食らったが、やがて斑鳩はぽそりと呟いた。
「言うように、なったな……」
薄らいでいく意識の中で、水際に立つ弟の姿が見えた。暗がりで燃えていた炎は、いつか聞こえた波紋に揺れる。その目元には、かつての面影が差していた。
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