7-2節
外に出て判明したのは、まず納屋ではないということだった。山肌にそのまま部屋が埋められており、草木の生い茂った扉を閉めれば、外部からは野山の一部にしか見えない。他にも隠し部屋があるとしたら、そのどこかに求む宝が眠っているのかもしれなかった。ただ広大すぎるため、やはり先ほどの蜂から聞き出すほかあるまい。野ざらしになっていた装備は小夜子が回収しており、戦う用意はできている。
「おまえ、さっき成仏しなかったか?」の問いには、「成仏くらいキャンセルできないと、浮遊霊なんかやってられないっす」という謎の理論で返した。
小夜子が気になるのはもっと切実なことだった。すなわち「あたしの給料って今どうなってんすか」だ。
ところが麓丸は気のない返事をした。
「さあ。おれの気分次第だからな。アイドル雑誌のスクラップとかになるんじゃないか」
「あたしの好きなグループの……?」
「それじゃつまらんから無作為に……ああ、いいこと考えた。課金する度にくじ引きできる方式にしよう。もしくは飛騨家への貢献ポイントが貯まれば」
「流行りに迎合するろっくんなんて嫌いっ!」
花岡が
さておき、一体でも苦戦を強いられた蜂が大量にいるとなれば、せめて各個撃破が望ましい。だが、そもそも全員と戦う必要はなく、一人でいいから捕縛し、宝の
しかしながら、予定というのは組んだが最後、理不尽に砕け散るものである。
「ぎええっ!」
最後尾にいた小夜子の眼前に、蜂人間が出てきた。瞬間移動でもしてきたかのように、出し抜けに現れたのだった。どんな原理かは不明だが、やるしかない。敵陣の真ん中に出てくるなど愚の骨頂。己の浅はかさを思い知らせてやろうと、麓丸が躍りかかったが、クナイによる攻撃は空を切った。複眼による回避かと思いきや、煙のごとく姿が立ち消えたのだ。そしてまた現れる。
瞬きの度にどんどん数が増える奴らは、そのくせ麓丸たちを取り囲まず、一箇所に集結していった。陣形を組んでいるわけでもなく、互いの動きを阻害せんばかりの距離で密集している。蜂の無機質な頭部が居並ぶ光景は、なんともおぞましい。火遁の印を結ぼうとすれば、針の先から毒液を飛ばしてくる。逃げようとした時に限って立ちはだかる。選択の余地がない。手をこまねき、得体の知れぬ生物が集まる様を見せられるのは、加速度的に不安を増幅させた。
頭上に巨大な深編笠が現れたかと思うと、木々を揺らしながら落下し、蜂人間の集団をすっぽりと覆った。衝撃で土や木の葉が舞い散る。嫌な予感しかしない。的中する前から確信するほどに、悪い予感がする。あーあ、どうせ良くないこと起こるんだろうな。などと強めに思ってみて、予兆の裏をかこうと試みるも、無駄な
蓋が突き破られると同時、不快な音がした。ただ音量が大きいだけでなく、神経を逆撫でする風音の発生源は、残像を伴って上下する
再び全速力で逃走した。
蜂人間が集まって蜂になるというのは、形状の違いからすれば奇妙な現象だが、高まる鋭利な殺意の前に、細かいことはどうでもよくなる。とかく逃げる。逃げおうせる。一切はそれからだ。
図体がでかくなったからといって、小回りが利かなくなったわけではないらしく、周囲の木や枝にぶつからないよう、器用に体をひねりながら迫ってくる。それも最小限の距離で避けるためであろう、当たる直前になって急速滑空する。全方位へ身をひるがえす様は、ある種の踊りにも見えるが、動きがめまぐるしく不規則なため、気の触れた
番人として持ち場の概念があるのなら、人里まで降りれば引き返すだろう。そう思い懸命に走るが、その間も容赦なく毒液が飛んでくる。火遁を警戒しているようで、花岡は特に狙われた。さっきは水鉄砲くらいの量だった毒液も、今やホースの先を押さえたような勢いで射出される。当たればひとたまりもない。顔の真横を通り過ぎた液が前方の木に命中し、どろどろに溶けるのを麓丸は見た。郷里の言葉を交え、しどろもどろにわめく浮遊霊の
なるたけ狭い場所を通り、傾斜を利用し、煙玉を焚くなどして、どうにか行方をくらませようと試みたが、猛追は止まらなかった。後ろからの攻撃に気を配っているのを差し引いても、そもそも本気の麓丸たちより速力が上回っている。加えて勢いが衰えぬ、無尽蔵とも思える体力。さらには山を下るごとに拓けた地形が多くなり、距離をごまかすのが難しくなっていく。もはやすぐ傍まで迫っていた。
追いつかれる――。
だが、その研ぎ澄まされた
いきなり大地を揺るがすほどの衝撃が走り、麓丸らは横転した。新手の攻撃を疑いながら、わけもわからず起き上がると、羽音が止んでいる。蜂が、何か巨大なものの下敷きになって、ぴくぴくと痙攣していた。最初は大木が倒れてきたのかと思った。だがそれにしては大きすぎる。顔を見合わせても、誰一人として心当たりがない。そっと近くに行って確認したが、土色の長い何かに、区切り線が一定の間隔で入っていることだけがわかる。しかし、おそるおそる触れてみて、ひたひたと肌に吸いつく感じ、ひんやりとした感じに伴う生物感などから、正体を察知できた。形状とも一致する。つまりこれは、とてつもなく巨大な蛇だ。
「やあ、どうもこんにちは」
どこからか
「ああ、ごめんごめん。向きはどこでも向き合ったことになるから」
不思議な言い回しに首をかしげる間もなく、とんでもないことを言われた。
「私は男体山。どこを向いても私と会話できるよ」
「え?」
「ん?」
「ほあ?」
三者三様に間抜けな声が出た。無理からぬ話だ。山を自称するなど聞いたことがない。
「呼び名はなんでもいいのだけれど、人間からは
「そういえば」
花岡はパンフレットを取り出した。
「あったぞ。確かに男体山の
「んなアホな」
麓丸は口をあんぐりさせたが、こんな現象を起こされては信じるしかなかった。
「……まあこの際いいか。どうしておれたちを助けてくれたんですか?」
「そこの蜂さ。彼らは
姿は見えないが頭を下げられた気がして、一行もあわてて頭を下げた。
「いやいや、君たちに非はないんだ。どうも早とちりしていたみたいでね」
「早とちりなもんですか!」
いつの間に抜け出し分解したのか、一人になった蜂人間が訴えた。声に混ざっていた雑音も取れている。
「こやつらは本社を怪しく嗅ぎまわっていました。そして当てが外れると中宮祠、いずれは奥宮まで荒らしかねなかった。あなたもご覧になったでしょう。あの、宝を探して
まったくもってひどい誤解だったが、ここは神の言葉を待つことにした。
「では、君が守ろうとした宝とは何かな」
「それを言ってしまえばこやつらに」
「いいから」
有無を言わせぬ迫力に、神たる
「……奥宮にある御神刀です」
「なるほど。では君たちが求める宝とは?」
「その御神刀とやらは初耳ですが、おれたちは巻物の暗号をたよりにここまで来ました」
麓丸は蛇に向け、巻物を広げてみせた。
「ただ完全に解けたわけではないのです。それであちこちさまよい、血まなこになっていました」
正直に麓丸が話すと、神は得心いったふうに「ふむ」と漏らし、現世に顕現させた体を動かした。
「猛省したまえ」
「気にしなくていい。彼らは死なないから」
あれだけ追い回され、命の危機にまで瀕していたのはなんだったのか。早とちりの一言で済まされていいのか。そう思うとやるせなさもあるが、あんな罰を受けるとなれば何も言えない。むしろ灸をすえすぎではとも思ったが、続く言葉にかき消えた。
「君たちが探すものは
「本当ですか!」
滝尾神社は、日光二荒山神社の別宮にあたり、本社から続く道がある。「ニコウ」の名を冠さないため、捜査からは外れていた場所だ。
「先ほど捕らえられていたのは、ただの物置きだよ。そうじゃなく、君たちは惜しいところまで来ていたんだ。まずニコウを日光と捉えたのは正解。けれど化灯篭を『ニコウに近しく非なるもの』と考えたね。その考えは合っているが、化灯篭のことじゃない。滝尾神社を示す暗号なのだよ」
細かいことは話していないはずだったが、なんでもお見通しのようだ。
「なぜでしょう」
「これも惜しかった。空と天を別々にするところまではね。だが、そもそも君たちは日光、いやまずは日光東照宮の成り立ちを知っているかな」
ここは花岡が答えた。
「天台宗の天海が、徳川家康を祀る社として創建したのが始まりかと」
「待て、天まみれじゃねえか。なんで言わなかったんだ」
「日光と聞いて天海がよぎったのは確かさ。でも僕には空にあたるものが思いつかなかった。いたずらに情報を増やしても混乱を招くだけだと思ったんだ」
「むう」
天海すら出てこなかった麓丸はそれ以上追求できず、代わりに神へ質問した。
「でも東照宮ですか。二荒山神社ではなく」
「この暗号が記されたのは江戸時代。東照宮ができた頃で、二荒山神社も崇敬を集めはじめていた。当時の人間からすれば、二つを一緒くたに考えても仕方なかったんだ。もちろん暗号だから、撹乱する狙いもあったようだね。しかし重要なのは、どちらも日光と名のつくことだ。君の母君が言ったように、日光の語源となるのはニコウ。しかしそれを誰が名付けたか。ここまでは話が及んでいなかったようだが、答えは空海だ。かの有名な弘法大師だよ」
その名はさすがに知っていた。ただこの地で何をした人物かとなると、やはり仔細な情報は出てこない。麓丸の学業における成績は悪くないものの、地元民だからこそ逆におろそかな部分はある。不勉強を恥じたが、とっくに飽きて寝ている浮遊霊が家臣なのはもっと気まずかった。
「さて、ここで暗号に戻ろう。まず『天ナラズ』だが、これは先ほど言ったように天海、つまり日光東照宮もとい日光二荒山神社を指す。しかし『ニコウハニコウニシテ』とある通り、日光そのものではなく近い何かとなる。そこで『空ヨリ出ズル』の出番だ。空海は日光という名を与えただけじゃない。彼が建てたものがあるんだ」
「滝尾神社!」
ようやく繋がって、麓丸が手をたたいた。
「よくできたね。さあ、私が手を貸すのはここまでだ。残りの暗号は行けばわかるはずだよ」
「何から何までありがとうございます」
謝辞を述べてから、麓丸は気になっていたことを訊ねてみた。
「最後にひとつ、どうしてここまでしてくれるんですか。詫びの意味もあるのでしょうが、本来あまり人間に介入しないのではないですか」
問いかけに対しすぐには答えず、すこし逡巡した後、声をひそめて言った。
「……隣りの
さらに音量を落とした。
「彼女、ここが騒がしいと怒るんだ。ゆっくり寝られないとか言ってね」
「はあ」
「はあじゃない。わからないと思うが、彼女の
ずいぶんと尻に敷かれているらしい。もちろん神の世界のことなので、規模は比べるべくもないが、麓丸はなぜか他人事の気がしなかった。
「なんか、わかります……」
麓丸の呟きから
「君もか……本当、これが世の理というのだから……」
諦めのこもった声で呻きながら、神が消えていく。横たわっていた大蛇が溶け、大地に馴染んでいくと、やがて自然と同化した。
関係ないところで神とわかり合った麓丸は、背後でほくそ笑まれた気がしたが、どうせ気のせいではないのだった。
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