密談

2-1節

 かつて戦乱の時代において、天下の大将軍を討ち、次に世を治めようとしている人物がいた。並ぶものなしと言われるほど武芸に秀で、豪傑でありながら機知に富む寵児であった。

 しかしそれゆえ、寝首を掻こうとする輩も後を絶たない。

 戦から凱旋し、明日に臣民の前で天下人の宣言を控えた日、城は夜襲を受け、火の手が回ってしまった。ここぞと残党と手を組み、将軍に成り替わるべく第三勢力が台頭したのである。

 いち早く曲者の気配を察知した二人の忍が天守へ駆けつけると、そこには倒れ伏す主君を今しも手に掛けんとする敵の忍がいた。すんでのところでどうにか食い止めたが、苛烈な術の応酬の後、取り逃がしてしまう。主君を守りながらの戦闘であり、階下からの炎のために深追いもできず、それ以上はどうすることもできなかった。

「ここから出ねば」

 忍の片割れが先導しようとした時、もう一人が顔色をなくした。

「待て、これを見ろ」

 殿の手の甲には焼印が押下されていた。それは敵方の家紋であり、宣戦布告以上の害意が見て取れるほど、深々と刻まれている。そして何より、敵に遅れをとったことの証左として、主君の誇りを汚していた。

「今しも勝鬨かちどきをあげようという折にこのような事態になっては、民に不安が募る。兵の士気にも関わるだろう。殿の武力に魅かれている者も多くいるのだからな」

「先ほどの忍を追うか? 賊を見事捕らえたとなれば、名誉も回復されよう」

「いや、あれはかなりの手練れだ。我らとて捕縛するには、一日二日程度では困難であろう」

「あくまで秘匿されるべきだと言うのだな。して、如何に」

「おれの見立てでは、殿は相手の姿を見ていない。背後から不意を突かれたのだ。だとしたら……」

 その提案を聞き、片割れはまず拒絶した。認めるわけにはいかなかった。

「それはいかん」

「殿の誇りを守るためにはこれしかない」

 いくら決然と言われようとも、退くわけにはいかなかった。

「我らは、殿の懐刀として長く仕えてきた。身を切る覚悟はできている。しかし、何ゆえこのような決断をせねばならないのか。元凶は敵方だ。真に切るべきは彼奴きゃつらではないのか」

「こうするより無い!」

 互いの激情を込めた眼と眼がぶつかりあった。言葉はない。強まりゆく火勢に、そこかしこで火の粉が弾ける。じきに侍衆もここへ来る。時間がなかった。それでも最後の一瞬まで己の意志を通さんとし、瞳の奥の炎を捉えつづけた。

「わかった……」

 やがて、片割れが言った。納得などなかった。それでも、貫かねばならない忠義があった。

 城を脱し、殿が目を覚ましてから、片割れは間者を連れてきた。無二の親友を、主君の命を脅かした内通者として引き渡した。優れた武術を有す殿が、真っ向からの戦闘で負けるはずはないが、汚い裏切りであれば致し方あるまい。そう納得させ、身を差し出すことが、誇りを守るための手段だった。

 後、勢いを衰えさせることなく敵対勢力を討ち果たした主君は、天下を極めた。その統治は長く続き、将軍の力は誰しもが知るところとなった。そして片割れは忍を辞し、一切の行方をくらませたのだった。

 裏の人間たる忍に関しては、表の歴史に記されないが、忍の歴史としては裏切ったことが正史とされている。その忍の名は飛騨と。

 父からこの話を聞き、幼心おさなごころに沸々と悔しさが湧いた。彼らの無念を思い、どうしようもなくたぎる熱情があった。麓丸が忍になることを決めたのはこの時である。

 かつて門下百余名を束ねた飛騨家は、その正史により凋落ちょうらくし、白眼視された。真実を知る者は少なく、信じる者はさらに少ない。以降の先祖から父の代までが奮闘したお陰で忍者協会に籍は置けているが、未だ遺恨は強く、仕事が回ってこない父は、家族を養うために手品師として巡業している。父が忍をやりたいと知っている麓丸は、この仕打ちに対しても憤懣ふんまんやるかたない。

 ならば自分が至高の忍となり、名を上げよう。さすればお家が再興し、父の望みも叶い、ご先祖様にもせめてもの供養となろう。いつしかそれが己の業となった麓丸は、たとえ左手が呪われようと、協会内で爪弾つまはじきにされようと、厳しい修行に打ち込んできた。誰よりも研鑽を積んできたのだ。

 しかし多くの不遇は、次第に彼の人格を歪めていった。

 どこに行っても術不能者だと馬鹿にされ、裏切り者の末裔だとささやかれる。そんな日々を送っていては無理からぬ話なのかもしれない。じゃあお前は何様なんだと、そう思った。

 本当に実力が足りているのか? 環境に恵まれているだけではないのか?

 いくら外面そとづらがよかろうと、実際の中身はどうだ? 評価に値するのか?

 すなわち相手の化けの皮を剥ぎ、本性をさらしてやるというのである。

 誰かれ見境なくき目に遭わせてやろうというわけではないものの、下るべき天誅は下すべきだと思っている。それに花岡波斯はるしゃは以前から気に入らなかった。

 名家の生まれで、好男子こうだんしで、若衆筆頭の実力で、二番以下の者などまるで視界に入らぬというふうで、お高くとまり、好男子で、どうにもいけすかん。脇差しによる剣技を軸に置く戦型も、真面目くさっていてつまらん。波斯という名前もキザだ。何人なんだお前は。忍なら和を重んじろ。改名しろ。三郎太とかにしろ。

 このように、花岡について考えだせば、悪態からいちゃもんまで止まらない有様である。

 本当にこの重要任務に足る人物ならいい。だがそうでない場合は――。

 麓丸は、花岡を陥れるならここだと判断した。ただ任務をしくじらせるだけでは足りん。あいつは挫折を知るべきだと、どんな立場で言っているかすらわからぬ結論に至り、家に帰ると奥座敷のふすまを開けた。

「おまえら、出番だぞ」

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