第60話
クーデター未遂の裏側をジュリアンはローレッタへ、わざわざ伝える事はしない。
何故なら、彼女に真実を話しても理解しない事はわかりきっている事だし、宰相の耳に入ってしまったら前回の二の舞になってしまう。
その後わかったのは、宰相に利用されていたのは青年だけではなかったという事。
そのやり方は青年とほぼ同じ。ただ、利用されたすべての人間が殺されてはおらず、逃げ延びた者も結構いたのだ。
それを知った宰相は血眼になり行方を追ったが、いまだ彼等の行方は分かってはいない。
それもそのはず。寸での所で彼等は保護され、レジスタンスの監視下に置かれているのだから。
その所為かクーデター以降、宰相の行動に変化が見られるようになった。
周りの人間に対しかなり神経質になり、その言動にも気を使う様になったのだ。
これまでは誰彼かまわず好き勝手な事を言葉にしていたが、クーデター未遂により誰にも本音を言う事が無くなってしまった。
心から信頼していた人物が反旗を翻したことが原因で、人間不審に陥ったのだ。
その所為で、例え近しい側近でも心開く事は無くなった。
そして追い打ちをかける様に、この度のクーデター失敗で密かに反宰相を掲げる貴族や国民が好機と感じ、宰相に対する反感とサイザリスを推す声を、まだ小さいものではあるがあげ始めたのだ。
全て秘密裏に処理しようとしていた事が、知らないうちに日の元に晒され、彼が気付いた時には収集が付かないほどこの大陸中に知れ渡っていた。
原因が、利用された青年の手紙であるという事には今だ気付いてはいなが、これまで感じた事の無いの焦りが宰相を追い詰めていく。
元々小心者が、虚勢と勢いと運だけで此処まで上りつめたと言う奇跡に近い地位。
周り全ての人間が敵になってしまったかのような現状に、とうとう虚勢と言う皮が剥がれ怖気づいてしまったのだ。
だが、すんなりサイザリスに政権を渡してしまう事は、これまで甘い汁を吸い続けた宰相には出来なかった。
何時その座から引きずり降ろされるのかと、戦々恐々と数年過ごしていると、タイミングよくユリアナ皇帝の婚姻の招待状が送られてきた。
そしてそれは、この状況を打破する転機だと彼は思った。
サイザリスをユリアナ帝国に送り出し、あちらで亡き者にすれば、国家問題となるだろう。
賠償として娘のローレッタをユリアナ皇帝の妻として娶らせ、女神の使徒を我が妻とすれば、二大陸を手中に収める事が出来るのではないか。
実に良い案だと、ジュリアンを呼びつけサイザリスと共にユリアナ帝国へ行く段取りを付けるよう指示を出したのが、半年前。
浅はかな猿知恵に明るい未来を想像し上機嫌の宰相を、側近達は顔には出さないが陰で呆れたように眉を寄せた。
宰相は誰にもバレていないと思っているその計画。だが、決して帝国から出そうとしなかったサイザリスを敵国であるユリアナ帝国に送り出そうとしている時点で、それが何を意味するのか誰でもわかるというもの。
遠いユリアナ帝国ですら一番最初に予想する最悪の事態である。
だが、これは好機なのではないかと側近達も考え、宰相の考えを逆手に取る様に長期滞在を提案してみた。
宰相にはクーデターに加担した主要人物達は皆死んだと報告されており、命からがらユリアナ帝国に辿りついたとは夢にも思っていないだろう。
前政権の中枢を担っていた要人が揃っているユリアナ帝国。可能な限り綿密な根回しをしたいと思っていた。
元々、自分が何も言わずとも側近が自分の意を汲んで動いているのだと勘違いし、それをあっさりと了承する宰相。
そんな彼をしり目にほくそ笑む側近達。何を隠そう、宰相の側近を務める数少ない主要人物は、ほぼ九割がた皇帝派で占められているのだから。
ユリアナ帝国にサイザリスと共に来た騎士や官僚は、全てサイザリスの腹心だ。
ジュリアンも又その一人。
彼は今だキャンキャン吠えるローレッタを感情の籠らない目で見ながら、少し日程を変更しなくてはいけないな・・・と、ダレルと共に両皇帝がいる貴賓室へと向かったのだった。
貴賓室では、ダレルとジュリアンからローレッタの発言を記した書類を渡され、それに目を通す両皇帝とフォランド。
読み終わってから各々から洩れるのは、呆れた様な溜息。
「想像以上に酷い令嬢なのですね」
フォランドは書類をアーロンに渡した。
有里もアルフォンスから渡され、目を通す。
「本来であれば明日にでも自国へ返そうと思ったのだが・・・七日ほど時間を頂いてもいいかな?」
フィーリウスが書類をブイオに渡しながら、アルフォンスにローレッタの処遇について交渉しはじめた。
「本来であれば即、帰っていただきたいが・・・この好機をみすみす逃すわけにはいかないだろう」
「あぁ、これを逃せばこの先、難しいだろうからね」
前政権の主要人物と明日にでも会談できるよう調整する為に、ジュリアンとダレル、そしてフォランドが部屋を出ていった。
「今回、こちらに来ている騎士達の中に宰相派はまじっていないのか?」
アルフォンスが、大っぴらに動いてもいいのかと暗に問えば、フィーリウスはまるで天使の様な笑顔で一言。
「あちらの手の者は、全て処分したので」
「―――え?でも、宰相側の狗もいるって・・・」
「あぁ、それもローレッタが牢に入れられた時動きがあったから、イスクとチェムが処分したよ」
その言葉に、アルフォンスと有里の顔が引きつった事は言うまでも無い。
「ま、まぁ、動きやすくて何よりよね。それより、フィルス帝国の方の準備はどうなの?間に合うの?」
何が・・・とは言わないが、フィーリウスは「まぁね」と意味ありげに笑った。
「向こうには私の影であるスキアがいるし、彼は今現在宰相の一番のお気に入りだ」
人間不信の宰相だが、スキアに関しては溺愛に近い感情が向けられている。
人間不信なのに溺愛とは・・・と思うことなかれ。原因はスキアにある。
フィーリウスが作る影は元々、間諜スキルを高くして作った所為か、中でもスキアは人の懐に入るのがとても上手かった。
そして何よりも、その容姿。
金髪碧眼の美青年。細身ではあるがなよなよしているわけではなく、その優し気な容姿に騙されやすいが、剣の腕も中々のもの。
自分の容姿と人に与える印象をいかんなく発揮し、気付けばその懐奥深くに入り込んでいるのだ。
凡人である宰相はそれに気づく事無く、気が付けばスキアを常にそばに置くようになっていた。
そして、スキアのスキルがあったからこそ、宰相の周りの人間のほとんどが皇帝派で固める事ができたのだ。
ちなみにブイオは騎士らしく筋骨隆々の大きな身体をしており、炎の様な赤い髪にアイスブルーの瞳の色が表情の乏しい彼を益々冷徹に見せている。
ユリアナ帝国の監視をしているザラムは胡桃色の髪と目をしており、取り立てて特徴の無い普通の容姿だ。
フィルス帝国の近衛騎士に潜り込んでいるイスクとチェムも、何処にでもいる容姿で柔らかな赤毛の髪に緑色の目をしている。彼等二人は双子だと周りには思われている。
ザラムとイスク、チェムの容姿が凡庸なのは、間諜スキルを最大限に発揮する為である。
「詳細はエストレンス侯爵達との会談後、影を使って連絡を入れるから時間はかからない。問題があるとすれば、ただ人である同胞達の統率、だろうね」
前回の苦々しい経験からか、少し考え込む様に眉を寄せた。
半神でもあるフィーリウスのその表情は、どこか伝染病の様に周りの人達を不安にさせる力を持っているのか、室内の空気が重くなった様な気がする。
だが、そんな事など気付いていないかの様に、有里はパンッと手を叩いた。
「まぁ、今から色々考えると疲れちゃうからさ、明日の話し合いが終わってからじっくり考えましょう。何も決まってない事に頭使ったって疲れるだけよ?」
にっこり微笑みながら、このままいけばどんよりとしそうな雰囲気を払拭するように努めて明るい声を出した。
「そうだな・・・明日は我々も同席させていただこう」
有里の意図を汲んで、アルフォンスも張りのある声で同意。
そんな二人をフィーリウスは嬉しそうに眺めながら「明日が楽しみだね」と、今度は周りを安堵させるかのような笑みを浮かべ頷いたのだった。
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