第56話

有里の世界には魔法と言うものは存在しない。この世界にも。

だから、例えるならば手品のようだと思った。

どんなに目を凝らしても、その変化に気づけない。

脳トレと称し、目の前の絵の一部が知らぬ間に変わっていくような・・・・草原が貴賓室に、黒目黒髪の男神が正反対の白髪紅眼の皇帝陛下へ。

対照的な違いの為、知らぬ間に・・・とはいかないが、その変化が余りにも自然で思わず有里は目を見開いた。

目の前の白の皇帝を凝視し、ピクリと揺れた肩に敏感に反応したのは、アルフォンスだった。

「ユウリ?」

時空の狭間で過ごしていた時間はそれほど長い時間ではなかったと思っていたが、こちらの世界では全く時間が進んではいなかった。

よって、有里のわずかな変化は、穏やかな水面に急に波紋ができたかのような不自然さがあり目立ってしまっていた。

だがそれは本当に微かなもので、控えているフォランド達やローレッタ達には気付かれてはいない筈だった。

気付いたアルフォンスが稀。つまりは、目の前の皇帝陛下より、警戒すべき宰相の娘であるローレッタより、有里にのみ心を向けている証。

「あ・・・なんでもないわ」

とっさに笑みを浮かべアルフォンスを見れば、何時もの無表情の仮面の奥に小さな焦燥が見え隠れしていた。

有里は安心させるように彼の手をそっと両手で握り、自分の膝の上に引き寄せ微笑む。

一瞬、虚を突かれた様にわずかに目を瞠り、次の瞬間無表情の仮面は剥がれ蕩ける様な笑みを浮かべた。

控えていたフォランドとアーロンは表情には出さないが『またか・・・』と、そしてローレッタに至ってはこれでもかと言うほど目を見開き、頬を染めながら食らえ付く様な眼差しへと変わっていく。

それを目の前で見ていたフォランド達はあからさまに眉を眇めた。

 

ローレッタのアルフォンスに向ける視線は分かりやすいほどに欲に塗れていた。

貴賓室に入った瞬間から、縫い付けられたかのように彼女はアルフォンスから視線をそらす事はない。

紛れもなく、恋する女の眼差し。

色恋に鈍いアーロンですら気付いたのだ。当事者であるアルフォンスも気付いているのだろう。

だが、当のアルフォンスは有里しか見ていない。

傍から見れば全く分からないが、目の前のフィルス帝国の美しい皇帝を牽制する事に忙しいようで、ローレッタより送られる秋波はまるっと無視していた。

無表情を装備したユリアナ帝国皇帝陛下が甘い笑みを見せるのは、愛しい妻にのみ。

それを偶然にも目撃した人間・・・特に女性に至っては、ローレッタの様に即落ちてしまう。


目の前でそれを見ていたサイザリスは驚いたように美しい紅玉を瞬かせ、にっこりとほほ笑んだ。

「アルフォンス殿は相当な愛妻家でいらっしゃるようですね」

「えぇ、私の最愛ですから」

そう言いながら、腰を引き寄せその額に口付けた。

当の有里も恥ずかしさに頬を染めながらも「私にとっても最愛ですの」とはにかみながらも牽制するように答える。

なんせ時空の狭間で求婚してきた神様だ。取り敢えず熱々な所を見せておけと思ったのだ。

生暖かい眼差しを向けるサイザリス、そしてローレッタへと視線を移し思わず身を強張らせた。

ローレッタはアルフォンスに対し好意ダダ漏れの蕩ける様な眼差しで凝視していたが、有里の視線に気づくとまるで鬼の様な形相に変わり、視線で人を殺せるのではと思うほど睨んできたのだ。

その視線の強さに不甲斐なくも「ひっ」と悲鳴のような音を立てて息を飲んでしい、しまった・・・と後悔した時には既に遅く、周りに居る人達は皆、ローレッタを見つめていた。


フォランドは警戒するように目を細め、アーロンは何時でも剣を抜ける様にしつつ有里の横へ移動。

少し離れて控えているエルネストやリリ、ランは、いつでも動ける様に構えている。

アルフォンスに至っては有里を隠すかのよう抱き込み、感情の籠らない目でローレッタを見ていた。

急にかち合ったアルフォンスとの視線にローレッタは喜びに打ち震えたのも束の間、アルフォンス以外から向けられる視線に気づき、一瞬にして青ざめた。

ユリアナ帝国側から向けられる警戒感溢れる視線と、近衛騎士アーロンが自分に向けてくる、まるで敵を見るような静かな殺気。

居たたまれずアルフォンスに助けを求める様に目を向ければ、今だ妻を抱き込みながらローレッタを見る眼差しは震えがくるほどの冷えて暗いものだった。

何故、皆に見られているのか・・・己のしでかした失態に気づく事無く、頭の中を真っ白にさせカタカタと震えるローレッタに救いの手を差し伸べたのは、サイザリスだった。


「アルフォンス皇帝陛下、ユウリ皇后陛下。我が侍女の常識を逸脱する振る舞い、心よりお詫び申し上げます」

立ち上がり、ゆっくり頭を下げた。

それに合わせる様、控えていたブイオも頭を垂れる。

「己の身分もわきまえず皇后陛下に対し、あの様な不遜な態度。不敬に問われ投獄されてもおかしくはない事ではございますが、どうか私の顔に免じ、恩情を賜れないでしょうか」

一大陸の皇帝とは思えないほどの腰の低さに、室内の空気が若干重苦しくなる。

だがアルフォンスは「頭をお上げください」と、サイザリスを座らせると考えるそぶりを見せた後、口を開いた。

「我が最愛の妃に対しての非礼なる振る舞い。此度の事はやはり簡単に許すことはできない。本来であれば不敬罪で我が国の法にのっとり裁きを受けてもらうところではあるが・・・」

アルフォンスのその声は眼差し以上に冷え冷えとしていてローレッタを容赦なく突きさし、彼女は恐怖のあまりへなへなと座り込んでしまった。

「宰相殿の娘とはいえ、侍女としてサイザリス殿に仕えてこの国に来られたのだ。分を弁えない態度は己が家名にも泥を塗る行為。その自覚が無いのであれば、本来の使命を全うする事も出来ないだろう。だが、サイザリス殿の謝罪に免じ我が国では裁かず自国で裁いていただきたい。私としても我が妻に害なそうとする者がこの国に存在すること自体不快である」

「承知した。彼女は即座に帰国させ、裁きを受けさせましょう」

サイザリスは「ブイオ」と近衛騎士を呼んだ。

ブイオは小さく頷くと、へたり込んでいたローレッタを無理矢理立たせ引きずる様に部屋を出ていこうとする。

自分が何故こうも断罪されているのか分かっていない様子のローレッタではあるが、あまりの恐怖に諍う気力もなく土気色の顔がとても痛々しい。

だが有里には同情心は一切ない。


有里とて気付いていた。フィーリウスに言われたからではない。ローレッタがアルフォンスに向けてくる熱のこもった眼差しを。

まだそれだけであれば、穏便に済ますことが出来ていた。気付かないフリをすればいいだけなのだから。

だが、彼女は己惚れていたのだと思う。

フィルス帝国ではどのように扱われどのような立場に居たのかそこまではわからないが、実質政権を握っている宰相の娘と言う立場を大いに振りかざしていたのだろうという事は容易に察する事が出来る。

周りが何でも彼女の意を汲んで、全てが思い通りになっていたのだろう。そして何をしても誰からも何も言われない。

そんな中でサイザリスだけが自由にならなかった。だから、ローレッタはサイザリスを嫌っていた。

今回の同行もサイザリスの行動を見張るという事もあるが、半年という滞在期間でアルフォンスを陥落させるという任務も担っていたのだと聞いた時には鳥肌ものだった。

引きずられて出ていくローレッタに同行するようアーロンも部屋を出ていくと、なんとも言えない静寂が室内を支配する。

そんな中、口を開いたのは有里だった。


「・・・・まさか、こうなる事、わかってた?」


先ほどとは違うまるで知り合いにでも話しかけるような雰囲気でサイザリスを真っ直ぐ見つめる有里に、一拍遅れたように周りが反応する。

そんな事など気にする様子もなく、サイザリスも先ほどまでの皇帝然とした態度ではなく、リラックスした様にその長い足を組んだ。

「まさか。狙っていたわけではないが、そうなればいいなってくらいは思ってたかな?」

「フィー・・・それは狙っていたって言うのよ。まぁ、体よく邪魔者を遠ざけることはできたから色々やりやすくはなったけどね」

「有里も中々の演技だったよ。女優顔負けだったじゃないか」

「あれは演技じゃなくて本気よ!本当に怖かったのよ!」

「まぁ、元々あの女はサイザリスよりもこの国の皇帝が狙いだったからね。野放しにしていたら有里が危険だったかもしれないし、この国から追い出せることは幸いだったよ」

「フィーだってヤバかったんじゃないの?へたすれば殺されてたかもしれないんだし」

「私は簡単には殺されないよ。あのバカな宰相はあのバカな娘に両皇帝を手玉に取れと命じてたんだ。本当バカの考える事は壮大過ぎて私ですら考えが及ばなかったよ」

バカ、バカと連呼するサイザリスと、友人と語らう様に会話を弾ませる有里を呆気にとられる様に見つめていた周りだったが、いち早く我に返ったのはやはりこの国の皇帝だった。


「ユウリ、サイザリス殿。これはどういう事なのか、説明していただけるかな?」


はっとした様に隣を見上げれば、にっこりと笑うそれは正に『絶対零度』。

初めて経験する冷気を伴う微笑みに、反射的に距離をとる様にのけぞれば逃すまいとアルフォンスが肩を抱き寄せる。


「ユウリ?」

名前を呼ばれただけなのに無条件で服従してしまいそうなほどの圧力に、有里は冷や汗を流しながら頷く事しか出来ないのだった。

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