第45話
「ユウリ、今日は町へ降りてみないか?」
お妃教育も今日は午前の早い時間でで終わり、午後からは久し振りにゆっくりと身体を休めようと思っていた矢先に、アルフォンスからの魅惑的なお誘い。
毎晩の愛しい夫からの求めで疲労困憊の身体だったが、考えてみれば召喚されて以来、一歩も外に出たことが無かった有里は「行く!!」と即答した事は言うまでもない。
その返事を聞くや否や、あっという間に準備が進められていった。
アルフォンスは美しい色合いの髪を茶色く染め、有里の髪色も同じように染められた。
この世にはカラーコンタクトなるものはないが、特殊なガラスの入った眼鏡をかければ瞳の色合いもごまかすことができた。
そして、いつもとは違いシンプルな服に身を包み、二人は意気揚々と出かけて行った。勿論、護衛付きだが。
「うっわ~!素敵!素敵!空から見るより素敵だわ!!」
その街並みは、まるで童話に出てくるような可愛らしい家々が建っていた。
上空から見た時には色褪せた落ち着きのある屋根しか見えなかったが、メルヘンチックな建物も色で溢れかえっていて有里のテンションを容易に上げていく。
古いヨーロッパの街並みを思わせるような、鮮やかな中にも落ち着いた雰囲気を感じさせる建物、そして活気に満ちた人々。有里は忙しなく視線を泳がせる。
興奮し一人で何処かへ行ってしまいそうな有里の手を引き、「あれは何?」「あの店は?」という質問攻めに嫌な顔一つせず、どちらかと言えば嬉しそうに答えていくアルフォンス。
雑貨屋、本屋、服屋・・・・そして市場や露店。有里の耳に届いているかすらわからないまま説明していたのだが「お昼にしよう」の一言にようやくアルフォンスを見上げた有里に、護衛を含め皆が苦笑を漏らしたことは言うまでもない。
城内ではあまり見る事が無い笑顔全開の有里は、年齢以上に幼く可憐に見え周りの目をくぎ付けにしていた。まぁ、隣にいる長身の美丈夫がいることも一つの要因なのだが。
町の男達は顔立ちの違う愛らしい有里に見惚れ、隣で手を引く男に羨望の眼差しを向ける。
女達もアルフォンスの凛とした美しさに目を奪われ、そして嬉しそうに手を引かれる有里を見ては、嫉妬の入り交じった刺すような視線を向けてくる。
白いシャツに黒のロングコート、スラックスにロングブーツ・・・・一般の若い男は正直こんな格好はしない。精々、上着だって丈の短いジャケットかベストの様なものだ。
有里もまた白いブラウスにボレロ、スカートは膝丈の物で編み込みのブーツを履いていて、どちらかと言えば良家のお嬢様と言った感じで、傍から見ればお嬢様とその護衛にしか見えない。
だが、女は嬉しくて仕方がないという様に笑顔を絶やさず、男はそんな彼女が愛しくてたまらないと言わんばかりの甘い眼差しを隠すことなく向けていれば、この二人がどういう関係なのか直ぐにわかってしまう。
周りからどんな目で見られているか気づいていないのは、本人達だけだ。
「ユウリ、美味い店を知っているんだが、そこでもいいか?」
「うん!楽しみだわ!」
前皇帝が健在の頃からお忍びで町に出ていた事を聞いていた有里は、一も二もなく頷くとアルフォンスの腕に己の腕を絡め「ありがとう」と、花の綻ぶ様な笑顔を向けた。
思わずアルフォンスは「ぐっ・・・」と唸りながら、「あぁ・・」とだけ返し、彼女を抱きしめて速攻でお城に、自室に飛んで帰りたくなる衝動を抑え込んでいた。
そんな事など知らない有里は呑気にも、「うふふ」とほほ笑みながら彼の腕に頬を摺り寄せれば、ちょっと諦めたように天を仰ぎ、内に籠り暴走してしまいそうな欲をまるで吐き出すように、大きな溜息を吐き、そして彼女の頭を優しく撫でた。
「とても世話になった店だ。ユウリにも会ってもらいたい」
「嬉しいけど・・・がっかりしないかしら・・・私なんかで」
「するわけがない。俺が結婚したという事に驚かれるかもしれないがな」
何かを思い出す様にちょっと顔を顰めながら言えば、有里は意外そうに目を見開き、くすりと笑う。
彼のその表情が、親しい人にしか見せないようなものだったからだ。
これから会う人達は、本当に親しい身内に近い感情を持っている人との面会のような気がする。
相手の両親に挨拶に伺う様な緊張感と大事な人に会わせてくれようとする気持ちが嬉しくて、不思議と笑みが深くなっていった。
アルフォンスはと言えば、人の気も知らずどこか嬉しそうに見上げてくる有里の視線を避ける様に外し「コホン」とわざとらしく咳をし「再確認」と言いながら人差し指をあげた。
「俺の名前はアレクだ。くれぐれも間違えないように。そしてユウリはユリ」
「わかった。でも何でアルがアレク?」
「あぁ、昔お忍びで町に出た時、あるトラブルに巻き込まれてね。それを助けてくれた人に名前を聞かれて本名は流石に言えないから、当時、流行っていた劇場の人気役者の名前をとっさに言ったらそのまんま俺の名前になった」
「なるほど・・・じゃあ、これから会う人が命の恩人なのね?」
「時々しか顔を出さないのに、行くたび変わらず温かく迎えてくれる・・・・家族に近い存在かもしれないな」
自分に見せてくれる時と同じ、どこかリラックスした表情につられてふっと肩の力を抜いた。
「楽しみだなぁ」そう言いながら、絡めていた腕を離し代わりにその大きな手に自分の指を絡めれば、アルフォンスもそれに応える様に握る手に力を込めてきた。
見えてきた店は二階建てで若葉色の外壁が目を惹く、小さな食堂だった。
『星の川』という、店名だけ見ればロマンチックでお洒落な喫茶店をイメージするが、その実態は大衆食堂。
アルフォンスは迷うことなくその扉を開け入り、有里を招き入れた。
店内は厨房を囲む様に六人位が座れるカウンター席があり、四人掛けテーブルが六席位という小さなものではあるが、とてもこざっぱりとした内装は好感と清潔感を感じさせるもので、有里は不躾とは思いながらも興味深そうにぐるりと見渡した。
昼時を過ぎていた所為か客はおらず、どちらかと言えば後片付けに大わらわしている感じの店内。
「アマリア、久し振り」
カウンター内で忙しそうに動き回っている少し恰幅の良い女性にアルフォンスが声を掛ければ、彼女は目をこれでもかと見開き、はっとしたように隣にいたこれまた背の高い体格の良い男性をバシバシ叩いている。
「いってーなー!何だよ!?客だろ?」
驚きの表情で口をパクパクさせている彼女を怪訝な顔で見ながら、こちらを見た男性も一瞬にして同じように目を見開き固まってしまった。
「アマリア、ジャック。もしかして俺の顔なんて忘れてしまった?」
今だ惚けている二人に、おかしそうに笑いながら近づけばようやく我に返ったアマリアが満面の笑みを湛えカウンターから飛び出してきた。
「アレク!久し振りなんてもんじゃないよ!それこそ顔を忘れる寸前さね!元気だったかい?あぁ・・よく来てくれたね!」
アマリアは感極まった様にアルフォンスをぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
アルフォンスもそれを嬉しそうに感受し、優しく彼女を抱き返し「心配かけてすまなかった」と背中をポンポンと叩いた。
「アレク!お前、忙しいのもわかるが一年も顔を見せないなんて、薄情すぎるだろ!」
責めてるわけでもなく、しょうがないなぁ、という感じでジャックがアルフォンスの肩をバシバシ叩けば、痛そうに眉を顰めるもどこか嬉しそうに「悪かった」と返した。
一通り手荒くも温かい歓迎を受けたアルフォンスは、有里の肩を抱き寄せ二人に紹介した。
「アマリア、ジャック、俺の妻のユリだ」
「初めまして、ユリと申します」
と緊張しながらも頭を下げれば、アマリアは「あらあらあら・・・・あのアレクが結婚!?」と驚き「あの、女には全く興味を示さなかったアレクが、結婚!?」とジャックまで唖然としている。
そんな彼等に有里は苦笑し、アルフォンスは顔を顰めながら子供の様に口を尖らせた。
そんな彼の事など無視し二人は自己紹介を始めた。
「私はアマリアって言うんだ。こっちにいるのが旦那のジャック」
ジャックはいまだに驚きを隠せない様子ながらも「よろしく」と頭を下げた。
「しっかし驚いたよ!一年も顔出さないと思ったら、こんな可愛らしい娘さんと結婚していたなんて・・・・」
有里の手を握りながら嬉しそうに目を細めるアマリアは、心の底から喜んでくれいる事が良く分かった。
「ねぇ、いつアレクと出会ったんだい?結婚したのは最近かい?ユリは大陸の人じゃないだろ?島国から来たのかい?」
いきなりの質問攻めに、どう答えていいかわからずしどろもどろしていると見かねたアルフォンスが助け舟を出してくれた。
「アマリア、俺たち腹がへったんだけど」
「あぁ、すまない!今すぐ準備するよ。お任せでいいかい?」
「あぁ、頼む」
「あいよ!」
そう言いながら厨房に戻っていく二人を見送り、有里はほっと安堵の息を漏らした。
すぐそばの席に二人並んで座れば、心配そうにアルフォンスが顔を覗き込んでくる。
「すまない・・・悪い人達ではないんだが・・・・」
「ううん、違う!なんて答えていいのかわかんなくてちょっと困ったけど、でも、とても貴方の事を大事に思っているんだってわかって、嬉しかった」
心からそう言えば、アルフォンスは嬉しそうに頷き有里の左手に嵌っている指輪に唇を押し当てた。
「あ・・・ア・・レク・・・」
寸での所で名前を押し出し睨めば、愛おしそうに手を握りほほ笑むから有里は顔を真っ赤にし何も言えなくなる。
そんな二人の目の前に料理を置きながら、呆れたようにアマリアとジャックが溜息を吐いた。
「変われば変わるもんだねぇ」
二人は目の前の椅子に座りながら「さぁ、お食べ」と湯気が立つおいしそうな料理をすすめた。
ビーフシチューとパン、それに色鮮やかなサラダ。食欲をそそるとてもいい匂いがする。
「はい、いただきます」
有里は嬉しそうに両手を合わせ挨拶すると、まずはシチューを食べた。
「おいしい!!」
「それはよかった!このシチューはうちのお勧めなんだよ」
「そうなんですか!うわっ!このパンも美味しい!」
そう言いながら、決して女性らしいおしとやかな食べ方ではない、大きな口を開けて本当に美味しそうに料理を頬張る有里に、アマリアとジャックは初めは驚いた様に見ていたが、次第に嬉しそうな表情へと変わっていった。
アルフォンスも変わらず嬉しそうに、愛おしくてたまらないという眼差しで見つめる。
有里的にはお城の中でのエセ貴族の様に過ごすのも大分慣れてきたが、本来の有里は平民である。だがらか、懐かしいこの雰囲気が嬉しくて、無意識のうちに前の世界に居た時の様に振舞ってしまい、否応にも目の前の二人の視線を釘付けにしてしまったようだ。
ご飯を食べ終わると、先ほどの続きとばかりに質問攻めが待っていた。
その答えはほとんどアルフォンスが代わりに答えてくれたのだが・・・・
「へぇ、ユリさんはやっぱり島国出身だったのね」
「えぇ、極東の小さな国なんです」
この世界は別に大きな大陸二つだけあるわけではない。有里が居た世界と同じように小さな島国も多数存在する。
それは独立していたり、どちらかの大陸に属していたりと様々ではあるが。
「顔の作りがこの大陸の人間と違って、なんていうか・・・可愛らしいんだよね」
「ありがとうございます・・・・アマリアさんは、島国の人達とお会いした事があるんですか?」
「こういう商売しているからね。この国と友好的な国民は結構、観光に来たりこの国で働いたりしているんだ」
「まぁ・・・そうだったんですね」
「それに一年後はめでたい事に、この国の皇帝陛下の結婚式があるから、案外今から観光客がこの国に来てるんだよ」
結婚式・・・・なんか、どこか他人事に思っていたとこがあるけど・・・こうして言われると・・・・
有里は何とも形容しがたい顔で相槌を打てば、アルフォンスが心配した様に覗き込んで来た。
「あ、何でもないよ。結婚式はまだ先なのに、今から観光客がみえているというのに驚いて・・・」
「それは、久し振りのめでたい国事だからね。下見も兼ねての観光に来ているのさ。式当日は混雑するだろう?早い人達は既に一年後の宿屋の予約をしているって話さ」
「えぇ?そ・・・そうなんですか?」
「それだけ、各国・・・いや、世界中から注目されているんだよ。この結婚はね」
有里は思わず言葉を失い、眉をハの字にした。
正直なところ、この結婚に関しては麻痺していた感がある。ずっとお城の中で暮らし、周りの人間は全てこの式典を開催する側の関係者。第三者の目を持つ者が有里の近くにはいなかったのだ。
だから初めて町に出て、初めて皇帝陛下の結婚式の事を聞き、初めて知るこの国の実情に・・・有里は心の中で恐れ慄いていた。
大ごとだ・・・・正に大ごとだ・・・・考えてみれは当然じゃない!この大陸に君臨する一番偉い人の結婚だもの・・・私ってば何軽く考えてた!?
そして私が彼の嫁!?いやいやいや・・・嫁になる事は覚悟を決めたはずだ。いや、既に嫁だけど。ってか・・・―――私は、国民に受け入れられてるのかな・・・・
「あの・・・アマリアさん達は、この結婚に納得していますか?」
怖いけれど、聞かずにはいられない。
そんな有里の問いに、彼女等夫婦は「おや」という様に片眉を上げると、次の瞬間、嬉しそうに笑った。
「納得も何も。私たちは陛下を信頼してるからね。この結婚には反対はしないさ。しかもお妃さまは女神ユリアナ様より召喚された方だっていうじゃないか」
「城内に出入りしている奴等が言ってたぜ。身分なんて関係なく誰にでもねぎらいの声を掛けてくれるって。自分も声を掛けてもらったって喜んでたぜ」
確かに。有里は顔を合わせた人には一通り声を掛けていた。
初めて会った人にも「こんにちは」とか、何度か顔を合わせた事があれば「ご苦労様です」とか。
それは前の世界で働いていた時の、習慣的なものでもあった。
しかも、当たり障りのない挨拶だ。それに関して有里はあまり深くは考えてはいなかったのだが、城外ではそんなふうに言われていたのか・・・と、何故か身が引き締まる思いがした。
「お妃さまが例え女神様が連れてこられた方でも、浪費癖があるとか国民を蔑ろにするような方なら、全力で反対するけど・・・貴賤関係なく接して下さる。我々にしてみれば有難い事このうえないよ」
「でも、それは単に常識を知らないだけかもしれないのでは?」
ちょっとこれは言いすぎたかな?と、言った後で顔を顰める有里だったが、目の前の二人は気を悪くする事無く笑った。
「確かに誰彼構わず声を掛ける事は、お高く留まってるお貴族様にとっては無作法だって言うかもしれない。でも、私ら庶民にしてみれば正に女神様さね」
いや・・・それはちょっと、言いすぎ・・・・とは思ったが、下手に口には出せない。
「まぁ、あたしらは会ったことが無いから、あくまでも噂話でしか判断できないんだけどね」
その噂話がとてつもなく大きくなっているような気がして、実物はそこら辺の人達と何ら変わらない人間です・・・と、叫びたくて、美化された偶像が恐ろしくて、居たたまれない。
「そうなんですね」とぎこちなく笑い食後のお茶をすすれば、アルフォンスが指先でそっと頬を撫でてきた。
驚きに目を見開けば、柔らかく微笑む彼はどこか嬉しそうで。何故嬉しそうなのかわからない有里は、首を傾げた。
そんな二人を見てアマリアは「おやおや、新婚さんだねぇ」と笑いながら立ち上がった。
「噂なんて気にしなくてもいいんだよ。重要なのはこれからの未来だ。気張らずに頑張ればいいのさ」
そう言いながら有里の手を優しく握る。
「少なくともあたしら夫婦は、ユリさんが好きだし応援してる」
有里は目を見開き、そして一瞬泣きそうに顔を歪めアマリアの手に自分の手を重ねた。
「ありがとう・・・ございます」
そう言いながら向けた花の綻ぶ様な笑顔は、目の前の夫婦をも虜にしてしまうには十分なものだった。
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