第44話

あの三日間は、有里にとっては嵐の様な三日間だった。

とは言っても、過ぎてしまえばあっという間だったけれど、その間中は一日が長く感じこの甘くも苦しい甘美な攻めに、息も絶え絶え乗り越えたという感じだった。

最後の晩は、まるで子供の様に「離れたくない」と、正にあの小さなアルフォンスを彷彿とさせるように有里の腹に抱き着きながら駄々をこねた。

多分、少し前までの有里であれば「コイツハ ダレダ?」と首を傾げていたかもしれない。

だが、この三日間で自分でも気づかないくらい毒されたのだろう。自然に何の違和感もなく彼の全てを受け入れる様になってしまったのだから。

まぁ、正直なところ、有里に関しては服を着る暇もなく求められ甘えられ、甘えさせられ・・・・そんな濃厚な三日間だったのだから、思考も色々と支障をきたしてもしかたがない。

例えば、彼の膝の上に座らせられる事に疑問を感じなくなっていたり、まるで子供の様に彼女に甘えてくる彼が可愛らしく感じたりと。

蜜月の翌日なんかは、有里も何の疑問もなく促されるまま膝の上に座ってしまい、周りからの生暖かい視線に正気に戻ったくらい、頭の中が麻痺していた。


「・・・・・バカップルになってしまうなんて・・・・くっ、不覚・・・・」


まるでロダンの『考える人』の様なポーズを取りながら、有里は悔し気に呟いた。

そんな様子を、リリとランはちょっと同情を滲ませた眼差しで見つめた。

「正直なところ、私たちも陛下があの様に変貌されているとは、想像もできず・・・・」

「まぁ、箍が外れたというだけで、政務には何ら支障をきたしてはおりませんし、むしろ、効率が良くなったと宰相様がおっしゃっていました」

その言葉に有里はこめかみをぐりぐりと指で揉んだ。

「あー、リリ、ラン。私達だけの時はそんな言葉づかいしなくていいから」

結婚してからと言うもの、今までの様に好き勝手出来る時間も減っていき、本格的なお妃教育もはじまった。

基礎は知らないうちに腹黒宰相によって仕込まれていたので何ら問題はないが、それだけではこの魍魎跋扈の世界を乗り切る事は出来ない。

しかも国事としての結婚式が一年後と決まった為、ただいま応用編を絶賛勉強中なのだ。


有里はどちらかと言えば、周りの状況にすんなりと対応できる柔軟さは持っていた。だがそれは仕事と家庭を、所謂ONとOFFを分けていたからなのだと思っている。

どんなに嫌な事があっても、家では仕事の事は一切話さなかったし、世界を区切る事でそれが一種のストレス解消にもなっていたのだと思う。

だがここは私生活ですら無きに等しいもので、唯一、息がつけるのは私室のみ。

お妃教育が始まった頃はうまい具合に自分の中で折り合いがつけれず悩んでいたが、これまで以上に私室が自宅、そこを出れば職場という位置づけを心に留め、何とか生活をしている。

なのでリリやランには、自分以外誰もいなければ、敬語を使う事を良しとしなかった。

「わかりました・・・では・・・」

リリがそう言えば、一瞬でその場の雰囲気が砕けたものとなる。

「もう、陛下ってばユーリ様しか見てなくて、もうもうっ!こっちが赤面してしまうほど甘いんですよ!!」

「わかるわかる!休暇が終わってお二人に会ったとたん・・・全然雰囲気が違うから、思わず『誰?この人達』って思ったわ!」

「そうなの!!政務中は何時もの無表情なのに、ユーリ様を見た途端、表情から雰囲気から全て変わっていくから、もう、驚きしかないわ!」

「城内騒然よね!ケバケバしい貴族のバカ令嬢も出る幕無しよね!お二人を見てまだ自分にもチャンスがあるんじゃないって思うアホな貴族は、頭の中腐ってるのかもよ」

「本当に!実際、頭の腐った貴族がいるから困ったものだけど、陛下の無視っぷりは爽快だわ!」

彼女等の口からは、この所のアルフォンスの変貌ぶり、有里に対する溺愛ぶりに対しての言葉しか出てこない。

休暇が明けて二人に会ってみれば「なんなんですか?このピンク色の世界は」と、一瞬職場を間違えたのではと思ったという。

キャッキャ、ウフフと話題に花を咲かせている双子に、有里はますます眉間に皺を寄せた。


・・・・恥ずかしい!周りからはそう見られてるなんて!あぁぁぁ・・・・は ず か し いっ!!!


耐えきれず羞恥に悶絶していると、瞬時に仕事モードに切り替わったリリに「陛下が戻られました」と告げられ、反射的にがばっと立ち上がった。

「ユーリ!会いたかった!」

そう言いながら、両手を広げ甘い笑みを浮かべるアルフォンスは、贔屓目なしにカッコイイ。ここ最近、特にそう感じられる。

ましてや政務中に着用している神官服が非常に似合っているものだから始末に置けない。

白い上着は裾が膝下まであり動きやすいように左右両方にスリットが入っている。そしてその縁を沿う様に金糸と銀糸で蔦の刺繍が施されていた。

かっちりした詰襟はどこかストイックな雰囲気を醸し出し、イケメン二割増しである。

本日は神官服を纏っているが、その時々の状況に合わせ、軍服仕様の時もある。これもまた似合いすぎるくらい似合っていて、有里は内心溜息を吐く。

この国のトップである皇帝は、軍事は勿論の事、宗教に関してもトップに君臨していた。

過去に神殿独自の権力を欲した司祭達もいて、皇族と敵対していた時代もあった。

だが、自分達が信仰してやまない女神が、幼い皇帝を例え半年であろうと育てたり、異世界より妃を召喚し貴族たちの前に現れたりと、現皇帝への溺愛ぶりは目を逸らす事の出来ない事実。

ならば、敵対するよりは手を組んだ方が神殿の利益につながるのではと考え、長らく対立していた双方は和解する事になったのだ。

神殿でも皇帝が最高聖職の位に就き、神殿の人間達には『皇帝』ではなく『猊下』と呼ばれている。

女神ユリアナ至上主義の神殿は、てのひらを返したかのように、鬱陶しくも盲目的に皇帝を崇め神格化し始めていた。

軍事に間しても『雷帝』と恐れられる彼を騎士達は畏怖と共に尊敬しており、『暁の皇帝』以来の賢帝と謳われている。


そんな、彼に蕩けるような笑みを向けてこられれば、誰だって惚れる。ましてやそれが情をかわし、愛し愛される夫であれば尚更の事。

有里はまるで蜜に吸い寄せられる蜜蜂のようにふらふらとアルフォンスに近寄ると、彼は少し身体をかがめ彼女を抱きしめ、そのまま膝裏に腕を回し子供を抱き上げる様に抱えた。

いきなり高くなる目線は何度されても身体が一瞬強張るが、アルフォンスの首に腕を巻き付けその美しい顔を抱きしめた。

隠すことのない彼からの愛情表現を拒む必要はないのはわかっている。相思相愛なのだから。

ただ人目のある所などでイチャイチャできるほど、有里の神経は太くない。

なるべく私室でのみの接触をお願いすれば、かなり不満そうではあったが了承し、こうして私室へと戻れば砂糖漬けの様な空間ができあがるのだ。


まぁ、外でも相変わらずべたべたしてはくるんだけど・・・

恥ずかしいけど嬉しいんだよね。でも・・・・


そこまで考え、芽生えたての不安を押し出すように有里は小さく溜息を吐いた。

「ユウリ?」

彼女を抱きしめたままソファーに腰を下ろすと、有里の顔を覗き込んできだ。

有里のちょっとした変化も見逃さないアルフォンスは腰に回していた腕に力を込めそして、目は口ほどにものを言う・・・を体現したかのように、『何かあったのか?』と目で問いかけてくる。

「なんでもないよ。お仕事、ご苦労様です」

そう言いながら、アルフォンスの頬に唇を寄せた。そして、顔を見られないように、甘える振りをしながら肩に額をこすりつけ、心の中でそっと溜息を吐くように力を抜く。

だが言葉では何も言わないが、抱きしめる腕が、頭に摺り寄せる頬が雄弁に語り掛けてくる。

心配なのだ、と。

そして有里はその無言の圧力に負け、何時も白状してしまうのだ。彼女にとっては些細な事であっても彼にとっては重大なのだと。

はじめはそれが嬉しかったし、そこまで想われて幸せだと思った。のだが、そんな感情に何も考えずにずっと浸って入れるほど頭の中に花が咲いているわけではない。

小さな不安はやがて根を張り、大樹の様に育っていく事を知っている。

今はまだ、芽がでたばかり・・・しかも、本当に何の根拠もない『ただの不安』なのだ。


幸せすぎて、不安だ・・・・なんて言ったら、呆れられるかな・・・・


知らず知らず、思考の海に沈んでいたようで、アルフォンスに口付けられた事にワンテンポずれて反応してしまった。

それが気に入らなかったのか、その行為はどんどん深くなり有里は思わずギョッとする。

部屋には双子達がいるはずだ。可愛らしさのかけらもないこの行為を、例え信頼している彼女等にでも見られるのは精神的に地獄。

有里はイヤイヤするようにそれから逃れ周りを見渡し、誰もいなくなっている事にほっと息を吐いた。

だが安堵したのもつかの間。アルフォンスが政務中で良く見せる無表情で有里を見つめている。

「ユウリ、俺を拒絶する事は許さない」

温度のない声色というのは、本当に怖い。何時聞いても、怖い。

だが、その本質さえ理解していれば思っていたよりも怖さは激減する事を学んだ。

それでも、やはり怖いものは怖い。有里はびくりと身体を震わせながらも、アルフォンスの頬を両手で包み込んだ。

「拒絶するわけないじゃない。ただ・・・誰かに見られるのは・・・その、恥ずかしいんだってば!いつも言ってるのに、アルってば・・・・」

恥ずかしくて言葉を濁しながら上目遣いに見上げれば、彼は驚いた様に目を見開いていた。

「・・・・?アル?」

不思議そうに小首を傾げれば、頬を包む有里の手に自分の手を重ね、どこか諦めた様な溜息を吐いた。

「俺は、一生、ユウリに勝てる気がしない・・・」

「え?」

「何度も何度もユウリに恋をする。その度に俺はユウリに弱くなる。・・・いや、俺はユウリが離れていくのではと何時も不安なんだ。信じているのに、信じ切れていない」

幼いあの時の事を思い出した今はそれがトラウマの様になっている。どんなに言い募っても有里がいつ『さよなら』を言ってくるのかという恐怖心を完全に拭う事は出来ないでいた。

アルフォンスの告白は、彼の心の傷の深さを知り、あの時はどうにもできなかったとはいえ、彼に対する切なさと罪悪感が今だ胸を締め付ける。

それと同時にどこか心の隅で、小さな安堵感も芽生えていた。

有里は小さく口元を綻ばせると、アルフォンスは「何?」と問う様に首を傾げた。

「アルは私がまたいなくなるんじゃないかって不安。私は今がとても幸せ過ぎて不安。・・・これを払拭するにはお互い時間がかかりそうね」

そう言いながらくすくす笑えば、アルフォンスは虚を突かれた様に目を見開き、ほんのりと目元を朱に染めた。

「ユウリは、幸せすぎるのか?不安になるほど」

「そうだよ。貴方の事が好きすぎて・・・・こんな事、はじめてよ」

そう言いながら笑えば、いきなり息が止まるのではないかと思うほど強く抱きしめられた。

「うぉ!?ア、アル!?」

「嬉しい・・・こんなに好きなのは俺だけだと思っていたから・・・・」

「そんなわけないでしょ?いくらこの世界にアルの為に呼ばれたといっても、好きでもない人と結婚なんてしないわよ。ましてや皇帝陛下となんて・・・」

「皇帝とは結婚したくなかった?」

「好き好んで茨の道は歩きたくないわ。私こう見えて、事勿れ主義なんだもの」

ちょっと不機嫌そうに呟けば、くすくす笑いながら身体を離した。

「では、俺と共に歩んでくれるという事は、俺が考えている以上に想われていると・・・思っていいのか?」

「うっ・・・・思って、いいのよ」

恥ずかしそうに、ちょっと顔を逸らしながら言えば、普段見る事のないまるで少年の様な笑顔を向けられ、有里は真っ赤になり目を見張った。

「ユウリ、好きだ・・・その声も、その仕草も、その眼差しも・・・・優しく触れてくる指先も、時折見せる少女の様な笑顔も、顔を真っ赤にし恥ずかしがるその姿も・・・貴女を創り出す全てが愛おしくてたまらない」

熱烈な愛の言葉に、有里は憤死するのではないかと思うくらい真っ赤になりながらオロオロする。

そんな彼女の指先に口付けながら「迷惑?」と問えば、子供の様に勢いよく首を横に振る事しか出来ない自分が情けない。

「その・・・そういうの言われ慣れてなくて・・・嬉しいけど、恥ずかしくて・・・何て返していいか、その、分からなくて・・・」

あからさまに視線を泳がせる有里にアルフォンスは、

「ユウリが感じた事を、そのまま言葉にして」

そう言って、掴まえてた有里の手を自分の頬に甘える様摺り寄せる。

そしてジッと有里を見つめた。何かを期待するように。


あぁ・・・何ていえば言いの!?好きだとか、愛してるとかそんな言葉では収まりきらないこの感情・・・・

語彙力が無いってもどかしいわっ!


有里は落ち着かせるようにすうっと息を吸い、ふぅ・・と吐きだし、アルフォンスの瞳を見つめた。

「私はもう、貴方が居ないと生きていけない。空気が無ければ窒息してしまう様に、水が無ければ枯れてしまう様に、私の全ては貴方で満たされ生きているの。愛を語る言葉が陳腐に感じるくらい・・この想いを計るには小さすぎるくらいに・・・でも、この気持ちを表現できる言葉はこれしか思いつかなくて・・・・―――愛してる、アルフォンス」


自分でも何を言っているのか、何を伝えたいのかが段々怪しくなってきたが、この気持ちが伝わる様にとそっとアルフォンスに軽く口付けた瞬間、反対に強く抱き込まれ貪る様に口付けられた。

そして口付けの合間に、まるでうわ言の様に愛の言葉を囁く愛しい夫の背に、同じ気持ちでいるんだと伝える様に腕を回ししがみ付けば、いきなり抱き上げられ余裕のない足取りで寝室へと運ばれて行く。



もう、バカップルでもいいか・・・・と、有里はあきらめにも似た境地になりながらも、力強くも温かいぬくもりに身をゆだねたのだった。


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