第4話
謁見の間の天井には、女神ユリアナの姿が描かれている。
右手には太陽を、左手には月を、そしてその瞳には星を湛えており、色鮮やかに描かれていた。
声が響いたと同時に、女神の胸の辺りから光が生まれ、それは人型をなす。
黒く長い髪と、星を散りばめた黒い瞳。描かれている姿そのままにアルフォンスの横に降り立った。
フォランドと、皇帝の左に控えていた近衛師団長のアーロン・エインワーズはとっさに身構える。
が、そんな彼等をアルフォンスは制した。
そして「久しぶりだな。女神ユリアナ」と、低めではあるが、よく通る声で彼女を迎えた。
『あらやだ、アルってば、なんで大きくなってるの~?』
―――えっ!女神ユリアナ??
と、誰もが心の中で叫ぶが、声に出す者はいない。
それもそのはず。
軽い口調ではあるが、醸し出すその圧倒的な威圧感は重々しく張り詰め、かつ清らかで侵しがたい雰囲気が一瞬で室内を満たしたからだ。
今にも膝をついてしまいたい衝動に駆られるほどの、清廉さ。
彼等のそんな事情などお構いなしに、ユリアナは感慨深そうにアルフォンスを見つめた。
『アル、今、幾つになったの?』
「二十六です」
『えっ?本当?』
純粋に驚くユリアナに、アルフォンスは機嫌悪そうに眉を眇める。
「えぇ、あなたが俺の世話をする人を探してくると言ってから、16年だ」
『う~ん・・・やっぱり、気を付けていないと時間の流れが稀薄になっちゃうわね』
ちょっと考えるように、可愛らし気に小首をかしげた。
その時「アル・・・」と、うめき声に近い声色で、フォランドが名を呼んだ。
アルフォンス以外は、皆苦しそうな表情をしている。
名前を呼ばれ漸く事態に気付いたアルフォンスは、今更のように紹介を始めた。
「あぁ、皆の者、紹介が遅れてすまない。この方は我が帝国の神であり始祖でもある、女神ユリアナだ」
いや、違うんです!そこじゃないんです!!
今ここにいる人間全てが、同じ事を心の中でツッコんだ。
そして、一斉にアルフォンスに助けを求めるような視線を向ける。
そこでやっと気づいたのか、「あぁ・・」と言って、頷く。
「ユリアナ、皆が苦しがっているぞ」
『そっか、アル以外は辛いかもね』
そう言って、パチンと指を鳴らせば、すぅっと身体が楽になっていった。
一同がほっと息を吐いたのを見て、アルフォンスは改めてユリアナに尋ねた。
「何故、今、此処に降りて来られたのだ」
『何故って、あなたとの約束を果たすためよ』
「約束?」
『そう、それこそ十六年経っちゃったけど、アルのお世話をする人を連れてきたの』
「・・・・俺はもう、子供じゃない」
『まぁまぁ、あの時の乳母のように、意地悪ばーさんじゃないから大丈夫よ』
その言葉にギョッとしたのが、ヌルガリ伯爵だった。
『どこぞの貴族が寄与したあの乳母は、最悪だったものね~』
その場に居た者すべての視線を一身に集めた伯爵の顔色は、青を通り越し、みるみるうちに白くなっていった。
アルフォンスは小さい頃に母親を亡くしていた。
悲しみに暮れる中、姉であるシェザリーナが傍にいて愛情深く面倒を見てくれていたので、母親恋しさ寂しさはあったものの、素直な優しい子供に育っていった。
だが彼が8歳の時、シェザリーナがべェーレル大公国の王となる為、彼のもとを離れなくてはならくなった。
そんな状況をこれ幸いと、ヌルガリ伯爵が皇帝に進言したのだ。
「アルフォンス様には、愛情を注ぎお世話をする方が必要です」と。
すでに血の繋がりすら無いであろう、はるか遠い時代の親戚関係。
それにいまだに縋りつくヌルガリ伯爵の申し出を、皇帝は冷めた目で見つつも、渋々了承する。
それがアルフォンスの悪夢の2年間の始まりだった。
その乳母としてやってきた女は、愛情の欠片も持ち合わせておらず、彼にはことごとく冷たく接した。
彼のやる事なす事、全てを否定し幼い子供の心を傷つける。
そして、その傷を癒すかのような振りをして、ヌルガリ伯爵は幼いアルフォンスを、自分の意のままにできる傀儡にしようと、言葉巧みに心の隙に入り込もうとしていた。
次第に様子がおかしくなる息子に皇帝は問うが、彼は何も言わない。
そんな現状を心配した皇帝は、己の幼馴染でもあり信頼できる側近のベルモント公爵とエインワーズ侯爵の子供達を遊び友達として彼のそばに置いたのだ。
それが現皇帝の懐刀と称される宰相フォランド・ベルモントと、三つの近衛師団の頂点でもあり護り刀と称されるアーロン・エインワーズだ。
だが、アルフォンスの心は日に日に疲弊し、表情が乏しくなってきていた。
そしてある夜、彼女が彼の前に舞い降りたのだ。
黒を纏った女神は彼の心を癒すため、ひっそりと半年もの間一緒に過ごした。
乳母を解雇させ、彼の為だけにそこに存在し、彼の為だけに言葉を紡ぐ。
突然に大人びた発言や行動に、不信を抱いていた大人たちは、次第に彼の瞳に現れる琥珀色の星に、全てを納得する。
今、彼の傍にいるのは、彼の世話をしているのは、女神ユリアナなのだと。
半年も経ったある日、彼女は『私はずっと傍にいる事ができないから、あなたを愛し、お世話してくれる人を探してくるね』と明るく言い残し、消えてしまった。
次の皇帝となる為、帝王学を学び大人びてはいても、所詮は子供。
明日帰るのか、一週間後なのか、それとも、一月後か・・・
待てど暮らせど彼女は戻らず、十六年の月日が経っていったのだった。
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