「探していたものは見つかりましたか」と、太陽に捧ぐ。
聖願心理
魔女と少年
「しあわせを探しています」
そんなことを言う、魔女がいた。
その魔女は、“しあわせ”を知るために様々なことを試し、やがてひとつの答えに辿り着いた。
“しあわせは死ぬこと”
そして、魔女は人々を無差別に殺し始める。悪意なんてない。そこにあるのは、純粋な善意だけ。“救ってあげる”という、善意だけ。
魔女が歩いた道には、死体しかなかった。生きている人なんて、いなかった。
魔女によって死体となったそれらは、皆、苦しむことなく、穏やかな顔をしていた。
その魔女は、“死者のミヤコ”と呼ばれるようになっていた。
◆
少年は眠れなくて、浜辺を散歩していた。夜の闇に響く、海の音。不気味だったが、どこか安心するような不思議な響きだった。
少年は月明かりの中で、ひとつの影を見つけた。
誰かが、しゅ、しゅ、と風を切るような音を出しながら、何かを腕に当てている。シルエットからして、髪の長い女性のようだ。
少年は夜特有の好奇心に負け、その人影に近づいた。
月明かり。
夜の帳を連想させる長い髪の女性がひとり。
ガラスの破片を自らの腕に切りつけている。
滴り落ちる真っ赤な血液。
––––––––––“死者のミヤコ”だ。
少年はその女性を見て、興味本位で近づくんじゃなかったと後悔した。
大体、夜中こうして出歩く人なんて、まともな人は少ないはずだ。そのことをもっと心に留めておくべきだった。
気づかれないうちに退散しようと少年は思った。
魔女は、自傷行為に夢中で、まだ気がついてないはずだ。
少年は震える手足をなんとか動かしたが、
「誰かいるんですよね?」
と、魔女の声の方が早かった。透明なその声は、少年の体をその場に固定した。
「返事をしてください。誰かいるんですか?」
少しだけ怒りを感じられる声に、少年は間抜けな声で返事をした。
「あら、可愛らしい少年ですね。こんばんは」
「……こんばんは」
見つかったので、諦めて少年は魔女の方を向いた。
魔女も少年の方を向いていた。しかし、少年の顔や体を正確に捉えられているかどうかは謎だった。
魔女は、目に包帯を巻いていた。両目とも塞がっていて、見えているとは到底思えなかった。
「目、見えてるんですか」
「それが最初に投げる質問ですか」
くすくすと魔女は笑った。
「見えてますよ。私を誰だと思ってるんですか」
「……魔女ですよね」
「正解です。魔女なので、海もガラスも少年のことも見えてます」
「そうなんですか」
魔女は手に持っていたガラスを捨てて、少年に行った。
「退屈していたところです。話し相手になってもらえませんか」
少年は戸惑った。
人々を救済と言って、殺してまわる魔女の話相手になるなんて、馬鹿げた話だ。もしかしなくても、魔女の気まぐれ殺されてしまうだろう。
この状況に危機感を抱かない人間なんて、いるはずがなかった。
「そんなに怯えないでください。別に少年をむやみに殺しません」
「……本当ですか」
「本当です。というか、できません。夜は私の時間。魔女の時間じゃありません。それ故に、私は魔法を使えません。使えるのは、瞳に宿ってる力だけです」
「……その言葉、信じていいんですか」
「ええ、勿論です。些細な証拠ですが、私の腕を見てください」
そう言って、魔女は少年に、ガラスでズタズタに切り裂いた腕を向けた。少年の位置からだとよく見えなかったので、少年は恐る恐る近づいていく。
やっと見えるところに来て、少年は息を飲んだ。
傷が、治っていないのだ。
魔女の腕にはまだ真新しい傷がはっきりと残っていて、かすかに血も流れ出ていた。
「わかりましたか。魔法で治せないから、こうして傷が残っているんです」
「そう、みたいですね」
それでも、やはり疑うことを止めることはできない。
「そんなことより、お話をしませんか」
魔女は少年の複雑そうな顔を見て、そう言って微笑んだ。
少年はその笑みにさえ、恐怖を感じてしまい、大人しく魔女のそばに座った。
「ええと、僕は、貴女のことをなんと呼べばいいですか」
少年は震える声で、魔女を見ないで尋ねる。
「好きなように呼んでください。私は貴方のことを少年と呼びます」
魔女にそう言われ、少年は少しの間、考えた。魔女の呼び方を。
魔女、と呼ぶのは普通すぎるし、貴女や君と呼ぶのも何か違う気がした。
別に少年は呼び方にこだわってたわけではない。しかし何故だか真剣に、少年は魔女の呼び方を考えていた。
「……
「え」
「都、なんてどうでしょう」
「みや、こ?」
魔女は目を見開いて、少年を見ていた。口をわずかに開き、それ以上の言葉を発することもなかった。
「“死者のミヤコ”、そう呼ばれてるんですよね……?」
「あ、うん。人間たちが勝手につけた異名ですけど」
魔女はまだたどたどしかった。
「どうしたんですか、そんなに驚いて」
「あ、あのね。名前を当てられたみたいで、びっくりしたんです」
「名前?」
「私の、本名。都って言うの」
「……だから、死者のミヤコって呼ばれてるんですか」
「知らないけど、そんなことないと思います。私の本名を知っている人なんて、覚えてる人なんて、いるはずないです」
だから、名前の“都”じゃなくて、都市を指す“ミヤコ”だと思います、と魔女は寂しそうに言った。
そんな魔女を見て、少年は何を話していいのかわからなくなってしまう。少年は誤魔化すように、砂浜を見た。
「そんなことより、お話をしましょう、少年」
明るいトーンで、魔女は少年に語りかけてくる。
「久しぶりに人とゆっくり話すのです。聞きたいことがあります」
「なんですか」
魔女があまりにも無邪気に言うので、少年は一瞬気持ちが緩んだ。
これは魔女だ、虐殺の魔女だ。少年は自らにそう言い聞かせながら、魔女の言葉を待った。
「少年。しあわせってなんだと思いますか」
魔女の追い求める“しあわせ”。
魔女は、“しあわせ”を“死”だと認識して、人々に“しあわせ”をばらまいている。
その自分勝手な善意に、少年は恐ろしさと同時に怒りを覚えた。
「私はしあわせは、“死”だと思うのです。でも、人間にとってはそうではないのですか?」
魔女はあくまで、純粋な疑問として尋ねてくる。
「どうして、そう思うんですか」
「人間たちが私のことを忌み嫌うからです。死が、しあわせな救済であるとすれば、人間たちは喜んで死ぬはずです。でも、そうしないのです。それは、どうしてですか」
魔女はだんだんと声を荒くした。我儘を言う子供のように少年の目には映ったが、魔女はその自覚はないだろう。
ただ、わからないだけなのだ。魔女は、しあわせがわからないし、人間のことがわからない。
「都さん。質問に質問で返すことになりますが、人間ってどうして生きてると思いますか」
「わかるわけないです。だって私は魔女ですもん」
「じゃあ、都さんはどうして生きているんですか」
「しあわせを見つけるため。つまり、死ぬために生きてるの」
“しあわせ”というものに、思いを馳せながら、魔女は迷いなく言った。
「人間も一緒です」
「だったら、どうして嫌がるのですか」
「でも、人間は“生きること”に意味を見出します」
「……訳がわからないです」
少年の答えに、魔女はむっとした表情をした。何を言っているんだろう、という魔女の心情が身体中から溢れていた。
「何かをするために、人間は生きているんです。何か、生きている意味を見るけるために人間は生きているんです。そうして、恐怖の対象である“死”から、目を背けているんです」
「……人間は死が怖いんですか」
「はい」
「少年もですか」
「はい、勿論」
魔女は音を立てて、唾を飲んだ。目を見開いて、黒の占める割合が大きくなる。
「しあわせってなんだと思いますか、と都さんは聞きましたよね」
「はい。私はしあわせを探しています」
「単純なことです」
少年は目を閉じる。塩の匂いがする海風が、少年の頰に当たる。
「しあわせだ、と感じたら、しあわせなんです」
少年は胸に手を当て、穏やかな声音で言う。
「だからっ! 私はそれを探しているんです!」
そんな少年に苛立ちを隠せない魔女は、荒い声で叫ぶ。
少年の体は一瞬だけ震えたが、少年は手を握りしめて言葉を続けた。
「しあわせなんて、人それぞれです。万人に共通する“しあわせ”なんて、ありません」
「……じゃあ、少年のしあわせはなんだと言うんですか」
少年はさらに拳に力を込める。震える手を誤魔化す。
「家族と一緒に過ごすことです」
「それだけですか」
「それだけじゃ、ないです。都さんにとってはその程度でも、僕にとっては大切なことです」
少年は沢山の感情が複雑に絡み合った歪んだ顔で、魔女を見る。
魔女はその顔に思わず、どきりとしてしまう。
「都さんのしあわせは、都さんにしかわからないんです。だから、誰も力になることはできません」
そっか、と魔女は頷きながら、海を見た。今にも涙を流しそうな、吹っ切れたようなそんな顔をしながら、海を見ていた。
2人の間に、静寂が訪れる。でも、魔女も少年もそれ気にしないで、2人で海を眺めていた。
変化が訪れたのは、明け方。海から太陽が少しずつ姿を現した時だった。
魔女が口を開く。
「……少年、私に用事があるんでしょう?」
「え」
言い方が悪かったですね、そう言って魔女は少年を見る。魔女の瞳は見えないはずなのに、目力に飲み込まれそうな感覚に少年は陥った。
「少年、私を殺したいんでしょう」
少年の心臓の心拍数が、急激に上がる。手に力が思うように入らない。
「ど、どうして……」
「殺気が漏れてます。私が気がつかないとでも思いましたか?」
ひゅ、という息の音が少年から漏れる。
「私は“死者のミヤコ”ですからね。他人に殺意を抱かれるのは慣れています。でも、いつも理由はわかりません。どうしてですか?」
魔女は純粋な声音で、言う。
少年はそれを受けて、余計に殺意が高まる。
魔女が罪の意識を抱いていないことに、溺れるほどの嫌悪感を覚える。
「僕のこと、覚えてませんか」
「さあ、わかりません」
魔女の即答に、少年はぎり、と歯を鳴らす。
覚えてない、覚えてないのか。
少年の中で、思い出したくもない悲惨で、狂気的な記憶が蘇る。
あの日の恐怖を、屈辱を、怒りを、悲しみを、決意を、少年は忘れない。
「少年、提案です」
「提案、ですか?」
「私と少年、勝負をしましょう。難しい勝負ではありません」
魔女は目に巻いてある包帯を解く。
「ルールは単純です」
解いた包帯が、風になびいて飛んでいく。
「私が少年を殺すのが先か、少年が私を殺すのが先か」
そして、魔女は目を開く。
その瞳は、何色でもなかった。青と言えば、青のようだったし、赤と言えば赤のようだった。どんな色にでも見える、不思議な色。
少年はその目に魅入られそうになった。でもすぐに思い立って、自らの悲願を果たさんと、動き出した。
明け方は、魔女の“存在”が薄くなる時。魔女を比較的簡単に殺すことができるのだ。
魔女が自傷行為をしていたガラスを拾い、魔女の心臓に突き刺した。
魔女は抵抗はしなかった。だから、容易に少年は魔女に致命傷を負わせることができた。
魔女は自らの胸から出る血を見て、はっと我に返った。
「……少年、優しそうな顔をして、童貞じゃないんですね」
そして、ゆっくりと倒れていった。
魔女の瞳に宿る力。
それは“童貞殺し”だった。文字通り、童貞を殺す瞳。
「……やっぱり忘れているんですね」
少年の声に怒りはなかった。何も感じていない、言葉だけを発している声だった。
「わ、わたしは……、何を、忘れて、ると、言うんです、か」
魔女は苦しそうだった。流血は止まらなくて、意識もだんだんと遠のいているようだった。
「僕は、都さんに犯されたんですよ」
魔女は声は出さなかったものの、目を大きく開いた。
「しあわせを探しているのっと言って、僕たち家族の前に現れ、僕の家族を殺し、僕を犯したんです。覚えてませんか」
「……ああ、あの時の」
魔女は最後の声を振り絞って言った。
「あの時、犯した少年だったのね。ああ、そうか」
だから、私の名前を知っていたのか。だって、私はあの時『都』と名乗った。
だから、私に殺意を覚えたのか。だって、私は酷いことをした。
「でも、都さんは言うんでしょうね。“仕方のないこと”って」
「ええ、言います。仕方のないことです。しあわせを探すために、必要なことでした」
人を犯すこと。
人を殺すこと。
家族の前で人を殺すこと。
嫌がる少年を犯すこと。
全て、“しあわせ”を探すための、過程でしかなかった。
「でも、少しだけ思います。悪いことをしたなぁと」
魔女はそうして、穏やかな顔で息を引き取った。
“死者のミヤコ”と呼ばれた魔女は、静かに息を引き取った。
少年は、何も感じなかった。
達成感も怒りも喜びも悲しみも、何も感じなかった。
残っているのは、魔女の心臓にガラスを刺した感覚だけ。
少年は、昇ってくる太陽を見た。
無責任に輝くそれは、今の少年には眩しすぎた。
「探していたものは見つかりましたか」
魔女に言葉をかけるように、或いは独り言のように、少年は呟いた。
答えは、「はい」のような気がするし、「いいえ」のような気もする。
波が浜に押し寄せてくる。太陽はそれすらも照らしている。
少年は魔女の胸からガラスを引き抜くと、来た道を戻っていった。
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