第五章
第88話
アステリオ王国、国王であるオスカー・ゼストースの崩御から一ヵ月。世界は瞬く間に変化を遂げている。
北方に存在する軍事帝国ミズガルドはその勢力を更に増し、蛮族の如く他国へと侵攻を繰り返している。
それに波及する様に他国もまた、自身が住まう国を護る為に力を付けては戦火が巻き起こる。
今はまだ魔王という足枷があるにしても、世界の情勢は極めて不安定だ。
先のミズガルド、巨大な多宗教国家テリオン、この二つの国が起こす戦火を陰から付け狙わんとする夜の国ブラッドリー。
この三国が一点に結ばれた先に有るのは星の都ユーレリア。
今もなお最善の優しき星神であるユーレリアにより統治されているそんな都が、戦火の渦に巻き込まれんとしていた。
――――
「――――まだだ。果てなき明日へ行く為に、オレは決して止まらない」
星の都ユーレリア郊外、カラビル村内で巻き起こる巨大な戦火の中に一人の少女が雄々しく剣を構える。
その双眸に曇りなく、ただ眼前に迫る吸血鬼の王を浄滅させんが為に立ち向かう。
夜の国ブラッドリー。その全てが亜人により構成されており、吸血鬼が支配するその国は常に夜の闇に包まれているのだと言われている。
濡れ羽烏の如く黒に染まった短い頭髪。先月漸く十五歳を迎え成人した少女の体は華奢で、星光体といえどここまでの覇気を纏える筈も無く。今の今まで剣ひとつ握った事の無い少女はしかし、最強と名だたる吸血鬼を前に決してその目を逸らさない。
対峙するのはジャービス・ブラッドリー。夜の国を栄えさせたブラッドリー家の三男。悠々自適にこの村にやって来ては死骸の山を築き上げ、その白髪を血液の赤で染め上げた。長寿の怪物は齢千を越えるというのにその肌には艶があり、一切の老いを感じさせない。
「明日へ行く為に……ククっ、泣かせる事を言うではないか。いいぞ、貴様。もっと雄々しく吠えてみろ、気概があるのならば使ってやる」
即席で築かれた死骸の山を踏みつけながら、炎の中で二人は対峙する。
「――――行くぞ、化け物。貴様はここで死んでいけ」
「来るがいい、邪魔者よ。せめて鮮烈に散ってみせろ」
ここに、黒の星光と赤の吸血鬼が激突する。
カラビル村の悲劇を食い止める為に、少女は雄々しく刃を振り抜く。
――――
「レイ、起きろよ。朝だぞ」
「お~起~て~る~」
「寝てるだろ……ほら、さっさと起きなさい。ミノアちゃんと約束してるんだろ?」
時は遡り、カラビル村が戦火の渦に包まれる日の朝。
何時もの様に日が昇り、何時もの様に兄であるアッシュに起こされるレイと呼ばれた少女。
「そ~だった~~。……ああ、頭痛ぁ……」
「飲み過ぎるからだろ? だからあれだけ言ったのに」
「星光体でも二日酔いはあるんだね~~~~」
アッシュが差し出した水を手に取り、間延びした声を発しながらもぞもぞと布団から這いずり出てくる。
「アッシュー、ベーコン食べたーい」
「昨日あれだけ食べただろ……まあいいさ、幾つか残りがあったと思うし。準備するから顔洗っとけ」
「あ~~~~い」
大きな欠伸と共に返事を返し、思い切って自身のベッドから飛び出る。
「うぅ――――あぁ――――」
窓から差し込む朝日の眩しさに脳みそがガツンガツンと上下に揺さぶられる様な錯覚に陥りながらも癖毛交じりの黒髪を掻き毟る。
一つ大きく顔を叩き、一日の活力を自身の身体に叩き込む。
「――――ッシ! 覚醒完了ッ!」
気合の一声と共に兄の待つリビングへと足を運ぶ。
手際の良い包丁捌きにはためくエプロン姿。そんな何時もの光景を見ながらレイは自身の席に着く。
「おはよう義姉さん」
「おはよう、レイ。――――ふふっ、凄い跳ねてるよ?」
「いいのっ! これは地毛だからっ!」
「直してあげるから、ほら」
アッシュの妻であるミリンはその綺麗な髪を揺らしながらレイの席の後ろに立つ。
「今日はミノアと都に行くんでしょ?」
「そう。買いたい物が有るとか無いとか」
「帰って来たら井戸から水を汲んで来て貰えるかしら?」
「いいよ。夕方には帰り着くらしいんだけど」
「それでいいわ、それまでは全然足りるし」
綺麗に整った顔立ちと長い金髪。その美貌は村一番と言われている程だ。
そんなミリンを捕まえた兄のアッシュが誇らしく、新しい家族となったミリンの事がとても大切で、小さな村でレイはこれでもかという程に幸せの最中にいた。
「ほら、出来たぞ。さっさと食って行って来い」
「いふぁふぁきま~すっ!」
「食べながら話すんじゃありません」
「ふふっ、まあまあ――――」
スクランブルエッグと厚切りベーコンが同じ皿に盛り付けられ腹の虫を鳴かせるなんとも香しい匂いを発して止まない。
黄色に彩られたケチャップの赤がよく栄えており、口の中に頬張ると一瞬で溶け、食道を通り、胃の中へと吸い込まれていく。厚切りのベーコンも同様に口の中に頬り込むとこちらは中々の歯応えがあり、塩胡椒が更に食欲を掻き立てる。
「――――ふんぁ――――んんっ! ごちそーさまっ! 行って来るっ!」
「ああ、気を付けてな」
「いってらっしゃい」
名残惜しさを感じつつも手早く食事を平らげてレイは幼馴染であるミノアの元へと駆けて行く。
「相変わらず……いい食べっぷりだこと……。もう少し女の子らしくならんものかな」
「いいじゃない。あれだけ美味しそうに食べてくれる子、中々居ないわよ?」
「それもそうか……」
食器の片付けはミリンに任せ、アッシュは何時もの仕事服に身を包む。
「今日はどんな仕事?」
「変わらないよ。都に行く馬車の護衛やら、周辺の魔物の退治やら、何時も通りだ」
冒険者にして星光体であるアッシュは村からも、仲間からも頼られる存在。妻と妹の二人を支える大黒柱。
「行って来るよ。あまり遅くはならないと思うから」
「――――んん」
仕事への準備を終えたアッシュを待ち構えていたのは自身の前で目を閉じる愛しの妻の姿であった。
「うっ――――ははっ、慣れないな」
アッシュが色素の薄い黒髪を掻きながら、ミリンに合わせて少し屈む。
「――――いってきます」
優しくキスを交わしながら、夫婦の愛を確かめる様に互いの目をしっかりと見つめ合う。
「――――ええ、いってらっしゃい。あなた」
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