第85話

 ――――凍える息吹が吹き荒ぶ大地に咲く花の様に、灼熱の業火に焼かれた水底に聳え立つ樹木の様に、残酷な世界に抗う命の種火の声を私は必ず掬い取る。

 吟遊詩人は黄泉へと降り、嘆きの詩を謡うのだ。

 夢に描いた銀河の果てへ、共に行こうと誓ったあの日は決して嘘では無いのだから。

 光よ、虹よ、旭光よ、冷たく崩れた死人の躰をどうか地平へ運んで欲しい。

 拭った涙は幾星霜、地獄の柘榴を摘み取って、尊き実りよ生えるのだ。


 ――――だからどうか、祈りの詩を捧げましょう。果てなき生涯たびじをもう一度、自分の足で歩める様に。


 だからお願い、死なないで。


「『詩界星オルフェウス――夢に描いた銀河の果てへプサルテリオン響き渡るは光の竪琴アガペー』」


 ――――生という平等な権利を、不平等に振り撒く星の化身。


 ――――これが死なのか。


 何とも温かく、心地が良い。


「ニルスには……まだ早いよ」


 お前は――――ああ、そうか。かつての――――。


「戻ってあげて――――僕には君が必要だ」


 是非も無し。生と死の境界線で揺らめくだけで終われるものか。


 浮上していく意識の中で過ぎ去っていく灰色の影を振り返り、現世へと帰還を果たす。




――――


「ニルス――――おいッ! 起きろよッ!」


「――――――――」


 全身が黒く焼け焦げたニルスを治療する為に影に取り込んでいた無数の星を総動員する。


「――――アッ――――」


「喋るなッ! 大丈夫ッ! 大丈夫だからなッ!!」


 セラウスハイムからアステリオまで全速で戻ってきて、停止した時間の中で二人の光がぶつかったのを目の当たりにした。こうなった原因はオスカーなのだろうが、奴の姿は影も形も無く、世界には以前通りの夜闇が世界を照らしている。


「――――済まない。――――強くなくて……」


「馬鹿を言うなッ! お前は間違いなく最強だッ! だから――――」


「守ってやれなくて――――済まない」


 心の奥底からひび割れていく。ニルスの弱々しい声に目の奥が熱くなる。


「守りたかった――――守りたい。本当に――――」


「済まないッつったらブッ飛ばすぞッ!!」


 俺の怒号を前にニルスが僅かに手を伸ばす。黒く炭化しかけている手をしっかりと掴み上げニルスの双眸を覗き込む。


「悪いッつーなら俺の方だッ! 力があるのに何もしなくて――――それでお前が傷付いたッ! ニルスは強いから――――信頼してたから――――甘えてばっかでッ!」


 強く握る俺の手の平にニルスも熱を取り戻し強く握り返してくれる。


「いいんだ――――その信頼が、本当に嬉しかった」


 掠れた声が弱々しく放たれる。


「お前は――――お前の道を行け。その全てを肯定するから…お前は十分やってるよ。オレの誇りだ」


「そんな事を言われる筋合いなんてねぇよ……。ただ……楽だったんだ、何も考えずに敵を殺すのが。考えたくなんてないんだ……この世には白と黒しかないって思いたかっただけなんだ……」


 そいつにどれ程の過去バックボーンがあろうと知った事か。敵ならば殺す。


 楽だ、簡単だ。考えなくていいからただ口を開けて皆殺しにし続ければいいだけだ。それで嫌いな奴にはどうか苦しんで死んで欲しいと意地汚く小者の様な考えに捕らわれている。


「だから――――俺はッ!」


「それでも、大切な者達は嘘じゃないだろう」


 今までで聞いたことの無いニルスの声。優しく、心の底に響き渡る様な光の言葉。


「人とは――――元来そういうものだ。理想など無くて構わない、お前の様にただの隣人をそこまで愛せる事がオレには堪らなく羨ましくて……愛おしい」


「………………!」


「大切な人の為ならばどこまでも頑張れるお前だから……全てを以て守り抜きたいと思ったのだ」


 目が熱い、涙で視界が滲みだす。


「愛している――――大好きだ。アイルでも無い、お前の存在が、オレの唯一の誇りだよ」


 弱々しく、掠れながらも熱い声音で語ったニルスは静かに瞑目する。


「ニルスッ――――」


『こっちに乗せてっ!』


 慌ただしい電子音と共に部屋の中へと入って来たのは人一人を包み込める程の空飛ぶ鋼の箱だった。


「――――リズ……あ、ああッ!」


 鋼の救急車に乗せた箱はすぐさま方向転換しリーズヴェルトの工房内へと飛んでいく。俺もその後に追う様にしてトリスタイン城を後にする。




――――


「ニルスの容態は安定したよ。後は体力次第かな……」


 培養液で満たされた生命維持ポッドの中に様々な機械に繋がれてニルスが漂い続ける。


「ナツメも……ありがとな」


「いいんだよ、別に。それで、上で何があったのか……聞いてもいいのかな?」


『私から言うよ』


 機械の調整を終えたリーズヴェルトから今までアステリオ内で起こった一連の事件についての顛末を伝えられる。


『以上が、私の知りうる限りの事の顛末』


「ああ――――そうか」


 聞かされた真実はあまりにも残酷で、どうしようも無く心の底のひびに沁みる。


「二人に――――させてくれないか?」


 ナツメとリーズヴェルトはただ黙って俺とニルスの二人にしてくれる。


 機械の駆動音のみが響くこの部屋の中で後悔の波濤に飲み込まれる。


 力があるのに何もせず、甘えたままで惰性に過ごす。それが今回の結果だ。コーネリアに対してもそうだ。もっと心から向き合って、真剣に彼女と付き合えばこんな事にはならなかった筈だ。


 心が砕けそうな程、溢れ出すのは後悔ばかり。


 何もしてこなかった自分が厭になり、宿命の前に恐怖で足が動かない俺なんて死ねばいい。


 ニルスが漂う透明なポッドに軽く頭を寄せ付ける。


 ――――勇者? 魔王? 知った事か、俺はここで暮らすだけだ。


 ――――ふざけるなよ塵屑が。甘ったれるのもいい加減にしやがれ。


 ひび割れた心の傷を指で穿り押し広げる様に、殻を破り、俺は前へと進まなければならない。


 こんな俺でもニルスが誇りに思ってくれたんだ。だったら、もっとカッコいい俺の姿を見せてやりたい。こんな自分を、誇りに思ってくれたニルスに少しでも報いる様に――――。


「ありがとう、ニルス。俺、頑張ってみるから。今はゆっくり休んでくれ」


 ――――堕落りそうを捨て去り、幽界じごくに挑もう。それが俺の宿命だ。


 最後に瞳を閉じるニルスの顔をこの腐った両目に焼き付けて、俺は部屋を後にする。




――――


「お前だろ? ニルスを助けてくれたのは」


 何も無い灰色にくすんだ空間の主に声を掛ける。


「やっと――――会えたね」


「……時間が掛かった……悪いな。……それと、ありがとう」


 灰を固めた玉座に座る輪郭が朧気な少年の傍に座り礼を言う。


「いいんだ、ニルスの事は好きだし……君に暗い顔をして欲しくなかったから」


 俺の体の輪郭が形を保てずに灰の領域に溶けていく。


「長居は出来ねぇか……。やっぱり、宿命からは逃げられないって奴か?」


「そうだね……。 どうしても、マオと戦う必要があるみたいだ」


「なるほどね」


 溜め息と共に自身がこの世界から乖離される感覚に襲われる。


「ちっ、もうかよ」


「もう少し向こうで頑張ってみて? 僕も干渉してみるから」


「ああ、後で話そう――――おっと、そうだ。名前はなんて呼べばいい? やっぱりアイルって呼んだ方がいいのか?」


 灰色の少年は薄く笑い、立ち上がる。


「いいさ、流石に十二年も連れ添った名前を奪う気はないよ」


 顎に手を当て思案に更ける少年。


「そうだね――――吟遊詩人オルフェウスとでも呼んでくれればいいよ。名前なんて、ただの記号だろ?」


「ハハ、耳が痛え」


 その言葉を最後に俺の意識は現世へと引き摺り戻される。

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