第2話 鬼を望む少女

 野木由香里にとって自分の住む都会の駒鳥地区から郊外の平野地区に行くには大冒険であった。

 小学校の授業で図書館に行ったとき、古い児童書を見つけた。

 周りの子が恐竜や童話に読みふけっている中、由香里は食い入るように古びた児童書を読んだ。

 難しい言葉はなく平たい言葉で鬼が豊原県に住みついた理由を丁寧に書いてあった。

 最後の数ページは『親御様へ』という保護者向けの解説になっていた。

 その中に『平野寺』と言うものが写真と共に出てきた。

 そこに鬼が住んでいると思った。

 写真の下に行き方が書いてあった。

 分からない漢字は担任に聞いた。

 担任は、まさか、一人で行くとは思っていなかった。

 運動会の翌日。

 彼女は両親が共働きなのを利用し、家の戸締りをしっかりして玄関の鍵をかけた。

携帯できる防犯用ベル、喉が乾かないように水筒、鬼へのお土産として台所にあったお煎餅、それらを入れたリュックサックを背負い、歩きやすいようにズボンと山を歩くので少し厚手のセーターを着て由香里は歩きだした。

Suicaで自動改札を出て【ほだいら線】に乗り、終点の鹿乃戸駅に着く。

約一時半、電車に揺られたが、電車から降りて驚いた。

あれだけ、人が多く、多くのビル群だったのに、今、降りた駅にはそれらはなかった。

眼の前に商店街があるが年配者が多い。

 Suicaを使い駅を出て、商店街を歩く。

 普段、親がスーパーやデパートなどで買い物をするとき同伴しているが、商店街は初めてだ。

 魚屋や肉屋、八百屋は客の呼び込みをし、客は品定めをし店主と雑談など話している。

 他にも本屋、パン屋、喫茶店などもある。

 面白いのは専門店があるとこだ。

 豆などの扱っている店、米屋なども興味深い。

 珍しそうにのんびり歩いていたが、案外、誰も彼女に気を留めなかった。

 誰かのおつかいについてきた子ども、この程度の認識であった。

 ここからはバスで行くのだが、空いた口がふさがらなかった。

 本数が少ない。

 二時間に一本、四時間で二本ほどほぼ白い。

 だが、幸い、彼女の前にバスが止まった。

『平野行き』

 少女は入口のチケットを取ってバスに乗った。

 車窓からの風景はどんどん、自分の住んでいた町とは違って見えてくる。

 広い田んぼや畑以外、民家もまばらだ。

「終点、平野。平野」

 アナウンスで由香里は自分が目的地に着いたことを知った。

 お金を払い、外に出ると、そこは数台のバスとタクシーがあった。

『星ノ宮観光』の営業所である。

 さすがに、ここまで女の子一人ということに不審に思った運転手が聞いた。

「君、どうしたの?」

「平野寺に行きたいんです」

「平野寺? そりゃ、また何で?」

「お願い事があるから」

「ここから結構歩くよ」

「知っています」

 少女には確固たる意志があった。

 しかし、大人にとっては不安だ。

「じゃあ、俺が道案内しようか?」

 そこに一人のタクシー運転手がやってきた。

 バスの運転手が聞いた。

「お前、今日は午前上がりだろう?」

「いいよ、どうせ、家に帰っても酒飲んで寝るだけだから……」

 そう手を振ってタクシー運転手が由香里を見た。

「バスのおじさんも行っていたが、道を二キロほど登るぞ? 大丈夫か?」

「大丈夫です」

 タクシー運転手は、その言葉を聞いて絞めていたネクタイを外した。

「わかった。じゃあ、俺と一緒に行こう」


 由香里は『二キロ』を甘く見ていた。

 それも『登り』を彼女は甘く見ていた。

 坂は思ったよりも急で曲がりくねっている。

 春先だが、ほんのり汗をかく。

 時々吹く風が気持ちいい。

「ほら、見てごらん」

 同行したタクシー運転手が指を指す方向を見ると海が見えた。

 太平洋だ。

「あと、もうちょっとだから、頑張ろう」

 先を行くタクシー運転手も少し疲れているようだ。

 寺は山の頂上にあった。

 急な石段を上り、境内についた時。

 自分のいた街はとても離れて小さく見えた。

 風が体の熱さを冷ましてくれる。

 タクシー運転手もブラウスのボタン、上数個を外した。

「久々に登ったが、いいものだな」

 由香里は頷く。

「お、珍しい。その嬢ちゃんは誰だい?」

 声がかかる。

 そうだ。

 ここは、鬼の棲む場所なのだ。

 思わず、タクシー運転手のズボンにしがみつく。

 木々の木洩れ日から出てきたのは鬼ではなかった。

 茶色の開襟シャツに、ズボン、下駄を履いた老人が竹箒を片手に出てきた。

「どうも、お久しぶりです」

 タクシー運転手は気軽に片手を上げる。

「おう……って、この娘さんは?」

 老人も残っている手を上げて挨拶とし、由香里を見た。

「あー、『この寺に行きたい』って街から来たお客さんだよ」

「へえ、珍しい……何でここに来たの?」

 老人は優しく聞いた。

 だが、由香里は迷った。

 馬鹿にされるだろうか?

 怒られるだろうか?

 でも、その為に来たのだ。

 今更引き返せない。

 由香里は大声で言った。

「鬼に会いに来ました‼‼」

 老人たちの反応は、怒るでも馬鹿にするでもなかった。

 目を点にしていた。

 少しして老人が言った。

「『鬼』なんてよく知っているね……そろそろ、おやつ時だから一回下にある俺の家に行って話を聞かせてくれないかな? お茶菓子も出すよ」

 由香里はタクシー運転手から手を放さない。

「俺も、同伴していいですか?」

「いいよ、おいで」


 老人の家は、寺の坂を下って十分ほど歩いたところにあった。

 行きの時は、気が付かなかったが立派な門構えで白玉砂利の庭に二階建ての武家屋敷があった。

 縁側では一人のスーツを着た男が細々と何かをしている。

 何かを熱心に組み立てているようだ。

「ただいまぁ」

 老人が声をかけた。

「おかえりなさい」

 組み立てていた男が顔を上げた。

「その玩具……じゃなかった、ガンプラ出来た?」

「ええ、おおよそは……というか、人、増えていませんか?」

「道すがらあった知り合いだ……とりあえず、居間に上がり給え」

 そういうと老人は縁側と右にある横の間口から家に入った。


 居間は縁側の奥にあり二十畳ほどあり広かった。

 そこに一本木で出来た卓があり、部屋の隅に仏壇とテレビがある。

 純和風の中でテレビだけが異彩を放つ。

「はい、おやつにどうぞ」

 老人はお盆に人数分の皿に盛った羊羹とガラスのコップに入った麦茶を出した。

 由香里は思わず、喉が渇いていたのですぐに飲んだ。

 美味かった。

 でも、誰も手を出さないことに、すぐに気が付いた。

「いただきます」

 老人が言うと、スーツを着た男とタクシー運転手も「いただきます」と言って羊羹を食べ、麦茶を飲んだ。

『いただきますを言うのを忘れた』

 由香里は慌てて「いただきます」と言った。

 その様子に老人が軽く笑ったように見えた。

 楊枝で切って指して食べた深い紫色をした羊羹も美味かった。

 小豆のいい香りに程よい甘さがいい。

 すぐに食べ終えた。

「で、お嬢さん。名前は? 俺は、平野平春平。この家の主で、あの寺の守っている」

 老人が名乗り問う。

 由香里は老人を見た。

 怖そうに見えるが、話すと普通だ。

「私は野木由香里です」

「じゃあ、由香里ちゃん。君は鬼に会ってどうしたいの?」

 春平の問いに由香里は口ごもった。

 本当の目的を言ったらどういう反応をするだろう?

 気のいいタクシー運転手も、プラモを作っていたスーツの人も怒鳴るかもしれない。

 怒るかもしれない。

 それが怖かった。

 実際、親の前で行ったとき、親は泣きながら彼女を叱った。

 理由が分からなかった。

 何で怒られるのか分からないと、自己否定されたような気になる。

 老人は言った。

「じゃあ、俺と一緒に道場に来なさい。二人だけで話そう」

「俺、帰っていいですか?」

 タクシー運転手が手を上げる。

「おう、ご苦労様。好きなタイミングで帰っていいぞ」

 そう言いながら春平は立ち上がった。


 案内されたのは併設されている道場であった。

 普通、道場と聞くと上座があり作法に煩そうだが、そこは上座らしき場所に神棚があるだけの床であった。

 だが、綺麗に掃除されている。

 老人、春平は履いていた下駄を脱いで道場に入る。

「さ、お入り」

 由香里も靴を脱いで中に入った。

 壁の近くに無双窓があり日の光は入るが、どこか薄暗い。

「座布団が無いんだ。好きに座っていいよ」

 そういうと春平は床の真ん中に胡坐をかいて座った。

 自分の教室より少し大きい道場に戸惑いながらも由香里は春平と向かい合うように座った。

 座って気がついた。

 確かに道場は隅まで綺麗にされているが床を見ると小さな点のようなものやえぐり取られるところがある。

 目立ってはいないがよく見ると所々ある。

 それから、静かだ。

 二人きりで黙っているのだからそうなのだが、圧力を感じるのだ。

 体全体にかかる圧。

「由香里ちゃん、鬼に会ってどうするの?」

 居間と同じ問いを春平はした。

「ここには、俺と君しかいないから言いなさい」

 由香里は小さく、言った。

「お姉ちゃんを殺した奴を殺したいの」

 物騒な言葉に春平は目を見開いた。

 そこから色々な思いが色鮮やかに思い出した。

「殺された? どうしたの?」

 春平の問いに由香里は答えた。

「お姉ちゃん、男の人に悪戯されてショックで電車に飛び込んだの……去年……」

 そこから色々な思いが色鮮やかに思い出した。

 

 その日、姉は中学時代の同級生と同窓会に行っていた。

 だが、三次会まで飲み、彼女は「明日の仕事があるから」とバーを出た。

 普段は自制をする姉であったが、気分がよかったのだろう、少し長居しすぎた。

 彼女は終電に間に合わせるために裏道を使った。

 そこで男に犯された。

 精神的ショックになったのか、その後の足どりは不明であった。

 姉、野木葵は電車への投身自殺をする。

 家族と婚約者が警察に呼び出され駆け付けた時、そこには美しい無残に縫い合わされ辛うじて人間の体を保っている葵の姿があった。

 家族も婚約者も泣いた。

 一週間後、犯した犯人が見つかった。

 だが、警察は報告しただけだ。

 理由は容疑者が知的障害を持っていること、示談金などを用意しているなどを警察が説明した。

 大人の難しい話は分からなかったが、由香里は悔しいと思った。

 その時、思い出したのだ。

 いつか、図書館で読んだ『鬼』の存在を……


 語り終えて、再び沈黙が下りた。

 春平は黙っていた。

『怒られるのかな?』

 由香里は内心、怯えていた。

「じゃあ、相手、この場合犯人を鬼が殺して君はどうしたい?」

 予想外の質問だった。

 再び言い淀む由香里。

 その姿を春平は叱責もしなければ笑いもしなかった。

「私は……お姉ちゃんが殺されて悔しくって……」

 まだ十歳に満たない子供である。

 自分の感情を相手に伝えるのには慣れていない。

 それでも、少女は必死で自分の感情を伝えようとした。

「それに、『障碍者』だからって誰かを殺していいことにはならない……」

 由香里の脳は混乱しそうになっていた。

 怒られる恐怖。

 上手く感情が伝えられない歯がゆさ。

 家族を殺された怒り。

 しばらく、沈黙が続いた。

 腕を組んで聞いていた春平が顔を上げた。

「よく、ちゃんと話せたね」

 意外なことを誉めた。

「ここには、君みたいな子供も武術を習いに来るんだけど、男の子が多いせいかなぁ? 一度癇癪を起すとビービー泣くし、喚くし……よく頑張ったね」

 この言葉に由香里は涙が出そうになったが堪えた。

「ただ、誤解をしてほしくないのは『障碍者』全てが社会や健常者に対して危害を加えるわけではない。実際、この道場にも精神障碍者と呼ばれる人が時々来ることがある。まあ、ここは一切の差別をしていないから大抵は来なくなる人もいるけど、中には周りと何とかコミュニケーションを取って来ている人もいる」

「そうなんですか?」

 春平は頷いた。

「今は『発達障害』とか『自閉症スペクトラム障害』とか言うのかな? 知的障害などはないが、そういう奴らなんて、ここじゃあわんさかいる。俺の息子や孫だって検査をしたら、そうなるかも知れない。だから、十把一絡げにしないで欲しいな」

 由香里は黙っている。

「まあ、俺からの注意はこれぐらいだ」

「じゃあ、『鬼』に会わせてくれるんですか?」

 春平は苦く笑った。

「やっぱり、殺したいよなぁ……」

 と、由香里に疑問が沸いた。

「春平さんと鬼の関係って何ですか?」

「まあ、昔、縁あって、鬼の棲む寺を守ることになったんだ」

 春平が説明する。

「なぜそうなったかを調べているのが俺のライフワークね」

 由香里は問う。

「鬼に会ったことありますか? どうしたら、会えますか?」

 秋水はしばし黙った。

 約一分して意外な答えを出した。

「会ったこともある……」

「何か生贄を……」

「生贄は欲していなかったが、最近だと『唐揚げ乗せカレーを食べたい』とごねていたな」

「か……唐揚げ? あの、鶏肉の?」

「そう、その唐揚げ」

 鬼は大分庶民的な味覚の持ち主のようだ。

「で……でも、山いっぱい……」

「そんな量ならニュースになるだろ? まあ、三人前ぐらいは平気で平らげるが、それ以上は無理だろうなぁ」

 鬼のイメージがだんだんおかしくなってきた。

 それを見透かしたように春平は言った。

「何も、鬼は絵本のような鬼ばかりじゃないさ。でも、断言できる。比喩表現ではなく、鬼はいる」

 老人の断言に由香里は無意識で生唾を飲み込んだ。

「じゃあ、会わせてください!」

「会って敵討ちをするのかい?」

 少女は大きく首を縦に振った。

 決意は固いようだ。

「鬼に会ってお姉ちゃんの仇を討ちたいんです!」

 再び考え込む春平。

「じゃあ、何を用意する?」

「え? 鬼ってカレーライスとかで……」

「それは、俺との関係だから成り立つ話だし、俺自身は鬼に対して何の頼み事もしていない」

 由香里は唇を噛み締めた。

「やっぱり、生贄が必要なんですか?」

「そんなものは、いらない。でも、必要なものは一つある」

「?」

「覚悟だ」

「覚悟?」

「そう、その願いを叶えるために殺す覚悟がいる」

 由香里は変な気持ちになった。

 大人ならば『矛盾』とも呼ぶ、何とも言い難い複雑な気持ちが胸に渦巻いた。

「仏に会ったら仏を殺せ、祖に会ったら祖を殺せ」

 春平は俯く少女に言葉をかけた。

「え?」

「この言葉は何も『人を殺せ』というわけじゃない。『それを超えていけ』ということだ……君は、悔しさと悲しみの中にいる。それを君の姉さんは望んだだろうか?」

「分からない……でも、世の中の人は障碍者の人に対して甘いよ。普通なら逮捕されて刑務所に入るのに何で、今でも普通に生活しているの!?」

 今度は春平が黙った。

「正義は誰でもなれる。しかし、その正義がいつまでも自分の味方になるとは限らない」

 少しして自分から春平は語りだした。

「君の気持ちは理解できるが、全く知らない赤の他人からしたらどうだろう? もっと言えば、君自身、日々のニュースで同じような事件があっても無関心ではなかったかな?」

 口調こそ優しいが、その指摘に由香里はドキリっとした。

 確かに、そうだ。

 もしも、これが自分と関係ない場合は無視していたであろう。

 だんだん、涙が出てきた。

 老人は変に慰めや怒りをしなかった。

 黙って見守っていた。

「あのぉ、すいません」

 そこに声がかかる。

 驚く二人。

 一礼して道場に入ってきたのはガンプラを作っていた男だ。

「猪口?」

 老人が呼ぶ。

「帰りの挨拶をしようとしたら、お話が聞こえてきたので……全部は聞いていませんし、誰も言いません」

 それでも、由香里は警戒した。

「大丈夫、この男は警察官だ。秘密を守ることだけには長けている」

 そう言って春平はニヤリっと男を見た。

 男は四角い顔を苦く歪ませた。

 それから、咳払いをして少女に言った。

「実は、今度、その障害者のところに行くんだ。特別にだけど、君もこのお爺ちゃんと一緒に来るといい」

 男の言葉に今度は春平が苦笑した。

「いい……んですか?」

 由香里は恐る恐る聞く。

「本当はダメだよ。警察にもルールというものがある。でも、この意地悪なお爺ちゃんと面と向かって戦ったんだ。そのご褒美だよ」

「あ、ありがとうございます」

 頭を下げる由香里。

「でも、君の名前などは嘘の名前で呼ぶ。そうしないと、色々面倒だからね。あとは俺たちに任せて」

 そう言って猪口と呼ばれた男は胸を叩いた。

「再来週の日曜日の午前十一時。星ノ宮駅の『コロン』という喫茶店の前で……」

「待ってください! 紙に書かないと……」

 突然のことに混乱する由香里に秋水が言った。

「そうだ、テレビ台の下にメモ用紙と鉛筆があるから持ってくるといい」

「はい!」

 春平の言葉に由香里は立ち上がり道場を出て靴を履いて屋敷に向かった。

「……いい子ですね」

 猪口が言う。

「しかし、いいのか? 警部補で課長とはいえ、警察官の一存で……」

 春平の言葉に対して猪口は平然と言った。

「自分は色々なところに『人脈』と『貸し・借り』があります。これを上手に使えば、結構、色々な事が出来るんですよ」

 しばしの沈黙。

「あの娘を知っているのか?」

「ええ、少々……『秘密を守ることだけには長けている』人間なもので秘密ですが以前、一回だけ彼女を見かけたことがあります」

 猪口の言葉に春平は苦笑した。

「お前、子供の頃から粘着質だったねぇ」

「ええ、何処かの誰かさんのせいで、そりゃあもう、粘着質になりましたよ。おかげで、こうしているわけです」

 ニヤリっと笑う猪口。

「……で、相手は誰だね?」

 呆れながら春平は問う。

「基本的にはノーコメントですが、ネットを見ていないでしょうから、特別に情報を出します。玉田って政治家を知っていますか?」

「……星ノ宮の出か?」

「はい」

 猪口は続けた。

「野党第一党の連民党で豊原県連の要職についています。元々は東京では無所属。立候補していたのですが、不祥事で数年間は沈黙。その後、星ノ宮にやってきて連民党から今度は名簿順で当選します」

「選挙区は何処だ?」

「朝松市です……」

「あそこは、ほとんど極左の三協党の地盤だろう」

「だから、少しでも中央寄りの連民党に投票した人が多かったんですよ」

「ふうん……で、数年間も沈黙した不祥事ってのは何だ?」

「SNSにある殺人事件の容疑者を擁護したことによる炎上です」

 いつの間にか猪口が由香里の代わりに春平の前に座っていた。

「どんな事件だ?」

「精神障碍者による親子殺傷です」

 春平は目を細めた。

「自分の息子と同じ境遇の障碍者を守った気になっていたのだろうな……」

 猪口は困ったように頭の後ろを掻いた。

「正直、警察も手を焼いています」

「と、言うと?」

 ますます困ったように猪口は手を組んだ。

「自分もこんなことを口にはしたくないですが、あの玉田という男、というか家族ですね。『障碍者特権』を我が物顔で使っていましてね。母親も地域の障碍者団体の役員ですから、息子のことなどで注意でもしそうなものなら『障碍者差別だ』と叫んで裁判所に行くんですよ」

「おいおい……」

「ほとんど、クレーマーですよ」

 心配そうに見る恩師に弟子は答えた。

「まあ、最近は有能な部下を使って対応していたので向こうも無茶は言わなくなりましたが、それでも、まさか強姦をしたときには、自分もあの娘と同じような気持ちになりましたよ」

 一息ついて正座した足の上に置いた手を握った。

「『障碍者だからって何をしても許されるなんて甘えるな!!』」

 余りの迫力に、さすがに春平も少し上半身を反らせた。

「そ……それで、向こうの反応はどうだ?」

「反応?」

「息子があれだけのことをしたんだ、反省させるなり、詫びるなりあるだろうよ」

 その言葉に猪口は苦笑した。

「ありませんよ……それどころか、『女性が夜道を歩くのが悪い』とか逆ギレしましてね」

 普段、温厚な弟子の怒りを秘めた声に春平も少し息を飲んだ。

「一応は、謝罪しましたけど、支援者の前じゃ『自分こそが被害者だ』と言っています」

「話の流れでついていくことにはしたが、正解だったな」

 春平は頷く。

 そこに由香里が現れた。

「メモ帳、持ってきました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る