イーリイ家の主

 継続する腕の痛みすら忘れて桜庭が状況を理解しようと情報を整理する。


 目の前にいるのは、ひよこのように小柄で可愛い金色の羽毛に包まれた鳥。手ですくえばそれはふわふわの触り心地ごこちであるというのは遠目に見てもわかるだろう。

 しかし今の桜庭が知りたい情報はそんな見た目的な問題ではない。この鳥が忽然こつぜんと消えたサンディであるのか、そうでないのか。その真実であった。


 そう彼がまとまらない思考を巡らせていると。

 屋敷の外から聞き覚えのない女の声が、カツリとヒールが石畳を鳴らす音とともにその場にいた者たちの耳にとどく。


「帰って早々犬がうるさいから来てみれば……貴方たち、ここがナタリア・イーリイの所有する屋敷であるということをご存じなくて?」


 声の主――ナタリアは姿を現すと、慌てたようにピィピィと鳴く小鳥を掴みあげて腰に装備していた鞭を地面に一回打ちつけた。

 すると彼女の前に三十センチほどの銀色の鳥籠が現れ、小鳥は乱暴にその中へと詰めこまれる。小鳥は「せめてもっと丁重ていちょうにあつかえ!」と言うかのようにバタバタと羽ばたこうとしていたが、一度鳥籠を叩かれると小さく「ピィ……」とだけ鳴いてそれからは静かになった。


「クロード。牢から逃げだしたのはこの二人で間違いないのね?」


「うん。そうだよぉ、ご主人様」


 ナタリアのかたわらでそう答えるクロードは牢屋で会った時よりもにこやかな表情をしていて、尻尾をブンブンと振りながら彼女の動向を見守っている。

 いつの間にか屋敷の外へと出ていたクロードであったが、ミーシャが出入りできる小さな扉があるように、犬の姿になることのできる彼の抜け道も屋敷の中にあるのだろう。


 ナタリアは小鳥の入った鳥籠をクロードに預けると、動けずに固まったままの桜庭の前まで歩み寄った。


「悪いけれど、貴方も鳥籠に入れさせてもらうわ。そろそろこの場所で監禁を繰り返しているのも警察にバレそうだし……マホウツカイもかなり集まってきたから貴方が記念すべき最後の生贄」


「お前……ッ、なんのためにマホウツカイなんて集めているんだ。一体なにが目的なんだ……!」


 腕の痛みに耐えつつも桜庭がナタリアを睨みつける。

 しかし彼女はそれを鼻で笑って一蹴いっしゅうすると、桜庭の口をふさぐように顎を掴んだ。


「なにって、貴方みたいなモルモットにそう簡単に教えるわけがないでしょう? どうせ後で嫌というほど思い知ることになるんですもの」


「ッ!」


 ナタリアの翠色の瞳がベージュ色に変化をする。それはマホウツカイがマホウを使ったということを証明する合図。


 それが分かった途端、桜庭の全身をゾクリとした悪寒のような震えが駆け巡った。

 身体の芯から作りかえられるような、内臓を吐きだしたくなる感覚。気持ちが悪い。変わりたくない。変えられたくない。そんな感情が激しい動悸どうきとともにぐるぐると渦をまく。

 やがてドクリと心臓が脈打ち、桜庭の身体に変化が訪れる――はずだった。


「――はっ、なん、だ……?」


 それまで感じていた気持ち悪い感覚が消え、また左腕の痛みだけが蘇る。


「貴方……どうして人間のまま形をたもっているの?」


 驚いたナタリアが思わず問いかける。

 彼女の反応を見るからにどうやらこれは想定外の事態のようで、桜庭の腕を顎で拘束したままのミーシャも動揺したのかほんの少しだけ噛む力が緩む。


 ――もしかして今の……前にオズがくれた宝石の力なのか? 確か悪いマホウから身を守ることができるって……


 ふと胸元に輝くエメラルドのネックレスの存在を思いだした桜庭であったが、もちろんそのことをナタリアたちが知ることなどないわけで。


「まさか、マホウを弾くマホウでも使えるというわけ?」


「ちがうよご主人様ぁ。その人ただの人間なんだって。マホウツカイじゃないんだよ」


「マホウツカイじゃない?」


 クロードの言葉を聞いたナタリアの眉間の皺が深まる。


「それならなおさら意味が分からないわね。……でも、ただの人間なら別にもう用はないわ。資金はもう集まっているし、マホウが効かない人間なんて気味悪がって買い手もつかないもの」


 そして彼女は命令を下した。


「ミーシャ、そのままソイツの腕を噛みちぎってしまいなさい。その後は貴女の好きにしていいから」


「ふぁい、ごしゅじんさまぁ」


「あぁ!?」


 噛みつくミーシャの顎の力がそれまでとは比べ物にならないほどに強くなり、尖った牙が桜庭の腕を食いちぎらんとする勢いで彼の肌を突き破る。

 本当に噛みちぎられるのは時間の問題だろう。

 熱くなる左腕とは正反対に頭の先からつま先までが冷えきってしまうような感覚。


 彼の頭をよぎるのは後悔であった。


 ――俺があの時オズから目を離さなければ。無理にでもミーシャを押しのけてサンディと脱出していれば。小さな扉の存在に気がついていれば。俺が、ただの人間ではなくマホウツカイだったら……


 左腕がメキリと音を立てる。

 あまりの痛みで目の前が暗くなってきた桜庭は床へと崩れ落ちそうになる――が、その彼の意識を繋ぎとめたのは頭上から予告なしに聞こえた爆発音であった。

 瓦礫がれきが崩れるとともに、そこに現れた二つの人影のうち一つが呟く。


「……あぁ、やっと見つけた」

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