君と僕の世界救済への第一歩

 オズワルドのさも当然と言うかのように放たれた言葉に、桜庭の疑問は一気に増していた。


「まてまて、話が急に飛びすぎだ。世界を救う仕事? なんで? ただの平々凡々な作家の俺が? おかしいだろ」


 桜庭が不審そうに眉をひそめて問いかけるが、オズワルドは気にも止めずに出会った時と同じく大仰おおぎょうに両腕を広げてみせた。


「おかしくなんてないよ。なにせ君は、光栄なことに、この世界のすべてを書きとめるためのに選ばれたんだ。人間、文化、風景、事件、その他の他愛もない日常のアレコレ……そういったものをその目で見て、感じて、記録する! そうすればこの世界は救われるのさ」


「……は?」


「おや、意味が分からなかったかな?」


「いや、そのとおりなんだけど。記録して世界を救うって言われてもいまいちピンとこなくて……」


「そんなもの簡単さ! 君の。この二つが……いや、四つか。これらさえあれば、それだけで十分だからね。あー……でも、君が作家ならば物語形式でバックアップにしてくれるのもありだなぁ。できれば少し誇張こちょうした表現で。それならば僕も楽しめるからね。うん」


 そういうことを聞いているのではない。

 それにそうは言われても、やっぱり意味が分からない。桜庭がはじめに抱いた感想がそれであった。

 まず世界を記録するということがイコール、世界を救うということになる理由が分からない。

 普通であれば世界を救うなんてたいそれたこと、世界を我が物にしている悪者を倒すというオヤクソクの展開があるのだ。しかし、そうではない。

 また二つ目に、仮にそれで世界が救えるのだとしてもなぜ、自分が選ばれたのか。

 桜庭はオズワルドのようにすごい力を持っているわけでも、特別な功績を残しているわけでもない。それは現実世界であっても、この夢の中の世界であっても同じことで。


 ――あれ、まてよ。現実の世界……? 夢の中の世界……?


 そこで桜庭はふと、今の自分のおかれた状況を思いだす。

 この世界は眠っている自分の夢の中の世界で、明晰夢めいせきむ。さらには都合のいいことに自分好みの怪物や魔法使いのようなキャラクターの登場する、ファンタジックな夢なのだ。

 それならば先ほどの怪物との追いかけっこも、はかったようなタイミングで助けられたことも、自分が謎の救世主であるということも、すべて納得することができる。


「あぁ、なるほど。そういうの夢なんだなぁ。これ」


「夢? ……あぁ、はは。そうだね。そういうなのさ」


 オズワルドは少し困惑した顔で頭にハテナマークを浮かべたが、またすぐにヘラリと笑って桜庭の言葉を肯定する。

 彼はパチリと指を鳴らすと、自分と桜庭の足元に風をまとわせ、二人の身体を宙に浮かせた。

 突然の浮遊感に桜庭は落下するのではないかと肝を冷やしたものの、ほとんど見えもしないその風の絨毯じゅうたんは、懸念けねんに反してしっかりと彼の両足を支えていた。


「それじゃあ先生。ここもじきに警察が来て騒がしくなるだろうし……とりあえずは場所を移動しようか。詳しいことはそっちで話そう」


「移動? 移動ってどこへ」


 初めての空中移動に少なからず興奮を覚えつつ、桜庭が問いかける。


「ははっ、おかしなことを言うんだね。決まっているじゃあないか。君がこれから働く僕の事務所――異変解決屋『グランデ・マーゴ』だよ」


 まだ桜庭が了解をしていないにも関わらず、まるで決定事項かのようにオズワルドはそう告げた。


「異変、解決屋……? 君の事務所……?」


「そう。詳しいことは着いたら話すからさ。まぁ、それまでは楽しい空の散歩でも楽しんでくれよ。……あぁ、それと」


 桜庭の一歩前を浮かぶオズワルドが振り返る。

 その瞳――エメラルドグリーンの宝石のように輝く瞳は、なぜだろうか。彼の楽しげな声音とは反対に、桜庭のことを静かに見つめていた。


「すっかり大事なことを言い忘れていたよ。あらかじめ注意しておくが、この世界で君がしてはいけないことは二つ。一つは勝手に。そしてもう一つは―― だ」


「ッ――」


 その瞳に射抜かれたとたん、桜庭の全身を悪寒のような震えが走った。心臓が大きくドクリ、と脈うつのを嫌でも感じる。


 ――なんだ、この首を締めつけられたみたいな感覚……うまく息ができない。本当に、これは夢……なんだよな?


 彼の直感がなにかおかしいと……そう告げている。

 やはり、この夢はどこか普通ではない。先ほどまでは楽観視して夢物語だと聞いていた話が、急に現実味をおびはじめる。

 そもそも夢の中で痛みを感じることや、匂いや感触――五感を感じること自体がおかしいのだ。


 ――まてよ。夢なら、明晰夢めいせきむなら……もしかしたら自力で覚めることができるかもしれない。


 たしかにこれは夢にまで見た、むしろ現在進行形で夢に見ている憧れた非日常の世界。

 しかしオズワルドの言い方はどうにも不穏で。この夢からは逃がさないと……そんなことを遠回しに言われたように聞こえたのだ。

 このままでは、なにかとんでもないことに巻きこまれるのではないか。今目覚めなければ、きっとこれからの自分の人生が変わってしまうのではないか……。そんな、根拠もない確信予感がした。


 ――帰らないと。


「夢なら……」


 ――夢なら覚めてくれ……!


 目をつむり、いっそう強く願う。

 願って、願って、願って……。あぁ、悲しきかな。それでも夢は、桜庭を現実へと帰してはくれなかった。

 ゆっくりと桜庭はまぶたを開く。彼が声にはださずとも、目の前のオズワルドは、すべてを見透かしたかのようにニヤニヤと笑っていた。


「残念だけれど、覚めないよ。だって君は……世界を救うまで帰ることは許されない。いや、僕が許さない。待ちに待った、この世界の新しいなんだからさ」


覚めない帰れない……?」


 それは、桜庭の思い描いていた空想が現実へと切り替わった瞬間で。

 楽しい夢を見るだけ見たならばあとは好きに起きよう、などというご都合主義ははじめから用意されてはいなかったのである。


「……はは、なるほど。こりゃあ大長編な夢になりそうだ」


 そう、笑うしかないだろう。笑う以外になにがある。

 実に滑稽だ。まさか作家である桜庭自分が、まさかまさか自身の空想に溺れるだなんて。

 嗚呼、なんてお笑い草!


 信じられないが、これは現実に起きた夢の話。

 こうして桜庭の夢の世界による記録係としての暮らし世界救済への道は、不穏な風の歓迎とともにその一歩を踏みだしたのだった。

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