アナタは酷くて優しい人

《森の中央――御神木の根元》


 ちょうどオズワルドがワンマンショーを始めていた頃。

 御神木の根元にて、桜庭、ダリル、エマの三人は、地中から伸びた規格外の根が外へ流れていくのをただ唖然あぜんとして見つめていた。

 このろくに空も見えない鬱蒼とした森の中では、いくらオズワルドが目覚しい活躍をしていたとしても確認することはできない。

 あの波の終着点でなにが起こっているのかなど、誰も知るよしはないのだ。


 ――村が……みんなが危ない……!


 はじめに動きだしたのはエマで、彼女はいてもたってもいられずにとっさに村の方へと駆けだそうとする。

 しかし、去りゆくその腕をダリルが掴んだ。


「待って。どこに行こうってんですか」


「だって、フォイユ村が……!」


「アンタが行ってなんとかなるんです?」


「それは……」


 ダリルの言葉にエマが口をつぐむ。彼女自身、分かってはいるのだ。自分が向かったところで、なにができるわけでもないのだと。

 その様子を見てダリルは息をつくと、彼女の頭に手を置き、なだめるようにポンポンと叩く。


「村が心配なのは分かりますけど、あっちはきっと大丈夫。そのために不本意ながら保険だって置いてきたんですから」


「ダリルの言うとおりだよ、エマ。村にはオズがいる。アイツ……お腹が痛いとかあんなこと言ってたけどさ。この状況になることを予測していたみたいなんだ。その上で一人で残ることを選んだってなら、今は彼に賭けてみてもいいんじゃないかな」


「で、でも……」


 桜庭の安心させるような声音を聞いてもなお、エマは不安そうにダリルに視線をなげかけた。

 それもそうだろう。あきらかにこの状況は普通に対処できるものではない。それこそ、並大抵のマホウツカイでは諦めて丸投げしてしまうほどの、まさにというやつなのである。


「オズ一人であの量をどうにかできるなんて……本当に信じていいの?」


「ええ。アレ自体は信用できないですけど、アレの化け物じみた戦闘能力は多分信用してもいいですから。……だから僕たちはこっちをなんとかしましょう。ね? サクラバさん」


 同意を求めてダリルが隣の桜庭を軽く見上げる。

 桜庭はコクリとうなづくと、御神木の幹に触れた。


「多分、この木の成長はまだ続いてる。今は森の中に迷いこんだ人間や、動物を餌にしているみたいだけど……規模が大きくなれば近隣の街を襲うかもしれない。それこそ生態系が崩れるのも時間の問題だ。一時しのぎに全部の根を伐採したとしても、根本的な解決にはならないと思うんだ」


 そこで彼は一度言葉を区切ると、その先を言いあぐねているのか口を閉ざした。

 だって、この異変を解決に導くには。


「だから。村や森を助けるんであれば、その元凶をなんとかしないといけないってことでしょう?」


「……ああ」


 ダリルにでてこなかった言葉の続きを言われ、桜庭が苦しげに肯定をする。

 だが、一番の苦しみを感じているのは彼ではなかった。

 エマは二人の話をなにも言わずに聞いていたが、どうしても一つだけ。彼女には確認しなければならないことがあった。

 それがたとえ聞きたくないことでも。聞いたら後悔するようなことでも。エマはためらいがちに声を発する。


「それって……お父さんを……私のお父さんをってこと……だよね……?」


「……」


「お父さんのマホウを止めないと、御神木はいつまでも人を襲いつづける……。だからお父さんが死んだら、もう誰もこの森でいなくなったりはしないってことなんだよね……?」


 暴走した御神木を止めるための一番の解決策。それは最初の犠牲者エマの父親殺す止めること。

 それはあまりにも非人道的で、肯定したくはない現実。エマにとっても。桜庭にとっても。ダリルにとっても。


「そうなるかな……。あっ。で、でももしかしたらさ。探せばまだ助かる手立てがあるかも――」


「サクラバさん」


 泣きそうな顔で言葉をふりしぼる彼女を見ていられず、桜庭が語りかけようとする。しかしダリルが首を振ってそれを制した。


「無理に希望を与えなくても大丈夫です。彼女も分かっていますから。もうどうしたって……この人は助かりません。生かされているだけですからね」


「それじゃあどうしたら……」


「……まぁ、さっき彼女が言ったとおりですよ。残念ですけど、殺すしかありません。ツタを引きちぎってなんて面倒なことすれば、かえって長く苦しむだけですからねぇ。やるなら一思いにやるしかないかと」


「……」


 視線を落として沈黙する桜庭にダリルも沈黙を返す。

 桜庭の反応も当たり前である。実の娘を前にして直接、「それじゃあこれから君のお父さんを殺すからね?」とは口が裂けても言えるはずがない。希望があるならばできるかぎり全てを試してやりたい。

 エマとて同じような心境だろう。

 いくら状況を把握したからといって、探し求めていた唯一の家族を。寂しさに蓋をしてまで帰りを待った大好きな父親を。他の大多数の人間たちと天秤にかけた上で手をかけなくてはならない。

 二人とも、頭では分かっているのだ。今の自分たちにはこれしか道がないのだと。だが、分かっていても身体が自然と動くわけではない。


 ――あぁ、損な役回りだな。


 今、動ける人間はただの一人に限られていた。

 もう考えているほどの時間はない。

 二人を眺めていたダリルが深呼吸をしてエマに向き直る。


「……エマ。僕は今から、アンタに酷いことを言うという自覚をもった上で、あえてこう言わせてもらいます。――アンタのお父さんを殺すためのを、僕にください」


「……!」


 エマの顔が驚きに染まるが、ダリルは言葉をつづける。


「僕たちには、この森で起きている異変を解決する責任があります。一応……正式に頼まれた仕事ですしね。正直な話をしてしまえば、この斧でアンタのお父さんの頭をかち割ってしまえばそれで終わりなんですよ。なのにこうしてウダウダと話してる理由、分かります?」


「……」


「僕もサクラバさんも、この一日でアンタにずいぶんと肩入れしてしまっているんです。同情して、応援して、幸せを願えるくらいには……残念ながらね。たくさんの人の命がかかっていたとしても、アンタの許可なしで身勝手なことはしたくない。アンタがこれ以上悲しむところは見ていられないんです。だから……」


「……ふふ」


 バツが悪そうに話しつづけるダリルを見て、エマの口から小さな笑い声がこぼれる。

 それに気がついたダリルが怪訝そうに紅い瞳を細めた。


「なに笑ってるんです?」


「だって……ダリルさん。こんな時なのにやっぱり気を使うなんてことしてくれないんですもの……。私も、サクラバさんも……アナタも。みんな傷つくって分かってて言ってる」


 ついに堪えきれず彼女の瞳から大粒の涙があふれはじめる。

 ダリルはいたたまれずに視線をそらすと、斧を持っていない方の手でエマの頭を先ほどとはちがって乱雑に撫でてやった。


「言ったでしょう。そんなものは置いてきたって。僕は気づかいができないお子様ですからねぇ……。誰が傷ついたって知ったこっちゃないです」


「うん……うん……」


 髪がボサボサになるのも止めずにエマはうなづき返す。

 そして彼女は今までで一番の下手くそな笑顔を浮かべると、涙を流してぐしゃぐしゃになったままの顔で二人に懇願こんがんするのだった。


「お願い。お父さんを……殺して……。お父さんを……!」

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