野可勢の笛――松平忠輝と姫たち

上月くるを

第1話 プロローグ

 





 🌸


 慶長6年(1601)3月。

 8歳の五六八姫いろはひめは17歳の片倉小十郎重長を待っていた。


 伏見の伊達屋敷には春の陽光が降りそそぎ、韓紅からくれないの地にとりどりの色糸で大小の手鞠を縫いとった豪奢な小袖を、往古の宮廷物語の絵巻のように輝かせている。


「姫さま。お待ちかねの方がお見えになりましたよ」


 乳母の声に振り返った少女の顔には、素直な期待と喜色があふれ出る。

 だが、勝手に口から飛び出たのは、いつもの高飛車な責め口上だった。


「遅いではないか、小十郎。なにをしておったのじゃ、この慮外者めが!」

 父・伊達政宗が家臣にかける戯れ口を少女も畏れげもなくつかっている。


「まことに申し訳ございませぬ。出がけにいささか野暮用が生じまして」

 初夏の風を先取りして運んで来たような若武者は、礼儀正しく腰を折る。


 身の丈6尺、目方17貫の長身痩躯。

 聡明で深い思考を物語る漆黒の双眸。

 広い額と太い眉、すっと通った鼻梁。

 物事の道理を聞きわける豊かな福耳。


 真一文字に引き締まった生真面目な唇には、内側から仄かに紅が透けて見える。

 当代一流の彫刻師の鑿跡を思わせる男前は、京女たちの目を惹かずにおかない。


「きゃあ、胸キュンキュンやわ」

「あの素気なさが堪らへんねん」

「そやそや。つれなくされると、なおこっちを振り向かせたくなるんやわぁ」


 小十郎の行く先々に女たちの熱い視線がついてまわったが、当の本人はおのれの外貌にはまったく無頓着で、いたって飄々恬淡とした奥州産の晩生の若侍だった。


 一方、つんと拗ねて見せる五六八姫はといえば、こちらも絶世の美少女である。


 長身の重長の胸ぐらいの身の丈。

 やや勝気に吊り上がり気味のまなじり

 恐れげもない自信を放つ二皮目。

 利かん気を示す、蛭のような唇。


 真っ直ぐな切り提髪をはらりと揺らせ、媚びをふくんで見上げる小ぶりな顔は、まだ裳着もぎも済ませていないとは思えない、女の妖しい魅力を十分に備えていた。


 太閤秀吉が国外進出の野望を賭けた初の朝鮮出兵の翌年、文禄3年(1594)聚楽第の伊達屋敷で誕生した五六八姫は、翌4年の関白秀次追放事件に伴い、生母の愛姫めごひめと乳母に守られ、追われるようにして伏見城内の新屋敷へ移った。


 慶長3年(1598)に秀吉が逝去(享年62)すると、いち早く台頭して来た徳川家康の命で大坂城内に移り住むが、それもいっときで、同5年の関ヶ原合戦が終結すると、今度は遠く関東は千代田(江戸)城内への移転を余儀なくされた。


 今度こそ安寧を期待したが、初めての関東の水に慣れる間もなく、翌年には再び伏見へもどされ、時代の波に抗う術もない木の葉のような生活を強いられていた。


 父・政宗の重臣である片倉景綱と、その嫡男の重長(当初は重綱を名乗ったが、3代将軍家光の嗣子しし、家綱のいみなと重なったために改名)も、ときどきの政権の人質に供される母子の行く先々に随行し、落ち着かない日々の支えとなっていた。


 ――明日の住まいさえ、いえ、命さえも保障されていない。


 周囲の大人たちは幼い耳を汚すまいと、凶事の一切を遮断し、慶事のみ聴かせるようにあの手この手を尽くしたが、早熟な少女の五感は自ずから物事の真実を嗅ぎ分けずにおかなかった。


 ――義なき戦い。我欲のせめぎ合い。栄華と没落。


 この世の非情と醜悪を全身で感じ取るたび、幼い心の拠りどころを、いつも身近にあって気にかけてくれる9歳上の重長に求めたとしても不思議はなかったろう。

 

 のちの話になるが、五六八姫は12歳のとき徳川家康の6男(母は鋳物師出身の側室・茶阿局)松平上総介まつだいらかずさのすけ忠輝ただてるに嫁ぐことになる。


 ちなみに、忠輝は文禄元年(1592)に江戸城で誕生した。

 なぜか実の父に顧みられない幼少期を送ったが、双子の弟・松千代の夭逝で運が開け、慶長4年(1599)、8歳にして初めて武蔵深谷1万石を賜っている。


 

 ❀


 同じ頃。

 伏見の徳川屋敷にも、五六八姫に並ぶ美貌の幼い姫・千姫せんひめが育てられていた。

 家康の3男・秀忠と、のちの御台所・お江ノ方のあいだに生まれた長女である。


 祖父・家康の命で7歳のとき大坂城の豊臣秀頼に嫁し、数奇な生涯を送ることになる姫君は、あとから振り返れば奇跡のように刹那的な幸福のただなかにあった。


 父の景綱に連れられ、主君・伊達政宗のお供として伏見城下の各大名家に出入りしていた片倉小十郎重長は、この絶世の美少女とも間近に語り合う機会を持った。


 

🌼


 この物語のおもな登場人物のうちで圧倒的に最年少の阿梅姫おうめひめは、慶長9年(1604)、紀州九度山きしゅうくどやまの真田幽閉屋敷で誕生した。

 真田左衛門佐信繁(通称幸村)の5女で、母は幼馴じみから側室になった芳野。


 真田氏の本拠は信濃だが、関ヶ原合戦で敗軍に就いたため高野山麓に流された。

 のち、豊臣秀頼の招聘に応じ参戦した大坂夏ノ陣で「真田丸」を築いて抗戦した信繁は、かねて顔見知りの敵方の将・片倉小十郎重長に阿梅姫を託して戦死する。




☆彡


 かくて3人の美姫と片倉小十郎重長は不思議な縁で繋がれることになるのだが、それより以前に、偶然と思われた出来事は、遠祖からの地脈でつながっていた。


 出羽国永井庄の八幡神社の神官を祖父に持つ片倉小十郎重長の先祖を、はるかないにしえまでさかのぼれば、信濃諏訪大社上社の大祝おおほおりに行き着く。

 一方、信濃国小県郡は滋野系の海野氏を本流とする真田家は、修験派の諏訪神党の神人かみととして諸国を経巡り、情報収集や諏訪信仰の普及に努めて来た。


 大坂夏ノ陣での不始末から父・家康の勘気を買って勘当され、家康の没後、すでに2代将軍に就いていた兄・秀忠から改易された松平上総介忠輝の最後の配流先となる信濃諏訪高島城への布石がふたつ、はるかむかしに打たれていたことになる。


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