サランスクの思い出

@Torbin

第1話

今になってサランスク市を知らない日本人は一人もいないのではないか。

2018年のサッカーワールドカップで唯一の勝利、コロンビア戦、はあの小さな町で納められたのです。

実は、44年前にあの町で生まれました。4歳の時に両親がモスクワに引っ越し、俺も勿論のことにモスクワに移りました。その時以来一度も「小さな故郷」に訪れる事が無かった。

ワールドカップが切っ掛けで色々とサランスクの記事が出て、全て貪り読みました。それで年末年始に一泊二日で行ってきました。

先ず感動したのはErzia(以下エルジャ)彫刻家の博物館。「仙人彫刻家」と呼ばれるエルジャ(1876-1959)が一番加工し難いケブラチョ木でも素材にしたり、モーゼの頭、アッシリア女性の頭、ロシア民話に出てくるバーバー・ヤガー妖怪の姿等を刻みだしていた。幾つかの写真を私のインスタグラム(pelton2009)とツィーター(Oleg Torbin)に掲載しています。

サランスクに行って来てエルジャに興味を持ち、色々文献を調べて見たらユーモア感に富み、即断するタイプの人で、幾つかのエピソードをご紹介したいと思います。

エピソード(1)

まだ幼い頃、イコン画家の生徒として見習い、教育代として鵞鳥の世話をさせられ、毎朝3時に起きなければならなかった。寝不足の余り居眠りをする時に鵞鳥が逃げたり、盗まれたりしないように鵞鳥を一々水溜まりで「お風呂」させ、疲れさせ、鵞鳥も一緒に静かに休憩するようにしていた。

エピソード(2)

ある教会の中で壁のイコン描きを任せられ、税金徴収者の絵には仕事中に一番うるさくて邪魔をしていたその教会の神父さんをそっくりと描いた。勿論、神父さんに怒られ、姿は良いとしても少なくとも顔を描き直させられた。

エピソード(3)

また別の教会の神父さんが夜酔っ払い喧嘩をし、顔が痣だらけで翌日の奉事にどう出るのか悩んだ。エルジャならきっとアイデアが出ると信じて、彫刻家に依頼した。そしてエルジャがペンキ塗装を使い立派なメークアップをした。神父さんが救われた。


エルジャについて本を書いたのは、40年以上友情関係にあったGrigory Suteev(1879-1960、以下グリゴリ)という医学者・アマチュア画家・歌手。エルジャがグリゴリの家に頻繁に訪れ、ヨーロッパ・アルゼンチンに30年間程亡命した時の話を思い浮かんだりし、本の題材となった。その話を貪り聞いていた10歳ちょっと過ぎのグリゴリの息子バロデャ(1903-1993)が後に有名なお伽話・アニメ監督になりました。エルジャ博物館のガイドによると、1980年代末に80歳過ぎのバロデャが訪問し、エルジャについて温かい思い出をシェアしていたそうです。


サランスク市にあるエルジャ博物館のホームページ(ロシア語のみ)

http://erzia-museum.ru/


VKontakte(唯一ロシアで動いているSNS)におけるアカウント https://vk.com/erzia_museum


コメント・ご質問の方がいらっしゃればpelton2009@yandex.ru お問い合わせ下さい(日本語・英語・ロシア語可)



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