閑話+いらないのなら、頂戴。
「ねぇ、
「なんでしょうか、蝶子さん」
「なんで真之喜さんは有名な大学を出て教師にまでなったのに全部捨ててしまったの?」
「そうですね…自分が人に教えられるほど人間ができていないと思ったからでしょうか」
「そっかぁ」
「ところで蝶子さん」
「なぁに?」
「どうしてこうなったのかを教えてもらっていいですか?」
「あらやだわたしに教えを乞うの?」
「ええ。…何故縛られてるのですか」
そういう男性―――真之喜は広いベッドの上で両手を頭の上で、足はなにか重いものに引っ張られて動けない状況にいた。
本当にどうしてこうなった。
さっきまで、風呂に入って上がって冷蔵庫からビールを取り出して―――まさか。
「盛りましたか、薬」
「てへっうっかり☆」
うっかり☆じゃ、ない。
よく鍛えられた裸の上半身の上に馬乗りになっているのは、まだ若い女性だ。
名を、蝶子という十代後半の少女。
中学を卒業してすぐに親にイカガワシイお店に売られかけた蝶子はとりあえず着の身着のままで渡り歩き、餓死するかもしれないと思っていた矢先にどうにかこうにか修羅場中の漫画家にもぐりこんだ。
仕事さえこなしていたら、食べ物に困ることはない。
最初はなにもできなかったが、蝶子には若さとそれ以上に運と才能があった。
めきめきと上達していく画力に元から持っていたのだろう物語を綴るセンス。
一年もするころには新星の漫画家としてデビューし、業界の話題を総なめにして―――家を追い出された。
その輝かしい才能をやっかまれて。
困った。
仕事はできてもなんの後ろ盾もない、無力な少女。
お金はあるが、家がない。借りれない。
ホテルを変えながら生活していた蝶子は雪の降る夜、街灯の切れかけたごみ捨て場にほぼ裸で死んだように寝ている男性を見つけた。
それが高千穂真之喜である。
親に言われるままに進学した大学で、言われるままに勉強したがいまいちピンとこなかった。
真之喜は理詰めの中で生きるよりも、どれだけ泥臭いと言われようとその場で、その瞬間を生きる人間に惹かれていた。
だから、休みがあれば行けるところまで歩いて土地や人と触れあった。知識を見た。感情を聞いた。でもまだ足りないな。
それは大学を卒業し、親のコネで教師になったあとも。
子供に教えられるほどの中身が自分にはない―――と思い知って日本から出たのは何年前か。
世界の隅っこをリュックひとつで歩きまわった。充実していた。安くて危険で、しかし本を読んでいるだけでは知り得ようのない知識がすぐそばにあった。
真之喜が日本に帰ってくることになった原因は、たまたまその時に同じ国にいた日本人がテロリストに人質として拘束されたらしいというニュースが流れてまわりがうるさくなってしょうがなくだ。
数年ぶりに帰った実家は―――なくなっていた。
大学在学中に病で亡くなった父親に代わって親戚が経営していたはずの会社が知らないうちに倒産していたのだ。
帰国直後、その負債の片付けを押し付けられた真之喜はさらにその時に身を寄せていた友人だった男の借金のカタにされ―――気づけばすべてを剥ぎ取られて冬の屋外へ。
『ねぇ、あなたも捨てられたの? それとも捨てたの?』
雪が、ちらつく。
黒と白のコントラスト。
その少女は、赤い傘をくるりと回して真之喜の前に現れた。
『いらないのなら、わたしに頂戴』
そう言って、少女は、蝶子は真之喜を拾った。
大人がいれば、家を借りれる。
最初はそんな打算で拾ったのだが―――
出会って二年の月日が経ち。
手を、出してこない。
蝶子は鏡を覗きながら唸った。
あの男、ちっともちーっともなびかない。
自分がかわいい顔立ちだということも、ピチピチな若い体が武器になることも知っている。
最初は打算で一緒になった。
蝶子には大人が必要で、真之喜はお金が必要だった。
二年。二年だ。
人を好きになるには十分な期間。
しかし真之喜は蝶子に手を出すどころか子供扱い。
先生扱いどころか、生徒扱い。
―――こうなったら既成事実を先につくっちゃおう。
「子供がほしいの」
「寝言は寝て言いましょうか」
「あら、本気よわたし」
「せめて、他の人にしませんか。私みたいなオジサンではなく」
「男は三十路からって言うじゃないの」
あの時、拾ったのは蝶子だが。
同時に真之喜も蝶子を拾ったのだと知るがいい。
「わたしに家族を頂戴」
「で、生まれたのがあんた」
「飯時にそういう生々しい話するのやめてくれる!?」
ガンッとサラダの入ったボウルを真之喜の上の息子が机に乱暴に置いた。
「馴れ初め聞きたがったのあんたでしょー?」
「襲って生まれたとか聞きたくなかったよ!」
「やることやらなきゃ、子供は生まれないわよー?」
「せめて言葉を選んで! いやもう口開かないで!」
目の前の女性によく似た顔の長男は叫ぶように言いながら耳を塞いだ。
次男が、先程ぽつりとどうして真之喜たちが結婚することになったのかを聞いてきたので、その延長線のようにあったその話が浮かび上がった。
聞いた当の本人は、途中から茶碗を片手にこっくりと舟を漕いでいた。器用な。
「捨てられてたから拾ったのよ。ねぇ、真之喜さん」
「そうですね、蝶子さん」
欲しいのなら、差し上げましょう。
そのかわり。
あなたを私にくれますか。
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