満ちる、言葉

 誰もいなくなった教室に、二つの影。


 ひとつは、ふわふわとした髪を風に吹かれるままにしている少年。

 くたびれたスラックスに皺の寄ったネクタイ。

 この学校の制服は男子は凝っているのに女子は適当過ぎると言われていた。

 スラックスとスカートは近くで見ないとわからない灰色の細かい格子縞。

 ネクタイは深い紺に赤のラインが学年違いで入っている。

 強い風に煽られて、クリーム色のカーテンが大きく膨らんだ。


「ごめんなさい」


 少女の髪と、スカートもまた風に吹かれて膨らむ。


 さらさらと。

 ふわふわと。


 少女はリボンに手を置いて、目の前の少年に改めて向き直った。


「許しません」


 少女は立っていたが、少年は黒板の前の床に正座していた。


「物事には順序があると私は思います」


「ごめんなさい」


 悪いことをしたとわかっているので、少年も床の継ぎ目に視線を落とした。

 この状態になって一時間近く過ぎていた。

 その間、たくさん話した。

 いままで聞かなかったこと。

 いままで聞けなかったこと。

 話してみればなんともないことばかり。

 でもそれは二人にとって大切なことだった。


「もういいよ。帰ろう」


 確かに順番は守るべきだろうが、もうそこまで怒っていなかった少女は少年に手を差し伸べた。


「さっき言ってたアドレスだけど」


 膝についた埃を払いながら少年は立ち上がった。


「それたぶん僕の知り合いだから。明日会えるんじゃないかな」


「そうなの?」


 気になっていたことがひとつ消えて、少女は胸を撫で下ろした。


「変な人間だけど」


「高千穂くんが言ったらおしまいだと思うよ」


「えー」


 施錠は教師がするのだろう。

 卒業証書の入った筒と軽い鞄を手に提げて、少女は空いた右手を少年の手に絡ませた。

 ドアを通り抜けるその時。

 色とりどりに飾られた黒板を仰ぎ見た。


「さようなら」


 ありがとう。


 そう言ってドアを閉めた。

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