第6話 手紙



 6人掛けのテーブルいっぱいに並んだ料理を見て、シアンは顔を引き攣らせ、シンも目を丸くして口をつぐんだ。2人のリアクションを気にも留めずに、マリアベルは目を輝かせ、戦神ケルノスへ祈りを捧げた。それに気付いたのか、シンがにこやかに彼女へ話しかけた。


「あれ? ベルちゃんはケルノス様のところの信徒なのかい?」

「ああ、そうだ」

「そっか。……あ、急に声をかけちゃってごめんね。どうぞ、遠慮せずに食べて」

「ありがとう。では、お言葉に甘えて!」


 幼少期からの躾により、自然と会話中に料理に手を伸ばさずにいたマリアベルは、シンの一言で嬉々としてテーブルの上の料理にフォークを伸ばした。


「! うん! 美味い!!」


 ランチセットのメイン料理である仔猪肉マルカッサンのソテーを口にしたマリアベルは満面に笑顔を浮かべた。きちんと下処理を行った仔猪肉は柔らかく臭みが無い。付け合わせガルニチュールの茹でた芋と焼き目の付いた茄子も、肉の出汁を十分に吸っており味わい深い。

 1人前をぺろりと平らげてから、箸休めに白インゲン豆の煮込みカスレを口にすると、トマトのまろやかな酸味と根セロリの爽やかな香りが鼻腔を擽る。これもまた絶品だ。

 どれもこれも美味で、一々手放しの賛辞を口にしながら食べるマリアベルに、シンとシアンは相槌を打ちながらも顔を見合わせて笑った。


「そんだけ喜んでくれりゃ、作った厨房の奴らも大喜びだろうな」

「正に、調理人冥利に尽きるお客様だよね」

「うん? そうか? 本当に美味いから、そう口にしているだけなのだが」


 不思議そうに小首を傾げるマリアベルに、シアンはポカンとした後、先ほどの料理に対する彼女の褒め言葉が、社交辞令や下心のあるおべんちゃらで大袈裟に言っていたのではなく、全くの本心からなのだと気付き、苦笑して頭を掻いた。冒険者の店の料理――言ってしまえば、下町の庶民なら誰でも手の届く家庭料理に、あれほどの感動を言葉を口にするとは……よほど空腹だったのか、それとも、よほど純粋、もとい、単純なのか……――結局、判断がつかず、シアンは別の事を口にした。


「そういえば、ベルっていくつなんだ?」

「いくつ? ……というと?」

「年だよ、年齢!」

「ああ、私は17だ」

「へぇ、俺より1こ下か! ……、とは言わねぇけど、あんまそうは見えないな」


 言いながら、シアンの目線はマリアベルの小さな顔の下にある、半身鎧ハーフプレートで隠しきれていない豊満な双丘で止まった。しかし、彼が何を言わんとしているのか分からない彼女は、自身も目線を下に落としてきょろきょろと見回した。そこで、呆れたような笑顔を浮かべたシンが口を開いた。


「……シアン?」

「え? いや、野郎としてはごく一般的な意見でっ ってか、シンさんだってそう思うでしょ?!」

「思わない。――あのね……アリスちゃんやシュウカちゃんに知られても知らないよ」

「ちょっ うわっ そりゃご勘弁っ」

「?」


 2人のやり取りをいぶかし気に見やってから、マリアは檸檬水を一口飲んだ。果実本来の嫌味の無いスッキリとした酸味と甘さが喉を潤す。これもまた、絶妙なバランスの取れた味だった。


 腹も膨れ、ほっと一息ついてから、マリアベルはここに来た大切な用件を思い出した。


「あ! そうだった!」


 それから、かたわらを通り過ぎようとした店員を呼び止めた。


「少し聞きたいのだが」

「何でしょう」


 黒髪と青い瞳で20代半ばの、何となくティタンブルグ家の筆頭執事であるエーベルハルトを思い起こさせる、実直そうな男性店員だった。心に僅かばかりの郷愁を感じながらも、表面に出さないようにマリアベルは努めて明るい声で問うた。


「こちらに、アトリという人は来ているだろうか」

「アトリ様、ですか」


 鸚鵡返しした後、その店員は言葉を切って目線で理由を問うた。冒険者の店だけあって、常連客ではない者から個人への問いには慎重な対応をしているのだろう。――つまり、それだけしっかりとした情報管理を行っているわけだ。少し考えてから、マリアベルは答えた。


「彼女へ手紙を預かってきているんだ」

「アトリちゃんに?」

「へぇ、親父さんかな」


 シンとシアンも会話に入って来た。どうやら2人も彼女の事を知っているらしい。――アトリという人は顔が広いのか、それとも高名な冒険者なのか……――などと想像していると、店のカウンターの奥から、修道服のベールを被った女性と、頭が二回りほど大きく見えそうなアフロヘアの男性が出てきた。

 女性はアフロヘアの男に深々と礼をすると、カウンターの外へ出て、こちらの視線に気付いて顔を向けた。彼女はきょとんと紫灰色の小さな瞳を丸くしたあと、ふんわりと笑顔になった。その表情を見た途端、何故かマリアベルは、この女性がフォンテーネの言っていた“知人”に違いない、と確信した。


「みなさん、こんにちは」

「こんにちはー」

「ども!」


 シン、シアンが挨拶を返す。それから、シアンがこっそりと「あの人がアトリだ」と、マリアベルに耳打ちした。


 恐らく20代前半くらいの年嵩。頭部を覆う修道服のベールから、色のクセの強い前髪が額に少し掛かっている。頬や鼻に少し目立つそばかすがあるその女性は、決して美人とは言えないが、毒気が抜かれるような愛嬌があり、柔らかな雰囲気は他者が悪意を抱くのが難しく思えた。

 彼女は己を見ているマリアベルに気付くと、柔らかく微笑んだ。


「こんにちは。初めまして、ですよね。わたしは豊穣神エルテナ様の元で下働きをしている、アトリと申します」


 無防備にこうべを垂れて挨拶をするアトリに、マリアベルは席を立って居住まいを正し、丁寧に礼を返した。


「初めまして、アトリ殿」

「えっ あっ はい!」


 殿?! と目を白黒とさせるアトリに、マリアベルは真っ直ぐに歩み寄り、彼女の目の前に立った。


「私はマリアベルと申す。貴女宛に手紙を預かって来た。受け取ってもらえるだろうか」

「え、手紙……ですか?」


 驚いて目を更に真ん丸にする彼女に、マリアベルは大切に肌身離さず持ち歩いていたフォンテーネから預かった手紙を差し出した。


「差出人は、貴女のだと言っていた」

「知人……」


 ぽかん、とした後、アトリは躊躇ためらいがちに差し出された手紙を受け取り、封をされた手紙の裏表を確認した。――そこには、宛名も、差出人も、無い。一瞬の間を置いてから、アトリは息を飲んだ。手紙を持つ手が僅かに震える。


「ど、どうした?」


 気付いたマリアベルが慌てて声を掛けるが、聞こえていないのか、アトリは黙ったまま震えたままの手でもどかしそうに手紙の封を切った。

 彼女が取り乱すのは、常とは異なるのだろう。慌てた様相でシンとシアンも席を立ってやってきた。


「アトリちゃん、大丈夫?」

「おいベル! お前、一体なに持ってきたんだ?」


 彼らの言葉も、アトリの耳には届いていないようだ。綺麗に畳まれた羊皮紙を開き、食い入るように見つめたまま微動だにしない。アトリとシン、シアンを交互に見てから、マリアベルは困った様に眉を下げ、しどろもどろと答えた。


「いや、本当に……ただ、手紙、とだけ聞いていたんだが」

「手紙って、誰からだよ」

「フォンテーネだ」

「フォ……誰??」

「フォンテーネ。……あ、しかし、フォンテーネとは私が勝手につけた名前だ」

「へ?」


 呆気にとられたシアンは間抜けな声を上げて言葉を切った。それとほぼ同時に、アトリの紫灰色の双眸からぽろぽろと大粒の涙が溢れだした。それを見てぎょっとしたマリアベルが、次いでシアン、アフロヘアの男性が、取り繕えない程に狼狽えた声を上げた。


「!!? アアアアアアトリ殿?!」

「ちょっ おいっ だ、大丈夫か?! ちょっ 誰だ?! 何言われたんだ?!」

「なんだなんだ?! どうしたどうした?!」


 止めどなく両頬を伝う涙を拭いもせず、アトリはマリアベルの届けた手紙を大切そうに胸に抱き締めて目を閉じた。それから、小さく深呼吸をしてから瞼を上げ、真っ直ぐにマリアベルを見た。


「マリアベルさん、ありがとうございます」

「え? あ、いや、あの……大丈夫だろうか?」

「はい」


 涙が残ったまま、彼女は微笑んだ。それはまるで、雨上がりに降りそそぐ柔らかな陽光の輝きのようだった。


「お手紙を届けて下さって、本当にありがとうございます」


 宝物のように胸に手紙を抱いたまま、アトリは深々と礼をした。嘘偽りのない感謝の思いがこもった彼女の声音に、マリアベルは安堵して詰めていた息を吐きだした。


「いや、私も届ける事が出来て良かった。差出人は私の恩人でな」

「恩人?」

「困っていた時に、助けてくれたんだ。一度ではなく、何度も」

「まぁ、そうですか」


 心の底から嬉しそうに言って、アトリは破顔した。思わず照れてしまい、マリアベルは頭を掻いて、はにかんだ。彼女たち2人を交互に見ていたシアンは、疑問を口にした。


「で? なんて書いてあったんだ?」

「はい、主に近況ですね」

「それで泣くかぁー?!」

「ふふ、はい」


 泣くほどの近況って何だー?! とぶつくさ言うシアンを見てクスクスと笑いながら、アトリは指で涙を拭った。気付いたマリアベルはベルトポーチから未使用の清潔な手布を取り出すと、自然な動作でアトリの頬を優しく拭いた。予想外だったのか、アトリが素っ頓狂な声を上げる。


「ぅひゃあ?!」

「ん? ああ、驚かせてすまない。だが、指で拭うと後で目が痛む事がある。これを使うといい」


 にっこりと笑ってアトリの手にそっと手布を握らせると、彼女はますます目を白黒とさせた。


「あっ いえっ あわっ あわわ……」


 真っ赤になって狼狽ろうばいするアトリを見て、マリアベルはきょとんと目を丸くして首を傾げた。


「どうかしたか?」

「ぶはっ ベル、おまっ 男らしいな!!」


 耐えきれずにシアンが噴出した。そこでタイミングを見計らったように、先ほどマリアベルが声を掛けた店員が、果実水の入ったグラスをアトリに差し出した。


「どうぞ」

「は、はい? あ、え?? あの、注文はまだ……」

「店長から、使いの礼に、と」

「わ、そうなんですか?」


 グラスを受け取りつつ、アトリは周囲を見回した。丁度、アフロヘアの男性がカウンターへ戻って行くところだった。


「店長さん、ありがとうございます」


 その声に、彼は片手を振る動作で答えた。嬉しそうにグラスを手にするアトリに、タイミングを見計らったかのように今まで静かに見守っていたシンが、微笑んで小首を傾げた。


「せっかくだから、アトリちゃんも一緒に座らない?」


 その声にアトリはハッとして、少し思案してから頷いた。



* * * * * * * * * * * * * * *



「そういや、ベルはオークルから冒険者になる為に来たのか?」


 果実水を飲みながらシアンが問うた。その言葉に、シンとアトリも彼女を見る。3人の視線を受けて、マリアベルは大きく頷いた。


「そうだ。本当はワーゼンへ行こうと思ったのだが、止められてな」


 フォンテーネの言葉が脳裏で蘇る。



 ――“だから、あなたはまず、ちゃんと自分の身を守った方が良い”



 柔らかな鈴の音を思わせる声。温度を感じさせないようにみえて、その実、あれはマリアベルをいさめるというよりは、彼女の身をおもんぱかった言葉だった。あの場では気付けなかった事が、そしてきちんと礼を言えなかった事が、悔やまれる。

 マリアベルの心の内を知る由もなく、不思議そうにシアンが続けた。


「へぇ、何でだ?」

「まず自分の身をちゃんと守れ、と助言を受けたんだ」

「うん、それは正しいね」


 微笑んだままシンが相槌を打った。


「ワーゼンは今年の春先から少し前まで、妖魔モンスターの襲撃を受けていたんだ。まだ復興途中だし、治安も安定していない。その点、クナートであれば、妖魔モンスターの残党討伐の依頼も入るし、ワーゼンへの支援物資を運ぶ仕事もあるだろうからね」


 まるでどこかで聞いた台詞だ、と内心で思いつつ、マリアベルは頷いた。


「ああ。だから、先にクナートへ来ることにしたんだ。ちょうど、手紙も預かったしな」


 隣に座るアトリに目を向けると、彼女はまだ大切そうに胸に手紙を抱いていた。マリアベルの視線を感じて目を上げると、目を細めて小さく会釈した。余程フォンテーネからの手紙が嬉しかったのだろう――来て良かった。胸に温かなものを感じて、マリアベルは微笑んだ。それから、表情を正すと正面に座るシアンに顔を向けた。


「それで、まずは冒険者になろうと思うのだが、どうすればいいのだろうか」

「そこからかよ」


 呆れたようにシアンが突っ込む。うむ、と頷きつつ、マリアベルは頬を掻いた。


「ケルノス様からは、己の剣を捧げる者を捜すよう天啓を頂いているんだ。冒険者として少しでも人々の役に立ちつつ、仕えるべき方を捜したいと思っている」

「それって、戦神ケルノス信徒のの?」


 シンの横からの問いに、マリアベルは頷いた。シアンはその知識が無いのか、首を捻っている。その様子を見て、シンがクスリと笑って説明した。


戦神ケルノスに仕える人の中には、天啓によって剣を捧げる相手を見付ける旅をする事があるんだよ。つまり、ベルちゃんはケルノス神から神託を得て旅に出たんだね」

「シン殿は詳しいんだな。仰る通り、私は私の剣を捧げるべき勇者を捜して旅をしているんだ」

「おおっ マジで?! いや~、照れるなぁ」

「シアンの事じゃないと思うよ?」

「ちょっ 軽い冗談ジョークじゃないっすか~」


 ぶーぶーと口を尖らせるシアンに、シンは笑いながら肩を竦めた。2人を交互に見ながらマリアベルは破顔した。


「いや、シアン殿の事かもしれないし、シン殿かもしれない。正直、どのようにして私の勇者殿を見出したらいいのか、自分でも分からないんだ」

「多分、理屈じゃないんだろうね」


 微笑みを浮かべたまま、静かにシンが頷いた。それから、残りの果実水を飲み干すと席を立った。


「さて、僕はそろそろ行くね」

「あれ、もうっすか?」

「うん。もうすぐ“星祭ほしまつり”があるでしょ? その手伝いで、神殿に寄らなきゃ駄目なんだよね」

「神殿?」


 つい口を挟んだマリアベルに、シンとシアンは揃って顔を向けた。それから、シンがぽんと手を打った。


「あ、そっか。言ってなかったね。僕は智慧神ティラーダの神官でもあるんだ。って言っても、神殿に属している訳じゃあないんだけどね。今回は人手が足りないって事で、お手伝い」

「もうすぐティラーダ神殿主催の星祭があるんだよ。この町の中央広場から西区に向かう途中にある大橋から神殿までの間の通りが、色々飾り付けされるんだぜ」


 彼らの説明を頷いて聞きながら、マリアベルは星祭についてなけなしの知識を総動員させた。


 ――7月7日に行われる星祭は、智慧神ティラーダの生誕祭だ。シンボルである月桂樹の葉をモチーフにした飾りを、神殿から近くの橋までの道に飾りつけ、橋には魔法の灯りを灯した星をかたどったランタンを幾つも吊るす。夜になると、その明かりが川面に移り、まるで天と地、両方に星が輝いているように見えるのだという。

 マリアベルは一度も見た事が無いのだが、幻想的なその光景については、幾度か耳にした事がある。知らず知らず、マリアベルは目を輝かせた。


「噂でしか聞いた事が無いのだが、天地の星々は随分と壮観なのだろう?」

「そうだね。夏の風物詩にもなっているし、様々なのある行事だから、色んな人が来るよ」

「伝承?」

「うん。えーと、そうだなぁ……例えば、“天と地を星が繋ぐ日”だから、“今はもう会えなくなった大切な人に会える日”、とかね」

に……?!」


 勢いよく立ち上がったマリアベルに、シンはクスリと笑って肩を竦めた。


「あくまでも伝承だよ?」

「そ、そうか」

「他にも、“願いを込めた月桂樹の葉で川面に浮かぶ星を掬うと、その願いが叶う”――とかね」

「女子が好きなんだよな、それ」


 ぬるくなった果実水をちびちびと飲みながらシアンがぼやく。――彼は毎年、幼馴染の妖精エルフと家主の女性にせがまれて、何だかんだと文句を言いながらも、服がびしょ濡れになりながら星を掬う手伝いをしているのだ。それを知るシンとアトリは、笑いを堪えながら顔を見合わせた。


「天と地を星が繋ぐ日、か……」


 ポツリと呟いたマリアベルの脳裏には、金茶色の長い髪と暗緑色ダークグリーンの瞳の少女の笑顔が浮かんだ。例え、ただの祭りのいわれの一つだとしても、もし、もう一度、万に一つでも彼女に会える可能性があるのだとしたら、


「何としてでも行きたい……!」

「あはは、嬉しいな。是非遊びに来てね」


 気合十分なマリアベルの言葉に、へらりと笑ったシンは緩く答えると、シアン、アトリにも軽く挨拶をして店を出て行った。



 シンを見送った後、アトリも静かに立ち上がった。


「わたしもそろそろおいとましますね。マリアベルさん、お手紙本当にありがとうございました。長旅でお疲れのご様子。ごゆっくりお休みくださいね」

「お気遣い痛み入る。……あ、そうだ。私の事は“ベル”で構わない。“マリアベル”だと呼びにくいだろう?」

「えっ? いえ、そんな、呼びにくいとは思いませんが……ですが、では、お言葉に甘えて。ベルさんとお呼びさせて頂きますね」


 照れくさそうにはにかんで笑いながらアトリは頷いた。


「そういえば、ベルさんは春告鳥の翼亭こちらに宿泊されるご予定ですか?」

「うん? ああ、そうだな……しばらくはここに宿泊して、冒険者としての仕事があれば、と思っている」

「そうですか……あの、お怪我など、お気を付けくださいね?」

「大丈夫だ! 多少の怪我なら肉を食って寝れば治る!」

「だっ 駄目ですよっ?!」

「雑だな?!」


 ぎょっとしたアトリと、反射的に突っ込んだシアンの声が、ほぼ同時に上がった。――なるほど、確かにフォンテーネの言っていた通り、港町クナートには“お人好しが多い”らしい。思わずマリアベルは相好を崩した。


「冗談だ。怪我は極力しないように気を付ける。あと、私自身、僅かばかりだが戦神ケルノス様のお力をお借りする事が出来るから、大丈夫だ」


 そう答えると、目に見えてアトリはほっとした顔をした。それから困った様に微笑むと「本当に気を付けて下さいね?」と念を押してから、2人に挨拶をして外へ続く扉へと足を向けた。


「おう、アトリ。帰るならこいつに送らせるぞ」


 絶妙なタイミングでアフロヘアの男がカウンターから声を発した。“こいつ”と呼ばれたのは、どうやら先ほどの執事ぜんとした店員らしい。手にしたトレイをカウンターに置き、アトリの方へと歩み寄る。その彼と、どうやら店長らしきアフロヘアの男を、交互に見ながら、アトリは眉を下げた。


「あ、あの、大丈夫、ですよ? 来るときは一人でしたし」

「いーや、お前を一人で返したら、エルテナ神殿の侍祭に雷を落とされかねんからな! 俺と、この店の連中の為にも、黙って送らせてくれ!」

「え? えぇ……? あ、は、はい……あの、お手数をお掛けします」

「いえ。――では、参りましょう」


 困惑したままアトリは近づいて来た店員にペコリと頭を下げた。店員の男性は表情を動かさないまま静かに言うと、店内に一礼をしてアトリを先導するように店の外へ出て行き、続いてアトリもそれに倣った。



 2人を見送ったマリアベルは、少し引っ掛かりを覚えて首を傾げた。おっとりほんわかしているが、アトリは成人した女性だ。にもかかわらず、エルテナ神殿での侍祭の態度といい、今の春告鳥フォルタナの翼亭の店長といい、随分とアトリは過剰にガードされているように感じた。

 そんな事を考えてぼんやりしていると、すぐ隣から声が掛かった。


「おい、ベル? 聞いてっか?」

「! あ、ああ、すまない。なんだろう?」

「冒険者になりたいんだったよな? なら、この店に泊まる時に、冒険者登録をすれば良いぜ」

「登録があるのか」

「簡単なもんだけどな。登録すると、春告鳥フォルタナの翼亭所属の冒険者って事になる。そうすると、あそこの」


 言いながら、シアンは酒場に設置された掲示板をくいっと親指で指した。


「掲示板に貼られている依頼を請ける事が出来るようになるし、妖魔モンスターを討伐した時もこの店経由で自警団に報告して、認定されれば報酬が受け取れる」

妖魔モンスター討伐の場合、事後報告でも報酬は貰えるのか?」

「ここ最近は特に、町の周辺で妖魔モンスターが増えているから、依頼を請けて討伐より、見付け次第討伐ってケースの方が多いからな」


 掲示板へ目を向けたまま、シアンは空になったグラスを手でもてあそびながら答えた。それから、チラリとマリアベルへ視線を向けた。


「けど、町の周辺の妖魔モンスターは、思いがけない大物が出てくる事がたまにあるからな。慣れるまではこの店に来る討伐依頼を受ける方が良いぜ。俺も手が空いてたら付き合うし」

「それは有難い! その時は、是非とも冒険者の先達の手腕を勉強させて頂きたい!」


 ぱっと顔を輝かせてマリアベルが礼を述べると、シアンは満更でもなさそうに鷹揚おうように頷いて見せた。

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