第70話 連鎖

 ――また何かあったら教えてください。



 ソフィアとシンがアーレンビー家を辞する際、彼は微笑みを僅かに収めてそう言った。



 クナートへの帰り道、シンはどことなく口数が少なかった。半歩後ろを歩きながら見上げた彼の横顔は、決して晴れやかなものではない。



(シンの気になる事って結局何だったのかしら)


 ハッキリとシン自身から聞いた訳では無いが、どうやらシンが抱える悩みの様なものは、ソフィアに関する事の様だった。そうでなければ、キャロルにソフィアと出会ってからの事を話したりはしないだろうし、キャロルもソフィアにまつわわる第三者の事を口にはしないだろう。――もっと言えば、アーレンビー家へ訪れる前……体調を崩す前に“どうしても”とソフィアの過去の事を聞き出す理由もないはずだ。



(あたしの事だとしたら、なぜ当事者じゃないシンが悩むのよ)


 非難を込めた視線を投げると、それに気付いたシンがソフィアの方を向いて目を合わせると微笑んだ。


「どうかした?」

「……なんでもない」

「うーん、そう?」

「なんでもない」

「そうかなぁ」


 繰り返すソフィアを見て、シンは不思議そうな顔で小首を傾げつつも深追いはしなかった。その反応に、ソフィアは思わずむっとして歩調を早めた。そのまま追い越そうとしたが、シンはすぐにソフィアに歩調を合わせてきた為、隣に並んで歩く事になってしまった。



* * * * * * * * * * * * * * *



 しばらく歩くと、クナートの南門が見えてきた。


 門の先には豊穣神エルテナの神殿が管理する畑があり、その先にエルテナ神殿がある。ソフィアにとってはこの町の中でも随分と見慣れた場所だ。連鎖的に、はしばみ色のくせ毛の神官を思い出し、ソフィアは神殿の方へ少しだけ視線を向けた。


「アトリちゃん、元気かなぁ」


 図ったようなタイミングでシンがそんな事を口にした為、ぎょっとしてソフィアはシンを見た。そのまま、やや八つ当たりじみた文句を言おうと口を開いたが、彼の言葉で飲み込む。


「あと半月ほど経つと、エルテナの生誕祭があるね。明日にでも顔を出してみると良いかもしれないよ」

「……生誕、祭」

「うん。エルテナ神のお誕生日祝いみたいなものかな」

「ふぅん」


 確か、アトリが春先に仕事があると言っていた。そして、ネアもそのような事を言っていた。思い出しながらソフィアは気のない返事をした。しかし、シンは何かに気付いた様に目を輝かせた。


「そうだ! ねぇ、ソフィアって誕生日はいつか分かる?」

「は?」


 突拍子もない言葉に思考が追い付かず、ソフィアは間抜けな声で聞き返した。


「あ、僕は6月6日! ふふ、6が並んでて覚えやすいでしょ?」

「……え、えーと、そう? かもしれないわね」


 にこにこと笑うシンとは対照的に、ソフィアは訝し気に眉を寄せた。


「前にも話したと思うけど、生まれた日なんて知らないわ」

「あっ そうか……」


 物心ついた頃には村の小屋で過ごしていた彼女が知る訳が無い。考えが及ばなかったことを恥じてシンは肩を落とした。その様子を見て、逆にソフィアの方が居たたまれなくなり、話題を打ち切ろうと口を開いた。


「どうでもいいじゃない、そんな事」

「……ううん、どうでもよくない。じゃあ、僕が決めるね」

「……はぁ?!」

「だって僕、ソフィアの誕生日、お祝いしたいもの。うーん、なら今から近い方が良いかな。でも、どうせなら記念の日がいいなぁ」

「あのね……そんな細かい事いちいち気にしなくて良いでしょ。年を越せば1つ年をとる、で良いじゃない」

「そんなの嫌だ」


 子どもの様にキッパリと拒否された。むっとしてソフィアは反論する。


「当の本人が良いって言ってるんだから、いらないでしょ」

「何を言ってるの! ソフィアの誕生を、僕が祝わなくてどうするの!」

「どうもしないわよ」

「するの! “生まれてきてくれてありがとう”って感謝する日なんだから!」

「……」


 シンの熱弁にどう突っ込んだらいいか分からず、ソフィアは口を閉ざした。気にも留めずにシンは真剣な眼差しでぶつくさ言いながら考え始めた。呆れた視線を投げかけて小さくため息を吐いたその時。



「シン!!」


 鋭い声が飛んできた。



 声がした方角へ目を向けると、美しい妖精エルフの女性が、金の長い髪を靡かせながら、道の向こうからこちらに向かって走って来るのが見えた。


「シェラ? どうしたの?」


 息を切らせて目の前に来たシェラを見て、目を丸くしながらシンが尋ねる。その傍らで、ソフィアはシンとその女性を交互に見た。


(…………って、あ、……れ? もしかして、この妖精エルフの女の人って、――そうだ! この人、確かじゃない?!)


 ハッとして、慌ててそろそろとシンから距離を置く。それに気付いて、シンが何か言おうとする前に、被せるように美貌の妖精エルフ機先きせんを制した。


「ミアが怪我をした!」

「えっ」


 シェラの言葉に、シンは驚きの声を上げた。――そして、ソフィアはシェラの言葉の意味を理解出来ず、その場に凍り付いた。

 年の功か、動揺をすぐに収めてシンはシェラに事情を尋ねた。


「怪我って、どういう事?」

「薪拾いに森に入って、妖魔モンスターに襲われたんじゃ!」

「森に? 何だってそんな危険な事……!」

「何でって、おぬしが言うな! 拾いに行く人間がいないからじゃろ! 院長は忙しいし、他の人員も仕事がある。じゃからあの子は誰かに頼まずに己で行ったのではないか! ……ああ、もうとにかく! はよう孤児院に来て治療せい!!」

「うん、そうだね」


 責める様に畳みかけるシェラの言葉に、シンは青く強張った顔で大きく頷いた。それから、ソフィアの方を振り返る。


「ソフィア、一緒に来て」

「……」

「ソフィア?」

「!! あ、い、いえ、あたし……」

「……駄目かな」

「だ、駄目というか、」

「ええい、いい加減にせい! うだうだ言っている時間が勿体ない! シン、ここはもうクナートの町中じゃ! 外より危険はないはずじゃろ!?」


 狼狽えたままきちんと返答をしないソフィアに、焦れたシェラが怒りの声を上げ、シンとソフィアの間に割って入った。


「こちらは緊急なんじゃ! その小娘はそこに置いて行け!」


 シェラに強く睨まれ、シンは眉間に皺を寄せて彼女の視線を受け止める。それから、ほんの僅かに迷ってからソフィアの方を見た。


「……ごめん、ちょっと今から孤児院に行ってくるね。先に宿に戻ってて」

「あやま」

「謝る必要などないじゃろ! ホラ行くぞ!! 急げ!!」


 小さなソフィアの声はシェラの強いソプラノに上書きされ、シンの耳に届く事はなかった。彼はシェラに頷くと、共に孤児院の方角へとあっという間に駆けて行った。



 その場に残されたソフィアは、2人の背中が見えなくなるまでその場に呆然と立ちすくんでいた。



(…………怪我…………)


 ミア、という人物は、孤児院のスタッフだったはずだ。シンが真っ青になっていたのは、己が留守にしていたせいで怪我をしたからなのか、それとも――……いずれにせよ、大変な状況になっている事には変わらないはずだ。

 どうしたら良いか分からず、ソフィアは肩を落として俯いた。



(大きな怪我だったら、どうしよう……シンがあたしの看病とか、あたしに関する事でアレコレ……かまけていたから、こんな事になったんだとしたら、)


 自分がクナートに来ていなければ。


 地面に目を落としたまま、顔を強張らせて唇を噛む。結局ここに戻るのだ。


 ――その時、


「嗚呼、底知れぬ悲しみに打ちひしがれる一輪の花よ! その深淵で、恐怖と寂寥が心の芯に棘の様に食い込み、君は計り知れない絶望を感じるのだろうか!」


 唐突に、朗々とした声が背後から響いた。


 振り返ると、予想通り。美しく長い金糸の髪の妖精エルフが、近くの石段に片足を上げて、右手を胸に、左手を天に掲げる様なポーズで立っていた。


「……アレグロ」

「“レグ”しか合ってないよー! レグルスだよーーー!! レグルス・A・フォーマルハウトだよーーー!!」


 わっ と盛大に泣き真似をして、彼……レグルスは己の名前を訂正した。それから、ふと演技がかった表情を収め、翡翠の様な輝く新緑色の瞳でじっとソフィアを見つめた。


「ところで、どうかしたのかい? 様子がおかしいようだけど」

「え?」


 片眉を僅かに動かして、ソフィアは怪訝そうに聞き返した。しかし、レグルスはその反応を気にも留めずに、確証を持った様な口ぶりで続けた。


「顔色が良くないじゃあないか」

「あたしはこれが普通よ」

「心ここにあらずだったし、……そもそも君、5分近くそこに立ったままだったの、覚えてないでしょ?」


 その言葉に、驚いて反射的にレグルスを見上げると、視線が丁度鉢合った。瞬間、彼の秀麗な眉目がふわりと和らいだ。その常人離れした美貌の微笑みは、十人いたら十人、間違いなく見惚れるものだったかもしれない。だが、ソフィアは違った。奇妙な既視感デジャヴに襲われ、困惑して視線を逸らし、後ずさる。


「寂しいなぁ、そんな反応するなんて」


 ため息交じりに囁かれた言葉に、ソフィアの脳内である言葉が鮮明に蘇った。


 それはいつの日か、ティラーダ神殿の前で彼と出会った時の事だ。



 ―――“寂しいなぁ。仲なのに、忘れてしまうなんて”



「――――――!!」


 弾かれた様にソフィアは顔を上げて長身の妖精エルフの顔を見た。



「っあなた……!!」

「どうかしたかい?」


 言葉が続かず、絶句するソフィアに、クスリと笑って彼は小首を傾げた。とぼけている様にも見えるその表情に、ソフィアは苛立ちを隠せずに思わず噛みついた。


「あたし、あなたを知ってる」

「うん、そうだね」

春告鳥フォルタナの翼亭で会ったのが最初じゃない……!」

「うん?」

「あなたは、……っ」


 言いさして、ソフィアはハタとして口をつぐんだ。このまま告げたとして、彼の反応がどういうものであれ、冷静ではいられない気がした。既に、ミアが怪我を負ったという事で、そして……いつぞやの彼の言葉で十分に心が乱れているのだ。


「……」


 黙り込んで俯いたソフィアの顔を、レグルスはしげしげと見つめている。何かを言わなくては、と内心焦りながら、ソフィアは視線を彷徨わせた。――だが、今更話題を変える事など、コミュニケーション能力が低く口下手なソフィアに出来る訳がなかった。

 結局、大分時間が経ってから、躊躇いがちに口を開いた。


「ヴルズィアの……村で」


 口にしてから、何やら得も言われぬ恐ろしさを感じ、息苦しさを覚える。ソフィアは彼の顔を見ない様に視線を己の足のつま先に落とした。


「……あなたは、たまに、来ていた。……そうでしょう?」

なのかい?」

「え?」


 思いもよらぬ言葉に、ソフィアはつい顔を上げてレグルスを見た。――途端に、冷えた輝きの宿る新緑色の双眸がソフィアを捉えた。縛られたかのように視線をらす事が出来ず、ソフィアはかろうじて上ずった声を絞り出した。


「そ、う……、って……なに……?」

「なるほどねぇ」


 狼狽えてろくな言葉が出てこないソフィアを余所に、レグルスは秀麗な眉目を薄っすらと笑みの形にした。


「君の周りには余計な事をする人間が多い様だな。全く、僕の気も知らないで、困ったものだよ」

「え……え?」

「ねぇ? ******」

「――――!!」


 耳慣れぬ音――だが、いつかどこかで聞いた事のある音に、ソフィアは信じられないような目でレグルスを見る。


……」

「なんだい?」

「その、……今の、それ……」

「ああ、******、かい?」


 恐る恐る頷くと、レグルスは優しく笑みを浮かべて静かに答えた。


「古い呼び名だよ」


 、とは聞き返せず、ソフィアはその場に立ちすくんだままレグルスを見上げた。その視線に、彼は己の顎に手を充てて小首を傾げた。


「しかし……そうだね。君がこの名の音を覚えているというなら、少し話しをした方が良いかもしれないね」

「……話し?」

「ああ。……だが、ここで立ち話はいけない」


 言いながら、レグルスはするりとソフィアの肩を抱き、町の方へといざなった。そんなに人に聞かれたら不味い話しなのか、と表情を曇らせると、彼はクスリと楽しそうに笑った。


「ここで身体を冷やして、また熱がぶりかえしたら大変だ。そうだろう?」



* * * * * * * * * * * * * * *



 一方、全力で駆けていたシンとシェラは、ソフィアと別れてからそんなに時間が経たない内に孤児院に到着した。



「ただいま! ミアちゃん、怪我って!!」


 勢いのまま駆け込むと、シンは孤児院の中をきょろきょろと見まわした。


「あっ え? あ、あの、シンさん?」


 どこかから間の抜けた様な彼女の声が聞こえ、シンはつい脱力した。それから、改めて声の方角を探る。どうやら食堂の方からだ。足早に向かってドアを開けると、左の二の腕と左足首に包帯、そして額の左側に大きな布製の創傷被覆材を固定した姿のミアが、椅子に座ってこちらに顔を向けていた。隣にはセアラが片手にナイフ、もう片手にじゃがいもを持ってぽかんとした顔でこちらを見ている。どうやらミアは直前までセアラに料理指導をしていた様だ。


 ――シェラの様子から命の危険まで考えていたシンは、思ったよりも元気そうなミアの様子に安堵したが、それでも目の当たりにした彼女の痛々しい姿は胸が締め付けられた。

 青い顔を強張らせたまま、シンは震える声で謝罪した。


「ミアちゃん……ごめんね」

「え? え? あの、なぜシンさんが??」


 頭を下げるシンに、狼狽しながらミアは救いを求める様にシェラを見た。


「こやつがいないから薪を拾いに行ったんじゃろ! 謝るのは当然じゃ!」

「えぇっ?! そ、そんな、それはシンさんのせいじゃないですっ……っあ、いたっ」


 慌てて椅子から立ち上がって否定しようとして、足の痛みに小さな悲鳴を上げる。その声に、隣のセアラ、そしてシンとシェラが彼女を支えようと集まる。


「無理しないで、ミア姉ちゃん」

「ほら、ちゃんと椅子に座っておれ!」

「ごめんね、すぐに怪我を治療するよ!」


 三者三様に言われ、彼女は申し訳なさそうに椅子に座って小さくなった。チラリとシェラがシンに視線を向け、彼はそれに答えるように頷く。それから居住まいを正すと、左手をミアの方へかざしながら智慧神への祈りの言葉を口にした。


「“智慧神ティラーダよ、その叡智の光を我が手に宿らせ、の身に安寧あんねいもたらし給たまえ”」


 言葉を切った途端に、シンの左手の平に白い光が宿り、そのまま光はすぅっとミアへと吸い込まれるように消えた。


「……あ、……うそ、すごい。もう痛くないみたい」


 ミアから、ポツリと吃驚した様な声が零れた。途端に、シェラは安堵のため息を吐き、セアラは大喜びでミアに飛びついた。


「ミア姉ちゃん、良かったぁ!」

「セアラ……ごめんね、心配かけて」

「ううん、全然! けど、ねぇ、せっかくだから今日のご飯、私が作るよ」

「本当? 嬉しい! お願いね」


 飛びついているセアラの髪を撫でながらミアは破顔した。これならもう安心だ、と内心で息を吐いてから、シンは置いて来たソフィアの事が気になり、僅かにその方向の窓の外へ目をやる。その間に、シェラは「ほう、セアラの手作りの夕食か!」と言いながらセアラとミアの傍らへ行き、2人を交互に見た。


「私もご相伴に預かっても良いかの?」

「うん、良いよ! あ! ねぇ、シン兄ちゃんも食べる?」


 嬉しそうに両頬を紅潮させてセアラがシンを見る。次いでシェラ、ミアもシンを見た。ハッとしてシンは窓の外から3人の方へ視線を動かした。


「あ、僕は……」

「食べるに決まっておろう! なぁ?!」


 無垢な厚意に、すぐに辞する言葉が出て来ず詰まったタイミングで、シェラが堂々と返答をすると、セアラは年相応の笑顔を見せた。……さすがにここで「帰る」とは言い出せず、シンはシェラへの恨み言を内心で呟きながらも、セアラに「楽しみにしてるね」と笑顔を向けた。

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