第68話 すれ違い

 ――――仄暗ほのぐらい闇の中、ソフィアは確かに意志を持って存在していた。



 しかし、その輪郭は本人ですら判別出来ないほど溶け込んでいた。


 既に、右も左も、更に言えば上も下も、広さも分からない。



 その薄暗い空間に溶け込んだように、その空間に張りつけられたように、指先1本動かす事ができない。だが、不思議と焦りや恐怖は生まれなかった。


 あるのは諦めと、一種の安らぎ。



 このまま身を任せて、この闇に身体を溶かして無くしてしまえたらどんなに楽だろうか。




 ――――“******”



(……誰……?)



 ――――“******”



(……あたしを呼ぶのは、誰……?)



 ――――“駄目だよ、



(なに……?)




 ――――“  ”――――



* * * * * * * * * * * * * * *



「――――!!!」



 浮いていた身体が急降下したかの様に感じ、ソフィアはガバッと勢いよく起き上がった。狼狽ろうばいして周囲を見回し、ようやく直前までの事が夢だったのだと思い至る。



(びっくりした……どこかから落ちたのかと思った)


 早鐘を打つ胸に片手を当て、次いで僅かに震える手で口元を覆う。


 ――叫んだりはしなかっただろうか?


 不安を覚えて再び辺りを見回す。薄暗い室内に見えるのは、控えめに調整された暖炉の炎、それに薄っすらと照らされた木目の天井、壁。少し離れた場所には、薄明りの中で朧げな輪郭のソファ、小さな円卓、文机、椅子……そして、隙間から光が漏れ出ている、部屋の外への扉が1つ。そこまで見てから、ふと床に敷かれた見覚えのある厚地の絨毯に目を留めた。



(……そうだ、ここ、アレクの家だったわ。……――それで、あたし、)


 シンと共にアーレンビー家を訪ねた事は思い出せたが、何故己がベッドに横たわっているのかを思い起こそうとしても、頭にもやが掛かった様で判然はんぜんとしない。顔を顰めて小さく頭を数回横に振り、改めて何とか思い出そうと試みる。



(……シンがキャロルさんに相談したい事があるって言って、一緒に家を訪ねたら、……アレクに赤ちゃんが出来たって聞いて、それでその後、あたしは蒲公英ダンデライオンのお茶を淹れて、居間でシンがキャロルさんに何だか色々話しをしていて、それで……キャロルさんがあたしに質問して、)


 指折り記憶をなぞっていると、不意に部屋のドアが小さくノックされた。反射的に身体をすくませてしまってから、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。誰も見ていないというのに、表情を取り繕いながら返答すると、ドアがいて、部屋の外の光と共に柔らかく微笑んだシンが顔を出した。


「ソフィア、起きたんだね。……大丈夫?」


 その光景が妙に自然で、ソフィアは心の中でしみじみと「やっぱりシンは光の中にいるのが似合うわね」などと、ぼんやりと思った。――対する自分は、先ほどまでのこの部屋の様な、薄暗い世界が丁度いいのかもしれない、とも。

 そんな事をソフィアが考えているなどとは思いもしない彼は、にこにこと尻尾しっぽを振らんばかりの笑顔で彼女の傍らまでやって来た。


「そうだ、お腹空いてない? アレクが軽食を用意してくれたみたいだから、一緒に食べる?」


 言いながら、シンはつい、と右手人差し指で宙に円をえがいた。すると、その軌跡から光の粒が生まれ、ふわふわと寄り集まって1つの塊になった。そのままふわりと漂う――光の精霊ウィル・オー・ウィスプだ。

 その光に照らされた机の上へ視線を向けると、籠に入った黒パン、チーズ、果実水の瓶が置いてあるのが見えた。少し考えてからソフィアは短く答えた。


「……あたしはいらない」

「そっか。……じゃあ、飲み物はどう? 水分だけでも摂った方が良いんじゃない?」

「さっき、お茶を飲んだわ」

「まぁ、そうだけど」


 言いながら、シンは苦笑して机の方へ歩み寄り、籠の中から黒パンをひと切れ摘まみ、ぱくりと頬張った。


「ん、美味しい。ああ、でもせっかくだから暖炉の火で少し焼いた方が美味しいかな」


 もぐもぐと咀嚼しながら、彼はもうひと切れパンを手に取り、暖炉の方へ向かった。その後ろ姿を横目で見送りながら、ソフィアは己が一体どうしてここに横になっていたのか、聞くべきかどうか逡巡した。しかし、それを問う前に、暖炉に向かってしゃがみ込みパンを火であぶっているシンが、こちらを振り返らずに声を掛けてきた。


「ねぇ、ソフィア」


 ハッとして慌てて取り繕う様に、ソフィアは「なによ」と固い声を返す。相変わらず背を向けたままのシンは静かに言葉を続けた。


「さっきの事、覚えてる?」

「え」


 ――……というのは、どの事を指すのか、即答できずに視線を彷徨わせると、シンは立ち上がってこちらを振り返った。緑碧玉の色の双眸が真っ直ぐにソフィアへ向けられる。


「君が倒れた時の事」

「ええと、……キャロルさんに、こっちテイルラットに来た時の事を聞かれて……」

「うん」

「その後、でしょ?」

「……」


 我ながら歯切れが悪いと思いつつも、それ以上を言葉に出来ず、ソフィアはシンからさり気なさを装って視線を逸らした。そんな彼女の様子を、シンは真顔でじっと見つめると、手にしていた黒パンをテーブルの籠の上に戻した。


「ソフィア」


 静かな低い声で名を呼ばれ、ソフィアは“何かまずい事を言ってしまったか”とギクリと顔を強張らせる。しかしその予想に反して、シンはベッドに半身を起こす彼女のすぐ隣に腰掛けると、まるで壊れ物に触れるかの様に優しく肩を抱き寄せ、思いもよらぬ一言を口にした。


「大丈夫。合ってるよ」

「……え」

「もう少し細かく話しをしたけどね」


 クスリと悪戯っぽく笑いながら、シンは俯いていたソフィアの顔を覗き込んだ。


「あんまり思いつめちゃ駄目だよ」

「別に、思いつめてなんか……って言うか、大体って何よ、大体って」

「え、本当だよ? こちらにお邪魔してから、僕はソフィアと会ってからの事をキャロルさんに話した。その後、キャロルさんがソフィアに“クナートに来た時の状況”を確認して」

「……それ、は……覚えてるわ……っ」


 むすっと不機嫌そうな表情でぎこちなく呟くソフィアに、シンは目元を緩めて頷き返す。


「それから、収穫祭の時期、ソフィアがエルテナ神殿のお仕事をお休みするって知らせを受けた時の事を話して、」

「ええ」

「どちらの時も、ソフィア……それに僕も、知らないが動いているんじゃないかって、キャロルさんは言ってたね。――僕もそう思うけど」

「……」


 シンの言葉に、ソフィアは困惑を隠そうと思い切り顔をしかめた。


「身に覚えが無いわ。そもそも、誰が、何のためによ」

「分からない。――ソフィアの為、の様にも思えるけど、そうとも言いきれない」


 肩を竦めてシンは微苦笑した。


 滝つぼに落ちたソフィアを彼女の意思を確認もせず、クナートまでわざわざ運んだとしたら、それは彼女の為と言うよりは、その行いをした人物の都合なのかもしれない。それに、彼女の為を思うなら、収穫祭の数日前、ソフィアが高熱で倒れていた際に、彼女を床にそのままになどせず、ベッドに寝かせるなり宿の主人に知らせるなり、――少なくとも“放置する”という選択はしないのではないだろうか。


「……なんか、違和感があるんだよね」


 ポツリと呟き、シンは傍らの少女を見下ろした。


「さっき、ソフィアは……キャロルさんが、恐らくソフィアではないが、――何か理由があったのか、適当な町として選んだのか分からないけど、テイルラットに来たソフィアを、クナートに運んだんじゃないかって話しをした時に倒れたんだよ」


 ゆっくりと説明してから、そっと彼女の顔を覗き込む。思った通り、彼女は強張った顔で唇を噛み、両手を握りしめていた。


「ソフィア……」


 気遣う様にそっと名を呼び、強く握り込みすぎて白く血の気が失せた彼女の両手を、シンはそっと己の両手で包み込むが、小さな手は力を緩めず、固く握りしめられたままだった。


「……そうだった」


 そのまま、低く呻くようにソフィアは声を絞り出した。


「あたし……もし、本当にそうだとしたら、勝手だわ、って思ったのよ」

「? 勝手……って、その、が?」


 予想外の言葉だったのか、シンは訝し気に鸚鵡返しする。ソフィアは顔を上げずに、まるで独り言の様に言葉を続けた。


「……もし、何も考えず、適当な町ってだけでクナートに運んだ、とか言うんだったら……なんで、って。どうしてクナートなのよ、って」

「うーん……僕はクナートにソフィアが来てくれて良かったと思ってるけど」

「だからよ!」


 シンの言葉にむっとして、ソフィアは己の手を包む彼の手を振りほどくと、キッと睨んだ。


「クナートじゃなかったら、シンとあたしはそもそも出会う事自体、無かったのよ。そしたら、あなたはあたしみたいなのにかまける事なく、今も孤児院で、こんなおかしな気苦労もしないでみんなと仲良く幸せに暮らしてたはずなのよ。ここ数日みたいに、たまの休みを浪費することも無かったはずだわ。あたしがいなかったら、」

「ソフィア」


 唐突に、シンの低い声がソフィアの言葉を遮った。常より強い彼の口調に、ソフィアは無意識に大きく肩を震わせて身を引こうとする。しかし、シンの手が彼女の肩を強く掴んで制した。驚いて動きを止めるソフィアに、シンはゆっくりと口をひらいた。


「僕は今、幸せだよ。ソフィアがいなかったら、僕は多分、ずっと孤独だったもの」

「……」


 声をあららげる事もなく、しっかりとした口調で、まるで言い聞かせるように、シンは静かに言葉をつむぐ。


「……覚えていて。忘れないで。……僕には、ソフィア以上に大切なものなんてないんだよ」


 一言、また一言と、シンの言葉がソフィアの鼓膜を打つ。


 ――彼の言葉に嘘はないと、ソフィアにも分かる。しかし、それは“今に至ってしまった”からであって、出会わなければ、こうはならなかったではないか、とも思う。

 彼は多くの人と関りを持って生きてきた。愛し合った女性も、伴侶にと望んだ女性もいたと言っていた。――己とは異なり、シンは“まとも”に生きて行ける人なのだ。


 それでも、その事を口に出す事はソフィアには出来なかった。それを伝える事で、先ほどのシンの真心からの言葉を汚してしまう気がしたからだ。だから、一言。


「……大袈裟だわ」


 疲れた様にポツリと、ため息交じりにソフィアは小さく呟いた。それから、肩を掴むシンの手を外そうと身をよじった。気付いたシンが躊躇ためらいがちに彼女の名を呼ぶ。


「ソフィア」

「離して。痛いわ」

「……」


 “痛い”という言葉に、シンは困った様に眉を下げて手を緩めた。それを見計らって、ソフィアは彼の手から逃れて今度こそ身を引いた。視界の端に移った彼が傷ついた様な表情を浮かべた気がして、慌ててそっぽを向くと、瞼を強く閉じて視界を遮断した。


「……ごめん、僕……」

「別に、謝らなくていい。……じゃあ、あたし、もう休むわ」

「え、待って。ソフィア、どこに行くの?」


 顔を逸らしたままベッドから降りようとするソフィアに、シンが狼狽うろたえた様な声を上げる。


「ソファよ。ベッドはあなたが使うといいわ」

「え、なぜ?」

「なぜって……あのね、そもそも、あたしとあなたは他人なのよ? 普通、未婚の男女が理由も無く同じベッドで就寝する事自体、おかしいのよ」

「そんなの関係ないよ。一緒に寝た方がソフィアも僕もゆっくり眠れるんだから」

「それが問題なの!」


 ジロリと睨んでキッパリと言い切るソフィアだが、対するシンもむっとした表情で「問題無いよ」と反論する。


とか関係ないよ。僕と君が良いなら別に良いじゃない」

「良くない」

「どうして」

「どうして……って、世間体とかあるでしょ!」

「どうでもいいよ」

「良くない!」

「良くなくない」

「良くなくなくな……って、ああもう訳が分からないわ! とにかく! あなたとあたしが良いなら、って事なら、あたしが「良くない」って言うなら良くないって事でしょ!」

「分かった、じゃあ訂正する。僕が良いなら別に良い」

「良くない!」


 堂々巡りで埒が明かない言い合いに、区切りを付けようとひと際強く否定すると、シンは黙り込んだ。ようやく言い負かす事が出来たか、とソフィアがほっとしたのも束の間、次の瞬間、彼はとんでもない事を口にした。


「じゃあ、結婚する?」

「ばっ……」


 かじゃないの、と言葉を続ける事は、呆れ過ぎて出来なかった。その代わりに、信じられないものを見る様な目をシンに向ける。しかし、彼は全く動じる事無く話しを続けた。


「未婚だから駄目なんでしょ? だったら、結婚しようよ」

「……」

「そしたら一緒にいてもおかしくないでしょ? 一緒に寝てもおかしくないでしょ? 世間の目から見ても」

「……」

「僕、司祭じゃないけど司式は出来るから。今ここで誓う事も出来るよ」

「……」

「いい?」

「……」

「ソフィア?」


 反応のないソフィアに、シンは真面目な顔で呼びかけて顔を覗き込む。それから、驚いた様に目を丸くして黙り込む。……――彼女は見た事もない顔をしていた。盛大に眉間に皺を寄せ、まなじりを釣り上げ、引き結んだ小さな唇をふるふると戦慄わななかせている。つまり……非常に、


「ばっかじゃないの!!?」


 ――怒っていた。


 正に、怒り心頭とはこの事を言うのか、と納得するほど明確に。それから、夜で、且つ人様ひとさまの家という事もあり、声を出来るだけ抑えながらもきつい口調で苦言をていし始める。


「呆れた! あなたがそんなに考えなしだと思わなかったわ」

「かんが……って、ちゃんと考えt」

「今の言葉のどこが? ……あなたね、仮にもいい大人のはずでしょ? その前に神官でしょ? ケッコン、ケッコンって、軽々しく口にして……ホント、ばっかじゃない?! 世の中のちゃんとした夫婦に謝りなさいよ!」

「だってソフィアが未婚だから駄目tt」

「それが考えてないって言ってるのよ! あなたのは、世間体を気にしなくて済むっていうだけの、単なる誤魔化しの為のじゃない!」


 ピシャリと言い放つと、ソフィアはため息を吐きながら小さく呟いた。


「大体、あなたはあたしを好きってわけじゃないでしょ」

「好きだよ」


 かぶせる様に言うシンに、ソフィアは呆れた視線を向けた。


「あなたのは、異性に対するものじゃないわ。家族に対するものよ。そのくらい、あたしにだって分かる。馬鹿にしないでくれる?」


 口にしてから、ソフィアは思わず苦笑いをした。――常に優しく、包み込むように温かさを持ったシンの好意は、下心の無い純粋なものだと、色事に疎いソフィアでもさすがに分かるのだ。


「そういう意味でなら、あたしだってシンのこと嫌いじゃないわ。……かなり恩もあるしね。だから、幸せになって欲しいと思ってる」

「僕、本当にソフィアのこと、好きだよ」

「ウソだなんて思ってないわよ。でも、だからって結婚するとかしないとか、そういうのは違うでしょ」

「……」

「そういう言葉は、大切な時の為にきちんととっておくべきだわ。……少なくとも、“ただ単に一緒にいる為の大義名分として”なんて理由で口にするものじゃないわ」


 ソフィアの言葉に、シンは反論できずに黙り込んだ。――どうやら図星らしい。



(というか、過去に結婚したかった人がいたんだから、その時と比べてごらんなさいよ、って言いたいけど……さすがにそれは、言えないわよね)


 分かりやすいかもしれないが、彼の古傷をえぐる事になりかねない。そう思い、ソフィアは額に片手を当てて重い息を吐いた。何となく頭痛がするのは、気のせいじゃないかもしれない。

 もう休んでしまおう、とソファの方へ行こうとするソフィアの背中に、静かな声が掛かった。


「もし、そうだとしても……ソフィアの傍にいるためなら、僕は何でもするよ」


 え、とつい振り返ってから、ソフィアは後悔した。――深く濃い2つの碧が光の精霊ウィル・オー・ウィスプの青白い光を映して、普段の陽気で朗らかな彼とは異なる様相を呈していた。


「君を僕の傍に繋ぎとめる為なら、何でもする」

「な、……っば、かなこと」

「具体的に言おうか?」

「ぐ、ぐたいてき、って……」


 底光りする昏い森の色にのまれて、ソフィアはおびえたように後ずさった。その様子を見て、彼はふっと表情を緩ませた。


「……ソフィアを怖がらせたくないから、このくらいにしておくけど」

「え……え?」

「でも、僕の気持ち、分かった?」

「?! か、揶揄からかったの?!」

「ううん、本気」


 一転してにっこりと笑うと、シンはすっくと立ちあがり、真っ直ぐにソフィアの方へ歩み寄ると有無を言わさず抱き上げた。突然の事に、身をすくませていたソフィアは素っ頓狂な声を上げた。


「?! ちょっ ちょっと……っ」

「いい? 君が僕から離れようとしても無駄。絶対に逃がしてなんてあげない。君の事は僕が幸せにするし、守ってみせる。ソフィアの言う通り、僕にとっては結婚だってただの手段の一つだよ。だって、僕は君以外としようとは思わないもの。だから、ソフィアが世間体が気になるなら、僕はいつでも君の伴侶になるからね? 覚えていて」

「……」


 ――いや、それが何か違う。って言うか、過去の結婚したかった女性ひとの事はどうしたのよ。――と、心の中で突っ込みつつも、彼が本気でそう言ってるのを肌で感じ、ソフィアは口をつぐんで、代わりに抗議とばかりに盛大に顔をしかめて両手で彼の胸を押し返し、床に降りようとじたばたともがいた。


「あなた、言ってることが滅茶苦茶だわ」


 当然ながら、ソフィアが全力でもがいてもシンの両腕はビクともしない。その上、シンは悪びれもせず、それどころか「そうかな」と不思議そうに小首を傾げている。その様相に苛立ちを覚えたソフィアは、棘のある言葉を投げかけた。


「自覚がないの?」

「僕としては至って普通だから」

「……」

「だから、どこかに行こうなんて、思わないで」


 小さくそっと囁いたシンの声は、心なしか語尾が震えていた様にも聞こえた。その声を聴いた途端に、何故か分からない罪悪感のようなものに身につまされたソフィアは、二の句が継げずに黙り込んでうつむいた。

 その様子を間近でじっと見つめていたシンは、おもむろに柔らかく微笑むと、彼女の旋毛つむじに優しく唇を落とした。不意打ちの彼の行動に、悲鳴を飲み込んでソフィアは両手で頭を覆って身をよじった。


「~~~!!!」

「あっ もうっ ホラ、危ないってば!」

「あなたがおかしなことをするからでしょ?! さっきあたしが言った事、もう忘れたの?!」

「ソフィアこそ、僕がさっき言った事、もう忘れたの?」


 にっこりと笑ってシンが言うと、彼女は顔を引き攣らせて声を失った。その表情を見て、シンは相好を崩した。


「今日は泊まってって構わないって言ってもらってるから、お言葉に甘えて休もうか。明日はもう少しキャロルさんと話しをしてから、おいとましよう」


 言いながら、さも当然の様にベッドへソフィアを寝かせると、自身も隣にもぐり込んで彼女を抱き締めた。温かな腕に包まれ、ソフィアは胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。



(もし、あたしが以前みたいにシンの事を忘れて……思い出さなくても、シンは、変わらずにあたしの傍にいようとするのかもしれない。――――シンがあたしを忘れない限りは、ずっと)

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