第20話 森の隠者
目を覚ますと、見た事も無い天井が目に入った。木組みが
はっきりとしない頭で視線を動かすと、すぐ側に窓があった。鎧戸は閉まってはいない様だが、外は暗く目を凝らしても見えなかった。どうやら夜らしい。部屋の中は温かく、時折木の
ぼんやりと窓の外を眺めていると、思いがけず、すぐ近くから明るい声がした。
「よっ 目ぇ覚めたみたいだな」
ビクリと身を
「ここ、私んち。森で倒れたの、覚えてる? そのまんまにしとく訳にも行かないから、連れてきちゃった」
「え……」
「そいや、名前聞いてなかったな。いちお、こっちも、も1回名乗るけど、私はアレクサンドラ・G・アーレンビー。んで、森で会った変な
「…………。……ソフィア、よ」
「オッケー、ソフィア! よろしくな!」
彼女がぱっと笑顔になると、部屋の中が一気に明るくなったように感じた。アトリとは違った意味で、彼女もまた空気を彩る事に長けているのかもしれない。困惑しつつもソフィアは上半身をベッドから起こした。その時、想像以上に楽に起き上がることが出来た為、思わず目を丸くする。
「ん、まぁまぁ調子良いみたいだな。気になったところは
近くまでやって来て、ソフィアの横たわるベッドサイドに腰掛けながらアレクは小首を傾げた。
「
「うん。ちょっとでも楽になったなら、良かったよ」
「……よく、分からないけど……なんか、いつもと違う、かもしれない」
「ん、そかそか。よっしゃ! で? ソフィア、腹減ってないか? 食えそうだったら何か作るけど」
「いえ……平気」
小さく首を横に振って断ると、アレクはそれ以上は押さず、「そっか」とだけ答えた。それからベッドサイドから立ち上がりながら、微笑した。
「んじゃ、もちっと休めよ。私は夕ご飯作ってくるからさ」
「あ、いえ……もう動けるし、大丈夫……」
「駄目だ。今日くらい横になってろ。外は暗いし、今から町まで戻るのは危険だ」
「いや、でも本当に……」
「あんまぐだぐだ言うと、眠りの魔法で強制睡眠させるぞ」
静かに閉まる部屋の扉を見詰めたまま、ソフィアは小さく息を吐いた。
(これからどうしよう……)
困惑した頭のままベッドの上で己の両手をじっと見ると、自分が今まで着ていた服とは異なる、ゆったりとした丈の長いシンプルなワンピースを着ている事に気付いた。そういえば、滝つぼに落ちたのだった、と思い返す。濡れた服のままではベッドに入れないのは当然だ。恐らくアレクが着替えさせてくれたのだろう。そこまで考えてから、目を伏せる。
(あたし……何をやってるんだろう)
(違う、そうじゃなくて……)
「ごめんソフィア、起きてる?」
もう一度思考を巡らせようとした時、ドアの外からアレクの声がした。返答するとドアが開き、予想通りアレクが入ってきた。
「キャロルとも相談したんだけどさ、一応、ソフィアの泊まってる宿に連絡だけでもしようと思って」
「え、いえ、それならあたし、帰」
「だぁーかぁーらぁ! 外暗いんだって! 女の子が1人で、あぶねぇだろ!」
「でも、連絡って……」
「ルーフォスに頼めば、伝言くらいは出来るから」
「あ、ああ……そう、なの?」
“使い魔”といっても、ソフィアは魔術師が連れている動物、という程度の知識しかない。実際に、その使い魔がどういう働きをするのか、どういう事が出来るのかなどは、謎に満ちている存在なのだ。ソフィアの微妙な表情に気付いたのか、アレクが簡単に説明をしてくれた。
「使い魔っていうのは、簡単に言うと魔術師の分身みたいなもんだな。元は術式を使って契約をした動物なんだけど、契約した後は視覚、聴覚などの五感を共有できる。あと、会話……って言うとちょっと違うか。魔術師本人と使い魔は、お互いの意思疎通も出来る。だから、おつかいとか頼めるってわけ」
「……」
「あ、宿以外にも2~3ヶ所くらいなら手紙運べるけど、どうする?」
「え? いえ……」
ソフィアが口を開いた時、部屋の外から声がした。
「サンディ、後で少しいいですか?」
「あ、ちょっと待って。写本の手伝いでしょ? こっち終わったら行くから」
「頼みますね」
耳慣れない呼び名を聞き、ソフィアは思わずアレクを見た。すると彼女は照れくさそうに笑って「キャロルは私の事、ああ呼ぶんだよね」とだけ答えた。それから表情を正すと、言葉を続ける。
「んで? 宿以外にどっかある?」
「……あ、ええと……エルテナ神殿……?」
「何で疑問形……ってか、神殿に知り合いなんかいんの?」
「心配性の人が1人」
「あー、なら知らせた方がいいね」
アレクはソフィアの側から離れると、部屋の中の作り付けの文机の引き出しから羊皮紙を数枚取り出し、そのまま、サラサラと羽ペンを走らせ始める。
「ってかさー、ソフィアは森で何やってたの? 散歩って季節でもないし」
「え? あ、えー……と、
「? は? え?? 何??」
「……いや、まぁ……自分でも、今にして思うと、浅はかだったと思うわよ」
「なんだ? えーと……、ソフィアは
「なりたい、っていうか……、前線で戦うよりは、合ってるんじゃないか、って言われたの。冒険者の……大先輩に」
「へぇ、なるほど……ってか、ソフィアは冒険者だったのか?」
「……いえ、まだなれてないわ、多分。……ただ、生活していく為の仕事をしたいんだけど、出来る事が少なすぎて。……なんか、いつの間にか、そんな事になってたのよ」
「はー……いつの間にか、かぁ」
羽ペンを動かす手を止めて、アレクは空色の瞳をまん丸にしてソフィアを見た。
「私としては、冒険者の仕事は危ないし、若い女の子にはあんまりお薦めできないんだけどなぁ……ってか、ソフィアっていくつ? 成人してる?」
「……じゅう……7」
「マジか」
「……16?」
「どっちだよ」
突っ込みながらアレクは一笑した。
「で? その心得とやらは見付かったか?」
「……いえ、何も……でも、森の中は……静かで落ち着けたわ」
後半は独り言の様に小さな声になったソフィアの返答に、「そっか」と彼女は柔らかく微笑した。それから少し考え込むと、ソフィアの予想外の一言を放った。
「あのさ、ソフィア。貴女さえ良ければ、しばらくここに滞在してみる?」
「え……?」
「それとも、何か予定とか入ってる?」
「いえ……1ヵ月後くらいには、短期の仕事を請ける予定だけど……」
「そっか、なら大丈夫だな! 私、引退して大分経つけど、一応冒険者時代は
朗らかに笑いながらアレクは自分を指し示した。あまりにも突然の申し出に、ソフィアは慌てて声を上げる。
「……で、でもあたし、」
「あ、礼金とか、小難しい事考えてる?」
「……」
言おうとした事を言い当てられて声を失うソフィアに、彼女は肩を竦めて笑った。
「そんなのいらない……っつっても、気にしそうだよね。分かった。なら、キャロルの手伝いしてよ。貴女、文字は書ける?」
「……共通語なら」
「キャロルの仕事では、主に古代語だ。コツさえ掴めれば写本も出来るはずだから、頑張れ!」
「えっ」
「気合と根性があれば、全部何とかなるはずだ!」
「い、いや……」
「あ! あと、料理も手伝って欲しいかな!」
「い、いや、やった事無い……」
「ソフィア」
「な、なに?」
「誰しもみんな、どんな事にだって初めてってモンはあるから、気にすんな!」
「え……あ、え……」
あまりにもキッパリと言い切るアレクに、ソフィアは反論の言葉を失った。その様子を見て、アレクは破顔一笑した。
「よっしゃ、決まりだな! 期間は余裕を持って短期の仕事に入れるように、半月! そう書いて送っておくな!」
「えっ」
目を剥いて慌ててベッドから降りようとすると、アレクはサッと左手をソフィアの目の前に伸ばし、人差し指を立てて「ちっちっちっ」と横に振って見せた。
「安心しな。悪いようにはしないって! 宿とエルテナ神殿にはちゃんと手紙書いておくから。自分でも出したいってなら、明日にでも書くと良いさ。今日はひとまず、寝ろ」
言いながら彼女はニヤリと笑い、そのまま部屋を出て行った。
怒涛の様な会話の勢いに押され、呆然としたままソフィアはベッドから片足を出したまま固まっていた。頭の中で会話内容を反芻するが、上手くまとまらない。
(……え、もしかして……
両手で頭を抱え、懸命に情報を整理する。
(それで……ええと、キャロル……さん? の手伝いを……え、キャロルさんって何をしてる人、あ、違う。
部屋の中を改めて見回す。室内は綺麗に清掃されており、本や羊皮紙も綺麗に整えられている。確かにこの様子では、掃除は間に合っているように思われた。
少し迷った後、ソフィアはベッドの上に片足を戻した。そのまま横にはならず、上半身を起こしたまま、窓の外を見やる。この家は平屋建てらしく、ソフィアがベッドの上で身を乗り出して窓の外を見ると、丁度玄関の扉が開く様子が見えた。灯りのともる家の中から1羽の
2人はしばらく空を見上げていたが、キャロルがアレクの肩を抱き、促すように家の中へと戻っていった。それを見届けると、ソフィアもベッドに身体を横たえて瞼を閉じた。
翌朝から、ソフィアはアレクとキャロルの手伝いを始めた。
とはいえ、古代語はまだ読み書きが出来ない為、最初に行うのは蔵書整理だった。キャロルは思った以上に整理整頓が苦手……というか、整理というものを重要視していない様子で、床にも机にも椅子の上にさえも、無差別に、且つ無作為に本が積みあがっていた。意図的に並べているわけではない、と先に確認していたため、問答無用でカテゴリごとに分け棚へ戻していく。共通語で書かれた本もあるが、メインは古代語で書かれた本だ。だが、読めなくても形は分かる。また、ポイントとなる文字は先にキャロルから教えてもらったため、整理は思った以上に捗った。……と言っても、片付ける予定として3日と見ていたのが、2日に短縮された程度だが。もちろん、その2日間、ずっと蔵書整理をしていた訳ではない。夕方から夜にかけては、アレクの
他、朝、昼、晩と食事の準備の整いも手伝いをした。アレクは予想以上に料理上手だった。とはいえ、凝った料理というよりは素朴な素材重視のものばかりだったが。それでも、肉や魚は使わず、野菜がメインの薄味の料理は、ソフィアも食べやすいものだった。特に申し出たわけではないが、ソフィアの食事の量はきちんと少なめで調整されており、残さず食べきる事も出来た。
数日経った頃、ソフィアは誰も家の掃除をしていない事に気付いた。気のせいではない。慌ててアレクに尋ねると、彼女は笑いながら答えた。
「ここの家には、
「そ、そんなのがいるの?」
「うん。古い家には大体いるんだけど、使役するのは精霊使いがいないと駄目なんだ。だからあんまりメジャーじゃないかもね。戦闘で使うわけじゃないから、目立たないし。でも、いてくれるとすっごく助かるんだよね」
言いながら、アレクは暖炉上の棚に小さなコップに注いだミルクを置いた。
「? 何をしているの?」
「ん? ああ、これ? これは
悪戯っぽくウィンクして見せると、アレクはくるりと身を翻した。
「さて! もうひと頑張りしよっか! 夕方からは、今日は森で実践行ってみよ!」
「分かった」
いつの間にか慣れたもので、ソフィアはこくりと頷くと、アレクに続いた。
* * * * * * * * * * * * * * *
「ソフィアさん、昨日の分は」
「仕上げ終わってる。あと、学園から借りた資料は
「今日の作成予定の地図の準備ですが」
「机の右側に作図用のインク2種類と羽ペン、あと資料の中に10年前の地図があったから念のためそれも揃えておいてある」
「ありがとうございます。素晴らしい」
にっこりと微笑を
「確か今日、町に戻るのでしたね。優秀な助手を失うのは残念です」
「辛気臭い事、言ってんじゃねーよ!」
唐突に明るい声がかかる。次いで、大きな包みを抱えたアレクがキャロルの書斎に入ってきた。
「おっす!
「ええ、こちらは終わりですよ」
「ソフィアは?」
「……問題ない」
アレクの声に応えるソフィアは、この家に来た当初よりずっと顔色も良く、心なしか棒の様だった手足も、少し丸みを帯びた様に感じられた。相変わらずあまり眠れてはいない様子だったが、それでもアレクの作る食事――どちらかというと野菜ばかりの粗食は、ソフィアの口に合った様で、少しずつだがきちんとした食事を採る事も出来るようになっていた。
「そうだ、ソフィア。これなんだけどさ」
持って来た大きな包みを
「これ、私が前使ってたヤツ。そろそろ私が着るには若すぎちゃってさ」
「? え? どこが?」
「
言われるがままに、包みを
「……こ、これは、……えーと、そうね……で、でも、何だか高そう?」
「うん、フォローありがとう。でも敢えてもう一度言おう。これ、そろそろ私が着るには若すぎちゃってさ」
「え……アレクっていくつなの?」
「20歳」
「なら、まだ……」
「いや、これは……せいぜい10代までだろ。だから、やる! 持ってけ!」
「……え?」
「私はもう着ないし、これからどんどん寒くなるからな! 思う存分、着倒してくれ!」
「そ、そんなわけには……」
またアレクのペースに巻き込まれそうな予感がし、ソフィアはチラリとキャロルの方を見る。だが、彼は極上の満足そうな微笑みを浮かべたまま見守るだけで、助け舟は出してくれなかった。
結局、その後はアレクからもらった薄茶色の(可愛らしいデザインの)外套を着ることになった。レースやリボンは好きに取りはずして構わない、とお許しを頂いているので、後で取り外させてもらうつもりだ。
町の入り口まではアレクとルーフォス(キャロルは仕事がある為留守番だそうな)がついて来て見送ってくれた。
別れ際、アレクが手を振りながらにっこりと笑い、
「ソフィア、
いつか誰かに言われた気がする、そんな一言を言った。
こうしてソフィアは、半月ぶりに町に戻ったのだった。アレクが頼んでいてくれたのか、単に次に入る客がいなかったのか、
明日はエルテナ神殿へ行こう、と小さく呟き、ソフィアは懐かしい窓の無い小さな部屋のベッドに身を横たえて瞼を閉じたのだった。
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