園児殺し / 『嗤う田中』シリーズ

日南田 ウヲ

第1話

(1)


「パパ」

 娘のミナが僕に銀色の指輪を持ってきて言った。

「これね、拾ったの。キラキラ輝いてすごいでしょう?」

 僕は娘が持ってきた指輪をおもちゃだと思っていたから半ば相手にせず振り向くことなく、リビングでネットの動画を見ていた。

 だからそんな僕を見て娘が怒りだして、指輪を投げつけた。

 そいつが見事僕の額に命中。

  顔を抑える僕は、走り出して逃げる娘に声をかける間もなかった。

「ぃ、痛ぇ」

 床に転がる銀色の指輪。僕は舌打ちしながらそれを拾う。


 僕の名は田中陽一、妻は恵子。一人娘がいま指輪を投げつけて逃げた娘のミナ。

 娘は幼稚園に入ったばかりの遊び盛り、いたずら盛りと言ったところだ。今も指輪を投げつけて隣の部屋に逃げたが大きな瞳をくるくるさせてドアの隙間から僕をそっと見ている。僕にはその眼差しが愛くるしくて可愛い。

 妻は今日、同窓会があるからと言って早朝から出かけている。つまり日曜日の娘の遊び当番は今日一日僕が受け持つということだ。

 娘は元気に部屋中のあらゆるおもちゃ類を引っ張り出して遊んでいたが、僕は何も言わず動画を見ながら娘の気分に任せるままにしていた。

 勿論、普段この状況であれば早々に妻の雷が娘に落ちているところだが、普段から娘と過ごす時間が少ない父親の僕にとっては娘の愛らしい姿が可愛い。だからそのまま娘が想像力のなすままの遊びに没頭させておくのを邪魔したくなかった。

 しかし、突然の痛みの洗礼を額に受けた僕は娘を叱って、遊びを中断させなければならないと思った。

 時計を見れば正午も近い。娘と近くのファミリーレストランに行くには良い時間でもあった。

「ミナ」

 僕は拾った指輪をテーブルに置いた。

「今日はママが居ないから、外に食事に行くよ。さぁ、おいで」

 しかし娘は隣の部屋から出てこない。じっと僕を見つめ居ている。

「こらっ、ミナ。いつまでもそこにいるとパパ怒っちゃうよ」

 ちぇ、

  ぶー

 娘の舌打ちした後の声が聞こえる。愛くるしいがそこはきちんとしなくては。


「ミナ!!」

 言って立ち上がったがミナはじっとドアから動かない。


 ――頑固だな。反抗期に入ったかな


 そんなことを思いながら娘の所へ行こうとしたが、娘が僕を見ていないのに気付いた。娘の視線は微動せず、指輪を見ているのだ。それがあまりにも真剣で何かぞくりとさせた。僕はテーブルに置いた指輪を振り返る。


 ――銀色に輝く指輪。どこか錆びついた感じがするが、それは指輪が醸し出す気分なのかもしれない。


 僕は指輪を手に取った。

  それをゆっくりと指先で回す。その様子を見て娘がドアを開けて僕の側に歩み寄って来た。

 日曜の優しい休日の陽光が窓から差し込み、時計が正午を指す。


「あれ…」

 僕は思わず声に出した。


(裏側に文字がある)

 目を細めてそれを読む。


 ――K


(アルファベット一文字・・?)


 娘を見る。


「ミナ、これどこで拾ったの?」

 持ち主が居ればこれを返さなければならないと思った。

 娘が僕の太腿を触る。

「ねぇ、どこ?どこでひろったの?」

 僕の質問に娘が頬を膨らます。

「パパ、ミナにあそこのケーキ買ってくれる?」

 あそこのケーキ?と聞いて僕はマンションの下にあるケーキ屋の事だと分かった。

 それで僕は娘がどうして指輪を僕に持ってきたかわかった。

 それは結局のところ僕がこうして指輪の持ち主を聞くはずだと娘は思ったのだろう、そうすれば娘は必ずこう切り出す予定だったのだ。

 普段、妻は娘に好きなものは厳しく制限させている。まぁ、我慢ということを教育しているのだろう。父親としては時にそうした姿を見るのは実に忍びないのだが、その分僕には娘に対して隙間が広いわけで、それを娘も幼いなりにそれなりに知ってるのだ。

 こうしたやり取りの結果として、それが娘の幼心の父親としての期待に添えて行くわけだが・・。

 苦笑して僕は娘の頭を撫でる。

「勿論、今からパパと出かけた後に一緒に買おうよ」

 それを聞いて娘が破顔する。

 やはり娘の笑顔を可愛い。妻には悪いが今日はめい一杯甘やかせてやるつもりだ。

「それでミナ、これをどこで拾ったの?」

 僕は優しく聞く。

「うん、これね。幼稚園で拾ったの」

「幼稚園?」

「そう、幼稚園の道具部屋」

「道具部屋?」

「そ、道具部屋」

 僕はそこで眉間に皺を寄せる。


(道具部屋だって…?)


 眉間に皺を寄せた僕向かって娘が言う。

「パパ、怖い顔してる。ママに怒られたときみたい」

 娘の声は聞こえない。既に心の中で踏切の警報機が鳴っているのだ。それはカンカンと高く鳴り響く。その踏切の先に、少年が見える。

 娘と同じ年頃の少年。

 ――その少年の名前は夏目

 なつめ

 優

 ゆう

 。

 今年の保護者参加のお遊戯会で跳び箱の中で死体が発見された少年。保護者が一斉に集まるあのお遊戯会の最中に突然姿を消し、そして死体となって発見された。首に絞首された生々しい跡と小さく手に握られた折り紙と小さなヒーロー人形を残して。


 僕はその時妻とその現場にいた。


 彼は確かに発見された。


 道具箱部屋の跳び箱の中から。


 カンカンと鳴り響く音を聞きながら、娘に言った。

「ミナ、いつ見つけたの?」

「だいぶ前だよ。優君と鬼ごっこしたとき」

「優君と?だいぶ前だって…」

 僕はそこで唾を呑み込んだ。ますます険しい眼差しの僕を見て娘が言う。

「パパ、怖いよ。節分の時の先生が付けてた鬼さんの仮面みたい」

 娘がいやいやしながら言う。

「パパぁ、早く行こうよ、レストラン。それからケーキ屋さんいくのぉ!!」

 太ももを強く握る娘の手が僕を振りほどこうとしてる。


 あの縊死した少年の姿から。

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