六、死体遊戯

 夕暮れに照らされた屋根のない廃墟のレストラン。壊れたテーブルの上には、二リットルのアルコール度数90度を超える火酒サラマンドラのボトルが置かれている。

 ボロボロのソファーに座る男が、葉巻を口にくわえて、目の前の椅子に座る宮廷のローブに身を包んだ品格ある中年の紳士を睨みつける。

紳士「さすがは山賊たちの頭領ですね。醸し出すオーラと風格が他者と一線を画しています」

山賊頭領「宮廷護衛人のキールっていったっけ? さんざん俺の部下を殺しておいて交渉はねぇだろうよ」

 葉巻を口から離すと、大量の煙をキールに吹きかけた。

 しかしキールはまばたきせずに、山賊頭領を見つめる。

キール「我々宮廷の者は当初八人でここに来たのですが、既に三人が狼男に不覚を取って命を落としました。私たちは狼男以外の者の生死は問わずと命令されていますが、私の考えは違います。ぜひあなた方の協力を得て、共に狼男を捕まえたく、私の自己判断でここに来ました。もちろん私自身は、あなた方に手を出してはいません」

山賊頭領「宮廷ってのは、仕事中に酒とタバコはやれるのか?」

キール「?」

山賊頭領「俺たちはルールが嫌いだ。だからこんな生活をしている。飲みてぇときに飲むし、りてぇときに殺る。わかったか? つまり、俺に指図するんじぇねよボケ! ってことさ」

 山賊頭領は、火酒をボトルごと三分の一ほど飲み干すと、葉巻を大きく吸い込んだ。

キール「やれやれ……私は無駄な争いは嫌いです。お金で済む話ならそれでいいと思ったのですが」

 キールの両手に魔力が集まる。

山賊頭領「おっと! 危ねえじゃねぇか」

 山賊頭領は、懐から取り出した刃渡り40cmほどのナイフで、キールの腕を突き刺した。ナイフは腕を貫き、テーブルに深々と刺さった。

キール「なっ!?」

山賊頭領「ハァーーハッハッハッ! 宮廷ってのは礼儀正しいんだな! ケンカに開始の合図をしてくれるとはよ!」

 ナイフを抜こうとするキールに笑いながら火酒のボトルを頭に叩きつけ、吸っていた葉巻を放り投げた。

キール「ぐっ! ぐあぁぁ!」

 火だるまになり転げ回るキール。

山賊頭領「狼男も宮廷のボケ共も皆殺しだ。俺は相手が誰だろうと平等に暴力をふるうぜ」

 山賊もとい無法者集団“スヴァボードナ”頭領“レオニード”、現る!!


「オオーーーーーン!!」

 遠くから狼の遠吠えが聞こえた。パンドラの体に痺れるような刺激が走った。

パンドラ「狼男たちのボス!? この波動は! ただ者じゃない!」

 遠吠えが聞こえた方向を凝視するパンドラ。

グレイ「しかし、あんな声を出したら、自分の居場所をバラしているようなものだ」

パンドラ「敵を迎え撃つつもりかもしれないわね」

グレイ「奴らは夜行性……ここからが本当の戦いということか」

パンドラ「グレイさん、ここからは命の保証はできないわ。逃げるなら今のうちよ。逃げたって臆病者なんて思わないから安心して。あの声を聞いてビビらないほうが異常だわ」

グレイ「特等席でダンスを見せてもらったお礼をまだ返していない。命を懸けるほどパンドラさんの踊りには価値がある」

パンドラ「全く、命知らずのバカばかりで嬉しくなるわ」

 パンドラとグレイは笑みを浮かべながら、お互いの拳をぶつけた

カテナ「がぅ! オイラたちのほかにも、いろんなにおいがあつまっていってる! いそがないとさきこされちゃうよ!」

 向かい風を鼻に取り入れながら、今度は逃さないとばかりに再びロケットスタートを切った。


 アルダーを倒した狼男たちのボスと思われる者の遠吠えが、廃炭鉱の廃墟に響き渡る。

ザハル「なるほど……」

ジーニャ「狼男のボス、で間違いなさそうね」

 遠吠えの方向を眺めるザハルとジーニャ。

クリメント「間違いありませんね」

男「ふふふふふ」

 冷静に遠吠えの意図を理解するクリメントと、その横で不気味に笑う、黒髪の長髪で豊かな髭を蓄えた男。

レオニード「ハーハッハァ! 元気がありあまっているじゃねぇか! 暴れ足りねぇってか!?」

 葉巻を吸いながら大声で笑うレオニード。

 廃炭鉱の廃墟に集まる強者たちが、その遠吠えの元を目指して歩みを進めた。

 遠吠えが聞こえた場所に向かうクリメントと謎の男。

クリメント「前方に約三十匹の狼男、後方に六人の男女が接近中です」

男「ふふふふふ。被験体サンプルが大漁だな。確保できるかクリメント? 後方の連中は始末して構わん」

クリメント「ラスプーキン様、私の能力をお忘れですかな?」

 クリメントが不敵な笑みを浮かべると、周囲の地面から無数の腐敗した死体や、肉体が損傷した山賊、狼男の死体が姿を現した。

クリメント「クリメントの名において命ずる! 狼男の確保とその他賊軍たちの始末に向かいなさい!」

 クリメントの命令で、四十数体にも及ぶ死体が前方と後方に向かって走り出した。

ラスプーキン「さすがだな。“傀儡王(Кукловодククロヴォード)”の実力、見せてもらおうか」

 クリメントは、宮廷で最も大きな権力と魔力を持つ墓守である。能力は「死体遊戯(Κούκλεςククレス ζωντανών νεκρών・ゾンタノン・ネクロン)」。

 “相手を殺せ”などの単純な命令なら、一度に百体もの死体を操ることができるが、死体の記憶を呼び起こし、生前と同じように活動させるなど、複雑な命令をする場合は、一度に五人程度が限界である。

 死体の活動時間は約一時間~六時間であり、単純な命令を受けた死体ほど活動時間は長くなる。但し、一度操った死体は二度と操ることはできない。

 不慮の事故等で遺族と別れを告げられなかった遺体を目覚めさせ、遺族に別れの挨拶をさせるのも、クリメントの仕事である。そのため、冥府への水先案内人として、宮廷内だけでなく民衆からも多くの支持を得ている。その一方で、遺体を蘇らせる行為は魂への冒瀆であると反発の声もある。


カテナ「ッッ!! きっついこのにおい!」

 走りながら、あからさまにしかめっ面をして叫ぶカテナ。

カテナ「さっきまでなかったのに、まえからいきなりくさったにおいがたくさんするようになったよ! しかもこっちにむかってくる! このままいくとはちあわせるけど、みんなどーする!? あわないようにまわりこむ!? それともかたっぱしからやっつけてく? やっつけてく!?」

クルト「いっぱい来る……負の生命力……!」

 ドルジのかけた敏捷魔法クイックネスの助けによって、何とかカテナのあとを追って走りつつ、クルトは精霊力の大きな異変に気がついた。

ドルジ「腐った臭いに負の生命力か……即ち……」

アイグル「ゾンビ、かしらね……」

 情報を統合して、警戒を強める一同。

ドルジ「相手は動く死体、倒してやるほうが却って供養になるじゃろう」

アイグル「心置きなくやっちゃいましょ!」

 カテナに向かって親指を立てるアイグル。

カテナ「いーねっ! そーこなくっちゃ! みなおしたよっ、アイグル!!」

 四つ足で走りながらも、カテナも器用に親指を立ててアイグルに返した。

パンドラ「来た!」

 ドルジたちの正面から、無数の死体が襲いかかってくる。

パンドラ「ヴァルトベルクで亡霊とダンスしたかと思えば、今度はゾンビとスリラーダンスかい。やれやれ、私にまともなパートナーはいないもんかねぇ」

 パンドラは素早く剣を抜いて、ゾンビの腕を斬り落とすが、痛覚もなければ意思もないゾンビはお構いなしにパンドラに襲いかかる。

 パンドラは後ろに飛び跳ね、ゾンビの攻撃を交わした。

 それと同時にパンドラの横からグレイの火矢が飛び、ゾンビに突き刺さると、ゾンビは叫びをあげながら燃え尽きた。

グレイ「ヤポニヤでは遺体を火葬するらしい。こいつらの宗教とは違うと思うが、せめてこれで成仏してくれ」

パンドラ「相手の数は十五! やるよみんな!」

カテナ「なるほどっ、ひがいいんだね! がぅあぁあぁッ!!」

 カテナから見て一番手前のゾンビの顔面に向かって、渾身の力を込めて殴って、ゾンビの体幹を崩す。

カテナ「うえぇっ、てがぐっちゃりしてきもちわるい! クルトっ、いまだあぁっ!!」

アイグル「クルトちゃん、それなら私はこれを」

 アイグルはヴォートカの瓶を取り出し、クルトに合図した。

クルト「ん、やってみる! 熱き炎の精、サラマンダーよ!」

アイグル「これでも喰らいなさい! えいっ!」

 ヴォートカの瓶をゾンビたちの一歩前に投げつけるアイグル。そしてクルトが詠唱とともに松明を掲げると、そこから炎の矢ファイア・ボルトが飛び、爆発的な火柱となってゾンビたちを焼き払った。

グレイ(ひゅぅ)

 口笛を鳴らして感嘆するグレイ。

 一同の最後尾から続くドルジも、杖を構えて詠唱に入った。

ドルジ「主よ、絶えざる御光もて彼等を照らし給え──!」

ゾンビ「ギエェェェェ!!」

 一同の背後から、まばゆく白い光が放たれ、ゾンビたちは目を眩まし悶絶の叫びを上げる。

 パンドラは目を眩ませたゾンビに向かって、地面の瓦礫が砕けるほど力強く右足を踏み出した。そして目にも止まらない速さで剣を縦と横に振るうと、ゾンビはうめき声をあげる暇もなく、右半身と左半身、さらに上半身と下半身に別れてその場に崩れ落ちた。

パンドラ「体が四つになれば、さすがにもう動けないわね」

 剣を鞘に収めて周囲を見渡す。

パンドラ「さすがクルトちゃんたちだわ」

 あたりのゾンビはすでに全滅していた。

 カテナは手についたゾンビの肉片を、手を振って取ろうとしている。

グレイ「俺がここに来た時は、ゾンビの気配などなかった。術者が近くにいるぞ」

「うおおーーん!」

 前方から狼男の遠吠えが聞こえる。


クリメント「後方の“傀儡(Марионеткаマリオニェーツカ)”は消滅。前方の三十体も消滅しましたが、八匹の狼男を確保しました。その他の狼男は撤退した模様です」

ラスプーキン「十分だ。ただ、気になるのは後方の方々だな」

クリメント「先に始末しましょうか? 後々邪魔されては迷惑です。それに、私の傀儡マリオニェーツカとして使えば便利な駒として役立つでしょう」

ラスプーキン「ふふふ、そうだな。都合よく向こうから近付いてきている。お相手しよう」

クリメント「 जी उठने 復活

 クリメントが呪文を唱えると、地面から二体の死体が起き上がった。

クリメント「山賊の幹部と思われる死体です。生前の残虐な記憶と力を蘇らせて操っていますので、一時間くらいしか動かせませんが……その強さは生きていた時以上です」

ラスプーキン「ふふふふふ。見えてきたぞ」

 ラスプーキンたちの十m後方に、パンドラたちの姿が現れた。


カテナ「──いる! このにおい、まちがいない! すぐちかくだっ!」

 ゾンビたちの襲撃を切り抜けた後、再び聞こえた遠吠の方へ向かって走っている途中、カテナは既に十二分に嗅ぎ慣れた匂いを感じ取り、胸を踊らせていた。

 無意識に足も軽くなる。

 そしてついに、嗅覚だけでなく視覚においても、お父さん──ラスプーキンを捉えた。

カテナ「おとーさん! おとーさーーんッ!!」

 ラスプーキンの姿を見るや否や、カテナは嬉しそうに走り寄って行った。

クルト「カテナ……わたしも行く!」

 クルトは警戒心を強めつつ、カテナのあとを追って走って行った。

パンドラ「カテナくん!!」

 カテナを呼び止めようとするも、既にパンドラの声はカテナの耳には届かなかった。

ラスプーキン「お父さん? ……あぁ、そういうことか。うふふふふふ」

クリメント「ふふ」

 ラスプーキンは少し考えたあとに、何かを思い出したかのように微笑を浮かべた。それにつられてクリメントも、静かに、そして上品に口から笑い声が漏れる。

ラスプーキン「君は十四号か。歳をとると、消耗品のことはすぐに忘れてしまう」

クリメント「ふふふふ。ご子息に向かって失礼ですよ、ラスプーキン様」

 ラスプーキンとクリメントは笑顔でカテナを見つめた。

ラスプーキン「失礼したね。えーと、カテナ君だったかな。久しぶりだね。会えて嬉しいよ。さぁ私のところへおいで。一緒に悪い狼男と山賊をやっつけよう! その後は一緒に宮殿でパーティーをしようね。何が好きかな? 上等なお肉がいいかな? 最高級のぶどうで作ったジュースも用意しよう。お腹がいっぱいになったら子守唄を歌ってあげよう。カテナ君が眠りにつくまで、ずっと、ずっと」

 不気味な笑顔から覗く優しい瞳と声。

パンドラ「くっ!」

 ラスプーキンの声と瞳に、パンドラは意識を奪われそうになる。ザハルの時と同様に、こいつらには人の心を支配する妙な力がある。

 術などではなく、生来持ち合わせた能力。

 しかし、それは人を魅了するというレベルではない。人の心を支配し破壊するという邪悪なもの。

 パンドラは、すぐにラスプーキンの本性を見抜いた。

グレイ「パンドラさんとは真逆だ……ラスプーキンは悪のカリスマ! 邪悪な意志で他者を魅了する! そして心を破壊する! 間違いなく邪悪な存在だ!」

 グレイもまたパンドラ同様にラスプーキンの本性に気付き、畏怖した。

カテナ「ずっと…ずっといっしょ……そう、そーだよ…! オイラ、おとーさんとずっといっしょ! わるいヤツみんなやっつけて、またおとーさんといっしょにくらす! ぁは、あはははっ! オイラすっごいうれしい! おとーさんだいすきっ! あはははっ!」

 好物の肉を食べ、父親とも呼べるラスプーキンに優しく寝かしつかせてもらえる。そんな幸せな自分の姿を想像し、カテナは心底嬉しそうにラスプーキンに抱きついた。

クルト「……あなたが、ラスプーキン」

 クルトはその様子を、警戒心に満ちた表情でじっと見つめた。そして、ラスプーキンを強く睨みつけた。

クルト「……かえして」

 クルトは戦慄しつつ呟き、続けて叫んだ。

クルト「カテナを……返して……!!」

 パンドラはクルトを見て、心が震えた。ラスプーキンに対して声を上げることすらできなかった自分。それが自分よりも半分以上若い少女が、巨大な悪に臆しながらも抵抗の牙を見せた。その姿に、パンドラは強く胸を打たれた。

パンドラ「クルトちゃん……」

 パンドラは目に涙を浮かべながらクルトを見た。

クリメント「ラスプーキン様、あの者たちは確か……」

ラスプーキン「ん? おぉなんと! ヴァルトベルクの楽士! パンドラ殿たちであるか!」

クリメント「まさかこのようなところでお会いするとは……先程のゾンビの群れを差し向けてしまったこと、深くお詫びいたします」

ラスプーキン「貴殿らの力には深く感銘を受けました! ぜひその力を私たちと共に! この国のためにふるってほしい!」

 カテナを強く抱きしめながら立ち上がり、笑顔をパンドラたちに向けるラスプーキン。その横で深く頭を下げるクリメント。

ドルジ「ラスプーキン殿。御身の仰せに従うことはできませぬ」

 ドルジは、ラスプーキンに向かって静かに、しかし決然と話した。

ドルジ「ザハル殿から伺いましたぞ、御身らが何を企んでおいでか。狼男を使った、残忍極まりなき生体実験……。そのような企みに、わしらは一寸たりとも協力することはできませぬ」

 そして、僅かに語気を強めて言った。

ドルジ「その子を──カテナをもまた、一体の“獣人”として悪用することを企んでおいでではあるまいかね……?」

カテナ「……じーちゃん? それいじょう、おとーさんにひどいこといわないでよ……?」

 抱っこされながら、カテナは睨むようにドルジを見、ぐるるる……と、威嚇するような唸り声を漏らした。

クリメント「ザハルからの勧誘も断ったのですね」

 はぁ、とため息をつくクリメント。

ラスプーキン「ふふふ……クリメントよ、魂のない人形になったとしても、生前のように歌い舞い踊れるものか?」

クリメント「もちろんです。彼女たちの記憶と経験は、意志を持たぬ骸となろうと、その肉体に刻まれています。それを呼び起こすのは、私にとっては造作もないこと」

ラスプーキン「それでは、遺体はできるだけ綺麗に保管して宮廷に連れて帰ろう。狼男捕獲の成功を祝う席で、骸たちの歌と踊りで祝杯をあげようか」

クリメント「ふふ、悪趣味ですなラスプーキン様。しかし、彼女たちにとって、死後も歌い舞い踊れるということは幸福かも知れませんね」

 ラスプーキンとクリメントが笑うと、二体の山賊幹部の死体がパンドラたちに向かって走り出した。

グレイ「やる気みたいだな!」

 弓矢を構えるグレイ。

パンドラ「カテナくん!! 目を覚まして! そんな奴があなたの本当のお父さんなわけないわ!」

 カテナに向かって叫んだ瞬間、山賊の剣がパンドラを狙った。

 とっさに剣を抜いて防御したが、山賊の力に三mほど吹き飛ばされ、後方の瓦礫に背中を強打した。

パンドラ「ぐっ!」

 パンドラの口から血がしたたり落ちる。

グレイ「パンドラさん!」

山賊α「ぐるるるぅ!」

山賊β「ががが、ぎぎ!」

 グレイ「今までの山賊とは強さの桁が違うようだな」

 パンドラを攻撃した山賊αの腕から血が吹き出る。

グレイ「死体故に肉体への負荷を無視した力が出せるわけか」

山賊β「ぐぎゃがぁ!」

 山賊βは大剣を構えながらドルジたちの方向へ走り出した。

ラスプーキン「さぁカテナ君。お父さんのために悪い人たちをやっつけてくれるかな?」

 カテナにニッコリと笑顔を向けるラスプーキン。

クルト「カテナ、そんなことしないよね……? その人たち、わたしたちを殺そうとしてる……そして、最後にはカテナも……!」

 クルトは震える声でカテナに言った。

アイグル「クルトちゃん、こっちよ!」

 アイグルは前線に立っていたクルトに素早く駆け寄り、手を引いて後方に退かせた。

ドルジ「カテナよ。どちらがお主の本当の家族かね? その者たちか、それともわしらか」

 クルトに代わって、ドルジが一歩一歩前に歩み出つつ、静かに言った。

ドルジ「わしやクルトたちを、その手で殺めるのかね? それとも、また共に笑い合うのかね……?」

 杖を構えることもせず、両手を広げたその姿は、一見全くの無防備。しかし、その全身に、強い意思の力が漲っていた。それは、カテナのためであれば死をも厭わないという覚悟。

 パンドラが意識を奪われそうになったという、心を支配し破壊するラスプーキンの声と瞳。

──お父さんのために悪い人たちをやっつけてくれるかな?

 ラスプーキンに抱き上げられていたカテナは、至近距離でその声を聞き、眼を見ることになる。

 ただでさえ己の心を奪われるその魔性に輪をかけて、声はカテナの頭の中にある得体の知れないモヤモヤに直接紐付くように響き渡る。

カテナ「がぅううッぅううう!!!」

 ラスプーキンの胸に頭をうずくませながら、頭の中を針で弄くられるような強烈な頭痛に耐えかね声を上げる。

カテナ「がうぅっ……はあっ、はぁっ……。お、おさまったっ……。ごめんね、おとーさん、きゅうにおーごえだして……。でも、そう、そうなんだ……。オイラにとってはいいヤツばっかなんだけど……おとーさんにとっては、わるいヤツらなんだね……」

 カテナはラスプーキンを気遣って飛び降りるようなことはせず、ぱっと両手足を離して地面に降り立った。

カテナ「……パンドラ。おとーさんがほんとーのおとーさんじゃなかったとしても、オイラをたすけてくれて、じぶんのこどもみたいにしてくれたんだ……。すごく、すごくうれしかった。オイラもよくわからないけど、おとーさんとこうしてすごしたかったって、ずっとおもってたみたいに……」

 ドルジと同じように一歩一歩前に歩み出つつ、静かに言った。

 カテナの瞳に光はなく、ザハルの時よりもさらに昏い。

カテナ「クルト、じーちゃん。オイラだってみんなとたたかいたくない。どっちがほんとーのかぞくかなんて、えらべないよ……。おとーさんとみんながなかよくしてくれるのが、オイラにとっては1ばんだ……。ありがと、じーちゃん。オイラのことしんじてくれてるから、うごくしたいがいても、たたかわないようにしてくれてるんだよね……。でも、ごめん。いまオイラがおもってるのは、おとーさんによろこんでもらいたいってことなんだ。おとーさんとまたいっしょにすごしたい! おとーさんのためなら、オイラはどーなってもいい! よろこんでもらえるなら、オイラのきもちなんてどーでもいい! おとーさんのきたいに、こたえたいっ!! だから、おとーさんがみんなをやっつけてほしいってねがうなら……オイラは…オイラはみんなを……」


 や  っ  つ  け  て  や  る  ! ! !


カテナ「が  う  あ  ぁ  あ  あ  ぁ  あ  ぁ  ぁ  ! ! !」

 眼を見開いて天を仰ぎ、吠える声が木霊する。

 一人の少年の心が今、壊れた──。

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