第4話 二本目の短剣は堰堤で
蛍光灯の無機質な明かりの中、水元を先頭に四人は早歩きで進んでいる。
ここは軍持ダム上段監査廊である。
ダム内部の点検を行った後、副所長である百田と連絡が取れないという事態に陥った。点検に時間がかかっているのではという意見も職員の中からは出ていたが、水元は無視して探した方が早いと押し通した。
本来、内部捜査にゴーサインを出すべき人間が行方不明になったため、指揮権を管理課の課長が執ることとなり、課長は水元の行動にゴーサインを出した。
直ちに捜索隊のようなものが結成されることとなり、第二管理事務所の方で編成が行われた。同じタイミングで点検を行っていた水元、新崎、松田に加えて、第二管理事務所内で発生したサーバーダウン事件の原因を究明した、と半ば強引に刈谷も編成に加わった。
急場の捜索隊は水元の提案でまず上段監査廊から順番に捜索することになった。
第二管理事務所から監査廊に入り、今は事務所から百メートルほどの位置にいる。途中にあった『工事中立ち入り禁止』の張り紙があったプラムライン室に居ないことを確認して、また歩き出したところである。
さらに歩いてキャットウォークへ通じる扉が見えた。
水元がその扉を開けて、キャットウォークへと出る。新崎と松田も続けて出る。刈谷は安全帯を持ってきてはいなかったため、監査廊から見ていた。
復旧した監視カメラの映像からもキャットウォークに人がいないことは確認できているが、念のために外を確認することになった。
「ここから見える範囲にはいないな」
上部キャットウォークから確認できるのは、今いる上段のキャットウォークと、最下段のキャットウォークである。これはダムが縦方向にも曲率を持っているため、中段のキャットウォークが、水元の立っているところより後方にあるためである。
「監視カメラには人影なかっただろう」新崎も言う。
「戻ろう。監査廊内だ」松田は監査廊に引き返す。
刈谷の脇を通り抜け、監査廊に戻る。
また歩き出す。捜索の順序としては、第二管理事務所から上部監査廊に入り、第一管理事務所に向けて進む。その後中段監査廊、基礎監査廊へと進むルートである。
軍持ダムの二つのアーチの中央、外側から見ると台形部分にあたるところが四人の目前に迫っている。
前方を歩く三人の先輩職員を見ながら、刈谷は最悪なことが起こらなければ良いなと思っていた。
また、先程のサーバーダウン事件についても考えていた。
あの事件に違和感があった。事務所で意見を求められたとき、話している間にそのことに気が付いた刈谷は途中で話を切り上げていた。
サーバを止める目的の場合、破壊したほうがはるかに効率は良い。それをせずにサーバを一時的に止める、といった手段を実行者は取った。これは実行者の気持ちになって考えると、サーバを破壊したくない、ということに他ならない。
つまり、サーバは破壊されては困るが、一定時間動きを止めたい、という目的で実行に移されたと考えるべきである。
それは何を意味するかと考えたとき、刈谷は実行者がこのダムの管理事務所にいる内部の人間の犯行である確率が高いと考えた。
ここの職員だと仮定すると、サーバの破壊ではなく一時停止状態にした理由は、破壊すれば業務にも支障がでるために破壊することを避けつつ動作のみを封じる方法を取った、という説明がつくからである。
そうなってくると、今日付けで配属された刈谷はサーバ室自体を知らないために除外される。それ以外の職員は全員が容疑者である可能性がある。
さらに、音響爆弾が置かれた場所もその内部犯説を補強すると考えていた。
音響爆弾はサーバ室の天井に設置されている換気扇のダクト内部に設置されていた。
ここに設置する場合、実行者は脚立を持ってきて上り、工具を使って外蓋とプロペラ部を外し、さらに奥にあるダクトに装置を設置するという行動をする。
音響爆弾について、刈谷は詳しくはない。しかし、確実性を高めるのであれば、部屋の中央に置くべきである。結果論として成功したものの、その方が換気扇のダクトに隠すよりも効果は確実に高い。
サーバ室にはサーバラック以外に掃除用具入れのロッカーとアルミ製の棚が一つしかない。ロッカーに隠すことも考えられるが、ここに隠した場合は毎日行われるサーバ室の点検清掃の時に開かれるため、装置が発見されてしまい実行不可能である。
確実性を犠牲にしても換気扇ダクトに設置されていたという事実が、この部屋の点検清掃を実行者が知っていたということに他ならない。
この理由から、実行者は内部の人間である確率が高いことになる。
そのことに気付いた刈谷は、それ以上の推論を話すのをやめた。
目的がわからない以上、それ以上の推論をしても意味は無いと刈谷は考えていた。
四人はダムの台形部分に到着した。ここまでに何も変わったところはなかった。
水元は立ち止まらずにそのままもう一つのアーチ部に進む。
緩やかに曲がっているアーチ部を黙って進む。途中右手に地震計がある部屋があった。
中を覗くと、十畳ほどのスペースに測定器が置かれている。人が隠れられるようなスペースもなく、四人は外に出た。
さらに進む。
左手にキャットウォークへとつながる扉が見えた。扉前の床の一部が、雨が吹き込んだために形成されたと思われる水たまりがあった。刈谷以外の三人は念のため扉を開けてキャットウォークも確認するが、何も収穫はなかったようで、すぐに戻ってきた。
監査廊をさらに進む。この先を進めが第一管理事務所側の扉が見えるはずである。
水元の動きが止まった。新崎と松田がぶつかりそうになる。
「おい、急にとま」そこまで新崎が言うと、視線を前方に向けて固まっている。松田は口に手を当てたまま同じく固まっている。
刈谷は三人の間からその光景を見た。
蛍光灯の無機質な白色とコンクリートの灰色の中、不釣り合いな輝きを放つ物体が通路中央に確認できた。それには少量の赤も確認することが出来た。
その物体は、赤い液体の中に浮かぶ黄金色に輝く棒を胸から生やし、通路に横たわっていた人だった。
「おい、マジか」新崎が力なく言った。
百田和彦が金色に輝く棒を片翼のように背中から生やして倒れていた。
刈谷はその棒に描かれていた鷲に目を奪われていた。
その場にいる誰もが動けなくなっていた。
刈谷は立ち尽くしている三人の間を縫って、百田の遺体に近づいた。
百田の手を取り脈の確認をする。
「脈はないです」
刈谷の声だけが反響した。それは誰の目にも明らかだった。
先程目を奪われていた鷲はナイフの柄に描かれたものであることが分かった。
百田は頭を第一管理事務所側に向けて、俯せに倒れていた。
刈谷は先輩方の方を見た。
どうすれば良いか?と言った意味である。
「一体誰が」松田がつぶやいた。
「おい待て。まだ殺されたとは決まっていないだろう?」新崎が強い口調で言う。
「とりあえず、第一管理事務所に行きましょう。いずれにしても警察に連絡しないと」
「皆さん、デジカメ持っていますか?」点検時には記録用にデジタルカメラを所持しているため、同じ装備を持って捜索している三人はこれを所持していると考えていた。
「持っているが、なぜだ?」松田が差し出す。
「現場の写真です。よくドラマとかで見るでしょう?」
刈谷はカメラを受け取りながら言った。
「なら水元君が撮影した方が良い。写真撮影が上手だから」松田が言った。
刈谷は水元にカメラを手渡し、水元が数枚の写真を撮影した。
「おい遺体をどうするんだ?」新崎がいらだった様子で言った。
「このままの状態で置いておくのは死者に対して申し訳ないので」と言うと、水元に先ほどの地震計が設置してある部屋に置いてあったブルーシートを持ってきてもらうようにお願いして、持ってきたブルーシートを新崎と水元が百田の遺体に掛けた。
それから四人は遺体の横を進んで監査廊を出た。
エレベータを待っている間、誰も何も口にしなかった。
刈谷は、考えていた最悪の展開になったと思った。
第一管理事務所に到着した一行は、先程の状況を簡潔に説明した。事務所内はざわめきだった。その中の数人が大窪の事をちらりと見ていたことが刈谷は気になった。
水元は警察への連絡を行った。しかし、この雨による影響なのか、国道と県道との合流部分で大規模な事故が発生し、そちらに人員が割かれていることを理由に二時間ほど到着が遅れるということが伝えられた。
「ちょっと待ってください。ナイフで刺されているのですよ?人を寄こしてもらえませんか?」
「申し訳ありません、こちらも事故の方で手一杯で。早く着くようにしますから」そう言うと電話が切られた。
憮然としている水元に新崎が話しかけた。
「水元、二時間で来るって言っているんだろう?待つしかないだろう。これ見ろよ」新崎は応接スペースでテレビを見ていた。隣には松田、左手のソファに柴田がいる。
水元と刈谷が近づいてみると、電話で言っていた事故の報道がされていた。ずぶ濡れの雨の中で交通整理をしている警官と救助をしている救急隊員が映し出されている。
「そうですね」水元は言った。
「そういえば、柴さん、医師免許持っていなかったっけか?」
呼ばれた柴田は、給湯室で入れてきたコーヒーを飲んでいた。
「ああ、持っていますね。一応」
そう言ってかけている眼鏡の曇りを拭いた。
「え?凄いですね」刈谷は驚いていた。
「いやいや、そんな大したことはないですよ」
「柴さんの実家は代々の医者でな」新崎が話し出す。
「その道に従って柴さんも医大に進み医師免許まで取って、実家の病院で働き始めたんだがね。諸事情で医者を辞めて、こっちの道を選んだということらしい。柴さん合っている?」新崎は首をソファ越しに後ろへ倒して柴谷聞いた。
「代わりに説明してくれてありがとうございます」柴田はそれ以上言わなかった。
「そうだったのですね。では柴田さん、もし良かったら、遺体の検死をお願いできませんか?」刈谷は柴田に向けて言った。
「え?私がですか?法医学には詳しくはないのですが」自信なさげに柴田は言った。
「専門的にやらなくて大丈夫です。大体のことがわかれば。それに僕らが勝手に触るよりも現場の保全になると思うのです」刈谷は食い下がる。
「そう・・・ですね。わかりました。出来る範囲の事はやらせてもらいます」というと、コーヒーをぐいっと飲んだ。
「刈谷、ちょっと待て、所長にもこの件を報告する。それからだ」水元が言った。
「そうですね。申し訳ありません」刈谷は水元の報告が終わるまで待つことにした。
水谷は近くの事務机に向かい、受話器を手に取った。
水谷が所長と電話で話をしていると、大窪が刈谷や新崎が集まっている応接スペースにやってきた。
「あの新崎さん」
大窪は手を胸の前で合わせて、青い顔をしていた。
「どうした真奈美ちゃん?」新崎が真面目な顔で言った。
大窪は俯き少し黙った後、意を決したように話し出した。
「百田さんはやっぱり殺されたのでしょうか?」
応接スペースにいた全員が顔を見合わせた。
「真奈美ちゃん、まあ座れよ。刈谷君、彼女にコーヒーを」
そう言われた刈谷はコーヒーを淹れに行き、紙コップに注いで持ってきた。
大窪は渡されたコーヒーを一口飲んだ。その場にいる全員がそれを見守っていた。
「落ち着いたか?」松田が声をかける。
「はい、大丈夫です」
「取り乱す気持ちはわかるよ」新崎も声をかける。
「あの。大窪さんは百田副所長と何かあったのですか?」刈谷が言った。
刈谷以外が固まる。
新崎が大窪を見る。大窪は頷いた。
ふっと小さく息を吐いてから新崎は話し始める。
「真奈美ちゃんはね、百田から、その、性的に虐められていたんだ」
「セクハラと言うことですか?」
「セクハラ?そんなもんじゃない。本人の前でも言うことは憚られるくらいのことをしていたよ」
刈谷はその内容については尋ねなかった。聞いたところでどうなるものでもなく、興味もなかった。
「訴えたりとかはしなかったのですか?」
新崎はうんざりとした顔をした。
「もちろん我々も本人に直訴したことはある。しかしな。彼はしらを切り通していた。何なら真奈美ちゃん本人を連れてきて説明させろと言ってきた」
「それは。何と言うか、下衆ですね」
「ああ、下衆だ。それにな本人の経歴のこともあった。彼は地元の建設業に若いころ勤めていてね、いろいろな経験と知識は豊富だったんだ。彼を連れていけば仕事がスムーズに行くっていうことで所長も重宝していた」
「つまり、仕事に関しては真面目で重宝されていたと」
「ましてや訴えている内容が内容だからな。やはり本人の説明なしでは何とも訴えようもない。ただの戯言になってしまう」
訴えるということは具体的に何をされたのかを詳細に説明する必要があるのだろう。大窪にとってそれは苦痛でしかない。
「所内も副所長派が多くてな。しばらくすると真奈美ちゃんが噂やデマを流しているという話になってきた」
「ちなみに反対派って何人いるのですか?」
「真奈美ちゃんを除外すれば、俺、松田さん、柴さん、水元・・・かな」
ここにいるメンバー全員であり、今日のダム内点検のメンバーでもある。
「ほとんど副所長派ってことなんですね。肩身が狭いのではないですか?」
「そんなこと仕事に持ち込むアホがいると考えたくないが、ま、現実は、ってところだな。」
刈谷は話を元に戻す。
「そうなると・・・大窪さんが心配しているのは動機、ってことですか?」刈谷は大窪を見る。
大窪は小さく頷く、後ろで結んだ髪が揺れる。
「間違いなく最も動機が強いのは大窪さんですからね」松田が言った。
その時、水元が戻ってきた。
「所長に連絡した。とりあえず、警察の指示に従ってくれということだ。だから、警察にもう一度連絡して柴山さんの検死についても了解を取った」
刈谷は水元の仕事の早さに驚いた。
「柴山さん、お願いできますか?」
柴山はおもむろに立ち上がった。
「わかりました。行きましょう。お手伝いお願いできますか?」柴山は水元に言った。
「私も行きます」刈谷は志願した。
三人で再度監査廊に降りていく。
上部監査廊では、水元が先頭になり、柴山と刈谷がその後ろについていく形になった。
百田の遺体発見現場まで到達すると、先程と同じようにブルーシートに覆われた百田の遺体があった。
柴山は初めて見る百田の遺体に驚愕していたが、備品室から持ってきた薄手のゴム手袋を嵌めてすぐに検死に取り掛かった。
水元は柴山のそばで一緒になって見ていた。
刈谷は遺体に近づくことなく、壁に寄りかかりながらその光景を見ていた。
二十分ほど経過して、柴山の検死が終わった。
深く息を吐いて柴山が立ち上がった。
「柴山さん、どうですか?」水元が慎重に聞いた。
「そうですね」そう言うとゴム手袋を外した。
「死後三時間くらいかなと思います。死因は背中から心臓を刃物で一突きしたことによる心停止。ちゃんとしたところで調べればもう少しわかることがあると思うけれど」
柴山は水元を見た。
「そうですか」水元は言った。
刈谷は腕時計を見る。時刻は十七時二十五分。
「すみません、一つ聞いても良いですか?」刈谷は教師に質問するように軽く手を挙げた。水元と柴山が刈谷を見る。
「あの先程百田さんの遺体を発見した時にナイフが特徴的だなと思ったのですが、お二人はそう思いませんでしたか?」
質問を投げかけられた二人は顔を見合わす。
「ああ、刈谷はまだ行っていなかったな。ダム湖を挟んで向かいに土産物屋さんがあるんだが、そこに飾られていたものらしい」水元が言った。
「土産物屋さん・・・ですか?そこになぜナイフがあるんですか?」
「詳しくは聞いていないんだけれど、思い出があるらしいよ。店長さんが言っていたけれどね」柴山が言う。
「皆さんそこに良く行くのですか?」
「店長の淹れるコーヒーが俺は好きでね。良く行くよ。他はほとんど行かないんじゃないかな?」水元が言った。
水元はこの話を遮るように柴山の方に向く。
「柴山さん、自殺か他殺かっていうところは判断できますか?」
柴山は顎に手を当てて考えていた。
「他殺ですよね」刈谷は言った。
二人共刈谷を見る。
「なぜ?ナイフが死因っていうだけで他殺とは言い切れないだろう?」
水元が刈谷に向かってくる。
「確かに自殺でナイフを選ぶことは稀だと思うけれど、断定はできないのではないかな?」柴山も言う。
「いや、他殺と言い切っても良いですよ。背中から刺されているのですよ?」
「そうとは言い切れないのではないか?」水元が反論する。
「では、どのようにして自殺で背中にナイフを刺すのですか?その方法を教えてください」刈谷が間髪入れずに言った。
水元は何も言わない。
「百歩譲って何らかの方法でナイフを背中に刺して自殺したと考えても、そんな手間をかけるよりキャットウォークから飛び降りたほうが確実性は高いですよ。上部監査廊から出られるキャットウォークから飛び降りれば、ざっとみても百メートルは優にありますよね?即死です」
「他殺に見せかけて自殺したとは考えられないか?」水元が言う。
刈谷は腕組みをして考えた。
「まあそうですね。その可能性もないとは言い切れないと思います」
そう言って、話を終わらせた。
「じゃあ、事務所に戻って警察の到着を待とう」
水元の号令で事務所へと戻る。
事務所へと帰還すると、早速水元と柴山によって報告がなされた。現在第一管理事務所にいる全員、そして第二管理事務所はネット回線を通じて参加していた。
簡単な報告がされている中、刈谷はこっそりと自分の机のPC端末を操作していた。
刈谷は監査廊への入室記録を見ていた。点検が開始された十五時から現在に至るまで監査廊に入った人間を調べるためである。
第二管理事務所側では五分前に入室していることを踏まえて、百田の遺体発見時までに監査廊に入室した人間はおらず、それ以降も捜索隊として入室したメンバーと検死を行ったメンバー以外の名前は記載されていなかった。
刈谷は向きを変えて、報告会に顔を向ける。水元の報告が終わり、柴山が検死の説明をしているところだった。
状況的に他殺とも自殺とも考えられるという説明がされた時点で、何人かの職員から他殺として考えられるのではないかという質問が出された。
それに対する水元の回答としては、まだ判断するべきではないしその判断は警察に任せる種類のものだ、と言うことだった。
しかし、刈谷は水元が唱えた自殺説に疑問を持っていた。わずかに他殺説に分があると考えている。
他殺に見せかけた自殺、その場合、第三者には他殺と見えるようにする必要がある。
その点、監査廊で発見された百田は背中を刺されて死んでおり、その条件を満たしている。
加えて、他殺とする場合、加害者が必要になってくる。百田が監査廊内部で死んでおり、事件発生前後で監査廊にいることが出来る人間は、入室記録から点検業務のメンバーしかいない。つまり百田はその時の点検メンバーの誰かを殺害犯に仕立て上げようと考えたということになる。確かに入室が管理された空間でそのような役割を持った人物を作ることは容易であると考える。
しかし、刈谷は詰めが甘いと考えた。
百田以外の五人のうち誰が殺害したかを特定することが出来ないのである。誰でも良いと考えたのかもしれないが、他殺に見せかけることを選んだ人間がその点を適当にするだろうかという点が疑問に思っていた。
また自殺する理由が見つからないというのも疑問だった。所内のほとんどの職員が自分に賛同してくれており、好き勝手にいろいろ出来る、また所長からも目に掛けてもらっているという状態で自殺を選ぶことも考えにくい。もちろん刈谷が思いつかない理由があったということは考えられるが。
自殺ではなく他殺とした場合、現時点で加害者に関しては同じ理由で点検業務のメンバーでかつ特定は現段階では無理だが、自殺と考えるよりは動機の面でより自然になってくる。
刈谷は報告会が終了し、それぞれ警察が来るまでの時間を持て余している段階になっても考えていた。
やっと周りを見渡してみる。そのとき大窪が管理室を出て行くところを見た。
刈谷はふと思い立ち、席を立った。
「大窪さん」
刈谷は給湯室に入ろうとしている大窪に声をかけた。
「刈谷君、どうしたの?」
大窪はずいぶん疲弊していた。
「いえ・・・大丈夫ですか?」
「うん、流石にね。嫌なことされていたとはいっても、良く知っている人が殺されたかもしれないって考えると」
そこまで言うと、大窪は黙った。相当なことをされていたはずということは新崎から聞いていた。
「刈谷君も大変だったね、出向初日でこんなことになるなんて」
こういう発言が出来る大窪の人間性を刈谷は尊敬した。
「複雑な気持ちだと思います。そんな気持ちの所大変申し訳ないのですが」といって、刈谷は少し距離を詰めた。大窪が身体をこわばらせているのが刈谷もわかったが、それでも距離を再び取ることはしなかった。
「職員証、貸してもらえませんか?」
「へ?」気の抜けた声を発しながら大窪は脱力していた。
刈谷が管理課の部屋に戻ると出て行った時と変わらない様子だった。
自分の机に戻って、座りながら机を開けて準備を始める。
部屋の中はこそこそとした話し声は聞こえるものの、まだ静けさの方が勝っている状態だった。
ある程度準備を終えると、刈谷は自分のPCで監査廊への入室記録を閲覧した。現在入室している人間はいなかった。
他に情報がないものかブラウザで専用HPを眺めてみるか、めぼしいものは見つからなかった。どうしたものか考えていると、PCのデスクトップに『共有フォルダ』という名称のフォルダを見つけた。開いてみるとどうやら管理事務所間での共有書類などを保存しておくフォルダのようであった。刈谷はスクロールさせて内容を見てみると、『点検業務マニュアル』という文章ファイルがあった。
開いてみるとダム内点検業務のマニュアルで、ダム内点検の勘所がまとめられていたA4二枚ほどのファイルだった。ざっと目を通すと、事細かにやり方が書いてあるというよりは、こういうところを注意して点検してください、といったような共通認識のようなものであった。刈谷はこれを両面印刷して、作業着の胸ポケットに折りたたんで入れた。
ブラウザを消して、席を立つと、斜め向かいのデスクで作業していた柴山が目に入った。表計算ソフトを立ち上げ、左手にレシートのような紙を起用に指で広げて見ながら作業をしていた。
刈谷は柴山のデスクに近づいた。
「柴山さん、さっきはお疲れ様でした。何しているのですか?」
「ああ、刈谷君、地震計の計測値をまとめていたんだよ」
柴山はそう言って左手のレシートのような紙を刈谷に渡す。刈谷の手の中で包まってしまったレシートを広げてみる。
そこには地震計の計測値が細かく記載されていた。
「ああ、そうだったのですね。仕事中申し訳ありません。地震計の測定値ってこうやってまとめるのですね」
刈谷はレシートをよく見る。日付や時間、センサの名称と思われる英数字、測定データが記載されていた。
「これはデータロガーの記録紙ですか?」
「ああ、そうだよ。本来はUSBメモリを持って行って、想定機本体からデータを取り込むのだけれどね。若干操作が手間でね。部屋の中の点検もしなければいけないから、面倒だなって思った時はこっちを印字して自分で打込むことにしている」柴山は言った。
「多いと大変ですね」刈谷は柴山にレシートを返却する。
「そうだね。あと丸まるのもね」そういうと柴山の手の中で丸まった紙を見せる。
「USBデータの方がPC端末に入れて専用の解析ソフトを起動させるだけでデータを勝手に処理してくれるから、データ整理という意味では楽なんだけれどね」
「時間と気持ちとの天秤ですね」
そう言って、頭を下げて立ち去った。
こっそりと管理課を出た刈谷はそのまま廊下に置いてある見学者用のヘルメットを一つ手に取り、階下へと向かった。
刈谷はもう一度単独で監査廊へと入るつもりでいた。そのために大窪から職員証を借りた。一階についてからはエレベータに乗り換え、ウィング内部へと入って行った。
刈谷は誰にも告げずに調べることにしたのは、ただ単に他殺説が否定できず、所内に犯人がいると考えているためである。また、実行可能性から百田と同時に監査廊に入った五人以外にはこの犯行は無理であるとも考えていた。
所内はかなりピリピリしており、班副所長派の五人と他の職員の感情もいつ爆発するかわからない。そのために水元らに頼んで調査をさせてもらうわけにはいかなかった。とは言っても借りた職員証であること、さらに記録には残ることから、長時間調べるわけにはいかない。優先順位をつける必要がある。
エレベータは上部監査廊へと着いた。扉が開く。刈谷は決意を決めて、足を踏み出した。
監査廊入り口のカードリーダに大窪の職員証を当てる。電子音が鳴りロックが開いた音がした。
刈谷はズボンのポケットから軍手を取り出して手に着けた。指紋対策のためである。
刈谷はドアノブを回して扉を開け、監査廊内部へと進んだ。
入ると緩やかに湾曲した道が目前に広がった。その光景の中にブルーシートが被さった百田の遺体がある。
刈谷も百田の遺体に動揺していた部分があり、今回の監査廊の探索では落ち着いて観察することが出来た。
百田の遺体の置かれている位置が、今刈谷が入ってきた第一管理事務所側の扉寄りになっていた。
刈谷は百田の遺体の所に立って、通路を見渡してみる。第二管理事務所側の通路を見ると湾曲した通路のため、奥まで見ることは出来なかった。逆に第一管理事務所側からは入室の扉がしっかりと見えた。
刈谷は覚悟を決めてブルーシートをめくる。生気を失った人間がそこにはいた。刈谷は百田の目を見開いた遺体をじっと見つめていた。
刈谷はしゃがみこんで手を合わせてから、持ち物を調べた。両方のポケットには、ハンカチやタバコなどが入っていた。遺体を動かすことは躊躇われたので、背中の方に来ていた鞄のチャックを開いた。この鞄は点検時にカメラや記録するための野帳などが入っている小さめのポシェットのようなものである。
刈谷はまずデジカメの電源をつけ、保存されている写真を確認した。枚数は少ないがどれもダム監査廊の内壁を映しているものであった。電源を消して鞄に戻す。次の野帳を取り出した。野帳とは屋外での記入を想定して作られた硬い表紙をもつ縦長のノートのことを言う。刈谷は野帳の裏を見る。百田の氏名が書かれていた。几帳面な性格だったのかもしれない。中身は点検時に気付いたことが簡潔に書かれていた。刈谷はさっと中身を確認したが、特に気になる点はなかった。
鞄の中にはそのほかに筆記用具くらいしかなかったので、ブルーシートを元に戻した。
刈谷は立ち上がり、先に進んだ。三分ほど歩くとキャットウォークへと出る扉が見えた。刈谷は振り返って第一管理事務所側を見たが、百田の遺体を確認することが出来なかった。雨で濡れて小さい水たまりになっている扉を開けてキャットウォークに出る。
監視カメラがあるため、見つからないようにこっそりと開いて確認した。ここで見つかって連れ戻されるのを避けるためである。雨は小康状態になっていたが、いつ降り出してもおかしくはない空模様であった
監査廊に戻った刈谷は通路を進み、左手に見える扉に入る。扉には計測室とあり、中は地震計が設置されている。
計測室の中央には地震計が設置されており、装置の脇からはケーブルが数本伸びていた。ケーブルは二手に分かれており、片方はPC端末に繋がれていた。柴山がUSBでデータを取得できるというのはこちらのPCの方であろう。手間がかかるというのはどういうことなのだろうか、刈谷には分らなかった。PCであればUSBを刺せば基本的に簡単にデータを移動できると思っていた。触って調べるわけにはいかないと考えてそのままにしておいた。
もう片方のケーブルの束は装置脇の床に台に置かれたデータロガーに繋がれていた。
こちらは刈谷も研究所で使用したことがあるのでわかっていた。データロガーは長方形の箱型をしており、幅が三十センチ奥行き四十センチ高さ十三センチ程度寸法である。センサによって計測されたデータを収集する目的で使われる。この部屋では地震計のセンサのデータを収集しているということである。地震計から伸びたケーブルがデータロガー背面に繋がっているのが確認できた。
データロガーの前面は液晶画面となっており、タッチパネルで操作できるようになっている。その脇にはロール紙が組み込まれており、タッチパネルからの操作で操作した時点でのデータを排出できる。刈谷は試しにボタンを操作してみた。プリントする音が発生し、プリントされたデータが排出された。排出された用紙をちぎって見てみる。先程柴山から借りて見たとおりの形式だった。
マニュアルを作業服のポケットから取り出して見てみると、地震計からのデータ収集は先ほど柴山が言っていた通り、USBを使ってするようにと記述があった。しかし、その記述の後に検査時点の最終データを共有フォルダ中の表計算ソフトにまとめるようにとあった。USBから取得するデータはバックアップデータとしての意味を持っているようであった。
「点検したという証拠のデータとしてはデータロガーの記録用紙があれば良いのか」刈谷はつぶやいた。
計測室を確認したが、気になる点はなかった。刈谷は部屋を出てそのまま第二管理士事務所側へと歩いて行った。アーチ接合部の台形部分の出入り口も確認したが、乾いたコンクリートの地面に不審なものはなかった。
刈谷は次に二つ目のアーチ部に入る。ここでもキャットウォークに出るドアを開けて調べてみる。こちらのドア前もコンクリートは乾いていた。
次にその多くにあるプラムライン室のドアの前に立った。『工事中につき立ち入り禁止』と書かれていたので入るのに躊躇していたが、ドアノブを回すと鍵がかかっていなかったため、簡単にドアが開いた。
室内は新崎と見学したプラムライン室とほとんど変わりなかった。最上部のプラムライン室なので、部屋の中央にある最下部まで到達しているワイヤーが、天井に固定されていることを確認した。ワイヤーに触れないように策がしてあるのも下の部屋と同じであった。部屋の寸法も中部監査廊の部屋と同じ寸法であるが、部屋の奥の一区画が奥にへこんでいた。刈谷はそこにゆっくりと近づいた。
三面はコンクリートに囲まれている。床を見るとハッチがあった。このハッチを開けると下には梯子があり、その奥に下に降りる階段が見えた。
刈谷は梯子を下りて、階段を下に降りていった。長い階段を二回折り返して降りると、またもハッチが見えた。それを開ける。すると梯子があり、そのそばにバルブが見えた。
新崎とのダム内見学でバルブを見せてもらった時、バルブを超えて反対側に行こうとした刈谷は新崎に呼び止められてバルブの反対側に行くことが出来なかった。反対側には中部監査廊のプラムライン室から上がってきたものと同じハッチがあり、それは上部監査廊側のプラムライン室に続いていたのだ。
刈谷はバルブを通り越し、中部監査廊側のプラムライン室に繋がるハッチを開けた。
中部監査廊のプラムライン室は先ほど確認した時と変わりなかった。刈谷は休憩がてらそこで考えをまとめることにした。
飲み物でも持って来れば良かったと刈谷は思った。少し考えて、思いついたことがあった。今度は中部監査廊と基礎監査廊を見て回った。
刈谷はキャットウォークへの扉を重点的に見て回った。四十分後刈谷は第二管理事務所側の基礎監査廊からウィング部へと出た。
中部監査廊と基礎監査廊の計測室には問題なしだった。また、基礎監査廊のプラムライン室にも何らおかしいところはなかった。
中部と基礎監査廊のキャットウォークへと通じる扉に関しては、中部監査廊の中央扉の内側、基礎監査廊の中央扉の内側、基礎監査廊の第二管理事務所側の扉の内側が雨で濡れていた。
刈谷はウィング部から第二管理事務所へと戻った。一階の自動販売機でお茶を買い、飲む。深いため息が出た。
管理課へとこっそり入ったが、特に誰からも何も言われることはなかった。
近くの開いているデスクに座り、刈谷は体をほぐした。時計を見ると十八時三十分を回っていた。警察が時間通りに来るとしたら時間がない。
すぐに作業に入る。まず、コピー機のそばからコピーに失敗した用紙を持ってくる。その後、ポケットに折りたたんでおいたマニュアルを取り出す。このマニュアルには、監査廊を回ってメモした内容が書かれていた。
具体的には各作業にかかる時間である。
これには例えば監査廊を歩く速度など個人差があるが、点検などの作業に関してはこのマニュアル通りの作業を実際に刈谷は真似て、その所要時間を計測した。歩く速度に関しては誤差範囲として、刈谷が普段歩く速度で歩いたときの所要時間とした。
まとめると次のようになる。
・ダム内壁点検(片側アーチ、中央ドアまで):十分
・地震計計測:十分
・プラムライン計測:中部三分、基礎部六分
次に刈谷はデスクのPCでブラウザを立ち上げて、監査廊の入室記録を確認した。本日の点検メンバーがどれくらい点検に時間を使ったかを確認するためである。監査廊に入室した時刻と退出した時刻から点検時間を算出した。
第一―上段―百田 入室:十五時四分 退出:なし
第一―中段―柴山 入室:十五時七分 退出:十五時四十六分 点検:三十九分
第一―基礎―大窪 入室:十五時十分 退出:十五時四十九分 点検:三十九分
第二―上段―水元 入室:十四時五十八分 退出:十五時二十七分 点検:二十九分
第二―中段―松田 入室:十五時二分 退出:十五時四十五分 点検:四十三分
第二―基礎―新崎 入室:十五時五分 退出:十五時四十分 点検:三十五分
点検時間が異なるのは、点検内容が第一管理事務所側、第二事務所側で異なるためである。
刈谷はまとめた表を眺めながら考えた。まだ点検の時間に関してはまだ情報が足りない。刈谷はPCに目を戻す。マウスを操作して、入室記録の画面から移動する。ブラウザのメニュー画面から『ライブビデオ』の項目を見つける。クリックすると、別のソフトが起動し、現在のダムの映像が映し出された。映像ソフトが起動するようになっているらしい。
映像が映し出されている画面の脇のサブ画面から過去の映像も確認できるようだった。
マウスで操作して確認してみると本日午前零時から十分単位でファイルが作成されていた。刈谷は点検業務の開始時刻の十五時から映像を確認することにした。
十五時十分、第一側の上部監査廊からキャットウォークへ人影が見えた。カメラを変えてみても顔の判断はつかなかった。
第一側の上部キャットウォークへ出た人影は、十一分かけて点検を終え、三分かけて監査廊に続く外壁の扉に戻り監査廊内部へ入っていった。
上部キャットウォークへ人物が出てから四分後、第二側の中部キャットウォークから人物が出てきた。同じようにダム外壁の点検を行う。
第二側の中部キャットウォークに人物が出てきてから八分後と十一分後にそれぞれ第二側の下部キャットウォークと第一側の上部キャットウォークから人物が出てきて点検を開始した。
第二側の中部キャットウォークの人物が点検を終えて、外壁の扉に辿りついたところで映像が消えた。画面下に表示されている時刻を見ると、十五時二十八分だった。音響爆弾によるサーバとハードディスクの一時停止が起こった時刻と一致する。
そのファイルは一時停止した時刻で終わっており、八分しかなかった。次のファイルを開くとサーバとハードディスクの復旧した十五時三十四分から動画が始まっていた。
画面上には大雨の中点検する職員達が映し出されていた。
第一側上部キャットウォークと中部キャットウォークそして基礎キャットウォークに人物がいて、第二側の基礎キャットウォーク人物がいた。第二側の基礎キャットウォークにいた人物は点検せずに歩いており、その二分後に外壁の扉から監査廊に入って行った。
第一側の上部キャットウォークの人物は動画復旧から二分後に点検を終えて、三分かけて外壁の扉に向かい監査廊に戻っていった。第一側中部キャットウォークにいた人物は動画復旧から五分後に点検を終えて同じく三分かけて外壁ドアに戻っていった。第一側基礎部のキャットをウォークに居た人物はそこからさらに三分後、動画復旧から八分後に点検を終えて、同様に三分かけて外壁扉に戻っていった。
以上がキャットウォークによるダム外壁点検時の動画の内容だった。刈谷は時間が許す限り繰り返し動画を確認した。
動画自体は拡大等の操作ができなかったため、刈谷は画面に出来る限り顔を近づけて動画を見た。かなり滑稽な姿だった。
結果として普通に見る以外の情報はほとんど得ることが出来なかった。しかし、基礎部のキャットウォークにいる人物が大窪であることは確認できた。ヘルメットの後ろから揺れるポニーテールを確認できたのだ。
刈谷は目頭を指でつまんで疲労の回復を図った。それだけで万全にならないが、やらないよりはマシだった。
体を椅子に預けて目を瞑って背伸びをする。
そのまま考え込んだ。
周辺の音が良く聞こえる。仕事をする職員の衣服が擦れ合う音、靴と床がぶつかる音、椅子を引く音、PCのキーボードをたたく音、言葉として認識できない話し声。
一瞬の静寂。
今までの見てきたこと、聞いたことが刈谷の頭に再生される。
刈谷は頭の中でそれを交通整理のごとく仕分ける。
あと少し。
「ああ、そうか」
多分隣に居てもその声に気付く者はいなかったであろう。それくらいの音量だった。
ゆっくりと刈谷は目を開けた。
椅子から立ち上がり、歩き出したところで電話をしていた人物が叫んだ。
「え?犯人の遺留品?外に?」
刈谷は急いで玄関に降りる。
勢いよく正面ドアを開ける。またもや粒の大きい雨が降り出していた。
刈谷はダム天端の道路を走って第一管理事務所へと向かう。
第一管理事務所が見えると数人の職員が外に出ていた。車道を挟んでダム湖側に集まっている。
刈谷はそちらに向けて走る。
人垣ができており、一点を中心に放射状に広がっていた。
水元が人垣の最前列に立っているのが見えた。
その横には新崎、松田と柴山はその右側の離れたところに、大窪が水元の後ろに隠れるようにして立っていた。
傘を持っている職員は人垣の後ろの方にいて、前面に立っている人ほど傘はさしていなかった。
刈谷は水元に近づく。
水元が刈谷を一瞥して前を向く。
「刈谷君、どこに行っていたんだ?」落ち着いた様子で新崎が言った。
「すみません、第二に行っていました」
刈谷は一度前に視線を向ける。
「犯人の遺留品があったと聞いたのですが」
新崎は顎だけでそれを指し示す。
それはダム湖側の道にある歩道の落下防止の欄干に引っ掛けてある鉤爪のようなものだった。刈谷が一歩前に踏み出し、鉤爪のかかっている部分を避けて、少し横から欄干の下を覗いた。
ダム湖の水が際まで届いている。
刈谷は横を向くと、鉤爪の後ろ部分にロープがつけられており、ロープの端がダム湖まで届いているのが見えた。
「犯人は外部の人間っていうことだ」
刈谷は横を向くと水元がいた。
「このロープを使ってダム内に出入りしていたんだ」
刈谷は体を元に戻し、同じように戻した水元と向かい合った。
雨で濡れた髪が額にくっつく。水元もそうだった。
「どうやってダムの中に入ったのですか?」刈谷が聞く。
水元はその目をまっすぐに見る。
「さあ、そんなことは警察が調べるんじゃないか?」顔に着いた水を拭いながら言った。
「ダム湖からどうやって逃げるんですか?」刈谷はその回答を聞かずに質問する。
「ダム穴があるだろう?大きなウォータースライダーだ」水元が指差す。
「かなり危険なウォータースライダーですね」
「無理ではない」
刈谷と水元はお互いに見合っていた。
刈谷の耳に、遠くから聞こえるサイレンの音が聞こえてきた。
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