はなことび

六理

はなことび


 それはそれは大きな木でございました。


 伐り倒すのが本当に大変でして、村の男衆全員がかり、とは言っても先の戦争であらかた引き抜かれていましたが、それでも二十人がかりで大斧を振るってもびくともしないのでございます。


 え?


 何故にそのような木を伐ることになったか?

 ああ、旅人様でございましたか。

 ならば知らないのも納得でごさいます。

 ではお話し致しましょう。


 あの木は村という集落ができるよりも前からあったとされております。

 村の中心部に根を張っていたその大木の根本からはこんこんと水が溢れ出し、一種の沼、もしくは池のようにして人はもちろん他の動物たちものどを潤しておりました。しかもその水には神通力…と修行僧の方の言葉が伝えられ…が宿っており、病という病、怪我という怪我を一滴でも飲むなりかけるなりすれば瞬く間に治る、という神水と呼ばれる素晴らしい水でございました。

 あなたのように異国よりいらっしゃる旅人様は知らないでしょうが、村に生まれたからにはゆりかごから墓場まで、村に追従して暮らすのが当たり前でございます。ですから、このような水がこのような辺鄙な村にどうしてあるかなど、他に知るよしはございませんでした。


 はい?


 それがどうしてこのようになってしまったのか?

 急かさないで御拝聴されてくださいませ。


 修行僧の方しか寄らないような辺鄙な村に、ある女性の方がいらっしゃったのでございます。

 鮮やかな見目麗しい絹と一目見てわかる雅な衣、きらびやかな髪飾りの数々。傷ひとつない白い肌、長い黒髪。説明されずとも自ずと香る気品。紛れもなく高貴な方だとすぐにわかる身なりの方でございましたが、それ以上に目を引いたのはその、天人のように麗しい美貌でございます。男のみならず、それこそ女子供関係なく見惚れたものでございました。

 彼女が言うには十日ほど前の晩、枕元に神の使者である白烏が天高き空から舞い降り


『東最果て八百万の神国

 湧き出る水は天の裂け目

 水龍出しは桃源郷

 天人求めは永久の力よ

 長寿不老の薬なり』


 と囁いたと言うのでございます。

 後にしてわかったのでございますが、彼女はこの国の王の妻。我らが国王様のお后様でございました。

 お后様は「夫が床に臥してもう二月になりまする。これ以上放っておくならば国は傾き、卑しい親族たちは『我こそが次なる後継者なり』と死してもないのに名乗り上げるでしょう。子宝に恵まれぬ私には、夫だけが心の拠り所なのです」とさめざめと語り、村人の涙を誘ったのでございました。

 それならば、と水を樽一杯に汲み、お后様に御献上したのでございます。後日、村へと吉報が届いたのでございます。治る見込のない国王様が嘘のように回復したとの知らせに、それこそ祭の日のように踊り喜んだのでございました。完全に回復した国王様が恐れ多くもお后様と村へいらっしゃり、御礼の言葉を夢心地で村人は聞いたものでございます。


 そうでございますね。


 ここまで聞くならば、美談だと思われたことでございましょう。

 困ったことはこの後に起こったのでございますよ、旅人様。


 国王を救ったことで、この村はあっという間に有名になったのでございます。

 それこそ国中、大陸中に。あの村には長寿不老の水が湧く。人の口には戸を立てられぬ。噂を聞きつけた人間が次から次へと水を売ってくれ、売ってくれと来るのでございます。しかも信じられぬような破格の値段でございました。

 村人は忙しさに目を回しながらも対応し、いつしか巨万の富を築くようになり、豊かになった村人は土を耕し、山の恵みで細々と暮らしていたことを忘れていたのでございます。

 それが大きな落とし穴とも知らずに。

 幾年も流れ、いつしか村が街へと変わり果てた頃でございます。

 いまだ水はこんこんと湧き、尽きることは知らぬ勢いでございました。安穏に酔っていた村人のもとに、国王様から緊急の紅印の押された手紙が届いたのでございます。内容は「敵、攻められたし」そのままの意味でございます。

 他国はその長寿不老の泉が欲しくて欲しくてたまらなくなり、知らぬ所で手に手を取り合いこの国に攻めて来たのでございます。大陸の極東に位置するこの国は四季もあり、温暖な気候で飢えることはなく、天災も少ないことから他国との争いは長年ございませんでした。

 自衛団はありましたが、軍隊など大健康な成人男性はすべて徴兵され、一通りの訓練をさせられ前線に向かいましたが、相手は少数国を除き、同盟を結んだ全国家でございました。質はともかく、量で打ち勝つわけがございません。聡い国王様はそれこそ何度も泉付近の領土の割譲を条件に終戦を求めたのでありますが、国そのものが宝の宝庫であるかのようなこの国を他国が諦めるはずはなく、戦局はますます激しくなるばかりでございました。

 そればかりか餌に釣られて外部に情報を漏らす内部告発者も現れはじめ、往々にして国を捨て、他国に寝返る輩も増えたのでございます。

 とうとう半年も足らぬ間に国王様の首が取られ、村人達は嘆きつつも攻め込んでくるのであろう卑しい国々に泉を渡さぬ為に、と高く頑丈な壁を作ったのでございました。村人達は逃げ道など作らず、一蓮托生という覚悟でございます。


 ええ、頭の回転が速い方でございますね旅人様。


 その通りでございます。

 戦争であらかた使える頑丈な鉄や鉛などは、村に残ってはございませんでした。


 それ故に、木で壁を作らなければならなかったのでございます。

 村人達は迷うことなく大木を使うことを決めたのでありますが、中々に伐り倒すのが困難でございました。その時に、気づけばよかったのでありますが、誰ひとりとして泉の水が刻々と減っていっていることに注意が向かなかったのでございます。

 三日三晩の大仕事、最後には村人全員が総出で伐り倒されようとする大木は葉を大いに震わせ、このように歌ったのでございました。


『失い滅しは桃源郷

 夢追うことはさても難し

 求めし欲は強いすれば

 潔く散る華のごとくに

 別れを惜しまず去りにけり』


 変化は唐突に訪れたのでございます。

 青々と繁っていた葉は干からびて黒くなり全て落ち、泉を黒く染め上げ、天を裂く稲妻のような音を聞いたとおもえば幹は枯れ果て粉と散る。地鳴りがしたと感じると、すっぽりと地面に闇の口が開いてずずずずずっと水を飲み込んだのでございました。

 村人達はただ茫然となり、その光景を見つめるしかございません。いつ敵が攻めて来たのかさえ定かではございませんでした。

 敵の兵達は「泉をどこに隠したのだ卑しく下劣な者共よ」と村人達に白刃を向けましたが知らぬと答える他に何もなく、村人は残り残らず殺されてしまったのでございます。

 さて、村人が死した後も他国の追及は続き、どこぞの国が独り占めしているぞと噂が独り歩きをし始めいつしか各国で争い、騙し合い、殺し合いの嵐でございました。


 この後はご存知でございましょう?


 ああ、しかし最後まで語らせてくださいませ。

 最後には争いに加担していなかった二国を除き、十国あまりの国々は互いに滅ぼし滅ぼされてしまったのでございます。

 後に残されし二つの国は北と南の端々の国でございました。両の国はすぐさま大陸の中心を遮る山脈と海を境目として領土を確立し、友好関係と通商条約を結んだのでございます。そうして二つの大国が出来たということでございました。


 どうです?


 私のような老婆の昔語りは。

 ええ、それならよろしゅうございました。

 このような婆の身になって思うのでございます。

 神の力が宿っていたのは水ではなく、大木ではなかったのかと。大木の力によって水は神秘の力が宿ったのであり、本当に神の力が宿っていたのは大木であったのだろう、と。

 まあ、いまさらのことでございますけれど。

 なにせ千年近い前の話でございますれば。


 え?


 何故にこのように詳細に語れるか?

 …村人の生き残りではございませんよ。

 私のような婆だけが立入禁止区…かつての村の跡地に居るのが気になるのでございましょう?

 ああ、さてはどちらかの大国の査察殿でございますね。

 どちらの国にも領土に入れられず、ただただ年月を積み重ねたこの大地には芽吹かず、泉は涸れ果て、動物など居着きませぬ。

 なら何故生きているのか?


 …簡単でございますよ。


 私は死ねないのでございます。

 千年、生きてこの話をせよと呪われてしまいました。

 千年が経つまで私が死ぬことはございません。


 信じられない?

 まあ、そうでございましょうよ。


 何故、呪われたか?


 …はははははっすみませぬ旅人様、そのように聞かれたのは初めてでございますれば。

 数えきれぬ人にこの話をしてきました。

 もうそろそろ、千年が経ちまする。

 私は、大切であった者を物をモノを全て裏切り、偽り全てを失った者でございます。

 目の前の美味しそうな餌に釣られて、この大陸の大半の人の命を奪った者でございます。

 甘い囁きを落とし、各国の王を、王子を誑かした咎を神はお許しにならなかった。

 戦争を、作り上げた罪を、私は持ちまする。


 祖国を売り払った、私は


「私はかつて、この国の、最後の后をしていた者でございます」

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はなことび 六理 @mutushiki_rio

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