吊り橋を越えたら

流々(るる)

目覚め

 身体にまとわりついてくるを感じて、目が覚めた。


 まだぼぉっとしているせいか辺りが暗い。

 目を閉じてゆっくりと深く息を吸い込むと少しずつ脳に血液が巡っていくのを感じる。

 もういちど目を開けると――やはり暗い。

 薄暗いという程度ではなく、見たことのない闇に近い感じがする。


(何だ、これは……)


 ゆっくりと上半身を起こし右手を目の前に持ってくると、うっすらとその存在が見えた。視力を失ったわけではないらしい。

 なぜこんな場所にいるのか、記憶をたどる。


(そうか、あの後だ)




『二十四時間、あなたの生活をモニタリングさせてください』

 そんなキャッチコピーをネットで目にしたのが一週間前。設定された環境下における治験者を募集しているという広告だった。

 大学が入試期間に入り長い春休みとなっていた俺は、報酬の三万円に魅かれてすぐにDMを送った。返ってきた申し込みフォームに書かれていた最後の一行が気になったけれど、送信ボタンを押した。

 三日後に詳細な案内が送られてきて、治験場所に来たのが昨日。

 この建物内のある部屋で一日を過ごすのだが、その前に採血してから心電図を採るといわれてトランクス一枚になり、診察ベッドで横になって……そこで記憶が途切れていた。


(あれは採血なんかじゃなく、麻酔薬でも注射されたのか)


 闇で見えないけれど、今も裸足のままトランクスだけを身につけていることは分かる。どうやらカーペットの上に寝かされていたようだ。

 まずは、ここの様子を調べるために立ち上がろうとした。


「きゃっ!」


 短く叫んだ女性の声と共に、右足を引っ張られるような感覚が走る。

 このときになって初めて、右の足首に何かが付けられていることに気づいた。手を伸ばすと指先が冷たい金属に触れる。

 奴隷を思わせる足輪の先を探ると、鎖ではなく金属の棒に繋がれていた。持ち上げようとすると金属同士がぶつかる特有の音が響く。


「やめて……」


 消え入りそうな声の方向に目をやるが、何も見えない。

 でもそこに、この棒の先に誰かがいる。


「あの――」

「来ないでっ!」


 彼女は強い拒絶をみせた。短いリズムの荒い呼吸音だけが伝わってくる。


「君も……あの広告を見て、応募したんでしょ?」


 刺激しないように声を落としたけれど反応はない。


「ひょっとして……下着だけ?」


 すぅっと大きく息を吸い込む音がした。

 闇の中にいるからなのか、音への感覚が鋭くなっている。


「俺も目が覚めたらパンツ姿でここにいた。どうやら足は君と繋がれているみたいだし」


 心なしか、彼女の呼吸音が静かになっていく。


「なにも……しない?」

「え?」


 彼女の言葉の意味が分からず、とっさに聞き返した。


「その……変なことしないでね」


 あぁ、そういうことか。


「もちろん。約束するよ」


 目覚めたら下着姿のまま足輪で繋がれ、男の声が近づいてきたりしたら怖がるのも無理はない。


「俺は川島柊二しゅうじ。平成大の数学科、二年生。君は?」

「佐伯……です」


 よろしく、と言いながら反射的に頭を下げてしまった。彼女にだって俺のことは見えていないはずなのに。

 そんなことより、ここを逃げ出さなくては。

 ヤバいことになっているのは間違いない。


「あかりが消えているってことは俺たちを閉じ込めたやつらもここにはいないはずだよ。今のうちに逃げよう」

「他には、誰かいないのかな」


 彼女のつぶやきを聞いて、耳に神経を集中させた。

 天井の方から何か機械的な音がする。暖かい風を肌に感じるからエアコンがついているのだろう。

 その他には――人がいる気配も音もしない。


「とにかく出口を探さないと」


 カギがかけられていたとしても、出口を見つけなければ話にならない。

 立ち上がると右足に繋がれた金属棒が音を立てた。


「佐伯さんはどちらの足がつながれてるの?」

「右足です」

「えっ!」


 てっきり左足だとばかり思っていた。二人三脚のようなイメージをしていたけれど、同じ右足となると一緒に移動するのも少し難しいかもしれない。


「俺も右足なんだよ。ちょっと立ってもらってもいいかな」


 金属同士の当たる音がした。

 その音と反対方向へゆっくりと動く。足輪に繋がれた金属棒が音を奏でて、俺の動きを彼女に伝える。

 どうやら一本の長い棒ではなく、何節かに分かれているようで思ったより動きもスムーズだ。


「あっ」


 金属棒がぴんと張った時によろめいたのだろう。


「ごめん。ちょっと動くよ」


 右足にテンションを感じながら、彼女を中心に弧を描くようにゆっくりと左へ歩く。両手を前へ突き出し、闇の中をまさぐった。足裏にはパイル地のような感触が続いている。

 五歩進んだところで彼女と交代した。こうしていけば必ず壁にたどり着けるはずだ。

 進み始めて三回目、くうをつかむように動かした右手が何かに触れる。

 壁だっ!


「佐伯さん、ここに壁があるよ」

「本当ですか!」


 足元の方から聞こえる金属の音とともに、彼女の動く気配が伝わる。


「このまま右へ動いて扉を探そう」


 今度は壁を触わりながら横に移動していく。

 ざらっとした感じが手のひらから伝わってくる。

 彼女は俺の後ろをついてきている――はずだ。

 この闇にもさすがに慣れてきたせいか、おぼろげながら佐伯さんの輪郭が見える気がした。いや、そんな気がするだけで、俺の意識が作り出した幻を見ているのかもしれないけれど。

 確かなのは、後ろから聞こえてくる音だけ。

 彼女はどんな人なのだろう。声を聴くかぎりは若そうだ。

 このバイトに参加できるのだから会社勤めではないはず。俺と同じ、大学生か……などと考えていたら右手が壁にぶつかった。


「部屋の角まで来たみたいだ」


 こぶしを握り、ぶち当たった相手を叩いてみる。

 鈍く低い音が響いた。


(コンクリート、なのか……)


 向きを変えて壁を撫でまわしながら進む。

 今度は短い時間でぶつかった。

 一瞬、立ち止まった俺も、それを足元の音で感じ取ったはずの彼女も、口を開かなかった。

 すぐに手探りで九十度回転する。

 後ろからも壁を撫でまわす乾いた音が聞こえてくる。


(どこかに扉があるはず)


 その願いもむなしく、また部屋の角まで来てしまった。


「あれ?」


 でも、四つ目の壁は今までと感触が違う。

 この手触りは


「佐伯さん、ちょっと来て触ってみて」


 右に少しずれながら壁を軽くノックした。

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