バッドフォーミー

@bokuno_badhabit

バッドフォーミー



2月半ばの肌寒い日、女は空港の展望デッキのベンチに座り、空を見上げていた。


目線の先には、飛び立ったばかりの飛行機が搭乗者たちの期待を背負って溌剌と浮かんでいるが、彼女にはただ勝手に視界に入り込む景色の一つにしか見えていない。


もし、今目の前でそれが爆発してもきっと微動だにしないのだろう、今の彼女は気持ちが抜けていた。


グッと伸びをして姿勢を戻すと、首に巻いていた薄手のストールで口元を隠し、小さくため息をついた。




「荷物少なくねぇか」




声がする方に彼女が視線を向けると、長身の男が手を振っていた。



「そうですかね」



女は2時間後、この地を去る。


その割には彼の言う通り、荷物はギターケースを一つ傍に置いているだけで本当に最小限の物しか持っていなかった。




「荷物無しで長期ロケに出る北の俳優さんだっているじゃないですか」


「あれは拉致、上京とはわけが違うの」


「私はギターさえあれば何処へでも」


「そりゃ素敵なこった」




海外映画のように大げさに首を横に振り、呆れた風に装う。

そんな彼の姿に「でしょ」と笑って返す彼女だったが、それは直ぐに消え、視線を落として黙り込んだ。


沈黙が2人の間を圧するように満たしていく。




「本当に、別れなくていいんですか」




言葉は女からだった。

しかし、聴き慣れた曲の歌詞をなぞるように、男は間髪入れずに切り返す。




「いいの」




さも興味がなさそうな、真剣さが感じられない返事に、女は少し困ったように眉を曲げる。




「私欲のために男放って行く女ですよ」


「それで」




彼女の言葉を遮るように男は席から勢いよく立ち上がると、その勢いのままにフェンスに近づき、向かい合うように背をもたれかけた。


しかし、彼女と視線が合わない。

それどころか、ストールが邪魔をして顔すら満足に見えないでいる。




「俺モテるから、すぐに女出来るかもな」


「そうですよ」




男が半ば投げやりに返した言葉だが、気丈に振る舞いたい女は、賛同の言葉を述べて、付け入る隙を与えようとしない。


その態度に重ね、一向に合わない視線にやり場の無い怒りが込み上がる。




「あのな」




我慢できずに男は、彼女の前にしゃがみ込み、顔を覆うストールに指を掛け、強引にずり下げた。




「女泣かせる趣味ないのよ」




現れたのは、今にも泣き出しそうな潤んだ目と、それを堪えようと不自然に歪めた苦しそうな口元で、とても平気とは言えない酷い顔だった。




「隠してもわかるんだから」




一線を保っていた感情が、片目からホロリと流れた一筋の涙を皮切りに溢れ出す。


それでも、自ら始めた強がりをやり通そうと、拳を膝の上で強く握りしめ、袖で涙を拭おうとするが、それは女よりひとまわり大きな手の、強い力で押さえ込まれてしまう。




「遠距離恋愛は嫌か」


「そんなんじゃないですよ」


「不安か」




強がりと意地っ張りの押し問答は終わりが見えない。

埒があかないと踏んだ男は、抑え込んでいた手をスッパリと離してしまった。


急なことに、備えていない女の体は少しよろめき、目の前の胸に倒れ込む。


男は小さな衝撃を受け止め、大事そうに頭を撫でると、壊れ物を扱うようにそっと胸に押し付ける。




「お前以外見えてないよ、心配症め」


「うるさい」




まだ反抗する彼女だが、自らを抑え込む手を払いのけず、素直に身を任せるので、先程までの苛立ちが嘘のように、いじらしく尊さをおぼえる。




「心配すんな」




彼女の頭に顎を乗せ、指通りのいい髪を長い指先にくるりとひと巻き絡めとると、彼女の周りを漂う甘い香りが安心感を与え、自然と気が緩む。




「顔上げてみ」




もっとこうしていたいと思う気持ちを抑え、名残惜しくも女は顔を上げた。


やっと、しっかり目があったことに心が穏やかになったのか、男は安堵の微笑を浮かべる。




「もう見てくれねぇのかと思った」




視線がもう逸らされないよう、男は自らの手を彼女の左頬にそっと添えた。




「顔見たら別れたく無くなりそうで」


「絶対に離れてやんねぇよ」




頬から感じる体温に胸が高鳴っていく。


うん、と首を縦に一度振り、期待するように瞼を閉じた。


そんな彼女にふっと口元が緩むと、触れていた手を小さな顎に移し、自らの唇にゆっくりと近づけた。


あと数センチ、互いに触れるところで男はこう言った。




「此れが誓いってことで」













手続きの時間が近づき、二人はその場で別れを告げた。


そして、一度も振り返ることなく、彼女は搭乗口に、彼は空港のエントランスに向かって歩き出した。



どうせまた会える、二人にとって惜しむ事は何もなかった。




飛行機の席に着き、離陸までの時間、女は窓にうっすら写った自分の顔を見つめる。



寄れた口紅をそっと親指で拭い、彼女は誰にも気づかれないほどの小さな笑みを浮かべた。

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