第一章 ―Time Girl―
奇妙で美しい転入生
――1920年4月18日。ドルージュ町。
小鳥の心地良いさえずりとニワトリの鳴き声。薄っすらとかかる霧と朝日。そしてとある親子の喧嘩の声が響き渡ることで、この町は朝を迎える。
「だからこの服を着て行けって言ってるだろ!」
「そんなの僕の勝手だろ! 僕に選ばせろよ!」
大声で喧嘩しているものだからどんな争いをしているのかと覗いてみれば……。
「始業式での第一印象は大事だろ! しっかりとした服装で行って友達を作りなさい!」
「だから、そんなの僕の勝手だろ! 僕は独りでもいいし、そんな畏まったスーツなんて着たくないんだ!」
以上の通り、しょうもない事である。しかし、決して笑わないでやって欲しい。彼らにとっては非常に重要なことなのだから。父親は恐らく息子想いなのだろう。息子がその想いを汲み取る事が出来ずに衝突してしまうことはよくある事である。それにしても、その声は町中に響き渡っている訳だが。
「もう、父さんとは話にならない!」
喧嘩は息子が家を勢いよく出て行くことで終息した。だが両者とも、いや父親は出て行く息子の後ろ姿を寂し気に見つめていた。
僕の名前はジョン・ウォルダ。普段は大人しい性格だと思ってる。だけど、父さんとはどうしても分かり合えない。あんな分からず屋、母さんが居れば……。
「おや、ウォルダ君じゃあないか。今朝も激しくやり合ってたね~」
いつもと変わらず陽気に話しかけてきたのはパン屋のおばさん。この田舎町で一番美味しいパンを作る人だ。あと、僕はみんなからジョンではなくて“ウォルダ”って呼ばれてる。まぁ、みんなって言ってもこの町の大人の人だけだけど。因みに名前で呼ばれないのは朝の喧嘩で有名な父さんと一緒に呼ばれてるからだ。だからあんまり好きな呼ばれ方ではないんだけど、今は名前で呼ばれるよりこっちで呼ばれる方が慣れてる。
「あの人は僕の想いなんて全然わかってないんです。こんな時、母さんがいれば……」
僕は生まれた時から母親が居ない。僕を産んでから僕を見てそのまま亡くなったらしい。聞いた話だと、母さんはとても穏やかな人で綺麗だったらしい。穏やかな人……父さんとは大違いだ。どうしたら釣り合うんだ。
「全然わかってないって思ってるのはどっちもどっちかもしれないよ。それと『母さんがいれば』ってのは禁句だよ。不器用でも、アンタを今まで育ててくれたんだろう?」
「そうですけど……」
「それより、こんな所で油を売っていて良いのかい? 学校に遅刻しちまうよ!」
「は、はい! すみません、ありがとうございます。行ってきます!」
僕はパン屋のおばさんに手を振って、そのままドルー小学校へと走り出した。
この町は町って言われる割には田舎だ。町の裏には大きな山があって、町を少し出ると畑が広がっている。最近では畑の付近を列車が通る様になった為、駅が出来た。この町が誇れるのはそうした自然の景色と、赤いレンガ造りで統一された歴史を感じさせる住宅街だけだ。そう本当に田舎なのだ。
だから、僕は新しい世界を、新しい“色”を見てみたい。だって、僕らはそれを見る為に生きているんだから。
考え込んでいる内に、僕は学校に着いていた。学校の周りは桜の木が囲んでいて、桜はもう散り始めていた。僕はふと、校門を通る前に右側を何となく見てみた。するとそこには小学3年生くらいの女の子が、今朝父さんが着せようとしていた様な黒いスーツを着て立っていた。
女の子は腰まで伸びた艶のある長い黒髪を風に靡かせ、ブラウンの瞳で校舎をじっと見つめていた。真っ白な陶器の様な肌だからだろうか。それとも、桜の花びらが散っているせいだろうか。どちらにせよ、女の子は一つの絵画から飛び出して来た様に、そこに立っていた。
「迷子かな?」と思った僕は見惚れていた頭を元に戻し、女の子に手を伸ばして近づく。
「ねぇ、君は」
その瞬間勢いよく風が吹いた事で桜の花が散り、僕は反射的に目を瞑ってしまった。そして目を開けた時にはもう、女の子は居なかった。
(僕の気のせいだったのかな?)
僕はそのまま何事も無かった様に学校の中へと入って行った。
「はぁ……こんなことなら……」
そう僕が独り言を漏らしたのは、新しいクラスの皆がオシャレだけどしっかりとしたスーツを着こなしていたからだ。クラスの中で浮くのは慣れっこだ。けど、父さんの思った通りの事が起こるとどうも……。
「ねぇ、昨日の新聞見た?」「見た見た! 綺麗だったよね~」「そうだよね~はぁ……私も早くあんな人になりたいなぁ~」「無理無理、アンタじゃ無理だよ」「え~ひどい~」
甲高い女子の声が聞こえると思ったら、昨日の新聞に載ってた“ドリー・コレアン”の話をしてるのか。ドリーは最近有名な女性モデルで、派手な服を毎回着こなしてる。また、着る服は青色である事が多く、イメージカラーとして定着しつつある。けど、僕は何となくこの人が嫌いだ。これといった理由は無いんだけど、直感的に、何となく……。
それよりも、もうグループが出来てるのか。辺りを見渡せば、さっきの女子のグループ、男子のグループも出来てる。
「また、僕は……」
「はい、みんな~席に着いて~」
その時、教室に先生が入って来た。今回は……女性の先生か。
「流石6年生ね、席に着くのが速いわ! これから一年間よろしくね」
口調からして、生徒との間に壁を作りたくない……っていう先生かな。こういう先生は打たれ弱かったりするんだけど、見たところ活発そうで大丈夫そうだ。うん。これなら今年も安定して――。
「さっそく、このクラスにはなんと! 転入生が居ます」
(っえ? 転入生?)
「じゃあ、入って来て」
そう言われて教室に入って来たのは……入って来たのは――!
黒いスーツに長い黒髪、小さくて絵から飛び出して来た様な女の子。この子は、さっき校門の前で見た――!
「初めまして。今日から一年間お世話になります。マリー・ハリソンです」
女の子は透き通る様な可愛らしい声で、小さく自己紹介をした。女の子から出るオーラはまるでお嬢様の様で、その場に居た誰もが釘付けになっていた。勿論、僕も例外ではない。でも、女の子は絵画から飛び出して来たって表現した通り、美しくて尚且つ可愛らしいんだけど、どこかこの世の者じゃ無いような不気味さも感じられる。まるで、人形みたいな…………!
……今、あの子と目が合ったような――。
「それじゃあ、マリーちゃん。この学校に来るのは初めてだと思うから、誰かに案内して貰おうか。誰か、マリーちゃんに学校案内をしてくれる人~」
その先生の掛け声を合図に、クラス中の生徒の手が上がった。それは男子だけじゃない。女子の手も上がっていた。文字通り、人形の様なこの子はクラス中の生徒を虜にしたのだった。けど、僕は手を上げなかった。いや、上げられなかった。さっき、確実に目が合った様な気がして。
「じゃあ、マリーちゃん。誰に案内してもらいたい?」
先生に判断を委ねられた女の子は、周りに見向きもせずクラスを歩き回り始めた。僕は思わず、机に顔を伏せた。恐怖、羞恥、様々な感情から僕は反射的に目を伏せた。
クラスに女の子の小さな足音が響く。しばらくして、音が止んだ。何となく嫌な感じがしたので顔を上げてみると――目の前にあの女の子の顔があった。
「貴方に、案内をお願いしたいと思います」
「「えぇ~‼‼‼‼」」
クラス中に驚きの声が上がる。同時に悔しそうな声も混ざっていた。止めて。そんな目で僕を見ないで。この女の子もそんな真っ直ぐな瞳で僕を見つめないで。
「成績優秀なウォルダ君を選ぶなんて、マリーちゃんも見る目があるねぇ~。じゃあウォルダ君、案内よろしくね!」
先生もまぁ無邪気な笑顔でそんな事を言ってくれる。
「……分かりました」
「この教室が理科室ね。それで――」
はぁ、どうしても小さい子と喋るような口調になってしまう。本当にこの子は僕と同い年の6年生なのだろうか。もしかして、飛び級ってやつなんじゃあ……。
「ねぇ、マリーさん」
「はい、何でしょうか?」
「君は一体、何者なの? どうして君は、あの中で僕を選んだの?」
女の子は少し首を傾げてから、迷うことなく素直に答え始めた。
「私は私です。マリー・ハリソンです。貴方と同じ一生徒ですが? それと、貴方を選んだ理由は」
女の子は小走りで僕に近づき、小さな手で僕の手を取った。そして僕の丁度お腹辺りから僕の顔を見上げながら、か細い声で答えた。
「貴方とこうして、丁度今の様に夢の中で会ったことがあるような気がするのです。運命というものでしょうか。何となく、私は貴方を選んだのです」
まずい、凄く顔が近くて……妙にドキドキする。この子が話した事が全く耳に入ってこない。どうしよう。えっと、えっと……。
「どうしましたか? 顔が赤いですよ?」
「ご、ごめんなさい!」
僕は勢いよく、けれど優しく彼女を少し突き飛ばしてしまった。駄目だ、この子の目をじっと見つめていられない。この感情は……この感情は一体……!
「すみません。私、何か悪い事をしてしまったでしょうか?」
「う、ううん。こっちこそごめんね、え~っと……」
「マリーです。マリーと呼んでください」
マリーは胸に手を当て、無表情でそう僕に向かって改めて自己紹介をした。
「えっと……マリー……さん?」
「マリーです」
「分かった……マリー。さっきは突き飛ばしちゃってごめんね。僕はジョン・ウォルダ。みんなからはウォルダって呼ばれてるから、ウォルダで良いよ」
「分かりました、ウォルダ。では改めて、これから一年間、よろしくお願いします」
この出会いが僕にいつもとは違う、新しい“色”を見せてくれた。
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