記憶の箱

@yokofumi

第1話

あなたの一番古い記憶は、何ですか?

私の一番古い記憶は、深夜にパジャマで

線路の踏切の赤い点滅から始まります。

それはまだ、小学生になる前。

踏切が上がると中央に、男性の生首があり

高らかに笑っています。

これが夢か現実なのかは、今でも分かりません。

ただ、確かな事は深夜から明け方にかけて

一駅隣の父の実家まで走り、歩いた記憶。

物心ついた頃から、就寝中にすぐ目が覚める子供でした。

原因は、父と母の夫婦喧嘩です。

怒鳴りあい、殴りあいが始まり飛び起きる日々が続きました。

その度に仲裁に入りますが、止まらず一駅隣の父の兄の元へ、泣きながら何度も駆け込みました。

幼い私には、それしかなすすべが無かったのです。

しかし、それは解決には至りませんでした。

幼い頃の私には、父に可愛いがられた記憶はありますが、母に可愛いがられた記憶はありません。

父に手をあげられた記憶はありませんが、母には孫の手や掃除機の棒で足や手を幾度となく叩かれました。

自らの手で叩くと痛いからだと言われました。

素っ裸にされて、ベランダに出された事もありました。トイレにも行けず、泣きながらベランダで用を足した事もあります。

裏のアパートに住んでいた女性に保護された事も一度ありました。

父はギャンブル好きで、嫉妬深い人間でした。母は酒癖が悪く、スナックを経営していました。

父の嫉妬から、いつも喧嘩が始まるのです。

母も口が悪く、父のポイントをついて罵り、口で勝てない父が母に暴力を振るいます。

母は、仕事のせいで朝が弱く、送り迎えしてもらっていた幼稚園には、ほとんど遅刻でした。

小学校に入った私は、自然と自分で起きて髪を自分で束ねて学校に通うようになりました。

ただ、夜中に両親の喧嘩で起こされた翌日は、遅刻をしがちになり、忘れ物をしたりで同級生に校舎裏に呼び出され、理由を問いただされる事もしばしばありました。

が、両親の事を話せず一方的に責められる日が続きました。

家でも学校でも、私には安息の地はなかったのです。

小学校3年生の時に、担任になった女性教師が初めて私の異変に気付き、声をかけてくれました。

その時にやっと生まれて初めて、両親の事を他人に打ち明ける事が出来ました。

話を聞いてもらい、少し楽になったのを覚えています。

でも、それを母に知られると何をされるか分からないので、幼いながら担任の先生に「言わないで」とお願いしました。

今であれば、児童相談所に持ち込む案件ですが、当時はまだ虐待とゆう言葉もない時代でした。

うちは、2階だてで1階がスナックで2階が住居でした。

ある日の深夜、また両親の怒鳴り声で目を覚ましました。

怒鳴り声は、1階からです。

走って階段を降りると、父と母が罵り合っていました。

そして母が自分を「殺せ!!」と言い出しました。父が包丁を手に持ちました。

私は、思わず母を庇い両手を広げて父に「お父さん、やめて!!」と泣きながら何度も訴えました。

そんな私になのか、父は包丁を置き黙って家を出て行きました。

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