静寂の雪原

吹雪の日もある。

何も吹かない日もある。

ソラに星が瞬く日だってある。


――けれど変わらず、ここは静かだ。



山。私たち。


雪原。何もない。


塹壕。敵の。囲まれてる。


――それが、ここまで追い立てられたとんずらこいた私たちの様相であった。

端的に言って絶体絶命も生ぬるい、もはや時間の問題と言う状況である。


戦争も終盤、しかも負けてる側だとこうなるんだなあ。

――などと思いながら私は私の仕事をする。

幸い、あるいは不運にもまだ”彼女”の気配なしだし。


――スパンッ。

消音機サイレンサー付きの狙撃銃スナイパーライフルが小さく声を上げる。

一人。移動を入れる。居場所をつかまれたらおしまいだ。


スパンッ。二人。将校らしき奴。移動。


スパンッ。三人。移動。

スパンッ。四人。移動。

スパンスパンッ。五、六。移動。

マガジンを交換。


意図的に腎臓を撃ち負傷にとどめる。殺すとむしろ放置出来るから生かしておく。

こういう時には衛生兵へと負担をかけると同時に、叫び声で少しでも相手の士気を削ぐ方が肝要だ。


何せ、敵軍が雲霞の如く居て、私たちのお山を占領しようとして来てるのだから。


――まあ、私の終わりが近いのは間違いないだろうけれど。

抵抗だけはさせてもらおう。


――多分、遠からず”彼女”も来るだろうし。


そうなったら私は動けない。

だから今のうちにスコアを稼いでころせるだけころしておこう。


声も上げることのできない静寂が来る前に、私の銃は密やかに囁き敵を殺していく。


――寧ろ普段よりも集中しているのか、それとも逆に単純作業の繰り返しとなりぼんやりしているのかは定かではないが、私の意識は過去へと向かっていった――



――”お国のため”だとか、”万歳”みたいな心はこれっぽっちもなかった。

ただ金を稼ぐ口がないから仕方なく行っただけだ。


戦争なんて馬鹿らしいとずっと思っていた。正直今もそうだ。


生きるために殺し合うなんて馬鹿げている。


それでも仕方がなく殺し合い、撃ち、ばら撒き、死にかけ――



――どうして、あの時私は生き残ったのだろう。

それだけがよくわからない。


まだあのころ私はペーペーの一兵卒だったと記憶している。

狙撃もやっていなかったし、今に比べれば甘っちょろい考えでいた気がする。


始めに倒れたのは誰だったか。確か隊長だったと思うが。


ほんの少しの銃の声と、頽れる隊長の身体。


後覚えているものは、それに続いて倒れる仲間たちと囁き。


――それと、それを成す”彼女”の姿。


雪原迷彩の軍服。

銀の長髪。

まっ白い肌。


何故私は、あの時彼女を見つけられたのだろうか。

運か、実力か、それとも別の何かか。


――見惚れたのだと思う。

――恐れたのだと思う。

――見ていたかった。

――撃たれたかった?

――殺されたかった?

――殺したかった?

――それとも?


――逃げ帰った私は、狙撃の練習を申し出た。

あの時感じた、”何か”を見つけたかったんだと思う。


――まだ、答えは出ていない。



夜になっていた。


「――!―!――!」


――ああ、うるさいうるさい…

役に立たない上官の罵倒ほどうるさいものはこの世にないと思う。

適当に聞き流す。

うるさいのは嫌いだ。


――ぴくん。と私の細胞ぜんぶが反応するのを感じる。

すい、と敵陣の方に顔を向ける。


「………………ああ、来たのか、彼女が……」


――何時しか私には、”彼女”の来訪を感じ取れるようになっていた。

上官に対して適当に警告しながら私は持ち場に戻る。



――雪が、音を吸い取り。夜はさらに深さを増す。


用意していた身を隠す場所、その一つに入る。

整備したばかりの狙撃銃を準備。

だが構えはせず、身を隠すことを優先する。


――私が一流かどうかはさておいて。


一流同士の狙撃手どうしでは、撃ったら居場所がばれてしまいそのまま殺される。

だから撃てない。

向こうもそれをわかっている。


――だからこうして、夜の宙に広がる星空と。

――間に広がる雪原で。

――声を上げることもままならない静寂の中を。


私はただ、生きてそれを感じている。

向こうも多分同じだろう。


一流の狙撃手が同時にいることにより生まれる一種の膠着状態。

ただ静かに、静かに流れていく時。

静謐で、密やかで、しぃん…として、人によっては耳鳴りすらするであろう静寂。


――私は、この時間が嫌いじゃない。好きだといってもいい。


うるさい砲声の音も。

煩わしい上官の罵倒も。

暇さえあれば彼女について考える私の心すらも、今この時には関係ない。


――どこどこまでも続く、ただ純粋な無音。

広がる雪原。瞬く星空。自分の心臓の音。

ただ”今ここ”にだけ自分が在れる、ある意味でゆったりとして、ある意味で緊迫した時間。


声を上げることもできない。

銃も静かに息を潜めている。


深まる夜。彼女の姿は見えない。

でも、きっとどこかにいる。

そんな時間が。


――この時間が、私は嫌いじゃない。



――本格的に追い詰められてきた。

上官がうるさい。


撃ったらばれてこっちが撃たれるから撃てないんだってば。わかれ。


ぎゃいのぎゃいの言う上官は無視してさっさと持ち場に戻る。


――ああ、嫌だ嫌だ。


私はただ、あの静謐な時間を過ごしていたいだけなのに。

”彼女”と一緒の、あの時間を。

私の命が終わるまで。



吹雪だ。

自然の音は嫌いじゃない。


吹き荒ぶ風と雪の音。

その中でにらみ合う私と”彼女”。

まあお互い姿は見えてないと思うが。


彼女の気配を感じて。

私も恐らく感じられて。


無言でいるのに、通じ合ってすらいる気がする。


――そんな時間が、私は好きだ。



食料が尽きたらしいが、私にはどちらでもいい。


しんしんと、降り積もる雪。


ぼんやりと、あるいはこれ以上なく集中して曇り空から降るそれを眺める。


静かで。

静かで。

静かで――


「!――!!!――!!!!!」


――うるさい上官が来た。邪魔。黙ってほしい。


――そう思った瞬間、その上官は頽れ、永遠に静かになった。


――私は、当然”彼女”の囁きを聞き逃さなかった。


――見つけた、銃を用意。


――あの時と同じ、銀の長髪。


私はそれに狙いをつけ――


「!――!!―――!!!!!」


――向こうの隣にも、うるさそうな上官がいた。


――ああ、うるさいなあ、黙れよ。


――彼女の声が、聞こえないじゃないか。



――ちょうど、私がそいつを黙らせた時。


停戦条約が結ばれたと放送があった。

戦争、終わったらしい。


――なんだか、生き残ってしまった。


弾を抜き、銃を地面に突き刺し永遠に黙ってもらう。

役立ってもらった。

有難う。せめて安らかに。


一瞬の瞑目。

そのまま、山を下りる。

勿論、向こうから歩いてくる”彼女”に会う為だ。


間に一本だけあった、木の根元へとたどり着き、座る。

程なくして彼女もたどり着き、私の隣に陣取った。


――ただ穏やかで、緩やかで、静かな時間が流れる。

――それがとても心地よかった。


――どちらともなく、口を開く。


「……何故、撃ったの?」

「……逆に、何故、撃たなかったの?」

「……わからない、けど…」

「……けど…?」

「……あいつには、黙ってほしかった…」

「……私も、同じだった…」

「……何故?」

「……貴女の声が、聞こえなかったから…」

「……うん……」


――そのまま、どちらも口を開かず。


雪が降り、雪が降り、雪が降る。

それだけが。ただ二人の時間を証明し。

その静寂だけが。二人の囁きを立証していた。



吹雪の日もある。

何も吹かない日もある。

ソラに星が瞬く日だってある。


けれど変わらず、ここは静かで。


宙に雪が降る。

地に雪が積もる。

その狭間に生きる人たち。

二人に、静寂の雪原を――

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