幸せな、あるいは不幸せだった日々
私は幸せだった。
あの日までは。
◆
どこもかしこも最悪極まる世界の中で、子供が出来る仕事なんて、限られている。
盗むか、殺すか、薬でも売るか。
――幸いにして、私は殺すのが得意で。
「あはは、あはははは!」
――そして殺すのが大好きだった。
素手で首を折ればその感触が伝わってきて好きだ。
ナイフで首を裂けば返り血の温かさがわかって好きだ。
銃で撃ち殺せば相手のキョトンとした顔がじっくり見られて好きだ。
毒を飲ませれば苦しみに悶えて死に向かっていく様を特等席で見られる。
――こんな楽しいことをして、しかも食い扶持まで稼げる。
断言できる。
間違いなく、あの頃の私は幸せだった。
◆
さて、こんな私にも悩みが出来た。
――何やっても殺せずにいる相手がいる。
――向こうも殺し屋だ。
――悔しいったらありゃしない。
素手で首を折りにかかれば逆に腕を折られた。
ナイフで切りに行けばこかされてマウントをとられた。
銃で撃ち殺そうとしたら陣取った場所を爆破された。
当然毒も飲まなかった。
絶対ぶっ殺してやる、と意気込んで幾つも幾つも策を重ねていたら、もう十年来の付き合いになってしまっていた。
◆
――そしてそんな日々にも終わりが来る。
これで先に進める。
…その時の私はそう思っていた。
「あはは、こりゃダメだアタシ」
アタシの目の前に仰向けで倒れている女。
コートに長髪の黒髪、抜群のプロポーション。
――この、殺しても死ななそうな面してる女を、やっと殺せる。
「やっと、やっとよ…やっとあんたを殺せる…」
――アタシも満身創痍だけど、これでやっと――
のしかかり、マウントを取る。
右手に残ったナイフを、心臓に向かって――
――アイツは、目を閉じて笑っていた。
――その顔を見た瞬間、わけがわからなくなった。
死ぬ?こいつが?いや私が殺す?
今まで何度も殺そうとしてたのに?
私は何を考えて?
殺す、いや殺さないいやこいつは死なないいや死ぬ――
――今なら分かる。私は、こいつに甘えていたんだろう。
――自分の全力を出しても死なない、最高の遊び相手で、師匠で――
――そしてそれを超えてしまった。殺せるなんて思ってもいなかった。
――いなくなる日が来るなんて、考えたことも、無かったのだ。
――右手のナイフが、突然汚らわしいものに感じ始めて――
「あ”っ、うっ、お”ぇ”ぇ”」
私は吐いた。アイツは殺せなかった。
――そしてただそれだけではなく。
この日を境に。
――私は、人を殺せなくなった。
私の不幸せな日々が幕を開けた。
◆
――人を殺せなくなった殺し屋に、仕事が来るはずもなく。
私は、うすらぼんやりと日々を送った。
――まだ貯金はあるがその内尽きる。
雨の降りしきる中。
私は橋の下にホームレス生活をしていた。
「…………」
制圧するまではできる。
――でも、”これをすればこいつは死ぬ”という段階のアクションを起こせない。
――やろうとするたびに、アイツの笑顔がちらついて離れない。
――私は、今まで”殺す”ということの重大さをわかっていなかった。
ただ目の前の人間が動かなくなる、それだけだと思っていたのに。
――私が、殺してきた人々、一人一人の裏にあの笑顔に等しいものがあったのだとしたら――
「…う”ぇ”ぇ”ぇ”…」
私はまた吐いた。もはや習慣になっていた。
私は泣いた。これももはや止まることがなかった。
――ぱちゃん、ぱちゃん。
雨をかき分ける足音が聞こえる。
「やっほ」
「……………」
――目の前に、あの笑顔を付けたアイツが立っていた。
「…何よ」
「いや、顔に嘔吐された後すぐどこかに行っちゃったからどうしてるのかなーと」
――いつもの通りの呑気具合、とてもむかつく。
「…笑いなさいよ、殺し屋は廃業よ」
「ほうほう、それは何故」
すとん、と私の隣に座りだす。
その胸ぐらを掴み、首に手を回す。
「殺せなくなったのよ!あんたのせいで、あんたのせいで…!」
「殺そうとするたびに、あんたの顔がちらついて、吐き気がして」
「どうして、どうしてくれるのよ…!」
わけも分からず喚く。それぐらいしか出来なかった。
こうして、首に手を回しても、そこから動かすことができない。
手が震える。涙が出そうになる。胃液がせりあがってくる。
――アイツは、にっこりと笑っていた。
「そっか、じゃあ責任とらなきゃだ」
そのままこっちをハグしてくる。
…暖かい。情けない。安心する。いい匂いがする。
「…うっ、うううう…うああ…うあぁ…あっぁぁぁぁぁ…」
「よしよし、いい子良い子」
自分の感情に整理も付けられないままに、私は泣いた。
――そしてこのまま、こいつに拾われて一緒に暮らす、不幸せな生活が幕を開けたのだった。
/
アタシは不幸せだった。
あの日までは。
◆
どこもかしこも最悪極まる世界の中で、子供が出来る仕事なんて、限られている。
盗むか、殺すか、薬でも売るか。
――幸いにして、アタシは殺すのが得意で。
「…お”ぇ”ぇ”…」
――そして不幸にして、殺すのなんて大嫌いだった。
素手で首を折ればその感触が伝わってきて嫌いだ。
ナイフで首を裂けば返り血の温かさがわかってしまい嫌いだ。
銃で撃ち殺せば相手のキョトンとした顔がじっくりこっちを見てきて嫌いだ。
毒を飲ませれば苦しみに悶えて死に向かっていく様を特等席で見てしまう。
終わった後に何度吐いたかなんてわからない。
苦しみが日常だった。
――こんなつまらなく、くだらないしか出来ず、これで食い扶持を稼いでいる。
断言できる。
間違いなく、あの頃のアタシは不幸せだった。
◆
さて、こんなアタシにも楽しみはある。
――たくさんアタシに突っかかってくる子がいる。
――向こうも殺し屋だ。
――この子をあしらうのは楽しいね。
素手で首を折りに来たから腕を取って折った。
ナイフで切りに来たから、足払いしてマウントを取った。
銃で撃ち殺そうと来たから陣取った場所を爆破した。
毒に関してもまあ当然飲まない。
――この子と遊んでるときだけは、自分のクソッたれな環境を忘れられる。あはは。
――でも、あの子どんどん強くなってる。遠からずアタシを上回るだろう。
――せっかくだし、殺されるならあの子に殺されたいな。
アタシはそんなことを考えながら、いつか、その日が来ることを待ち望んでいた。
――死んだら、もう殺さなくていい。
◆
――そしてその日はやってきた。
これでやっと終われる。
…その時のアタシはそう思っていた。
「あはは、こりゃダメだアタシ」
「やっと、やっとよ…やっとあんたを殺せる…」
向こうからあの子が歩いてくる。
キリッと上がった釣り目。
銀色の長髪。ボロボロのフード。あ、脱ぎ捨てた。
背丈はアタシより低くて、胸はちっこい。
それがアタシの上にのしかかってくる。
右手のナイフを振り上げる。
――アタシは目を閉じた。多分笑ってもいたのだろう。
――うん。良かった、これで終われる。
――そう思って、いたのだけれど。
「…?」
ナイフが降ってこない。
目を開けると、あの子の狼狽した顔が良く見えた。
震えて、怯えて、まるで泣き出す前の子供みたいな。
――ああ、そっか。
――自分のやってきたことを、自覚したのかな。
――アタシをそれだけ想っていたってことか、嬉しいな。
――この子を、永遠に変えてしまったことに、いいようもない悦びが湧き上がってくる。笑顔が止まらない。
「あ”っ、うっ、お”ぇ”ぇ”」
あの子は吐いた。アタシは死ななかった。
――あの子は、人を殺せなくなったと聞いた。
アタシの幸せな日々が幕を開けた。
◆
雨の中、レインコートを着て。
ぱちゃん。ぱちゃん。とあえて音を立てて歩いていく。
「やっほ」
「……………」
――目の前に、死んだ瞳のあの子がいた。
――ああ、アタシがこうしたのか。とても気持ちがいい。
「…何よ」
「いや、顔に嘔吐された後すぐどこかに行っちゃったからどうしてるのかなーと」
――あえてむかつくだろう言い回しをする。本当に楽しい。
「…笑いなさいよ、殺し屋は廃業よ」
「ほうほう、それは何故」
あの子の隣に座る。
向こうが殺そうと思えば殺せる間合い。
胸ぐらを掴まれる、首筋に手が回ってくる。
――手が震えている。ああ、かわいい。
「殺せなくなったのよ!あんたのせいで、あんたのせいで…!」
「殺そうとするたびに、あんたの顔がちらついて、吐き気がして」
「どうして、どうしてくれるのよ…!」
向こうが喚き散らす台詞一つ一つを聞くたびに体中が悦ぶ。
――アタシがこの子に消えない傷をつけたことが、とてもとても嬉しかった。
――ああ、笑顔になるのを止められない。
「そっか、じゃあ責任とらなきゃだ」
そのまま向こうを抱きしめる。
ぐちゃくちゃになったあの子を離さないように。
「…うっ、うううう…うああ…うあぁ…あっぁぁぁぁぁ…」
「よしよし、いい子良い子」
あの子は泣いた。アタシは笑っていた。
絶対逃がさないようにしようと、アタシは思った。
そうして、この子を拾って一緒に暮らすという幸せの日々が幕を開けたのだった。
――向こうにとっては知らないけどね。
◆
「…ちょっと!なんであんた料理とかできないのよ!?」
「あはは、いや出来あいの物で良くない?」
「良くないわよ!これからは私が作るから!」
「ヤッター!大好き!」
「か、軽々しくそんなこと言うなーっ!」
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