第12話

「いたぞ!」

「こっちだ!!」


 一人の見張りが金餅の部屋に入り、残りの者たちが金餅の部屋から遠ざかる。

 二手に分かれた蓮花と朧月。朧月は見張りを引き離すために、囮になっているのだ。

 金餅の酔っ払った叫び声が聞こえる。


「うるさ──い!! 俺様は酒を飲んでいるんだ! 部屋なんか移れるか!!」


 ガシャーンと何かをひっくり返す音と、少女……多分、杏の叫び声が聞こえた。

 しばらくすると、二人の見張りに肩を担がれ暴れている金餅が部屋から出てきた。主に対する侮蔑の色が如実に表れている二人は、角を曲がって姿を消した。


「……うまくいったようね」


 左右を確認しながら、蓮花は金餅の部屋に入る。

 蓮花の足音に気がついたのだろう。壁に投げつけられ、皿をひっくり返された酒と肴で汚れた床に座り込んでいた少女が、怯えるように蓮花を見上げた。今日の昼間、金餅に日傘をさしていた美しい少女だ。暴力の痕は見えない。無事でよかったと蓮花は、安堵で力が抜ける。

 一歩近づくと、少女は黒い瞳がこぼれんばかりに大きく広げ、今にも悲鳴を上げそうだ。

 蓮花は「隼さんに」と、急いで言った。

 少女は悲鳴を飲み込む。

 ほっとした蓮花は、励ますように微笑んだ。


「隼さんに、妹を助けるように頼まれたの!」

「お……、お兄ちゃん?」


 信じていいのか、信じてはいけないのか、杏の瞳が揺れた。


「そう。杏ちゃん。自由になろう!」


 蓮花がバッと杏に手を差し伸ばす。その手を杏は震える手でそっと握り返した。




 屋敷内を知り尽くしている杏は、見張りや他の使用人の目に留まる事なく蓮花と二人で外に出ることができた。


「杏……!」


 飛び出してきた隼が、杏をぎゅっと抱きしめる。


「お兄ちゃん……」


 杏も隼を抱きしめた。


「二人とも。再会を喜ぶのは後にして! 今は少しでも遠くに!」


 屋敷内はまだ剣戟の音が聞こえる。朧月が見張りの足止めをしてくれているのだろう。二人が無事に逃げたら、草笛で合図を送り、朧月も孫家の屋敷から離脱する事になっている。


「さ、早く!」

「はい!」


 ところが、数歩も走らないうちに……。


「おやおや。うちの『商品』になる娘さんじゃないですか。店に出る前から逃げ出すとは、躾がなってないですね」


 いかにも裏社会の人間という風体の男が一人、飄々とした顔をして現れた。


「こ、こいつらです。孫家と繋がりがある人買いは!」


 蓮花は、隼と杏を背中で庇った。


「あんたに、杏ちゃんはやらない!!」


 人買いは鼻先で笑う。


「何ですか? いったい誰なんです?」

「誰でもいい! 杏ちゃんはお前らの『商品』なんかじゃない!」

「それを決めるのは、あなたじゃないでしょ?」


 薄ら笑いを浮かべながら、人買いは蓮花たちの後ろを顎で指した。


「き、金餅様!!」


 隼が悲鳴を上げる。杏は隼にすがりついた。

 振り向いた蓮花の目に飛び込んできたのは、先ほどの酒に赤らんでだらしない顔ではなく、爛々とした目をつり上げ、怒りでまだら色になった金餅の顔だった。むき身の剣を持った護衛も何人がいる。


「お前ら、俺様から逃げられるとでも思っているのか」

「わ、金餅様……。そ、それは……」


 長年の恐怖のせいか、二人はガタガタ震えながらその場でへたり込んでしまった。


「や、やめなさい!」


 金餅は濁った目を蓮花に向ける。


「……さっきも見た顔だな」

「……」


 二人は睨み合う。どちらも譲らない。

 チッと舌打ちした入り、人買いが間に入った。


「まあまあ、落ち着いてくださいよ。金餅様。私に話をさせてください」

「……よかろう」

「さあて、そこの坊ちゃん。坊ちゃんは、いったい何の権利があって娘さんが売られるのを止めようとしているんですか?」


 人買いは、蓮花に話しかけた。


「杏が、そして隼が嫌がっているんだ! 止めるのは当たり前じゃないか!」

「だったら、正面から官警を連れて堂々と乗り込んでくればいい」

「そ、それは……」


 人買いは、蛇のような温度のない目で笑顔を作った。


「それをしなかったのは、坊ちゃんが盗みを働いている自覚があったからじゃないんですかい?」

「盗み?」


 思ってもいない言葉を言われて、蓮花はつかの間きょとんとした。


「そうですよ。この二人は孫家に借金がある。それをカタに売るもやめるも孫家の権利。それにこの国では人の売り買いは嫌われる仕事ですが、禁止されているわけじゃない」

「そ、それは……」

「その権利を横から奪おうとするのは、立派な盗みです」

「あ……」


 納得したくない。納得はしたくないが、反論できない。少年の姿に身をやつしていても、蓮花はこの国の皇女、国の規範を守るべき存在なのだ。


「それに逃げてどうするんですか? 借金を踏み倒して孫家から逃げれば、娘さんは立派な犯罪者。そしたらどの道、落ちるところは同じです。だったら今の方がいいんじゃないですか?」

「……」

「分かってくれたようですね。これは『運命』なんですよ」


 隼と杏が「運命……」と呟いて、表情をなくした。二人とも諦めた顔をしている。孫家に虐げられてきた兄妹は、これから先も虐げられ続けるのが「運命」なのだと……。


 人買いは蓮花の横をすり抜けて、杏の腕をつかんだ。

 蓮花の横を引きずられる杏の瞳から涙が一粒こぼれた。蓮花の何かが振り切れた。


「ダメ!!」


 反対側の杏の腕を蓮花が引っ張り返す。思わぬ反応に、人買いがつんのめった。


「何するんですか!? 危ないなあ」

「ダメったら、ダメ!!」

「何がダメなんです?」

「こんなに嫌がっているんだもの。人買いが禁止されていなくても、やっぱりそれは間違っている! そんなのは『運命』なんかじゃない!!」


 人買いが禁止されていないなら、禁止させる! それが皇女である自分がしなくてはならない事だ。国民の幸福、それこそが真の国の規範だからだ!! そう蓮花が決意したとき、人買いはお手上げだとばかりに杏から手を放した。


「と、いう訳です。金餅様。私にゃ手に負えません。この取引は中止にします」

「な、何⁉」

「それに金餅様は、私に秘密にしていたようですがね。この娘さんの兄が龍騎士候補生になったことは、とうに知っています。裏社会の情報網を舐めちゃいけません」


 金餅は気まずげに、視線をそらした。


「龍騎士になりゃ、家族の安全も国が保証していること。妹が売春宿になんかいたら、真っ先に引っこ抜かれちまいます。まあ、それでも金を産む方法があるからこそ、この取引に乗ったんですがね。でもこんなおまけが付いて来たんじゃ、どんな問題が起こるかわかりませんよ。こっちも信用商売なんです」

「お前! たかだか人買いの分際で、孫家の俺様に……」

「取引に隠し事をするなんざぁ……。あんた、裏社会の人間を馬鹿にしてんのか?」


 人買いは、明確な殺気を金餅に向ける。金餅は、腰を抜かしてへたりこんだ。


「孫家とは、縁を切ります。それでいいですね?」


 再び飄々とした様子に戻った人買いに、金餅はただコクコクと頷くことしかできない。

 人買いは、ふと耳をすます。


「おや。静かになったようですね。私も危ない目には会いたくない。これで失礼させていただきますよ。金餅様に娘さん、お達者で」


 人買いは、蓮花に向けてパチリと片目をつぶった。

 蓮花は内心、ヒヤッとした。蓮花が女であることを人買いが気付いていることを知ったからだ。

 人買いは「では」と、すっと夜に溶けるように姿を消した。


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