第10話


「俺が受からないなんて! この天秤がおかしいんだ!!」


 超人めいた力を発揮した金餅は、槍も兵も振りきり、天秤を両手でつかみ上げると思い切り床に投げ下ろした!!


「あ」


 考えるよりも早く、隼は飛び出す。

 誰よりも早く、何者よりも……。

 隼の世界は、隼を除いて緩慢になっていた。金餅の指を離れる天秤の宝貝ぱおぺいも、洛修のまばたきも隼の目には亀の動きほどゆっくりに見える。一瞬だけ橙色のものが目の端で動いた気がするが、隼は天秤の宝貝ぱおぺいに手を伸ばし、体で包み込んだ。


 ガンッ!! ズサアアアア!!


 頭が強く床にぶつかり、勢いで背中から床を滑る。


「大丈夫か⁉」


 珍しく感情をあらわにした可丈が、隼に駆け寄る。


「大丈夫です! それより宝貝ぱおぺいは……。宝貝ぱおぺいは無事でしょうか?」


隼は天秤の宝貝ぱおぺいを、震えながら可丈に渡す。

天秤の宝貝ぱおぺいを受け取って、一瞬言葉を詰まらせた可丈。そして絞り出すような声で「ああ。大丈夫だ」と囁くように呟いた。


「それより、手当てが先だ!」

「え?」

「お前、頭から血を出しているのを気付かねえのか?」


 自分の額に手をやった隼は、手についた血に目を丸くする。


「なんだ。本当に気が付いていなかったのか」


 可丈は、自分の手拭いで隼の頭をぎゅっと縛った。


「も、申し訳ありません」

「馬鹿。何を謝る事があるんだ。礼を言うのはこっちの方だ。よくやったな。ありがとう」


 可丈はどこにそんな優しさが隠れていたのかというくらい温かな声で隼に言った。

 隼はここ何年も聞いたことがない、自分を認めてれた言葉に胸が熱くなる。こみ上げる感情を抑えつけながら、ただ「はい」とだけ呟いた。


「出血の割には傷が小さいようだ。すぐに止まるだろう」

「お前がしたのは余計な事なんだぞ!!  お前がそんなマネしなくても、そこのが天秤の宝貝ぱおぺいを守ったはずなんだ!」


 金餅の金切り声が響いた。

隼がそちらを見れば、兵士たちにのしかかられ、完全に押さえつけられている金餅が、狂気をはらんだ目で隼を睨んでいる。また可丈の後ろを見れば、橙色の守龍が目を虹色に光らせて、ゆったりと宙に浮いていた。龍はその気になれば、風よりも、音よりも速くに飛ぶことができるのである。


「あ……。そうか……。そうですね。私が宝貝ぱおぺいを拾わなくても、守龍が……。そっか……そうなのか……。私のしたことは……」

「無駄じゃねえぞ!」


 可丈の力強い声が地を打つ。


「え?」

「確かに守龍を使えば、床にぶつかる前に天秤の宝貝ぱおぺいを拾うことができていた。でも俺は、お前が必死に、天秤の宝貝ぱおぺいを守ろうと手を伸ばしたのを見て、止めたんだ。絶対に間に合うと信じてな」

「ど、どうして、私なんかを……?」


 可丈は、自分の橙色の守龍に目をやる。


「おれの守龍である寵橙ちょうとうがそう言ったからだ」

「守龍……が?」

「ああ。誰よりも信頼できる相棒さ」


 と、金餅の不快な声が響く。


「はあ⁉ そのちっぽけながそう言ったからだと? たったそれだけの事で、隼を信じたのか? 馬鹿を言え、馬鹿を!」


可丈は顔をしかめて、床に押し付けられたままの金餅に向かい合った。


「お前は何がしたいんだ?」

「何⁉」

「人をねぶるのがそんなに楽しいか? なんで適性試験なんか受けに来た? なぜ龍騎士になろうとする? 龍騎士になって何をしたい? さあ、答えろ」

「そんなの決まっておる。龍を支配し、俺様の力を示すためだ!」


 可丈は、金餅を取り押さえている兵を押しのけて、胸倉をつかんで間近で睨みつけた。


「いいか。力ってのは、見せつけるもんじゃねえんだよ。誰かを守るためのもんなんだ。それに、龍と俺達は信頼関係で結ばれてんだよ! 支配とか言うな!!」


 胸糞悪い、と可丈は兵士たちに金餅を投げつけた。


「おい、孫家の坊ちゃんよ。叩き出される前に、これを見て行きな」


 可丈は天秤の宝貝ぱおぺいを台座に置く。その天秤は、虹色の龍の置物が上がり、もう一つの皿が底を打っていた。

 どこから発せられたのか分からないどよめきが部屋中を包む。そんなどよめきを無視して、可丈は隼に向かい合った。


「え~っと、あ――。名前は隼で良かったか?」

「は、はい」

「そうか。隼。合格だ」

「は?」


 口をポカンと開ける隼。その隼に、可丈はニヤリと人の悪い笑みを向けた。


「どうやら、天秤を拾った時にできた頭の怪我から血が落ちたみてえだな。たく受ける気もねえのに合格しちまうたあ……。龍神様のお導きなのかもしれねえな」

「はあ……」


 いまだに事態を理解していない隼。その隼に、可丈はクイッと顎で指し示した。その先にいたのは、顔をどす黒く変えた金餅の姿だ。


「春からお前は龍騎士候補生だ。候補生はここの寮に住むのが決まりだ。本当は春からだが、例外的にお前の面倒をここで見てやる。すぐに孫家から出る準備をするがいい」


◇◇◇


「……という訳なんです」


 適性検査に合格したというのに、隼の顔は地獄の底に突き落とされたかのようだ。


「金餅様はご自分が不合格になって、俺が合格になった事で、ひどく矜持を傷つけられたのです。それで……」

「あのバカ息子! 隼さんが龍騎士候補生になって、手をだせなくなったもんだから、妹さんを使って八つ当たりしようとしているって事?」


 隼は力なく頷いた。


「俺達兄妹の両親は孫家に借金を残したまま死にました。俺達は孫家の思惑一つでどうにでもなる身。こき使うも、売り飛ばすも孫家次第。前々から十六歳になったら杏を売り飛ばす話は出ていたんですが、俺が自分は何をされてもいいからと止めてもらっていたのです」

「そんなひどい!」


 隼は疲れた様子で「よくある事なんです」と呟いた。


「よくある事って、人の売買をすることが?」

「ええ……。あの金餅様の様子からすると、今夜にも……」

「今夜⁉ そんなに早くに⁉」

「はい。孫家のつながりがある人買いは、行動が早いんです。けれどああいう商売の人間がちゃんとした家に顔を出せるのは夜だけですから……」


 空はまだまだ明るい。しかし冬は日が落ちるのは早く、何かするなら早いほうがいい。


「分かった。じゃあ、すぐにでも助けに行こう!」

「力を……本当に力を貸してくれるのですか?」

「うん。同じ歳頃の女の子がそんな目にあうなんて許せないもの!!」

「あ……、ありがとう。ありがとうございます」


 礼を言っている隼の目の前に、ほかほか湯気を立てている肉饅頭が差し出された。


「腹がすいていては、いざというときに力が出ぬであろう。これを食べるがよい」

「朧月さん! いつの間に!」


 肉饅頭を目の前にして、初めて腹がすいている事に気が付いた隼はガツガツとほんの数口で食べ終えた。朧月は懐から、次々肉饅頭を出し、隼に食べさせる。

 蓮花は「何で、懐に肉饅頭が?」とも思ったが、涙を流して肉饅頭を食べる隼に気を使い、黙っている事にした。

 隼も、三個目の肉饅頭で腹がいっぱいになったようだ。ぐっと目に力が戻った。


「大丈夫? 行ける?」

「はい!」


 その前に、と蓮花は朧月に向かって丁寧に頭を下げる。


「朧月さん。今日はありがとうございました。楽しかったです。また適性検査の時にお会いいたしましょう!」


 いくら朧月は玉葉が遣わした丁家の護衛とはいえ、これは職務以上の事だ。とても付いてきてくれと、蓮花は言えない。

 面を食らったような朧月は、「待て……」と、絞り出すような声を出した。


「朧月さん?」

「我も行くぞ……」

「でも……」


 朧月は腰に佩いた剣を鞘から浮かせ「チン」と音を立てた。蓮花は今までそんな剣があることにさえ気が付かなかった。


「我には力がある。それも絶大な。うまく使うが良い」



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