第9話


◇◇◇


 時は少し遡る。

 隼は卑屈に腰を曲げながら、孫家の金餅様、金餅の後について龍騎士訓練所の敷地に入っていった。隼の後ろには二番の番号札を持っている氾洛修が続いている。

 適性検査の番号札をもらうために野宿していた隼は、二晩をただ一人で過ごしていた。雪は降らなかったが、冬の最中である。可哀そうに思った門前守衛が火に当たらせてくれて、杏が孫家の目を盗んで届けてくれた冷たい握がなかったら死んでいたかもしれない。三日目の昼に立派な野営道具をもって現れたのは、優しい目をした中年の男だった。氾家の使用人だというその男は隼の後ろに並び、簡易天幕を張った。先に並んでいた隼が、孫家の使用人で野営道具や交代要員、食事の差し入れすら孫家から用意されていないことを知ると、食事を分け与え、分厚い毛布を貸してくれた。次の日に、氾家の交代要員がきてからも、その施しは当然のように続けられた。氾家が隼の事を承知してい証拠である。

隼は洛修と目が合うと、曲がった腰をさらに深く屈めて氾家への感謝を示した。しかし洛修は、不快そうに鼻を鳴らしただけである。


門から歩いて数分もたっただろうか。


「おい、検査会場はまだか?」


 歩き疲れた金餅が、腹立たしげに言う。

龍騎士訓練所は皇都のはずれにありながら、緑深く敷地も広い。神獣である龍を祭る寺院や、龍騎士や候補生が鍛えるための訓練場、瞑想する部屋、また教養を学ぶ学舎などがある。他にも宿直で使ったり、候補生が使ったりする寮、皇都に家を持たない龍騎士が暮らす兵舎などもある。住む人もいれば、世話をする人も必要になる。訓練所には龍騎士以外の人間も多くおり、その食を支えるための食堂は、制限付きだが、唯一女の出入りが許されていた。


「もう少しだ」


 可丈が言うと、金餅はチッと舌打ちをして隼を睨んだ。これがいつもなら疲れたから背負えと言い出すところだ。しかし同じ年頃の少年たちを前にして、さすがにそれは自重したのだろうと、隼はホッとした。氾家の助けがあったとはいえ、さすがに一週間も野宿していては、体力は限界だ。肌の弱い金餅のためにさしているこの日傘も、分厚い金襴緞子きんらんどんすで、かなり重い。この上、自分よりも遥かに体重のある金餅を背負うのは無理だ。しかし金餅がやれと言ったらやるしかない。両親の残した借金を返すため、幼い頃から孫家で働いてきた。隼は孫金餅の命令ならば、無理でも無茶でも自殺行為でも黙ってやるしかないからだ。またそれが同く孫家で働いている妹の杏の身を守る唯一の方法でもあった。


「着いたぞ」


 森の中に突然、建物が現れた。装飾など一切ない、武骨な古い建物だ。隼は粗末な草履を脱いで建物に入った。塵一つなく飴色に輝く床や柱を見れば、いったいどれくらいの長い年月の間、磨き抜かれて来たのだろうかと感嘆の想いに隼はため息を漏らした。


「おお! これか?」


 金餅が通された部屋の中央の台座に、小さな金の天秤がある。片方の皿は何も乗っていないが、もう片方の皿には、虹色の石でできた龍の像が乗っていた。虹色の石は、宝貝ぱおぺいの材料で龍眼石という鉱石である。天秤は、そんな状態だから完全に偏っている。

 金餅はとっさに近寄ろうとするが、金餅の前で兵士──龍騎士ではない証に龍をまとっていない――が槍を交差させて動きを止めた。


「何をする? 俺様を誰だと思っているんだ! 孫家の跡取り……」


 金餅はいつもの台詞を途中で止めた。二番手に氾家当主の息子がいることを思いだしたのである。

 金餅は舌打ちし、一歩後ろに引き下がった。

 それを確認すると可丈が説明を始める。


「じゃあ始めるぞ。これは魂を測る天秤の宝貝ぱおぺいだ。そっちに山積みになっている木の葉の上に、針で指を刺して血を一滴垂らせ。その後、こちらで血の付いた木の葉を天秤に乗せる。龍の置物よりも血の付いた葉っぱの皿の方が重くなったら、適性検査は合格だ」


 可丈は、木の葉に自分の血を付けて、天秤の秤の上に置く。すると、たった一枚の木の葉をのせただけであるにも関わらず、ゆっくりと木の葉を置いた方の天秤の皿が下がった。可丈はすでに龍騎士である。適性検査を合格するのは当然のことなのである。

 しかしこの場にいる、受検生は興奮気味に、「おおっ」と歓声を上げた。適性検査は初めてではない者もいるが、二千人も受けても合格するのは十人程度。木の葉を載せた天秤が、このように傾くのを見るのは初めてだったのである。


「番号札一番。始めろ!」


 金餅は指示通りに、自分で自分の指を針で刺し血を出そうとした。しかし針先が怖くて、どうしてもできないようだ。


「隼! お前がやれ!」

「で……でも……」

「早く!!」

「……分かりました」


 ぎゅっと目をつぶっている金餅の指に、隼は針を浅く突き刺す。

 すぐにぷっくりとした血の玉が浮かび上がり、それを木の葉に移した。隼は、一回でうまくいったとホッとする。その木の葉を可丈に渡したとたん……。


 バシィィィィン!!


 隼の体が吹き飛んだ。金餅に横っ面を叩かれたのだ。


「主に傷をつけるとは、なんたることか! この、不心得者め!」

「も、申し訳ありません!!」


 床を這いずるように、金餅に土下座する。


「ふん。俺様は心が広い。許してやろう」


 どここで「クズが」という声が聞こえた。隼にはそれが金餅の事を言っているのか、それとも金餅にここまでされても我慢している自分の事を言われているのか分からない。


「検査を始めるぞ」


 不快さを隠さない可丈の声が響く。

 金餅は「おおぉ」と興奮した声を上げた。


 可丈が上に傾いた天秤の皿に血の付いた木の葉をゆっくりと置くと、もう片方の龍の形の重しがゆらりゆらりと揺れ動く。


「下がれ、下がれ、下がれ」


 天秤の宝貝ぱおぺいに触れんばかりに顔を近づける金餅。もちろん槍を交差させた兵がそれを許さない。


「下がれ、下がれ、下がれ」


 揺れはどんどん小さくなる。そしてピタリと止まった。水平に。


「失格だ」

「おかしい、おかしい、おかしい。俺が受からないなんて、そんな事があるはずがない」


 金餅は、交差した槍の上を前のめりになりながら、さらに天秤に手を伸ばす。


「おかしい、おかしい、おかしい!」

「ふうん。水平とは、意外といい線をいっていたな。今が十五歳か……。あと二年成長すれば、もしかすると天秤がそっちに傾くかもしれねえぞ。とはいっても、お前みたいなやつはどっちみち訓練で振り落とすことになるがな」


 金餅に可丈の言葉が耳に入っている様子がない。可丈は肩をすくめた。


「おかしい! おかしい! おかしい!!」


 隼の横で洛修がポソリと呟く。


「あの様子、正気じゃないぞ」


 洛修に向けた視線を金餅に戻した隼は、ザっと血が引いた。


「俺が受からないなんて! この天秤がおかしいんだ!!」


 超人めいた力を発揮した金餅は、槍も兵も振りきり、天秤を両手でつかみ上げると思い切り床に投げ下ろした!!

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