水神の娘

結城暁

第1話:水神の娘

 むかしむかしあるところに、きれいな水の流れる川がありました。

 どんな日照りの年も枯れることのないその川は、深い森をふもとに擁する山から流れていました。

 近くの村では、山頂に泉があり、そこから流れているらしい、と言い伝えられていましたが、それを確かめた者は誰もいませんでした。

 それというのも、その泉には水神様が住んでいて、泉に近付く人間を泉の底に引きずりこむと信じられていたからです。


 ある日、魚を捕ろうと村人達が川上を目指して歩いていますと、見知らぬ娘と行き会いました。


「みなさまはどこへ行かれるのですか?」

「おらたちゃあこれから魚捕りに行くとこだでよお」


 娘は不思議そうに首をかしげました。


「釣り竿を持っていないのに、ですか?」


 村人達の腰にはびくが下げてありましたが、釣り竿はどこにも持っていません。

 村人達は腰のびくをぽんと叩いて笑いました。


「心配はいらねえよお。ちゃあんとザンチョを持ってきたでなあ」


 娘は顔を青くしました。

 ザンチョとは植物から採れる毒の一種です。川へ流すと魚がしびれて浮かび上がってくるのです。この毒でしびれた魚を食べても人はしびれませんので、魚捕りには広く使われているのでした。


「ザンチョなんかを流したら、小さな魚も大きな魚も関係なくたくさんの魚が死んでしまいます。どうかやめてくださいませんか」

「そう言われてもなあ」

「なあ」


 村人達は困り顔を見合わせました。


「村長からの取り立てがきびしくてのう」

「食うもんがないのじゃ」

「かかあと子どもらを食わせてやらんと」

「ですが……」


 娘の懸命な様子に村人達も心を動かされました。その時、娘の肩掛けがひらりと風に舞いました。

 きらきらと光るその肩掛けを見た村人の一人が言いました。


「あんたの持ってるその肩掛けをくれるならやめてもええ」

「そうだなあ、きれいな布だものなあ」

「うんうん。それをくれたらやめて帰るよ」

「ありがとうございます! 私が織ったものでよければ喜んで!」


 娘は喜んで肩掛けを村人達に譲りました。


「少ないですけれど、みなさんで食べてください」


 娘は持っていた籠を差し出しました。

 村人達が中をのぞくと、小さいけれどもみずみずしい木の実が入っていました。


「ありがとうよ」

「じゃあこれで」

「ええ、さようなら」


 村人達は約束を守って、娘の肩掛けを手に帰っていきました。


***


 村に帰った村人達はさっそく肩掛けを持って村長の家へ行きました。

 この見事な布を納める代わりに食べ物を分けてもらおうとしているのでした。

 村長は私腹を肥やすために村人たちから税と偽って、麦や金品を巻き上げておりましたので、村人達は日々の食べ物にも困るありさまだったのです。


「村長様、どうか食いもんをわけてくだせえ」

「わけてくださったらこん布差し上げますんで、どうかどうか」

「どれどれ……。ほう」


 村長は見たことのない素晴らしい布に快く食べ物を村人達に分け与えてやりました。

 ちょうど王様の誕生日が近付いていましたので、その布を献上品のひとつとして城に贈りました。


 それからしばらくして、村長の元に城からの手紙が届きました。


「娘よ、喜べ! 王の側妃になれるぞ! 王城へ上がれるぞ! 見よこの手紙を!」


 興奮した村長の手に握られた手紙を要約するとこうです。


『先日献上された布が見事であった、よって織手の参上を許す』


 つまり、布を織った人間を城へ来させるように、ということです。

 どこにも側妃に召し上げるとは書いてありませんでしたが、村長には別の文面が見えているようでした。


「でもパパ、アタシは布を織ったことなんてないわ」

「なに、心配はいらん。ワシに任せなさい」


 村長は村人達を集め、布を織った娘を探してくるよう言いました。

 村人達はしぶしぶ川を歩いて行きました。


「はあ、また始まったよ」

「横暴にもほどがる」

「あの娘っこ、この辺のもんじゃねえだろう」

「どこにいるのかもわからんのに」

「そもそも人間かどうか」


 ぶつくさ言いながら、以前娘に出会った辺りを日が暮れるまで探しましたが、見つかりません。

 相談して、村人たちは翌日ザンチョを持って娘を探すことにしました。娘と出会ったときと同じ状況を作り出すことにしたのです。会えなければついでに魚を捕るつもりでもありました。

 はたして、村人達は娘に会うことができました。

 娘は新しい肩掛けを羽織っておりました。

 村人達は村長に言われたことを話して娘に村へ来てくれるよう頼みました。


「お願えだあ。あんたが来てくれんことにゃ、おれらが村長にひどい目にあわされるかもしれん」

「わかりました。父と相談してきます。また明日、ここでお会いしましょう」


 翌日、村人達が娘に言われた通りにしますと、すでに娘が待っていました。


「一年だけならば、と父から許しを頂けました。それから、水面みなも……あのような布を織るにはきれいな泉が必要です。泉を用意していただけるのならば、あなたたちの村へ行きましょう」


 村人達は娘に感謝しながら村へ案内しました。


 娘から城へ行く条件を聞いた村長は、王からの命に背く気でいるのか、と憤慨しましたが、すぐに悪い笑みをしわくちゃの顔いっぱいにひろげました。


「おおダーラ、我が愛娘よ。あの娘は事の重大さに気付いておらん。少々頭の方が弱いようだ。たった一年で王の元を去ると言う。いいか、ダーラよ。一年が過ぎたと決して気付かれるでないぞ。気付かれたとしても丸めこめ。そうすれば王の寵愛はおまえのものだ」

「はあい、パパ」


 ダーラは父親そっくりの悪い顔で笑いました。


 娘はダーラの召使として城へ行くことになりました。

 村長が用意した精一杯豪奢な馬車を見送る村人達はひそひそと言いあいました。


「かわいそうに」

「あの娘っこ、きっと帰ってこれやしねえぞ」

「かわいそう」

「あの娘がくれた籠の実は今でも減らん、子どもたちが喜んで食べとる。それなのに」

「正直にあの子を織手としてつれていきゃあいいもんを」


 けれども、誰も村長を止めませんでしたし、娘に忠告もしませんでした。


 城へついたダーラは手紙に書いてあった通り織手として扱われました。


「なによ、話が違うじゃない! パパの嘘つき!」


 暴れるだけ暴れて、ダーラは大きく息を吐きました。


「でも、王様はかっこよかったわあ」


 遠目に盗み見た王に恋をしたようです。なんとしても側妃になろうと決めました。

 ダーラは村からつれてきた娘をにらみました。


「なにをボーっとつっ立ってんのよ。はやく部屋を片付けてちょうだい。アタシ、掃除なんかしたことないんだから。それからはやく布を織ってちょうだい。布を献上すればきっと王様はアタシを好きになってくださるに違いないわ!」

「は、はい」


 娘は息苦しそうに返事をしました。


「あのう、掃除を終えたら外へ出てもいいでしょうか。あの水面……の布を織るにはきれいな泉が必要なのです」

「はあ? なによ、それ。まあかけあってみてあげるわ」


 事前に言っておいたことを知らない様子のダーラに、娘は首をかしげました。


***


 それから娘は昼はダーラの世話をし、夜は用意されていた泉のほとりで布を織るようになりました。

 注文通りのきれいな泉に娘は心安らかに布を織ることができました。


「陽の光を受けた水面は織れないけれど、月のゆらめく水面もきれいだわ。帰ったらとと様に教えてあげなくちゃ」


 村人達が考えていた通り、娘は人ではありませんでした。

 川を上って上って行きあたる、山の上の泉に住む水神の娘であったのでした。


 娘が城へ来て半年も経ったでしょうか。

 次々に献上される素晴らしい布に王はご満悦でした。織手のダーラを側妃に召し上げてもよい、と思うほどに。

 織手は夜ごと泉のふもとで機を織っていると聞いた王は、見にいくことにしました。好奇心の旺盛な王だったのです。


 けれど、泉のほとりにいたのはダーラではなく、その召使の娘でした。

 娘は星と月の光を受けてきらめく水面からするすると水の糸を引き出し、機織り機に仕掛けてゆきます。


水辺の花が咲いたとさ

赤い花が咲いたとさ

水神さまの大切な

赤い花が咲いたとさ

風に吹かれて山の上

山の上に散ってった


水辺の花が咲いたとさ

青い花が咲いたとさ

水神さまの大切な

青い花が咲いたとさ

鳥に誘われ空の向こう

空の向こうに飛んでった


水辺の花が咲いたとさ

白い花が咲いたとさ

水神さまの大切な

白い花が咲いたとさ

風に揺られて水の底

水の底に消えてった


 楽し気に機織り歌を歌いながら娘はせっせと機を織り続け、とうとう一反ほども織りあげました。

 できあがったその布は水面をそのまま写し取ったかのように深い紺で、きらきらさらさらと星が瞬いているようでした。


「さあできあがり」


 娘が布を広げると、まるで夜空がそのままそこに現れたかのようでした。

 王は娘が人ではないことを理解しましたが、何も言わないことに決めました。

 機織りが終わった様子であったので、王は娘と話すことにしました。


「良い夜だな。我が――、……私はライオネルと言う。君は?」


 突然現れた男に娘はたいそう驚きましたが、ぎこちなく礼をしました。


「初めまして」


 それから王はときどき娘と話をするようになりました。

 仕事を終えたあと就寝前のわずかな時間、泉へ足を運び娘と語り合います。

 そのうちに王は娘が一年の約束で城に来たことと、娘は隠しているようでしたがダーラとの関係に気付きました。

 ダーラ達父子に欺かれていたことに気付いた王は、ダーラを客人から下働きへと身分を落としました。

 もちろんそれに不満を持ったダーラは、けれど王に文句を言う訳にもいかず、部屋を荒らして回りました。


「なんでよ! もう少しで側妃になれそうだったのに! あの子は一人部屋をもらったのに、なんでアタシは大部屋のしかも下働きなんかしてるやつらと一緒なのよ! あの子はアタシの下僕なのに!」


 生まれてこのかた父親に可愛がられて家事もまともにできないダーラはろくに仕事をこなせずいつも叱責されてばかりでした。あんなにきれいであった自慢の指も荒れていきます。

 ダーラは娘に当たり散らしました。


「アンタはアタシの小間使いなんだから、アタシの仕事はアンタが全部やるのよ! でないと家に帰してやらないんだから!」

「え、ええ……」


 娘は父のもとに帰りたい一心で、不承不承うなずきました。

 それから娘は昼はダーラの代わりに雑用に追われることとなりました。

 城のあちこちを掃除しました。庭のそこかしこの草を抜きました。

 手先が器用だからと料理番を手伝いました。火のそばはいっとう苦手でしたが、夜になれば泉に行けると思えば耐えられました。

 満月はもう六回出たのだから、あと六回満月を見れば父のもとに帰れると辛抱していました。

 人以上に丈夫な体を持っているとはいえ、今まで以上に昼の仕事が増えたので娘はそのぶん機織りの時間を減らし、泉で休むことにしました。

 布の出来上がりは遅くなってしまいますが、火のそば、厨房での雑用で体が思った以上に弱ってしまうのでしかたありません。

 毎日少しずつ重くなっていく体で無理をしながら、娘は自分の仕事をこなしていきました。

 それからしばらくたって、仕事で忙殺されていた王は布の献上がだんだん遅くなっていることに気付きました。

 調べてみれば下働きに落としたダーラの仕事を娘が代わりにこなしていました。

 どういうことだ、とダーラを詰問していると慌てふためいた部下から報告がありました。


「陛下、あの娘が倒れました!」


 王は娘を宮廷医師に診せ、王の寝室に寝床を与え、自ら看病しました。

 娘はとても弱っていました。


「ああ、あなたはこの国の王だったのですね。倒れてしまい、申し訳ありません。夜には布を、織りますので」


 起き上がろうとする娘は王はやさしく押しとどめました。


「布など良い。今は体を存分に休めよ。おまえの体が第一である」

「はい……。感謝、いたします……」


 王は青白い顔をした娘を見て、希少な布などよりも娘の方がよほど大切である、と気付いたのでした。

 娘が望むのならば何でもしてやりたい、と思うようになっていたのでした。


 娘が城に来てから十二回目の満月が昇りました。

 それを見た娘がか細い声で言います。


「ああ、一年が経ちました……。私を父のもとに帰してください」

「……もちろんだ。ただし、その体が治ったらな。今は己の体を第一に考えるのだ」

「…………はい」


 王は賢い方でしたので、この城に娘を留め置く限り娘の体が本調子を取り戻すことは叶うまい、と気付いていましたが、娘を手放す決心がつきませんでした。

 しかし、娘はどんどん弱っていきます。

 王はとうとう娘を手放すことに決めました。

 その準備を進めているうち、城の周辺では連日雨が降るようになりました。

 雨が降れば降るほど娘は少しずつ元気を取り戻していきました。


「少しは元気になったようだな。その調子ならば安心しておまえを帰すことができる。準備ももうすぐ整う。待たせてすまなかった」

「いいえ、いいえ。王様、ありがとうございます」


 顔色を取り戻しつつある娘は嬉しそうに顔を振るのでした。


「あなたさまのせいではありませんもの。気にしてなどおりません。それにととさまもすぐ来てくれますもの」


 うっとりと、娘が唄うように言いました。


 その日、娘を城へ送り出した村は洪水で跡形もなく消えました。

 粗末な村人達の家も田畑も、頑丈そうに見えた村長の屋敷も、木の実の減らない娘の籠も、なにひとつ残さず水が攫っていきました。

 村が消えてしばらくして、城にひとりの男が現れました。

 激しい雨のなかでもその男の周りはまるで光っているように見えました。

 その見目麗しい男を見た門番や兵士たちは次々に気を失っていきました。

 雨はますます激しくなります。

 男は初めて訪れた城の中をすいすいと歩いていき、娘の眠る王の寝室までやってきました。

 侍従達が数人がかりで開けていた扉に男がそっと手を当てただけで、扉はひとりでに開くのでした。


「よう。あんまりにも帰りが遅いんで迎えに来たぞ」

「ありがとう、ととさま」


 娘は嬉しそうに笑い、王にお辞儀をして男に駆けよっていきました。

 ひょいと片手で軽々娘を抱き上げた男はそのまま出て行きます。


「待て、待ってくれ」

「誰が待つかよ。胸糞悪ィ」


 王の声にも振り返らず、男は娘とともに姿を消しました。

 男を追いかけるかのように雨もまたやみましたが、今度は大水が城を飲み込みました。

 大水は何もかもを押し流していきました。

 水が引いたあと、王は家来に命じてくまなく探させましたが、娘の織った布も、泉のふもとの小屋も、娘のいた痕跡はなにひとつとして見つからなかったということです。


 それから娘は父といっしょに山の上の泉で静かにくらしましたとさ。

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