(未完)解体(バラシ)屋ジョーのブラックな時間外労働

お前、平田だろう!

プロローグ 仮面の襲撃者ブッチャー

「……今更だけど、ここから先に踏み出せば、後には引けないわよ」

「……かまわない。もう、俺には生きる目的がない」


 だらしなく着崩しているのに、なぜか品を感じる女性と、仮面をつけて片手に大振りな刃物を持った男が、不穏さをにじませる物騒な会話をしている。


 お互い目を合わせていないが、見ているところは同じだ。


 ―――とある貴族の屋敷


 一体いくらかけて生み出しているのか、考えるのがばかばかしいほどの光に照らされている屋敷の中から、談笑が聞こえて来ていた。


 相変わらず視線を交わさず、会話は進む。ただし中身は、それほど進んではいなかった。


「……けしかけておいて何だけど、本当にいいのね?」

「くどい。こんだけ立派な魔具性の武器を用意してもらって、お膳立てしてもらったんだ。奴をさんざ甚振って殺した後なら、別にどうなったってかまわないさ」

「ちょっとちょっと。一応、私のお願いも聞いてほしいんだけど」

「分かってるよ。『憂国紳士』さん? だっけ。ちゃんと義理は果たすよ。俺をあんな連中と一緒にすんな」


「本当に分かってるのかしら……」と、憂鬱そうな内心を隠そうともせず、一つため息をつくと、女性は仮面の男性に説明をする。


「じゃあ、もう一度だけ。あなたに渡した魔具。『センジュ』って言うのだけど、普段あなたが仕事で使ってる『アシュラ』の上位魔具と言ってもいいかしらね。幻影を含めたおおよそ千のナイフが、あなたが思ったままに動くわ」

「思ったままに……」


 仮面の男は、腰のホルスターに収まった一本のナイフを、感情の薄れた目で見る。もともと視線を合わせていなかったので、女性はそのまま話を続ける。


「相手は荒事に慣れた連中だからね。平気で凶器をあなたに向けてくる。勿論殺意を帯びて。騎士をやめさせられた者や、冒険者をやれなくなった者、もともとの闇の住人。人の命なんて屁とも思ってない連中があなたの相手よ。とはいっても、数はそれほどいないわ。奥様と子供の護衛で出かけているから」

「……」

「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてる」


 内部の話を伝えようとしている女性だが、男の反応がイマイチ薄く、念のため確認したのだが、間髪入れず返事が返ってきたので、ちゃんと聞いていると理解し、改めて話を始める。とは言っても、ここから先、それほど伝えるべきことはない。


「そ。……あともう一つだけ。あなたのターゲット『オルディス男爵』だけど、『先生』と呼んでいる凄腕の剣士が侍っているわ。ひょっとしたら分が悪いかも。それでも……」

「行く」


 三度目の確認だったが、仮面の男の決意は変わらなかった。例えこの身を切り刻まれても、せめて一太刀、そう決めたのだ。


(姉ちゃん……マスター……親っさん……カーラちゃん……イーサンさん……ゴメンな)


 仮面の男―――周りからは『ジョー』と呼ばれる男は、仮面の中、目をつむり、これからやることに対して懺悔する。


 何もかもを失くした男に、とても良くしてくれた人たち。カーラと呼ばれる女性は好意すら寄せてくれていたと、うぬぼれでなければそう感じていた。ただ優先するべきことがあったので、それに対しては邪険ではないが、そっけない態度をとっていたと、申し訳なく思う。ただ、この一件が終わっても、彼女の想いに応えることはきっとできない。


 これからやることは、そういった光の当たる道を歩けなくなる行為だから。


 弛みかけた気を、引き締め直すジョー。


「……ならもう何も言わないわ。後始末はこちらでするから、思い切ってやりなさいな」

「あぁ」

「あ、そうだ。コードネームを決めましょう」

「コードネーム?」


 刃物のように鋭くとがらせた気持ちが、若干丸くなる。なんで今頃……? と思っていると、


「あなたね。殺人現場で本名名乗るつもり?」

「……」


 そう、ジョーはこれから、人を殺す。己の最も大切な人を奪った外道を。だが、そこで自分の名を名乗るなど、自殺行為である。後ろに手が回る覚悟はできているが、捕まらないにこしたことはない。ロクでもない最期を迎えるのは間違いないが、それまでの日々はいつものように過ごしたかった。例え図々しい話だとしても。


 少しだけ考えた女は、すぐにピンと来たようだ。


「そうねぇ……」

「……」

「あ、『ブッチャー』なんてどうかしら?」

「『ブッチャー』?」

「そう! 『屠殺者』って意味よ。解体屋にはちょうどいいじゃない!」

「まんまじゃないか……」

「名は体を表すよ! さぁ、行きなさい、ブッチャー!」

「決定したのかよ……」


 少しばかり気がほぐれたジョー、もといブッチャーは、震える足を一方踏み出す。後ろで騒ぐ女を無視して。


(やれるのか……俺に)


 無意識に己に問いかけるブッチャー。生きている人間に向かって刃物を向けたことなどない。いつだって向ける相手は、モンスターの死骸だった。物を言わない、殺意を向けてこない、ただのモノ。


(だが、今からやる相手は生きた人間だ)


 喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。そういった感情を持っている存在だ。ただジョーからすればそうではない。


 答えは出ないまま、一歩一歩屋敷へと近づき、裏門へ近づくと、門の前にいた槍を携えた一人の衛士がブッチャーに気が付いた。


「止まれ! 何者だ!」


 槍を腰だめに構えながら、きつい言葉で誰かを問うてくる。いきなりご挨拶だなとブッチャーは思ったが、刃物を持った仮面の人物など怪しいことこの上ない。ちょっと笑ってしまったブッチャーは、ついに気持ちを振りきった。


 空いていた手でセンジュを抜くと、掌に載せ、衛士の眉間をイメージする。ゆらりとセンジュが宙に浮くと、いきなり消えた―――ように見えた。どこに行ったかと思えば、衛士の眉間にイメージ通り刺さっている。


「あ、が……」


 言葉にならない声を上げ白目をむくと、衛士は槍を手放すことなく倒れ込んだ。センジュは、ブッチャーの手元に戻ってくる。


「すげえな、これ」


 殺伐とした結果をたたき出した魔具だが、高貴な雰囲気を漂わせたままだ。しばらく見ていたブッチャーだったが、今何をしているのかを思い出し、辺りを見渡す。異常を感づかれた様子はなさそうだ。素人丸出しの行動である。だが、訓練を受けたわけでもない一般人である。しょうがないのだ。


「……これで後戻りできなくなったな」


 恨みつらみのない相手を、手にかけた。激しく波打つ内心を強引にねじ伏せ、闇の世界へ一歩踏み出した男は、そのまま門を開け、屋敷へ入っていく。


 ターゲットは貴族。家族を、姉を手にかけた男……

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