ex:教訓



「──不思議とは思わないか?」

「何がだ?」

 低く落ち着きのある声の問いに、少し軽いこれまた男の声が聞き返した。

 低い声の男は聞き返された事には答えず、ただ眼前に聳え立つ霧に包まれた幻想を見上げているのみ。

 聞き返した方もまた同様に見上げて、一体何が不思議なのかと思案してみたが、やはり聞かれた方の男には目の前に聳え立つモノがどれだけ巨大で不可解であろうとこの世に有り触れた単なる異常現象の一つとしか思えなかった。

「やれやれ……」

 低い声の男────アランはあまりにも異常に対し無関心な相棒ルースに対して呆れた声を漏らす。


「これほどの質量を持った異常が何故、前触れもなくこの地に現れたのか。お前は少しでも気にかけたりしないのか?」

 男の問いは既にルースに対する不満へと変わり、その声には少なからず苛立ちが含まれている。

「少しだけならな。だって考えたって意味無いだろ。それに────」

 ルースは外套の裾を腕で押し上げて腰に携えた刃長七〇センチ程の奇妙な剣を披露した。

 これといった装飾がある剣では無いが、その奇妙さの根源は刃の方にある。西洋剣に似たデザインのそれの刃は微かにだが蠢いていた。

 “生きた剣”を見せつけるルースに対し、アランは再度呆れた様子を見せた。


幻想器エイドスか。お前くらいだ、そんなものを扱う未熟者ルーキーは。まともな開拓者エンゲージドであれば幻想兵装VIAに加工してから使うべきだと教えたはずだが?」

 そう述べるアランの背にはその口から述べられたであろう幻想兵装VIAと呼ぶ長大な西洋剣が背負われている。

「おいおい幻想兵装なんて、結局は劣化品だろうがジジイElEエルで見つけた幻想器モンの方がよっぽど強力な上に安上がりだぜ」

 蠢く剣マゴット・ソードに触れてルースは得意気に笑った。

 何も分かっていない、とアランは頭を掻きながら告げる。


「もういい。今回の探索を終えたらソイツ・・・は加工する。これはお前の師としての命令だ。反抗するならお前とは師弟の縁を切らせてもらう。どうにもその剣、嫌な空気を纏いすぎている」

 苛立ちを露わにしてアランは霧の都市へと進んでいく。その背を追ってルースが続いた。


「頭の固い爺だぜ」


 ◇◇◇


 霧の都市の上部はもやが薄く、反対に根本にあたる下部は靄が濃く真白く淀む霧だけが広がっている。

 この霧すらも〈回想都市かいそうとしElEエル〉の一部として機能する超常現象。霧の中を歩く二人を囲む霧は進むに連れて一層濃くなっていき、現実との乖離が始まる。

 霧の中に入ると同時、思考にも靄が掛かり、二人は前に進む事だけに意識を向ける。二人にとって慣れた感覚ではあるが、不快な気分を味わうのだけは変わらない。

 理解出来ていても、思考に靄が掛かるというのはむず痒いものであった。


 余計な事に意識を向けてはならない。

 雑多な思考は歩みを止めてしまうからだ。

 

 ──かつての第一観測隊はElEの本質に踏み込む前にこの霧の中で全滅したという。そうした教訓があり、彼らはこうしてElEを探索・開拓が可能となっている。


 霧を抜けた先で、二人は思考をがんじがらめにしていた奇妙な感覚から解放されて言葉を発する。


「あークソ、まだ詰まってる・・・・・感覚が残ってるぜ……」

「いい加減なれろ。未熟者ルーキー


 弟子に苦言を吐くアランもまた詰まる感覚に頭を振るい、霧の中に構築された文字通りの〈街〉を見渡す。

 高層ビルの群れと整備された道路。どこをどう見ても人の創り上げた文明でしかない。それが異常現象の内部に存在している。

 その中でいつもの通り、アランは街の中の拓かれた空間でキャンプの設営を始めた。開拓者エンゲージドは基本的に長期に渡るElE内部の滞在を強いられる。

 深層を目指して潜らなければならないのもあるが、たかだか数日で収穫がある訳でもない、なにより簡単には戻ってこれないというのが最もな理由である。

 そして、彼らの帰還を難しくしている理由は、ElEというモノが言わば超巨大な幻想器エイドスであり、その内側に潜る以上、人の身体は半ば思念体の様な存在────〈幻想体〉となってしまうからだ。

 故に彼らはこのElEの入り口エントランスともいうべき〈何も無い街〉にキャンプを設営し、層保護レイヤーの掛けた彼らが〈開拓者エンゲージド〉と呼ばれる所以、〈保存環ベルベット・リング〉の片割れを設置し、もう片方は自らの左手の薬指に装着する事で、上層への帰還を可能としていた。

 

「リングの準備は済んだな?」

 アランが問いかけルースは頷く。

「今回はどこまで行くんだ? 今は人も少ねぇからイイトコ行けそうだが」

「戯け。欲を掻いたヤツからくたばる。潜ったとしても今の我々で対処の易い〈八卦バグア〉までだ」

「おいおい、俺ァいい加減そんな所はゴメンだぜ? 〈魔女の夢〉、アレぶっ壊そうぜ」


 瞬間、四つの光がルースを貫いた。

 光は突如としてルースの首、両脚、右腕に伸びて、煌めきの後、実体を持った刀として現出していた。


「軽口はよせ。弟子と言えどリスクになるのであればここで処分する」

 貫いたかに見えた光の刀は全て寸でのところで静止しており、ルースの身体を留めているだけであった。

 しかし、アランのその言葉に微塵の猶予も無い。答えを誤れば死ぬ────ルースは観念してアランに従う事にする。

「申し訳ありませんでした、師匠……ちっ」

「────」

 未だアランの眼は鋭くルースを見据えていた。こうした事が二人の間では常となっていたが、アランの苛立ちはルースの態度というよりも自らが育てたというのに未だ未熟な思考を持っている事に対してのモノである。

 とは言え、今ここでそれを正そうというのも無理な話。諦めてアランは光の刀を収めた。

「ふぅ……下らぬ事に精神を割くのはこれまでだ、俺も歳だ。そろそろ跡を継げる人間になって欲しい事も理解してくれ」

 アランはルースに背を向け、歩き始めた。

「引退したいってか? 柄じゃねぇよ、アンタには」

 ルースは先程の師の怒りを目の当たりにしながら平然と喋りながらその背を追う。

「何事にも引き際ってのがある。散々言ってきた筈だ。俺にも引く時が近付いて来てるんだよ」

「は。さっきの技のキレを見る限りじゃまだまだ先の話だな」

 ルースの軽口を聴きながら、アランは小さく呟いた。

「……そういう事じゃないんだがな」

「なんか言ったか?」

 当然、ルースの耳には届かずアランは言葉を返さないまま、眼前に見えてきた鉄の箱を強い眼差しで見据えた。

 

 そのアランの薬指には煌めくものがなかった。

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