第12話 悪魔と天使のデート
下弦の月の夜。
普段はクラシックを弾くアイが、珍しくジャズナンバーを弾いていた。
私は、アイの鶴のように長く細い首筋を後ろから見つめていた。
白い肌に生えた黒く細い産毛が妖艶だった。
私の心を解毒して洗い流してくれるような澄んだ旋律。
これは、魔法の音。もしかして。
私は、目を閉じて、あの記憶に入り込もうとした。
セミ、夏、森、ピアノのある部屋、そしてアイとケイ。
騒がしいセミの声。
窓から射し込んだ木漏れ日。
ピアノの音。
そして、アイとケイ。
これ何時だろう? ここは、どこだろう?
私の脳裏に、突然、白いドレスの女の人がピアノを弾いている姿がフラシュバック
した。
その瞬間、アイの指先が最後の鍵盤を押した。
「会いました 偶然 会ったんです」
「それは 偶然ではないわ」
「えっ?」
「私の音には 偶然はないの 楽譜通りの必然で出来てるの」
必然・・・
「Don’t know why」
「えっ?」
「今の曲」
「それ どう言う意味なんですか?」
彼女は無言で立ち去って行った。
騒がしいセミの声。
窓から射し込んだ木漏れ日に映し出されたピアノの弾く白いドレスの女の人。
夢か?
次の日の朝。
眩しい陽の光で目覚めた。
ふと、隣を見た。そこには、白い枕が一つ。
「そうか一人なんだ」
寄生虫の温もりが恋しい。
と、ラインの着信音がなった。
それは、ケイからだった。
「休講?」
それは、ケイからのデートの誘いだった。
ケイの身体の温もり、それは彼の温もりとは少し違っていた。
もう一度、ケイの温もりを感じたい。
これは、彼に感じる本能の愛ではなく同じ遺伝子を愛する心の愛だった。
待ち合わせは、渋谷のハチ公前。笑える。
平日の昼下がりの渋谷。こんな時間に来た事あったけな。
ベビーカーを押したママ達。お重たそうなカバンを持ったサラリーマン達。作業服を着た色黒の男達。
異国の奇妙な文化を物珍しく見て歩く外国人観光客達。英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、タイ、インドネシア、ミクロネシア、マイクロネシア、アイスランド、グリーン ランド、イエローランド、ブルーランド・・・
夜の渋谷の特定の場所しか知らない私にとってそれは彼らと同じように初めて見る異国の風景だった。
マルキューの前でキョロキョロとして歩いてい来た地方から出て来た女子の集団とすれ違った、まるで、私も彼女達と同類。笑える。
ご主人様から待てと言われて餌を食べるのを我慢している犬の前で、ケイは座って、何かをノートに書いていた。
寄生虫? ノートにはそう書いてあった。
「何 書いてんの?」
ケイは驚いて私の顔を見上げて微笑んだ。
「あー これ? 小説」
「小説?」
「うん 将来 小説家になりたいかなって」
「ふーん 本 好きなの?」
「うん 子供の頃からろくにテレビも見せてもらえなかったし 学校の図書室で借りた本だけが 毎日の
楽しみだったからね」
と、ケイは人見知りの少女のように、はにかんだ。
「ふーん そうなんだ 私も一緒」
私もテレビを見せてもらえなかった。でも、ケイと違ったのは、私の楽しみは本ではなく、万引きや恐喝で味わうスリルだった。
「コンビニ 行っていい?」
「うん いいよ」
そろそろ、月に一度のピリオドを打つ日が近づいていた。
「えっ!? まだ?」
来るはずのものが、まだ、来なかった。
「お待たせ」
ケイは、まるで、あの我慢強い犬のようにトイレの前で待っていてくれた。
「うん」
「本って こんな本?」
私は、トイレのそばにあるエロ本を指さした。
「バカ!」
ケイの顔が赤くなった。可愛い。
「鼻血 出てるよ」
「えっ!?」
慌ててケイは、手で鼻を拭た。可愛い。
「原宿でも行く?」
「うん!」
騒がしい客寄せの音楽の中、ティシュ配る黒ギャル。
意味のない会話で盛り上がるバカカップル。
盛り過ぎた顔のJK。
私達は、その中を、まるでウブな中学生の初デートのように少し離れて歩いた。
見るからに昼間のホステスの恰好をした私と田舎から出て来たような地味なケイ。
とても、友達同士には見えない私達は周囲の人達からどう映ってたのだろう。
「ねえ?」
「何?」
「私達って みんなからどう見えてるんだろうね」
「うーん 家出したお姉さんに会いに来たど田舎から来た妹かな」
「えっ!?」
「そのお姉さんは銀座でホステスをしていて 何も知らないうぶな妹に悪いことを教えてるの」
「それ 私じゃん!」
ケイは、ぺろっと舌を出して微笑んだ。
ケイといると夏の終わりの海を見てるように心が落ち着いた。狂乱の夏。それは、今までの私の青春。
竹下通り。
店先にど田舎から来た娘が好むようなチャライ服が吊り下げているショップの前で私達は立ち止まった。
「ちょっと 感じ変えたら?」
「感じって?」
「ギャルになりなよ」
「えっ!」
「絶対 可愛くなるって!」
「いやー」
逃げるケイを私は、無理矢理に手を引っ張ってショップに押し込んだ。
そして、私はケイが着ている服と真逆のチャラいストリート系の服を選んで無理矢理に着せた。
「可愛いじゃん! そうだ帽子も!」
「えっ!」
鏡の中の変身したケイが、また、はにかんだ。
「買ってくれてありがとう でも これで外 歩くの?」
「えっ!? そのために買ってあげたんじゃん!」
「いやー」
着替えようとするケイを私は、また無理矢理に手を引っ張って外へ連れ出した。
恥ずかしそうにうつむいて歩くケイと手を繋いで歩いていたら、さっきのケイが作った短編小説を思い出した。
家出したお姉さんに会いに来たど田舎から来た妹に、悪いことを教えてる悪魔。
と、ジャラジャラとメタルをぶら下げたチャラい二人組の男が声をかけて来た。
「ねぇ どこから来たの?」
ケイが脅えてうつむいた。
「ナンパされちゃったよ どうする?」
無言のケイ。
「一緒に遊ぶ?」
ブルブルと震えているケイ。
「ナンパされるの初めて?」
ケイが、うなずいた。
可哀そうになった私は、男に名刺を出した。
それを見た男達は、「あ ごめんなさい」と、そそくさと立ち去って行った。
「あの人達 どうしたの?」
「これ 見せた」
ケイに名刺を見せた。
「銀座 クラブソリッド・・・ そら それ見みたら引くね」
「でしょ これ見せたら小便臭い男は逃げていくから」
「ケイも 護身用に作っておく?」
「いやー」
渋谷駅前スクランブル交差点の信号待ち。
一列に並んだ人間達と一緒に、悪魔と天使は仲良く手を繋いで立っていた。
目の前を通り過ぎて行く車の騒音。
やがて、それがセミの声に変わって行った。
Don’t know why.
それは、何故か わからなかった。
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