深い溝
「お前はどうなの?」
綾野の矛先が、唐突にオレに向けられた。
不意を突かれ言葉に詰まる。
「どうって… どういう…」
「親とはうまくやってんの?」
「ああ、親…」
ホッとして強張っていた顔がほぐれる。
「弟が生まれて、なんか何もかもバカらしくなって… オレ根性ないです」
「いんじゃねーの、大団円で。お前の親は普通の親だったってことだろ。オレの母親は、結婚して新しい家族ができたから会いにくるなって、ハッキリ言う女だから」
予想もしていなかった綾野の返しに、言葉が何も出てこない。
綾野は鼻で笑って肩を突いてきた。
「なんだよ、その目。同情するなよ」
「いえ、オレ何て言っていいか…」
「親もピンキリなんだよ。子供に愛情注げる親と虐待死させる親の間には、もう数えきれない種類の親がいるってこと。白と黒の間のグレイゾーンが広すぎる。だけど子供は心から、みんな白だって信じるしかないから」
綾野はフンと鼻を鳴らし、冷ややかな笑いを浮かべる。
「オレの母親もシングルの時は『ママには健だけ』とか言って、オレもけな気に『僕がママを守る』とか言ってたんだぜ。信じられねーだろ」
諦め顔でふうと小さく息を吐いて、オレを横目で見た。
「ああ、そうだ」と、思い出したように綾野が声を上げる。
「お前の家族のことは蒼葉に聞いたんじゃないぞ」
冬休みに帰省する際、綾野が何もかも知った口ぶりで声をかけてきたが、それが蒼葉から伝わったと勝手に決めつけ、蒼葉を問い詰めたことを思い出した。
「あいつ、そんなことまでケンさんに言ったんですか。別に知られても困ることじゃないからいいって言ったのに」
「サネカズさんから聞いたんだよ。春の連休は閉寮ではないけど、何となく全員寮を空けるのが伝統なの。お前が残るらしいって聞いたからサネカズさんに、オレからお前に言おうかって言ったら、親父さんと色々あるからそっとしてあげてって言われて… その時に聞いた」
虚をつかれ一瞬のうちに体が固まった。
「…知らなかった… 全然… ケンさん、そういうこと言ってくださいよ」
オレはうわずった声で、それだけ言うのがやっとだった。
「大体、お前もおかしいと気づけよ。閉寮でもないのに、お前以外全員寮から消えるのは不自然だろ」
綾野が声を出して笑った。
「オレひとり… バカみたいじゃないですか」
「サネカズさんにちゃんと報告しとけよ。今年の連休は帰省しますって。ま、もう話は行ってるだろうけど。お前の新しいお袋さんと、何度も電話で話してるらしいから」
「…なんだよ… それ…」
もう吐息しか出なかった。
「いや、お前、それが寮母の仕事だから。サネカズさん、何でもお見通しな」
笑いながらそう言った綾野の顔から、ふっと笑みが消える。
「蒼葉もな… もう少し反抗すればいいんだ。誰だって15、16になると親の
「でも、蒼葉は何かあったら、おばあちゃんの家に逃げると言ってました」
しばらく沈黙した後、綾野は大きなため息をついた。
「体を鍛えれば精神も健全になる」
綾野が不意に言った。
「なんですか、急に…」
「あいつの親父の口癖なんだと」
「格言かなんかですかね」
「そんな格言ねえよ。親父の勝手な思い込みだろ。不健全な精神は体を鍛えれば正されるとか思ってる」
綾野が小さく舌打ちして「バカが…」と呟いた。
「あいつの親父が息子のためとか言って、わけわかんねえ自己啓発スクールに行かせるらしい。根性叩き直す系の… 正月は邪念を払うために、親父と一緒にどっかの寺に行って滝行してるらしい」
「また殴られたらおばあちゃんの所に行くつもり」
そう言っていた蒼葉の笑顔が浮かんだ。
そのままの蒼葉を受け入れてくれる、優しい祖母の幸せな温もりに包まれた時を、過ごしているとばかり思っていたのに。
男の子しか好きになれないことは、不健全なことなのか。
そんな精神は体を鍛えて正す。
本当にそんなことができるとでも思っているのか。
そんな信念を持った父親を、尊敬し大好きだと言っていた蒼葉は、その先の絶望に気付いているのだろうか。
「無理だ。蒼葉が傷つくだけですよ」
綾野は「ああ」と頷く。
「あいつ『父さんも一緒に行ってくれるから』とか、まるで動物園にでも行くような笑顔で言うのな。『父さんも僕のために一生懸命だから』って…」
綾野がふんと鼻を鳴らすと、「違うだろう!」と、まるで蒼葉の父親が目の前にいるように投げつける。
「蒼葉のためじゃない。てめえのために一生懸命なんだよ。息子のために一生懸命な自分に酔って、いい父親だと信じてるバカ!」
綾野が空を仰ぎ見て、自嘲の笑みを浮かべる。
「オレは運がいい。ハッキリとダメ親だと宣言してくれる母親で。迷うことなく捨てられる」
綾野は大きく息を吸うと空に向かって叫んだ。
「バカヤロー!」
それが母親に向けられたもなのか、蒼葉の父親なのか、それとも蒼葉自身に言っているのか。
いたたまれない綾野の悲痛な叫びが、いつまでも耳に残って離れなかった。
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