暴露

 我ながら単純な人間だと思った。

 父親とは縁を切って独りで生きていこうと、強い信念を持って家を出たつもりだったが、それは1年も経たず吹き飛ぶほどの軽いものだった。


「これで家族が全員そろったわね」

 正月の料理を前に、瑠美が安堵したように言うと「そうだな」と、父が息子の視線を感じたのか、照れたように頬をゆるめる。

 老人ホームから正月だけ帰ってきた祖母が、愛おしそうに赤ん坊を抱き「亮ちゃん」と話しかけ、瑠美のことを「陽ちゃん」と呼ぶ。

 瑠美は何の違和感もなく「陽ちゃん」として会話を続けていた。

 その胸に抱いた赤ん坊が、祖母にとって亮一なのか生まれたばかりの亮二なのか、もやは確認するすべもない。祖母の中には赤ん坊と高校1年の二人の「亮ちゃん」が混在して、周りはそれを受け入れるだけである。



 思えば母が亡くなってから1年ほどは、家族にとって過酷な時期だった。

 幼い頃は、父と話したり遊んだりした記憶はほとんどない。もともと口数が少ない上にワーカホリックで、家に居ないのが当たり前だった。幼い頃の思い出のほとんどは、祖父母と母とのものだった。

 父とまともに会話すようになったのは、母が亡くなってからだ。


「これからは一緒に頑張っていこうな」という言葉通り、あんなに会社人間だった父の帰宅時間が早くなり、慣れない家事をしながら父との会話が増えていった。

 父なりに失った母の分を埋めようとしてくれたのだろうか、「今日は学校どうだった?」と毎日訊いてくる。

 時々、それまで息子を放置していた反動のように「友達とは仲良くやってるか? いじめられてないか?」「勉強はちゃんとついて行けてるのか?」等の質問攻めに辟易へきえきさせられることもあった。

 家事を手伝ったりすると、白けるほど大げさに褒めたりもする。

 戸惑うこともあったが、母とも祖父母とも違う男同士の会話は、少し新鮮で楽しかった。


 長年、娘の闘病を支えて、家の中のことは何でもこなしてきた祖母の、娘を失った喪失感は凄まじく、しばらくは病人のような生活を送っていた。

 ようやく立ち直り、台所に立つようになった、そんなある日のことだった。

 祖母が鍋を火にかけたことを忘れ、出かけてしまい小火ぼやを出した。

 運よく隣人が気づき、大ごとには至らなかったが、出かけたはずの祖母は、近くの交番で迷子になって保護されていた。

 夫を亡くし、相次いで娘を亡くして、祖母の精神は壊れてしまったのだろう。

 しばらくは、伯母の悦子の手も借りて、祖母との同居を続けたが、父も悦子も限界を感じ施設に預けることにした。


 不思議なことに、祖母の精神が壊れていくのと反比例するように、暗い顔で泣いてばかりいた祖母に笑顔が戻るようになった。

「おばあちゃんがボケなかったら、晃さんが女を連れ込むこともなかったのに」

 そんなことを悦子が愚痴っていたが、赤ん坊を抱き、それまで見たこともないほど幸せそうに、満面の笑みをたたえている姿を前にすると、祖母にとっては瑠美が来てくれて良かったのかもしれない。

 母と同じくらい暖かなぬくもりで包んでくれた優しい祖母が、夫や娘を失った苦しみから解放され笑っているだけでも、ボケるのも悪いものではないような気がした。


「また殴られたら、おばあちゃんの所に行くつもり」

 何となく蒼葉の言葉を思い出した。

 父親のことを大好きだと言っていた。

 そんな父親に青あざができるほど殴られて、どれほど傷ついただろう。それも蒼葉には何の罪もないことで。

 蒼葉のことを、そのままでいいと言ってくれる優しい祖母の愛に包まれて、幸せな時を過ごしているだろうか。蒼葉が負った深い傷は、少しは癒されているだろうか。


 寮に戻ったら、蒼葉と互いの祖母のことを語り合おう。

 認知症になってもその笑顔は変わらず、優しく包み込んでくれるおばあちゃんのこと、蒼葉を優しく見守ってくれるおばあちゃんのことを。

 そしてオレ自身のことを。



 しかし、冬休みが終わっても、蒼葉は寮に戻ってはこなかった。

 代わりに校内中が蒼葉の話でもちきりだった。

「隣のクラスの柚木蒼葉、あいつゲイだってよ。」

「ああ、なんかカマっぽいと思ってたよ」

「同じクラスのやつに告白したら、そいつが母親に告げ口したらしいよ。その母親が保護者会の役員で、あっという間に保護者会の連絡網で広げて、職員室も大騒ぎだよ」

「仲いい友達がゲイだとわかって、襲われるとでも思ったんじゃねーの」

「いや、怖えなあ。男子校にそれ目的でゲイが入学とかやべえ」

「あいつ、家から通える距離なのに寮に入ってるのは、もしかしてそういうこと?」

 そんな会話が、嘲笑とともに聞こえてくる。


「笹原、お前、寮だろう。大丈夫だったのか? 気付かない間に風呂とか覗かれたりして」

「きゃあッ」と、級友達がからかいながら会話に巻き込んできた。

 オレは、大きなため息を吐きながら立ちあがる。苛立ちを露わに、無言のまま誰とも視線を合わせず教室を出た。

 屋上に上がると、冬の冷たい風に体がブルッと震える。それでも天を仰げば、澄んだ青空が広がり、陽の光が眩しかった。

「なんで告白なんかするんだ、バカヤロー」

 腹立ちまぎれに吐き捨てた。


「だよなあ」と聞き覚えのある声がする。

 ギョッとして振り返ると、綾野健が出入口の壁に持たれて座っていた。

「あいつは疑うことを知らないガキだから」

「ケンさんは知ってたんですか… ゲイだって… あいつが…」

 オレは、口ごもりながら隣に座った。

「ああ、聞いてたよ。簡単に人に言うなって言ったのに、お前に言っちまったとか律儀に報告に来たよ。案外、普通に受け止めてくれたと喜んでた」


 綾野が深いため息をついた。

「打ち明けた相手が、あいつと同じような気の弱そうなタイプのヤツらしい。柳田やなぎだまこととかいう… 知ってる?」

「蒼葉と同じクラスのやつです。話したことはないけど…」

 柳田亮は確かに蒼葉と同じように線が細く、一見すると中学生でも通るような童顔に丸いメガネをかけていた。柳田も身長が高いほうではないので、クラスで目立つ存在ではない。

 いかにも告白されたことを、母親に相談しそうなタイプではある。


「お前は聞いてなかったの?」

「何も… 廊下を二人で歩いているのを何度か見たことはありますけど…」

「柳田の『まこと』って名前、お前と同じ漢字だろ。『りょう』という字に縁があるとか言って喜んでんのな」

「漢字… わけわかんねえ…」

「だよな」と、綾野が苦笑する。

「オレたちのせいだな… 多分。オレたちが物わかりよく受け入れたりするから、あいつ勘違いしたんだよ」

 そうかも知れない。

「男の子しか好きになれない」

 そう打ち明けられた時、驚いて動揺したそぶりを見せたら、あるいは蒼葉ももっと警戒したかもしれない。

「お前はどうなの?」

 綾野が唐突に訊いてきた。にやりと笑って半眼の視線を送っている。

 不意を突かれ、一瞬息が止まった。

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