第060話 幸運を祈る
宰相のクイントは二人の息子を引き連れてきた。
「おや。お久しぶですね。デリエスタ卿」
「こ、これはフレッツリー卿……お久しぶりでございます」
父ディースリムが少しばかりクイントに対して苦手意識を持っているのは仕方がない。未だに油断すると、リンディエールが養女か妻に取られると思っているのだ。その警戒は必要ではあるので、多いに気を引き締めてもらいたい。
お陰で少しずつ、
「うん。それにしても、珍しいですね。リフス卿。これまでは奥方達がいらしていたでしょう」
「……はい……今回は都合がつきましたので……」
リンディエールが出るならと出席を決めたことは補佐達しか知らない。あわよくば、一緒に出かけたり、お茶をしたり鍛錬したりしたいなとも思っているが、口下手なベンディが誘えるかは運次第だ。
「なるほど。本当に優秀ですね。陛下も驚いていましたよ。元ガスラ伯爵領も、順調に仕上がってきているとか」
「……ええ……」
ベンディは緊張気味に答える。彼は武人として評価を受けることは多々あったが、領主として褒められることに慣れていなかった。
そして何より、人付き合いが得意ではない。ディースリムと話ができたのは、隣り合うということで、リンディエールが何度か非公式で会わせていたからだ。もちろん、リンディエールが間に立ってだ。
お陰でベンディもディースリムには慣れてきていた。ディースリムがリンディエールに頭が上がらないのも知っている。知人以上、友達未満の関係だ。
どうにもリンディエールの周りは友達を作るのが苦手な人種が多い。色んな意味で。
ここはまあ、口も上手いクイントに任せようと決めたリンディエールは、久々に会ったレングへ思わず笑みを向けた。
それに気付いたレングは、嬉しそうに近付いてきた。高速で振られる尻尾が見える気がする。
「久しぶりですね。リン嬢っ。ようやくお会いできました」
「ごきげんよう、レング様。先日いただいた花の栞、素敵でした。大切に使わせていただいております」
「っ、気に入ってもらえてよかった」
言葉遣いを使い分けるのは当然だ。レングも分かってくれている。
それにしても、会うのは本当に久し振りだ。だが、手紙のやり取りはしていた。教材と一緒にクイントに託していたのだ。
レングは嬉しそうに目元を赤く染め、グッと唇を引き締めてからゆっくりと手を差し出した。
「そのっ……よろしければ、一曲お相手いただけますか」
「ふふ。喜んで」
フィリクスがどう声をかけようかと迷っている様子。レングの後ろにいる少年も同じだ。恐らく彼は長男のスレイン・フレッツリーだろう。
声をかけられる前にと、レングも考えたらしい。少し強引に手を引かれながらホールへ向かう。踊っている子は少ない。よって、話をしながらでも問題なさそうだ。
「ごめん。強引だったかも」
「
「そうかな。うん……もっと伸びるかな」
「宰相さんも低い方やあらへんし、伸びるやろ。そのためには、好き嫌いせんとバランスよく食べて、頭と体を動かすことや」
「努力するよ」
精神年齢がぐっと上がったなと、リンディエールは感心していた。手紙でも、選ぶ言葉などから、一気に大人びたと感じていたのだ。こうして会うと実感する。
「ダンスも練習したんやね」
「リンも出来るって手紙に書いてたから、始めるのに早いってことはないかなと思って。それに、今日こうして会えるなら、やりたいと思ったんだ」
これを聞いて、リンディエールは心の底から褒めた。
「さよか……よお頑張ったな」
「っ、う、うんっ」
こういう所は、あの出会った頃の素直な子どもらしいなと嬉しくなる。実に可愛らしい。
「そうや。今日会えたら渡したいと思っとった物があるんよ。ずっと、プレゼントは貰うばっかやったでな」
「い、いいのに。あれは、僕っ、私があげたくてしてただけだし……」
どうしてもクイントが間に入るため、リンディエールの方から手紙以外の何かを贈ると取り上げるまではいかなくても、私にもと遠慮なく催促されそうだった。
よって、教材以外はリンディエールから贈らなかったのだ。
「なら、再会の記念や。この曲終わったら、あっちのバルコニーの方に向かうで」
「わ、分かった。ありがとう……その……っ、遅くなったけど、そのドレス姿とっても似合うね」
真っ赤になりながらそう伝えてくるレングに、リンディエールは笑った。
「おおきにっ。なんや、言うタイミング計っとったん?」
「うん……父上より早く言えたかな」
「寧ろ、身内以外では初めてや」
「そっかっ」
今度は少年らしく笑う。見ていた令嬢達がときめいているのがわかった。同時に令息達がリンディエールの笑みにやられているのだが、そちらへの感知は働いていない。リンディエールの残念なところだ。
曲の終盤。徐々にバルコニーの方に移動していく。そして、きちんと礼をしてから、再びレングに手を引かれてそちらへ向かった。
「視線が痛いなあ」
「……振り向くのが怖い……」
「まあ、一番キツイのんは宰相さんやで」
「……父上は本当に大人気ないと思う……」
「ようやく気づいたか。苦労するなあ」
「……兄も増えそうなんだけど」
「よお似た親子やね。あれは腹黒やわ。顔だけで分かる」
「……」
これにはコメントできないらしい。苦労人になるなとリンディエールもこれ以上言うのはやめた。
まだ昼間ということで、バルコニーに出るのに妖しい雰囲気になるということはない。三階とはいえ、今回の会場は城の中ほどにある場所だ。城下も半分くらいしか見えない。
「どっちでもええで、腕を出してや」
「うん」
差し出された右の手首に、リンディエールは品の良いシルバーの腕輪をはめる。中心には小さいながらもレングの瞳の色と同じ青い宝石が輝いている。
シュッと大きさが調整されたそれを見て、レングは目を丸くする。
「これ……魔導具?」
「通信の魔導具や。持っとらへんやろ?」
「持ってるはずないよ!」
相当驚いていた。当然だ。通信の魔導具は今や、貴族の家でも貴重なものだ。製作法はとうの昔に失伝しており、迷宮産のものは奥深くでしか手に入らない。
使用者権限の付いたこういった魔導具は、基本的に使用者が亡くなれば、使えなくなってしまうのだ。貴族家で溜め込んでいた分もそろそろ尽きるというものだ。
「そんなら良かったわ。それなあ、ウチの自作やねん。登録出来る件数は五百件なんやけどな」
「多いよ! ち、父上のでも五十件だって聞いたことある……っていうか自作?」
「ああ、件数は年代で違うらしゅうてな。ほんなら、宰相さんのはまだ新しいやつや。ウチのは結構古うて、三百件入るやつやった。まあ、弄って五百件対応に変えたがな」
今では平均で五十件から百件が普通だ。それほど古いものは残っていない。迷宮産のものも、古いものはもうほとんど出払っているのだから。深いところで出るのも、二、三百年前くらいの新しいものに入れ替わっている。
自作するに当たり、登録件数についてリンディエールは悩んだ。そして思い出したのが前世日本での携帯電話。知らないうちに増えてたよなと思い返し、あれはそれだけ相手の数もあったからだが、そんなことはチラとも思わず決定したのが五百件だった。
後でヒストリアにそんなに要るかと呆れられたのだが、大は小を兼ねるものだと開き直った。
「ほれ、そないな小さいことは気にせんと、登録するで」
「ち、小さいこと? 小さいことかな? っていうか自作……わ、分かった。やり方教えてほしい」
「ええで♪」
本当に良い子になった。何かを教えて欲しいなどと、口にするような子ではなかったはずだ。
子どもの成長を喜びながら、上機嫌で登録の仕方を教える。
無事登録できた。次に通信の仕方も教え、そろそろ戻らないとこちらへクイント達が来そうだなと感じてホールへ戻る。
「父上の嫌がらせが増えそうだな……」
「ガンバレ。アレを上手くあしらえるようになれば、どんな貴族の嫌味も子ども相手にしとるんと同じになるやろ。いやあ、ええ父親持ったなあ」
「……それ、僕の目を見て言える?」
「……困った大人も居るもんやね」
「……」
普通にあんな父親は嫌だなと思ってしまったリンディエールだ。
「さて……修羅場か……」
「近付きたくない……カエリタイ……」
「大丈夫か? ま、まあ任せえ。宰相さんの機嫌は取ったるわ。中ボスの相手はせえよ?」
「中ボス……うちの兄とリンのお兄さんだよね? 二人だよ? ラスボスと同じレベルでしょっ」
一歩の歩幅が小さくなった。小声で話しているが、聞こえてますよと言わんばかりの笑みが三つ並んでいるのだ。普通に怖い。
それをなんとか紛らわせようとリンディエールも必死だ。
「おっ。話が分かるようになったなあ。まあ、ガンバレ」
「頑張るから解決策を……」
「ガンバレ」
「……」
リンディエールもちょっと必死でクイントのご機嫌取りをする必要があるのだ。構っていられない。
「お互いの幸運を祈る」
「…….骨は拾ってください……」
スッと手を離し、リンディエールはクイントの前に歩み出る。そしてカーテシーを決めると、クイントは驚きながらも嬉しそうに胸に手を当て、もう片方の手を差し出す。
「可愛らしいお姫様。私と踊っていただけますか?」
「喜んで」
令嬢らしく微笑みながら手を乗せたリンディエールだが、そのまま手を引かれて抱き上げられた。
さすがのリンディエールも驚いて目を丸くする。見下ろしたクイントの顔には、喜色しかない。
「ふふふっ。本当にとっても綺麗ですね、リン♪ 私の贈った首飾りも似合っていますっ」
「……あんなあ……一応もらった物やで着けとるが、いくら子どもやゆうても、未婚の女に首飾りはダメやろ」
「なぜです? 私のものだと分かるでしょう?」
「意味知っとって贈るなゆうとんっ。その上でこの色や。どんだけ独占欲出しとるん!」
せめて腕輪か髪飾りだと思っていたのに、贈られてきたのはクイントの瞳の色とリンの瞳の色の宝石が付いた首飾り。婚約者か結婚相手にしか贈らない品物だ。
リンディエールは子どもなので、まだそういった意味には取られないだろうと、仕方なく着けたのだ。
抱き上げたまま、クイントはリンディエールを連れてダンスホールへ向かう。そして、そのまま踊りだした。
確かに小さい子相手にはこれもありだ。だが、その表情はダメだろう。
「問題ありませんよ。離婚も上手くいきました。私は独身です!」
「そうやなくて、せめて成人近い女を相手にせえと……っ、その顔ヤバいでっ」
「どの顔ですか? 好きですか?」
「アホっ。これで宰相さんがロリコンやって広まるでっ。この場に居る令嬢らの親が、明日から結婚勧めてくるようになるで?」
高い位置に居るからよく分かる。
浮かれきって愛しそうにリンディエールを抱えて踊るクイントを見て、周りが大半口をポカンと開けている。
ハッとしてコソコソと話し出す奥様方。そして、自分たちの娘に何事か囁く。
間違いなく相手にどうかと言っている。
「心配してくれるんですか? 大丈夫ですよ。リンしか見えないと正直に答えますから」
「貴族やろ! 本音と建前は大事にせえっ。嘘も方便言うやろ!」
声は極力抑えているので、聞こえないはずだ。しかし、クイントはお構いなしだ。普通の声量で話している。
「リンには嘘を吐きたくないので」
「言うのウチやないやんっ」
「だって、リンなら聴く耳があるでしょう?」
「……」
それはもちろんだ。噂はいくらでも拾えるだろう。
「それよりもどうです? 結婚しませんか?」
「……」
「沈黙を肯定と取っても?」
「あかんに決まっとるやろ……」
相変わらず強引だ。ため息混じりで続ける。
「ウチ、恋愛とかよお分からんのよ。せやから、分かるようになるまで待ってんか。その間に誰かと縁が出来たらそっち向きい」
「ふふっ。分かりました。でも、きっと……貴女以外にはもう何も感じないと思います」
その時のクイントは寂しそうで、けれどどこまでも優しい表情を見せた。
「っ……」
リンディエールはその表情を知っていた。ヒストリアが時折見せる表情だ。見た目がドラゴンでも分かる。
この場にある幸せだけを願う表情だ。それを見ると、リンディエールはいつも抱き付きたくなる。決して、ここで終わらせはしないと、泣きたくなる。
だから、思わずクイントのこめかみ辺りに口付けたのは条件反射みたいなものだ。
「っ、り、リン……っ」
「あ……そのっ……すんまへん……っ」
ザワっと周りが動揺するのが分かる。これはやらかした。クイントも動きを止める。顔も少し赤かった。
「い、いえ……戻りましょうか……」
「せやな……けどええの? 結局、ウチと踊っとらんで?」
「いいです。今回はこれで。今、とっても幸せな気分ですからっ」
「さ、さよか……」
ラスボス討伐は、これにて終了した。
多分。返り討ちには合っていないはずだ。
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