Darkness

水無 翔

part01 プロローグ

 玄関のドアを開ける。いつもと変わらない朝。この日も良く晴れていた。

 太陽の光を全身に浴びて、深呼吸。さて、今日も仕事に向かおう。


 仕事場は、徒歩20分の距離にある市街の中心部。周りの爽やかで新しい建物達とは違う、古くて厳つい牢獄。周囲をぐるりと格子鉄線で囲った、立ち入り禁止区域。市の運営する刑務所だ。

 私は今年の春から、その中にある少年院棟で看守兼カウンセラーとして働いている。

 いつものように建物の裏口に回り、重い鉄の扉の鍵を開けて中に入ると、赤毛で目つきの鋭い私の教育係である上司が、扉の前で仁王立ちして待ち構えていた。私は吃驚して思わず、ヒッと声を上げてしまった。


「そんなに驚くことないだろ。おはよう、雫(しずく)」


 上司は意味ありげに口角を少し上げて、私の目を見て言った。私は金色ような不思議な色の瞳の、その眼光の鋭さに耐えきれず、咄嗟に視線を外してしまった。


「すみません……。おはようございます、カローナさん。……こんな所で待ってたってことは」

「うん、30分遅刻だな」

「あー、やっぱり」


 笑って誤魔化したが、すぐに滅茶苦茶睨まれてしまった。上司のカローナは軽くため息をついた。


「まぁそれはいいとして」

「いいんだ」

「良くはないが! 今はそれより、お前に話があって待ってたんだよ」

「話ですか?」


 いいからついてこい、とカローナは神妙な面持ちで事務室の奥の仮眠室へと消えた。

 慌てて追いかけ仮眠室へ入ると、カローナが内側から鍵を掛けた。何となく、嫌な予感がする。


「なんですか、話って……」


 カローナは、私に背を向けたまま言う。


「お前にある少年の担当を任せたくてな」

「ある少年?」


 彼女は振り返り、誰もいないベッドに腰掛けた。そして顔色を変えずに続ける。


「ここの地下牢に7年いる。名前はレージュ・アリア。今から行って挨拶してこい」

「……え? 今からですか!?」

「あぁ、今すぐだ。そこの隠し扉の奥に階段がある」


 そう言って私の真横辺りを指差す。確かに、そこには重厚で大きな鉄の扉があった。今日まで何度か仮眠室は使ったことがあったけど、そんな扉は見覚えがない。ただの仮眠室にこんな目立つものがあったら絶対に気づくはずだ。何故気付かなかったのだろう一一。


「こんな扉あったか?って顔だな。それはヤツに会ってきてから話そう。まずはとにかく会ってやってくれ」

「……なんなのよ」


 色々と訳が分からないが、とにかくそのレージュという少年に会ってみなければ話が進まなそうだ。

  私はため息と深呼吸をして、その鉄の扉に手を掛けた。



*****


 重厚な扉(実際とてつもなく重かった)を開けると、すぐ下に続く階段になっていた。階段の下は真っ暗で、いかにも怪しい地下へ続いている、といった様子だ。

 息を呑んで恐る恐る階段を降る。もう夏だというのに、地下の空気はヒヤリとしていた。

 しばらく降りると、開けた場所に出た。明かりは申し訳程度にランプがあるだけで薄暗く、その奥に牢獄の檻が見えた。

 猛獣でも閉じ込めているのかと思う程の大袈裟な檻だ。

 一一こんな所に少年が一人だけだなんて。

 7年もここにいるというそのレージュ・アリアという少年は、一体何をしたのだろう……。

 事情は後でカローナを問いただすとして、恐る恐る牢獄に近づいてみると、奥の暗がりから鎖の揺れる音がした。そして、微かに人の声も聞こえた気がした。


「こんにちは……。レージュくん、だよね?」


 怖がるくらいなら看守という仕事は務まらない。こういう時は先手を打って先に話しかける事にしている。

 すると、返事が返ってきた。


「誰?」


 声から察するに、十代半ばだろうか、変声期を終えた思春期の少年の声だ。随分と素っ気無いが、ちゃんと言葉は交わせるようだ。一一少年院では意思疎通の取れない子も中にはいるので、会話ができるという安心感は強い……。

 しかし声は掠れていて、暗く光がなかった。


「私はカウンセラーよ。カローナさんから貴方の担当を任命されたの。挨拶がしたいんだけど、その…‥動けるなら顔を見せてくれない?」


 そう言いながら更に檻に近付くと、中の様子が窺えた。木の机と椅子が1組、その上にはランプと本が一冊置かれているだけ。そして壁際に大きな天蓋付きのベッドがあり、少年はその上に座っている。暗闇に溶けるような黒い服を着ていて、顔はよく見えない。

 物は少ないのにベッドだけは仮眠室の簡易ベッドなんかよりよっぽど豪華で、こんな石壁の冷たい地下室には不釣り合いに感じた。そして、ベッドの奥の壁から伸びる鎖が彼の手首に繋がれている。

 予想していなかった光景に、はっと息を飲んでしまった。


「カウンセラーなんか必要ない」


 ジャランと鎖を鳴らして、少年は冷たい声で言った。

 牢獄の中でまで、鎖で行動を制限する必要があるのだろうか……?


「……あなたは何をしてここへ? 自分の罪を理解してる?」

「罪……? どういう事だよ、俺は何もしてない……! 何でこんな所にいるんだ?」

「……え?」


 一一どういうこと? カローナさんは彼が7年ここにいると言っていた。7年もどこかもわからない場所に鎖で繋がれているの? どうしてここにいるかも分からない? そんな状況、まるで理解できない。彼は一体何者? カローナさんは全部知っている? 何故私をここに連れてきたの……?


「ちょっと待って、混乱してきた……。一回整理させて? 一一まず、貴方の名前は?」

「カウンセラーはいらないって。……レージュだ」


 悪態をつきながらも、彼は答えてくれた。顔を見たいがそれより彼のこの状況を理解するのが先だ。


「うん、レージュね。あなたはいつからここにいるの? ここに来る前のことは覚えてる?」

「いつからかは……分からない。目が覚めたらここにいた。多分3日前くらいに起きたけど、カローナってやつに聞いても何も教えてくれなかった……。ここに来る前の事は……よく覚えてない」

「……なるほど」


 え、これってもしかして、誘拐なのでは……?


 ーーいやその前に、カローナさんは7年前からいるって言ってたけど、目覚めたのが3日前? 7年ずっと寝てたって事? そんな事ある? 来る前の記憶も無いってどういう事? 記憶を消されてるとか? いやそんな事できる?

 カローナが嘘をついているのかもしれない。上司としては信頼していたけど、プライベートについては一切謎だったし、今思えば怪しいところが沢山あったように思えてくる……。


「……なぁ、ここはどこなんだ? あんたはあいつから何か聞いてないのか?」


 逆に質問されてはっとした。顔は見えないが、彼も状況が分からず不安なのだろう。とにかく今は状況を確認して、彼を安心させてからカローナを問い正しに行こう。


「ここはさくら市にある刑務所の少年棟……の、地下室。私は4ヶ月くらいここで働いてるけど、今日初めてこの場所とあなたの存在を知った。カローナさんからは、あなたの名前と、担当を任せるとだけ言われたけど、他には何も」

「刑務所って……俺は何もしてない……!」

「……本当に何も覚えてないの?」

「わからない……何か、もやがかかってる、みたいな……」


 レージュは小さく呟き、考え込むように押し黙ってしまった。


「大丈夫! カローナさんは私の上司で、悪い人じゃないから! 聞けばちゃんと教えてくれるはずよ! 私聞いてくるから、ちょっと待っててくれる? 」

「……分かった」


 私は彼を不安にさせないようにわざと明るい声で言い、そのまま牢から離れ階段の方を振り返った。その時初めて階段を降ってくる足音に気づく。


「挨拶は済んだか?」


 いつもと変わらない声で口元に薄く笑みを浮かべながら、カローナは階段から降りてきた。


「カローナさん一一」

「おい! どういう事か説明しろッ!!」


レージュはカローナが現れた途端、声を荒らげて叫びベッドから飛び降りた。腕の鎖が引っ張られて激しく音を立てた。


「カローナさん、私も何が何だか……」

「まぁ落ち着け、レージュはまだ目覚めてから日が浅い。魔力の制御が上手くできていないんだ。記憶の混濁もその弊害だろうな。なんせ覚醒までに7年も掛かったんだ。これから徐々に制御できるようになればいいーー」


 魔力?覚醒? 一体何の事を言っているのか、まるで分からない……。


「何の事だよ……魔力って……そのせいでずっと体がピリピリしてるのか……?」

「いや、それはこの檻に仕掛けてある魔力封印の術のせいだな。魔力が暴れるのを抑えてるんだよ。お前は竜と人の混血だから特に魔力が強い。竜が魔力を覚醒して制御できるようになるのに普通は1年もかからないんだが、それだけお前の魔力が強大という事だ」

「竜? なんだそれ、俺は人間だ……!」


 竜という存在は知っている。昔本で読んだ、古い神話に出てくる神々の事だ。そこに登場する神たちは人と同じ形をしているが、背に美しい翼があり、魔法を使い、人間よりもはるかに長寿な生き物だとされていた。そして眼は猫のような瞳孔を持ち、虹彩は黄金に輝いていると……。

 カローナの瞳は、ずっと不思議で珍しい目だと思っていたが、今思えば神話の竜の眼に似ている……。しかし翼は無いし、そもそも神話の世界の話だ。そんな事が現実にあるわけがない……と思っていたけれど、今私の目の前でされている会話はまさに、その神話に出てくる魔法だのなんだのという話にしか聞こえない。


「人間でもあり、竜でもあるんだ。だからお前はどちらからも受け入れられない、追われる存在だ。今もお前の存在を否定したがる竜達の追手が迫ってきている。私のところにもすぐに来るだろう、いつまでもここに隠してはおけない。いいかレージュ、お前はここを出て彼らから逃げなければならない。その本と雫を連れてここから出て行くんだ」

「ーーちょっと待てよ! 話が急すぎて……あぁもう、聞きたい事が多すぎる! ここから出られるのは嬉しいけど、どこに行けば……」

「大丈夫、雫が目的地を知ってる。連れてけば問題ないさ」

「いやいや!知らないよ!目的地って何! というか何で私も行くの!? あなたが一緒に行けばよくない!? 何で私巻き込まれたの!?」


 思わず上司に向かって思ってることをそのままぶちまけてしまった。

 しかし展開が急すぎるのだが、本当に、なぜ私なのか……。

 カローナは呆れたような顔で私を見て言う。


「お前にレージュを任せると言ったろ? 給料は弾むからさ。お前を信頼しているから、私の直属の部下にしたんだぞ」

「はぁ!? いや、いくら直属だからってそれはないでしょ!?」

「俺にも分かるように話せ! 何でこいつをーー」

「おっとすまない、時間があまりないんだ。目的地はお前の記憶の中に忍ばせといたから大丈夫だ。ほら、扉開けるぞーー」

「「えっ」」


 私達が反論する間もなく、カローナは私を押し退けて檻の鍵を開けた。

 すると、その途端レージュが呻き声を上げた。


「うっ……! なんだ……これ……うぁ…」

「レージュ!」


 レージュは呻きながら蹲ってしまった。私は混乱しながらも、檻の中に入りレージュに駆け寄る。

 初めて彼の姿がよく見えた。真っ白な髪が腰まで届くほど長く伸びている。

 その時、彼の背中のあたりから霞のような黒いもやが表れ、瞬く間に翼の様な形を作った。それはどんどん大きくはっきりとした形になり、まるで蝙蝠の翼の様なものが、レージュの背中に出来上がった。その禍々しい悪魔のような翼が、私の目の前でバサッと一度大きく羽ばたく。


「なにこれ」


 思わず口に出したその途端、地面がガタガタと音を立てて揺れ出した。そしてなんと、地面がそのまま持ち上がってきて、天井が崩れだした。


「きゃーー」

「あああああああああああ」


 レージュが突然叫び、それに呼応するように天地が激しく揺れる。同時に壁や牢の檻やベッドの支柱など、色々なものがいっぺんに崩れてきた。私は咄嗟に、悲鳴を上げながらレージュの腕にしがみつく。

 地面は持ち上がり続け、既に地下室の床がずいぶん遠くなっている。下の方に目を向けると、カローナがまだ檻があった場所の近くに立っていた。カローナと目が合い、そして私に向かって叫んだ。


「雫ー!レージュを頼んだぞ!」

「えええええーー!?」


 私の叫びは無視して、カローナはさっきまで机の上にあったあの本をいつの間にか持っていって、私に向かった投げつけた。

 私は咄嗟に受け取ってしまった。


「なんーー」


 必死に反論しようとするも、揺れと動揺と様々なものが邪魔をしてなにも言葉にできないまま、私とレージュは持ち上がり続ける地面と共に、ついに地上に出てしまった。

 仮眠室があったはずのそこは瓦礫の山になってしまって、燦々と輝く太陽の光が私たちに降り注ぐ。地上に出た途端、地面は動かなくなり、瓦礫の崩れる衝撃だけが少しの間続いた。何故か瓦礫は私たちを避けるように周りに広がっており、あれだけの衝撃だったにも関わらず私には傷一つついていなかった。

 叫び続けていたレージュの声が、地上に出てからピタッと止んでいたことに気づく。そして私は眩しさに目を細めながら、レージュの無事を確かめようと、彼の方を見て、はっと息を飲む。

 レージュは空を見上げたまま固まっていた。まるで初めて空を見るような、驚きと感動に満ちた目をしていた。白銀の腰まで届く長い髪が太陽の光に反射して、神々しく輝いている。白く透き通った肌、左目はカローナと同じく金色に輝き、右目は薄紫色をしている。顔立ちはテレビで見るモデルより整っている。

 なんと美しいのだろう、日の光を浴びて尚更そう見えるのかもしれないが、これほど美しい人を私は見た事がなかった。私も、レージュの顔を見て固まってしまった。

 刹那、レージュは突然電池が切れたように倒れ込んだ。私は慌てて彼の体を受け止め、少しの間、また彼の顔を眺めた。

 そしてこの訳のわからない状況を理解しようとして、すぐに諦めた。


「これからどうしよう……」


 そう呟いて、私は瓦礫の山の真ん中で、美しい少年を抱えたまま大きなため息をついた。

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