名探偵・明智乱歩の推理

影の踊り子

「今日、皆さんに集まってもらったのは他でもありません。この難解な密室殺人事件の謎を暴き、真犯人に法の裁きを受けさせるためです。そう、この名探偵・明智乱歩がね!」


 鳥打ち帽を目深に被り、私立探偵・明智乱歩は不敵な笑みを浮かべる。彼の隣に立つ担当刑事は必死に彼を止めようとしているが、正直それは茶番に見えた。心の奥で捜査能力を信頼しているのだろう。この国の治安維持機構も終わりだな。

 私は心底うんざりして、彼が自信満々で発せようとする言葉を遮った。

「探偵さん、私たちを疑っているんですか? 私たちはこの事件で確実に損害を被った被害者だ。展覧会を中止に追い込まれ、こうして次のビジネスに掛けるべき時間を無駄にされている。良いですか、現代社会はチャンスを逃した者から脱落している競争社会だ! お遊びで探偵なんてやっているあなたにはわからないでしょうが……」

「今からその仕事をするんですよ、金田一さん。犯人は、この中にいるのだから!」


 芸術家、エラリー・ダネイの個展を開くチャンスに真っ先に名乗り出た我が〈SKホールディングス〉は、パトロンとしてエラリーに多額の支援を行なっていた。私ことCEOの金田一正史も交渉の矢面に立ち、先方との関係もうまく行っていた。少なくとも私はそう思っている。


 巨大なイベントスペースの中央部に鎮座する1畳ほどの底面積の立方体は、エラリーの最新作だ。『kaleidoscope』と名付けられたその立方体の外側はただの単色だが、内側は無限の世界が広がっているという。その正体が四方に張られた鏡であるという事実が明らかになったのは、個展開催初日の今日、今から数えて6時間前だ。

 作品の中で、エラリーが死んでいたのだ。


 鏡の中で撲殺されていたエラリーを最初に発見したのは、間違いなく私だ。招待したはずの彼の姿が朝から見えないことをスタッフに報告され、私は最初に彼の私用スマートフォンへ連絡を試みた。業務連絡を嫌う彼は、親しい人以外に連絡先を教えなかったのだ。

 着信音は、すぐ近くから聞こえた。私は音を頼りに人混みを掻き分け、警備員に突然鳴り響いた携帯の音にざわつく客を制するように伝える。

 スタッフが客をおおかた払い終えたのを確認し、私は作品に手を触れる。着信音は確かにこの中で響いていたのだ。嫌な予感がした。

 荒々しく立方体をノックし、私はエラリーに何度も声をかける。たとえ反応が無くても、何度も繰り返すように。

 スタッフが私にバールを手渡す。人命と芸術、優先すべき事柄は決まっていた。私は意を決し、バールで立方体を破壊したのだ。


 分解されて展開図のようになったその作品の周りには規制線が敷かれ、既に人払いを終えた会場内で推理ショーは始まった。

「この作品が解体されるまで誰の手も触れていない密室状態だと仮定すれば、エラリーさんが殺されたのは作品制作中だということになります。しかし、彼の行方が分からなくなったのは今日で、死亡推定時刻も本日中です。内部の割れた鏡と遺体の争った形跡から推察するに、エラリー氏は個展開催中に内部で殺された。ここまではわかりますね?」

「ですが、この作品に手を触れた者は開催中には誰もいない! 警備員も怪しい者は見なかったと言うし、監視カメラにも何も映っていなかったんでしょう……? 誰にも犯行は不可能じゃないか!」

 完全犯罪だ、と関係者たちは次々に言う。自殺ならまだしも、他殺なら密室に入ることは不可能だ。犯人は、どうやってこの作品内でエラリーを殺害したのか?


「これがそもそも内部を見せる目的がある以上、どこかに隠し扉があったというのか? しかし、だとしてもどうやって気づかれずに侵入したというんだ……!?」

「……隠し扉の着目点は流石です。確かに、エラリー氏が最初に作品内に入った時は隠し扉を使用したでしょう。遺体の足元である底面に大人1人が通れる扉がありました。彼は最初にここに入り、足で扉を閉めた。鑑識の方がそう教えてくれたんですが、これだと矛盾が生まれるんですよ。扉の上に立っている以上、犯人が外から開けることはできない。不思議ですね」

 明智乱歩は手を叩き、新たな謎に興奮が抑えきれないとばかりに笑った。不謹慎な男だ、と私は思う。

「犯人は、エラリーを殺してから作品の中に入れた。これで犯行は可能なはずだ!」

「検証の結果、安全性の観点から外から扉を閉めることは不可能な設計になっていました。エラリー氏が外で殺害されたにしろ、中で殺害されたにしろ、彼をうまく作品内に閉じ込めたまま、自分だけが外に出て逃げる事は不可能なんです。つまり、金田一さんがバールで作品を破壊するまで、犯人はこの中にいたんですよ」


 私は思わず目を剥いた。ありえない。あの混乱の最中、私は怪しい動きをする人間がいないか周囲を見渡したはずだ。最も近くで観察していても、誰かがそこから逃げたならすぐに気付くだろう。

「探偵さん、まさか幽霊だか透明人間だかがエラリーを殺したと仰るつもりですか? 非現実的な……。くだらない、帰らせてもらいますよ!」


 探偵は不敵な笑みをなおも崩さない。彼は部屋をぐるりと見渡すと、突き立てた人差し指をまっすぐ正面へ突き出した!


「……では、そろそろ出てきてもらいましょうか。犯人は、あなただ!」


 彼が指したのは、私……の背後に伸びる影法師だ。怪訝な表情で振り向くと、視界には異常な光景が広がっている!

 私の影が意思を持ったかのように、床からふわりと浮き上がった。それは徐々に大きく、見慣れない形に変貌していく。


「ついに追い詰めましたよ……シャドウダンサーAGASA!!」


 カラスを思い起こさせる漆黒のバレリーナ衣装に筋骨隆々の身体を押し込め、そのメイクは素顔を覆い隠すほどだ。私の背後に立ったシャドウダンサーAGASAはアラベスクのポーズで静止し、地の底から響くようなバリトンボイスを響かせた。

『私は流れの踊り子……。たまたま影に潜航する能力を持っただけの、人畜無害なエンターテイナー……』

「嘘を吐くな。あなたしか犯行が可能な人はいないんですよ」

『証拠も無しでただの踊り子を罪人に仕立て上げるなど……名探偵も地に落ちましたね。ここは魔女裁判ではないのです。証拠を出していただかねば……』

 シャドウダンサーAGASAは片脚を上げるアラベスクのポーズを維持したまま、その場でくるくると回転した。コロンの香りが鼻腔をくすぐり、周囲にはいつの間にか霧が発生している。

「いいでしょう。遺体の死因は撲殺と発表されましたが、凶器は見つかっていませんね? 例えば、トウシューズで後頭部を強く蹴られても撲殺で処理されるんですかね……?」

『このトウシューズは! 渡しません! お母様からのプレゼントなんです! 身体を壊しても内職を続けて! やっと買っていただいた思い出の……』

「別に脱いでいただかなくてもいいですよ? 幸い、鑑識の方もおられます。ルミノール反応を少し見ていただけるだけで、あなたが無実かはわかるでしょうから……」


 シャドウダンサーAGASAは黙りこくった。どこからか発生し続けている霧を背に、徐々にその影を薄めていたのだ。

「まさか、逃げるんですか? オーディエンスはこんなに揃っているというのに? 大舞台を前に敵前逃亡など、あなたの誇りとするダンスも地に堕ちたものですね……」

『……ダンスは至高の芸術だ。こんなゴミのような個展などよりも! よろしい、よろしい、よろしいィ!! ダンスバトルで決着を付けましょう!!』


 再びそのシルエットを濃くしたシャドウダンサーAGASAは、室内に大きく響くように指を鳴らした。スモーク替わりの霧を切り裂くようにスポットライトが点灯し、規制線を挟んで探偵と変質者ダンサーが向かい合わせになる。

『我が戦慄の旋律をお見せしましょう……。潜影白鳥脚!!』

 リズムに合わせて探偵の顎を抉らんとばかりに蹴り出されるサマーソルトキックの連続を静かにいなし、探偵はニヤリと笑った。

「英国の名探偵から逆輸入したあの技、遂に見せる時がきましたね……!!」


 姿勢を低くしたシャドウダンサーAGASAが伸ばした右脚を掴み、探偵は静かに力を込める。そして——。

「バリツ!!」顔面に向けてローキック連打!

「バリツ!!」鳩尾に向けてボディブロー!

「バリツ!!」単純暴力の嵐!!


『私の芸術を認めない愚民が憎かった……。芸術家を1人づつ殺していけば、私のことを認める世界が来るはずなのに……』

「あなたに足りないのは、技術じゃない。感性の違いを認めない、その心ですよ……」

 殺人及び暴行未遂で現行犯逮捕されたシャドウダンサーAGASA、暴行で現行犯逮捕された探偵・明智乱歩を眺め、私は静かに溜め息を吐く。

「探偵さん、一ついいですか?」

「違う!! これは正当防衛の範囲内です!!」

「そこについては取調室で言い訳してください。……なぜ私たち関係者を集めて推理を披露したんですか? 本当に茶番だったじゃないですか!」

 警官に手錠を掛けられたまま、探偵は笑う。

「あのままあなたを帰らせると、あなたの影に潜航していたシャドウダンサーAGASAを逃す……それどころかあなたが次に企画する個展が被害に遭いますからね。それだけは避けたかったんですよ」

「なるほど。少し見直しましたよ、名探偵さん」

「あと、単純に『犯人はこの中にいる!』がやりたかったのもありますね」


 やはり、名探偵を名乗る男にろくな存在はいないのかもしれない。

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